窓の外は闇に沈み、吹き込む風が鉄板を鳴らしていた。
天井の裸電球が頼りなく揺れ、その白い光が地図や報告書の貼られた壁を照らしている。
その下には泥だらけの軍靴が並んでいた。
「お疲れさん」
机に腰掛けていた男がそう言った。
「その顔、負けてきたね」
帰ってきたベルダは返事もしない。
煤だらけの外套の姿だが、視線を下げたままなにか言いたげな表情だった。
「まぁ、まだ数台戦車はあるから気にしないでよ。それに、放浪者のお仲間も増えたことだし」
男がレンチを置いて、工房に戻ろうとしたときだった。
「....あの街、稼働できる対戦車砲は無いんだよな....?」
「え?急にどうした?」
「昼間、さび付いていたはずのそれで、ぶち破られた....」
男は、再び机にもたれかかって腕を組む。
「油断したねぇ。まぁ、
「そうじゃない!動かなかったやつが突然動いたんだ」
「え?どう言うこと?」
ベルダは昼間の出来事をかい摘んで話した。
錆び付いていたはずの対戦車砲。
動くはずのない砲が火を吹き、戦車の側面を撃ち抜いたこと。
話を聞き終えた男は、机にもたれかかったまま腕を組んだ。
「う〜ん....あの街、端っこだからあんま補給とか優先されるはずないんだけどな....」
しばらく何かを考えていたが、やがて眉をひそめる。
男は壁に広げられた地図を見上げ、
「修理工もあんまいないはず....」
その口元がゆっくりと吊り上がる。
まるで、面白いおもちゃでも見つけたような顔だった。
「....興味が出てきた。ちょっと出かけてくる」
そう言って、男は地図の前から離れた。
「ちょ、どこに行くんだ?」
「安心してよ、ちょっとした散歩さ」
そのまま、灯りの外へ歩いていく。
男は、夜の闇に紛れていった。
「今日は本当に助かった」
テーブルの上には、ご馳走が並んでいる。
目の前には、チキンの丸焼きに、ポテトサラダ。それから柔らかい白パンに、ステーキ、ラム肉....。
どれから手を付けるべきか、本気で悩んだ。
「ほ、本当にこれ全部食べて良いの?」
「あぁ。むしろ、これ程では足りない。二度も君らには守ってくれたからな」
その言葉を聞くや否や——
「「「「いっただっきまーす!」」」」
一斉に皿に手が伸びた。
みんなの、さっきまでの疲れた顔が嘘みたいだった。
「アンペア君も、遠慮しなくて良い。食べてくれ」
「じゃあ、遠慮無く」
そう言って、まずはステーキをお皿に寄せた。
あぁ、美味しい。一時はどうなるかと思ったけど、追い払えてよかった。
「そう言えば、ロッテンとオストーがアレックス君を引き連れてネザーから戻ってこないとか....」
「実は、そのことで問題が起きていて....」
それまで賑やかだった食卓が、少しだけ静かになった。
誰かがナイフを置く音だけが小さく響く。
チキンの香ばしい匂いも、湯気の立つスープもそこにあるのに。
「ネザーゲートが出現したと言う知らせを聞いて、なるべく早く駆けつけたが....」
「もう、その時には壊されちゃってたわね....」
「そうか....早く襲撃に気がつけていれば」
「そんな卑屈にならないでよ。コバットさんが戻ってきてくれたおかげで、敵が撤退していったんだし」
目の前には山ほど料理がある。
けれど、ネザーに取り残された三人は今頃何を食べているんだろう。
さっきまで夢中で食べていたはずなのに、急に肉の味が分からなくなった。
「そう言えば....」
セリカはチキンにかぶりつこうとして――ふと動きを止めた。
「前にヴォルクス・リベレーターについて聞こうとしていたけど、結局聞けずじまいだったのよね」
セリカの言葉に、食卓がわずかに静まった。
料理の湯気は変わらず立ち上っているのに、さっきまでの賑やかさだけが薄れていく。
誰かがパンをちぎる音だけが、妙に大きく聞こえた。
コバットは手に持っていたコップを静かに置いた。
