工場横の茂みに身を潜める。
頭に被った葉っぱのおかげか、思ったより周囲に溶け込めていた。
適当に被ったものだけど、意外と使えるのかも....?
——ドカァァァン!!!
そんなこと考えていたら、廃工場の壁が吹き飛んだ。
爆風がこっちまで押し寄せて、頭に被った葉っぱがばさりと揺れる。
『今です』
無線機越しからのアヤネの小さな声。
そのあと、穴が開いた場所から銃を持った灰色の人たちが次々と飛び出していく。
『正面の守備が薄くなっています。このまま裏へ回れそうです』
「ん、ついてきて」
シロコが身を低くしたまま走り出す。
自分たちも慌てて後を追った。
裏側は静かだった。
木箱とドラム缶が積まれ、窓ガラスのほとんどは割れている。
爆発の音だけが遠くから響いてきた。
身を低くしたまま裏口へ近づく。
錆びついた鉄の扉。
取っ手を握って、そっと引く。
....動かない。
今度は押してみる。
....びくともしなかった。
「鍵が掛かってる」
「なら——」
シロコが木のツルハシを構えた。
カンッ。カンッ。
乾いた音が、砲撃に紛れて小さく響く。
ここだけ見ると、本当に強盗しているような気分だ。
ドアにひびが走っていく。
「もう少し」
シロコが淡々と言う。
ガコンッ。
ドアが内側へ崩れ落ちた。
シロコが木のツルハシを背中へ戻して、素早くライフルを構えた。
「突入するよ」
壁に身を寄せながら、静かに工場の中に滑り込む。
セリカが反対側を確保する。
ノノミは後方を警戒し、ヒフミが中央を援護する。
自分も葉っぱを押さえながら、その後へ続いた。
工場の中は薄暗かった。
油の臭いと鉄の錆びた匂いが鼻を刺す。
振動のたび、天井から細かい埃が落ちてきていた。
廃棄されたっぽい工場だけど、でも生活感はぬぐえない。
『足音、気を付けてください』
「ん、分かった」
シロコが先頭で通路を進む。
『待ってください。前方、複数反応です』
バタバタバタッ——。
通路の先を、灰色の兵士たちが駆け抜ける。
その後ろを、武装したゾンビたちも続いた。
「急げ! 正門が突破されるぞ!」
「援軍を回せ!」
怒号だけを残して、足音は遠ざかっていく。
全員、壁へ身を寄せたまま息を潜めた。
指に汗がにじむ。
こう言う潜入は人生の中で一度も経験したことがない。
いや、あってたまるか。
子供のころ、夜にこっそりしていたことはあるけど、こんな本格的なことはない。
『....大丈夫です。進んでください』
シロコは角からそっと覗く。
「....ん、大丈夫」
みんなの銃口が一度も下がらない。
ゆっくりと通路へ踏み出す。
油で黒ずんだ床に、白い粉がところどころ残っていた。
「これ....」
しゃがみ込んだヒフミが、小さく指差す。
「小麦粉、ですよね?」
近づいてみる。
指先で少し触れると、さらりと崩れた。
隠す気がないのか、それとも誰も気づかなかったのか杜撰で助かった。
「アンペアさんはこの先に....」
ノノミが、ミニガンを抱えながら呟いた。
『そのまま追ってください』
アヤネの声が無線から聞こえる。
「分かった」
シロコは迷わず、その跡を追い始めた。
誰もいない。
正面の砲撃へ駆り出されたのか、工場の中は妙に静かだった。
白い跡だけが、この先へ進めと教えてくれる。
「止まって」
シロコが右手を上げた。
危うくその背中にぶつかりそうになる。
視線の先。
通路の突き当たりに、一枚だけ鉄の扉があった。
他の部屋より頑丈そうな造りっぽい。
床に残る小麦粉の跡は、その扉の前で途切れていた。
「蹴破ってみる?」
セリカが足を上げる。
「だめ」
シロコが首を振る。
「音が大きい」
銃をしまって、背中のツルハシをまた取り出す。
「こっち」
