朝目が覚める。
昨日、あの男が言っていたことが頭から離れない。
「——もしかして、君たちは知らないのか」
嫌な言い方だった。
まるで全部見透かしているみたいで。
思い出しただけで胃のあたりが重くなる。
だからか、二度寝する気にもなれなかった。
他のみんなはまだ寝てる。
部屋にいても仕方ないし、まだ朝食まで時間があるから少し外の空気でも吸おう。
そう思って、一階に降り、宿の扉を開けると、朝の冷たい空気が頬を撫でた。
朝の街は静かだった。
修理の音も、見張りの声もまだ聞こえない。
昨日の夜に来るはずだった静寂が、今になって街を包んでいるようだった。
「....平和だねぇ」
つゆが石畳の隙間に生えた草を濡らし、朝日に照らされて小さく輝いていた。
足を踏み出すたび、靴の下で砂利が小さく鳴る。
パン屋からは焼きたての香りが流れ、店先では店主が看板を表へ運び出していた。
窓を開ける音や、水を汲む音が静かな街に溶けていく。
戦争なんて忘れてしまいそうなくらい、穏やかな朝だった。
のんびりと石畳を歩く。
ふと見渡すと、ガレスがちょうどあの機械に乗って、農場に向かっていところを見た。
その隣に、修理した製粉所があった。
中から粉を挽く低い音が聞こえてくる。
思わず耳を澄ませた。
ちゃんと動いてる。
少しだけ胸が軽くなった。
そのまま角を一つ曲がり、広場を抜ける。
気づけば何日か前に直した工場まで来ていた。
「そういえば....」
あの工場長に直ったことを伝え忘れていたな。まぁ、夜のまま帰っちゃったし、昨日はバタバタだったから当然だけど。
そんな事を考えていると、ちょうど門の前に工場長が立っていた。
壊れていると分かっていても、毎朝ここへ来るのが習慣なんだろう。
「あ、おじさん」
「あぁ、何日か前のエンジニアか」
「工場の動力、直せたよ」
「....え?」
おじさんは目を丸くした。
「だが、お前さんの仲間が『もう駄目だ』って....」
「あの時はちょっと訳があってね。今はちゃんと動くよ」
「本当か!?」
おじさんは返事も待たずに、工場の中へ駆け込んでいった。
奥から、低く重たい機械の鼓動が聞こえてくる。
続いて煙突から白い蒸気がゆっくりと立ち上っていく。
「やったぞ!!」と塀の向こうから、工場長の弾んだ声が街へ響いた。
思わず、にへっと笑っちゃった。
....ガタッ。
木箱の陰から何かが倒れる音。
振り向くと、一瞬だけ見覚えのある外套が見えた。
すぐに引っ込む。
....気のせい?
首を傾げながら、そのまま来た道を引き返した。
けれど、歩くたびに背後で小さく物音がする。
ガサッ。コトッ。....ゴン。
服屋の隣、パン屋の看板、荷車の影。
振り返ると誰もいない。
また歩き出す。
すると今度は、革職人の家の路地裏の樽の陰から誰かが頭を引っ込めたような気がした。
「....」
気のせいじゃないよね。
路地裏へ足を踏み入れる。
積み上げられた木箱の陰。さっき見えた外套と同じ色が、隙間から少しだけ覗いていた。
....まさか?
「ハルクさん?」
ガタッガタガタン!