「ヴォルクスは....」
全員の視線がコバットに集まり、コバットは言葉を選ぶように視線を落とす。
——その沈黙が妙に長く感じた。
「——過去にウチの会社の工場を、攻撃したことある集団よ」
気付けば、先に口が動いていた。
今更、取り繕う気分にはならなかった。
「奴らなりの考えがあるみたいだけど、結局のところやってることは破壊と略奪ばっか」
工場の襲撃。機械が止まって、従業員が避難していく。
現場で働く人たちにとっては、掲げている理想なんて関係ない。
あの日から、ヴォルクスという名前を聞くだけで嫌な気分になった。
「その襲撃から、ウチはモンスターとかそいつらが嫌いになったけど....」
言葉を吐き出したところで、奥歯を噛み締めていることに気づいた。
これ以上思い出しても仕方ない。
小さく頭を振って顔を上げると、食らいつくようにみんながこっちを見ていた。
「なんか、ロッテンさんとか見てたら、そう考えていた自分が馬鹿馬鹿しく思っちゃって」
「アンペアさん....」
ヒフミが、ぽつりと呟いた。
「いや、それが普通だ」
コバットがそう言う。
「ヴォルクスに怪我を負わされたやつらも、街を焼かれた者もいる。今でも恨み続けている者は多い」
さっきまで続いていた食器の音が途切れた。
「嫌う理由は十分ある——それを否定できるほど、軽い話じゃない」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
肉の匂いも、温かな料理も変わらないはずなのに、食卓だけが少し冷えた気がした。
バタン!
扉が開く。
「コバット隊長」
「どうした」
駆け込んできた隊員は一度周囲を見回し、それからコバットの耳元へ顔を寄せた。
「不審な人物がいるとの情報が、北門の偵察で....」
「....分かった」
コバットはそう言うと席を立った。
「すまない、急用が出来た」
「またヴォルクス・リベレーター?」
シロコがそう聞いた。
「まだ分からない。君たちは、食事を続けて——「ちょっと待ったー!」
セリカは机に手をつき、そのまま椅子を押しのけるように立ち上がった。
「ずっと前から思っていたけど、なんで私たちを頼らないわけ?」
「それは、君たちが....」
「放っておけないのよ、この街のこと。アビドスの借金もそうだけど」
「私も」
「実は....私も」
シロコは静かにうなずき、ノノミは控えめに手を上げた。
その様子を見て、コバットは言葉を失ったまま視線を泳がせた。
「....まだ君らは子供だ。そう危ないことに——」
「だからなんなのよ!」
その言葉を合図に、私以外の全員が椅子を鳴らして立ち上がった。
「私ら、困っている人を見ると助けずにはいられないの」
「ん、困ったことがあれば、お互い様」
「私たちでも、できることはありますよ」
「な、なんでもいいので、頼ってください!」
コバットは短く息を吐き、言葉を飲み込むように目を閉じた。
「....分かった。そこまで言うなら、協力してもらおう」
ただし、コバットはこう付け加えた。
「だが、前には出るな。判断はこっちでやる。報告だけでいい」
食事は、そこで一度お開きになった。
それぞれが準備を整え、夜の街へ向かう支度を始める。
静かに、夜の街が引き締まっていく感じがした。
——————
「私について来てくれ」
通りにはまだ人影があった。
壊れた家の修理を続ける者、木材を運ぶ者、見張りに立つ者。
戦いは終わったはずなのに、街はまだ完全には眠れていなかった。
「皆さん、こんな時間でも起きていますね....」
「昼の被害が大きかったからな」
コバットは歩きながら答える。
「それで、不審な奴ってどこにいるの?」
「聞こえてたのか....まぁ、そうだな」
コバットは周囲を見回した。
「北門付近で見かけたという話だ。だが、それ以降の足取りが掴めていない」