カンッ、カンッ。
ガコンッ。
「誰!?」
聞き覚えのある声。
「アンペア!」
「....アレックスなの!?」
椅子に縛り付けられたまま、アンペアが目を見開く。
助けに来たか、それとも葉っぱを被っているこのおかしい頭か。
どっちでも、アンペアの顔を見ただけで、胸の奥が少しだけ軽くなった。
「今、助け──」
「だめ!」
鋭い声が飛ぶ。
『っ!気を付けて——』
「来ちゃだめ!」
ヒュンッ。
耳元を、何かが風を切って通り過ぎる。
思わず身を引く。
「危ない!」
シロコが宙に攻撃した。
白い、小さな影。
剣を握った半透明で翼を持ったちっこいのは、宙に浮いたままこちらを睨んでいた。
「正面であれだけ騒げば、裏から来るに決まってるだろ」
太い、威圧的な声。
——聞くのは、初めてじゃない。
「久しいな、君たち」
工作機械の陰から、女が姿を現した。
アンペアへ一瞬だけ目を向け、それからこちらを見渡した。
「ベルダ....!」
アンペアがにらみつける。
「助けに来るとは思っていた」
女は肩をすくめるように笑い、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
「だが、正面であれだけ派手に暴れるとは予想外だったよ」
その口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「さて、君たちは——」
——パンッ!
乾いた銃声が工場に響いた。
シロコのライフルだった。
弾丸はベルダの足元を逸れた。
「....最初に私を撃つ。その判断は嫌いじゃない」
焦る様子も、怒る様子もない。
まるで最初からこうなることを知っていたような、そんな余裕だけがそこにあった。
「....牽制も効かない」
「ヴェックス、遊んでやれ」
ヒュンッ。
白い影が一斉に宙を滑るように飛び出した。
「っ!」
咄嗟に目の前のアンペアが座っている椅子ごと抱え上げた。
思った以上にめっちゃ重い。火事場のバカ力ってのを初めて痛感した。
「アレックス!?」
——ヒュンッ!
鉄の剣が目の前を薙ぎ、頬をかすめた。
熱い。
頬を生温かいものが一筋流れ落ちる。
斬られたんだ。
命からがらアンペアを抱えたまま壁沿いの物陰へ転がり込んだ。
椅子を床へ降ろし、震える手で拘束された縄へ飛びつく。
「少し我慢して!」
ほどこうとするけど、結び目が固い。
「アレックス、落ち着いて!」
焦るほど指先が思うように動かなかった。
「セリカ、右!」
「分かってる!」
銃声が響くたび、振り返りそうになる。
でも、今はアンペアを助けるしかない。
——パンッ、パンッ!
連続で引き金が引かれる。
「すばしっこい....!」
「隠れてください!」
ノノミとヒフミが工作機械の陰へ身を滑り込ませる。
「これなら——」
そう言った瞬間。
「えっ!?」
ヴェックスは工作機械をすり抜け、そのまま剣を振り下ろした。
「きゃっ!」
ヒフミの肩口が浅く裂ける。
「ヒフミさん!」
ノノミが咄嗟に援護射撃を浴びせるが、白い影はまた壁の向こうへ消えていった。
「壁まですり抜けるの!?」
セリカが舌打ちする。
「でも、弾はよけてる」
シロコの銃口だけは、ヴェックスから離れない。
壁へ飛び込み、抜け出す、その一瞬を待っていた。
——ヒュンッ!
「今!」
——パンッ!
——ドン。
鈍い音が工場に響いた。
ヴェックスじゃない。
思わず振り返る。
弾丸が突き刺さった先は——。
ベルダの胸だった。
小さな赤い染みが広がっていた。
ベルダは何も言わない。
ゆっくりと膝をつき、そのまま床へ崩れ落ちる。
「....あっ」
誰かが息をのんだ。
だけど、次の瞬間。
——パァンッ!