木箱が派手な音を立てて崩れた。
「いってぇ....」
積み上げられた木箱の山から、ハルクが頭を押さえながら這い出てくる。
「ここでなにをしているの?」
「いやぁ、その....散歩....かな?」
「なんでウチに聞くのよ....」
「....」
黙り込んだ。目をそらしてる。
「さっきから、ウチを見ているけど....」
「えぇ、俺そんな分かりやすかったか....?」
「分かりやすすぎ」
「マジかぁ....」
ハルクは頭をかきながら、崩れた木箱を元に戻そうとした。
けれど途中で手を止めると、小さくため肩を落とした。
「隠密なんて柄じゃないんだよなぁ....」
そうぼやいてから、諦めたようにこちらへ向き直る。
「コバット隊長に、お前を朝から護衛しろって言われているんだ」
思わず首をかしげた。
「護衛?」
「昨日、不審者が出ただろ。万が一ってことだ」
「別に、一人でも大丈夫だけど」
「隊長命令なんだよ。俺だって好きで木箱の後ろに隠れたり、街灯に頭ぶつけたりしてるわけじゃない」
「だったら、普通に後を付けるのでもいいと思うけど....」
「....まぁ、それも護衛になるか」
ちょうどその時だった。
そんな話をしていると、パン屋の扉が開いた。
焼き立てのパンが入った籠を抱えたおばさんが外へ出てきて、こちらを見るなり笑みを浮かべる。
「これ、朝焼いたばかりだから持っていきな」
「え?でも、エメラルドは——」
「いいんだよ」
おばさんは笑って首を横に振った。
「製粉所が動き出したおかげで、久しぶりにこんな白いパンが焼けたんだ」
そう言って、まだ温かいパンを手渡してくる。
「みんな喜んでるよ。工場も動いたって、さっき大騒ぎだったからね」
パンを受け取る。
まだほんのり温かい。
「....ありがと」
「礼を言うのはこっちさ」
おばさんは優しく笑った。
「この街に、また希望を持たせてくれたんだから、こっちからもお礼はしないと」
焼き立てのパンを受け取って、小さく頭を下げた。
まだ温かい。
こうして街の人に礼を言われるのは、少しくすぐったかった。
隣ではハルクが「よかったな」とでも言いたげに苦笑している。
穏やかな朝だった。
——だからこそ。
「やっほ〜、昨日ぶりかな?」
その声が、場違いに軽かった。
「あんたは....!」
ムツキとか言う名前だったか。
昨日と同じ、いたずらっぽい笑顔。
まるで散歩でもしているみたいに、軽い足取りで近づいてくる。
その瞬間、ハルクが一歩前へ出た。
「止まれ。それ以上近づくな」
周囲では、物陰にいた警邏隊の隊員たちも一斉に姿を現す。
通りの空気が一気に張り詰めた。
「今日はケンカしに来たんじゃないよ〜」
「じゃあ、何の用で来たの....」
「それは~」
悪戯を思いついた子どもみたいな笑顔。
「君を迎えに来たんだ♪」
「今!」
屋根の上から誰かの声が響く。
——パンッ! パンッ!
何かが足元へ投げ込まれた。
「ッ!散開——!」
ハルクの叫びが終わらないうちに
——ドンッ!
炸裂した。
「それ~!」
視界が真っ白に塗り潰された。
細かい小麦粉が目、鼻、口に一気に飛び込んでくる。
息を吸おうとした瞬間、喉の奥が焼けるようにむせた。
「小麦粉か!?」
「クッソ!前が見えねぇ!」
「警戒しろ!要護衛目標から離れるな!」
思わず口元を押さえる。
小麦粉が喉に入り込み、咳が止まらない。
ガシャン! ドスッ!
誰かがぶつかり合う音、金属の擦れる音、怒鳴り声....。
それらが白い闇の中で歪に反響する。
「ごほっ....!けほっ!」
「アンペア!どこだ!?」
「——見つけた♪」
後ろから、突然、熱い息がかかる。
柔らかい手が、両腕をねじり上げられた。
反射的に暴れたが、力が入らない。
小麦粉で喉が塞がり、喉が塞がる。
呼吸が浅い。
頭が、くらくらする。
「はい、確保〜」
聞き覚えのある、楽しそうな声。
「離して!」
「ごめんね~。でも、これも仕事の内だから大目に見てよ」
抵抗した、その瞬間——。
ふわりと、後ろから柔らかな布が口元へ押し当てられた。
——甘い、吐き気のする匂い。
「っ....!んぐっ....!」
息を止めたつもりだった。
だが、むせていたせいで、反射的に大きく吸い込んでしまった。
世界が、ぐらりと傾いた。足の力が抜けていく。
指先が痺れて、腕が自分のものじゃなくなる。
「アンペア!」
遠くでシロコの叫びが聞こえた。
続けて銃声。何かが地面に倒れる音。ハルクの低いうめき声。
でも、全部が遠い。
音が、——遠のく。
「もう少しだから、我慢してね〜」
ムツキの楽しそうな声だけが、異様に近く、はっきりと耳に残った。
身体から力が抜けていく。
手を伸ばそうとした。
でも、指先は、空を掴む。
「——アンペア!」
視界が白から灰色に、そして黒へ——
——途切れた。