街灯の灯りを頼りに、通りを進む。
「部隊員から報告があがるくらいだ。よっぽど不審なやつなんだろう」
修理途中の建物、積み上げられた木材、昼間の戦闘で残された瓦礫。
どこも人の気配はあるが、それらしい姿は見当たらない。
通りを進むにつれて、人影はまばらになっていった。
さっきまで聞こえていた修理の音も遠ざかり、残るのは見張りの兵士だけ。
一歩進むたびに、街の賑わいが背後へ遠ざかっていく。
ギィィィ....。
「コバットさん....」
「分かってる」
錆びた金属が擦れるような音。
風で揺れた遊具か、それとも壊れた看板か。
静かな通りに、その音だけが妙に大きく響いた。
音の先には、昼間に撃破した戦車が据えられていた陣地。
崩れた土嚢の傍らで、修理されたばかりの対戦車砲が月明かりを反射していた。
そして、その横に——一人の男。
「ふ~ん....こうやって生かしたんだ」
男は砲身を眺めるように立ち、時折しゃがみ込んでは照準器やギアに触れている。
まるで骨董品でも鑑定するような仕草だった。
「そこのお前、何をしている?」
「あっ、これはしくったな~」
男はすぐには答えなかった。
照準器から目を離し、ゆっくりとこちらを振り返る。
その視線がコバットを通り過ぎる。
シロコ、セリカ、ノノミ、ヒフミ——私で止まった。
「....あ、なるほど」
その男は顔が笑顔になった。なにか、秘密を見つけたようなそんな感の....。
「ははは。そういう事か。これは一本取られたね」
男は少し顎を引いた。
品定めするような視線が、こちらをなぞる。
「そこで何をしている?」
「戦車が潰された理由を探していたんだよ」
男は眉をひそめた。
「ロバート大隊のエリートがいるとは聞いていた。放浪者が強いという話もね」
そう言いながら、視線を私へ向ける。
「でも、それだけじゃ足りなかった」
男は修理された対戦車砲へ目を向け、もう一回こっちを見る。
「君を見て、ようやく納得したよ。街に対戦車戦力を維持できる人間がいたんだね」
「アンペアさんが、ですか?」
ヒフミの声に、男は一度だけ瞬きをした。
「....へぇ」
その反応が意外だったのか、男は興味深そうに目を細める。
「もしかして、君たちは知らないのか」
嫌な汗が背中を伝った。
男の視線が、まっすぐこちらへ突き刺さってくる。
「いや、その顔は違うな。君が話していないだけか」
口元がわずかに吊り上がった。
「じゃあ、アンペアが何なのか言いなさいよ!」
「それなら、聞けばいいんじゃないか?」
男は肩をすくめて、顎で私を示した。
「本人がそこにいるんだから」
「なっ——」
思わず奥歯を噛み締めた。
こいつはウチが何者なのかも、どこから来たのかも、分かった上でわざと話をこちらへ向けている。
——そして、それを口にできる立場にいる。
今すぐにこいつを黙らせたい。けど、それができない。
「それに....」
男の笑みが少しだけ深くなる。
「そんな重要な情報を、おいそれと渡すほどお人好しじゃないんでね」
——ギリ、と歯が鳴る。
助かったはずなのに、こいつの掌の上で転がされている気分だった。
「でも、納得した。街の評価を修正しないとね」
さっきまでの皮肉っぽい笑みを浮かべたまま、男は懐から緑色のボールを取り出した。
そして軽く放る。
「じゃあ、僕はこれで帰るよ」
「ッ!待ちなさい!」
セリカが一歩踏み出した、その瞬間だった。
——シュン。
男の輪郭が紫色の粒子に崩れる。
手を伸ばす間もなく、その姿は夜の闇へ溶けるように消えていた。
「....こちらコバット、不審な人物を逃した」
逃した。そう言えば聞こえはいい。
本当は違う。
最初から、向こうが好きな時に帰れる立場だっただけだ。
そして、最後まで何も言い返せなかった。
あいつは知っている。
自分が何者で、どこから来たのかを。
——そして、それを知られたくない理由も....。