何かが、激しくはじける音と共に、光が弾けた。
木彫りの人形が砕け散り、何事もなかったように立ち上がる。
「悪いな、死なないんだ」
「不死のトーテムまで....!」
アンペアが、苦い顔をしている。
震える手で結び目をほどく。
一本。
もう一本。
「あと少し!」
——ヒュンッ!
「っ!」
ヴェックスからの攻撃。
「....だが、そろそろ遊びは終わりだ」
後ろから低い声が聞こえた。
背筋が凍る。
なにか、良くないことがおきそうな声。
思わず振り返った。
「来い」
——ヒュンッ。
——ヒュンッ。
——ヒュンッ。
工作機械の陰から
割れた窓から
天井の梁の隙間から
「....まだいたの!?」
セリカの声が震えた。
さっきまで数えられるほどしかいなかったヴェックスが、みるみる増えていく。
六体。
九体。
——まだ増える。
「アヤネ」
『....はい』
「....まずそう」
『え!?どういうことですか!?』
「....囲まれた」
『....分かりました』
目の前には、ヴェックスの大量の群れ。
——逃げられるわけがない。
『砲撃支援を要請しました!十秒後に着弾します!』
無線の向こうで、慌ただしく誰かに指示を飛ばす声が聞こえてきた。
一拍置いて、アヤネが続けた。
『壁から離れてください。空いた穴から脱出を!』
「十秒....」
シロコが短くつぶやいた。
「時間を稼ぐ」
「了解!」
——パンッ、パンッ!
セリカが引き金を引いた。
白い影が散る。
だが、一体退けば別の一体が飛び込んでくる。
「アレックス!」
「もう少し....!」
震える手で最後の結び目をなんとかして引っ張る。
あと少しなのに、固く締まった縄はびくともしない....!
「数が多すぎます!」
ノノミのミニガンが咆哮を上げ、耳を劈くような連射音が工場を支配した。
白い影がいくつか木っ端微塵に吹き飛び、残りは一瞬だけ後退する。
だけど、次の瞬間にはまた壁や天井から新たな個体が湧き出していた。
『残り五秒です!』
無線越しにアヤネの声が飛ぶ。
「あと一本....!」
硬い....!釘でも打ち込んであるみたいに動かない....!
ヒュンッ!
「シロコさん!」
右から上から左から。
どこからも攻め込んでくる。
「まだ!」
セリカの援護射撃がヴェックスを押し返す。
『残り三秒!』
力任せに縄を引く。
——ブチッ。
「取れた!」
「立てる!?」
「....走れる!」
アンペアは赤く痺れた手首を握りしめた。
膝に力を込め、立ち上がる。
『残り一秒!』
「伏せて!」
シロコの声が響く。
その瞬間だった。
——ドォォォォォン!!
工場全体が跳ね上がった。
耳をつんざく轟音。
外壁が内側へ弾け飛び、コンクリート片と鉄骨が吹き荒れる。
爆風が白い影をまとめて飲み込み、土煙が視界を真っ白に染めた。
「今!」
「走って!」
煙をかき分けるように外へ飛び出す。
背後では工場の壁が崩れ落ち、ヴェックスの羽音が爆音にかき消されていた。
「逃がすな!」
煙の向こうから怒号が響いてくる。
白い影が一斉にこちらへ飛び出そうとした、その瞬間。
——ドォォォォォン!!
爆炎が土砂と鉄骨を巻き上げ、追撃に出ようとしたヴェックスたちをまとめて飲み込む。
「まだ来ます!」
『砲撃継続! 急いでください!』
アヤネの声が無線から飛ぶ。
立ち止まる暇はない。
全員で森へ向かって駆け出した。
工場の壊れた壁を、外のフェンスを、木々が通り過ぎていく。
足が重い。
呼吸が焼けるように苦しい。
それでも、止まるわけにはいかなかった。
背後から、いつ追手が来るか分からない。
あの白い影が、また壁を抜けて現れるかもしれない。
何度も振り返りそうになる。
でも、前だけを見る。
今はただ、アンペアを連れて帰る。
それだけで精一杯だった。
爆音が遠ざかっていく。
けれど、あの白い影の羽音だけは、いつまでも耳の奥に残っていた。