工場横の茂みに身を潜める。
葉っぱの偽装は、悪くない。
アレックスの頭の上でも、意外と機能していた。
——ドカァァァン!!!
廃工場の壁が吹き飛んだ。
爆風が押し寄せ、葉っぱがばさりと揺れる。
『今です』
無線越しのアヤネの声。
穴の開いた場所から、銃を持った灰色の兵が次々と飛び出していく。
『正面の守備が薄くなっています。このまま裏へ回れそうです』
「ん、ついてきて」
身を低くしたまま走り出す。
後ろで足音が続いた。
裏側は静かだった。
木箱とドラム缶。窓ガラスのほとんどは割れている。
爆発の音だけが遠くから響く。
錆びついた鉄の扉。
取っ手を引く。
動かない。
押す。
びくともしない。
「鍵が掛かってる」
「なら——」
木のツルハシを構えた。
カンッ。カンッ。
乾いた音が、砲撃に紛れて小さく響く。
ドアにひびが走る。
「もう少し」
ガコンッ。
ドアが内側へ崩れ落ちた。
ツルハシを背中へ戻し、ライフルを構える。
「突入するよ」
壁に身を寄せ、静かに滑り込んだ。
セリカが反対側を確保する。
ノノミが後方警戒、ヒフミが中央援護。
アレックスが葉っぱを押さえながら、最後に続いた。
工場の中は薄暗い。
油の臭いと錆びた鉄の匂い。
振動のたび、天井から埃が落ちてくる。
『足音、気を付けてください』
「ん、分かった」
先頭で通路を進む。
『待ってください。前方、複数反応です』
バタバタバタッ——。
「ちょっと待ってよ!隠れるところなんて....!」
「任せて!」
アレックスがブロックを壁際に二段積み、斜めに一つ重ねた。
「これでいい!みんな入って!」
アレックスが素早く土を取り出し、壁際に積み始めた。
即座に判断して、その陰に身を滑り込ませる。
セリカ、ヒフミ、ノノミも続いた。
上から葉ブロックが被さり、簡易の壁が完成する。
....意外と悪くない隠れ方だ。
息を止めた。
灰色の兵士たちが、すぐ目の前を通り過ぎていく。
「急げ!正門が突破されるぞ!」
「援軍を回せ!」
ブロックを積むだけで、隠れ場所になる。
覚えておく。
足音が遠ざかっていくまで、誰も動かなかった。
アレックスがブロックを一つ回収しながら、小さく息を吐くのが見えた。
....この世界の人間は、本当に色んなことをする。
角からそっと覗く。
「....ん、大丈夫」
全員の銃口が下がっていない。それでいい。
通路へ踏み出す。
油で黒ずんだ床に、白い粉がところどころ残っていた。
「これ....」
ヒフミがしゃがみ込み、小さく指差す。
「小麦粉、ですよね?」
近づいて指先で触れる。さらりと崩れた。
隠す気がないのか、誰も気づかなかったのか。
どっちでもいい。助かることに変わりはない。
「アンペアさんはこの先に....」
ノノミが呟く。
『そのまま追ってください』
アヤネの声。
「分かった」
跡を追い始める。
誰もいない。
正面に人手を取られたのか、工場の中は妙に静かだった。
白い跡だけが、進む方向を示していた。
「止まって」
右手を上げる。
背後で、アレックスが危うくぶつかりそうになる気配。
通路の突き当たり。
鉄の扉が一枚。
他の部屋より頑丈な造り。
小麦粉の跡は、その扉の前で途切れていた。
「蹴破ってみる?」
セリカが足を上げる。
「だめ」
首を振る。
「音が大きい」
銃をしまい、背中のツルハシを取り出す。
「こっち」
カンッ、カンッ。
ガコンッ。
「誰!?」
聞き覚えのある声。
「アンペア!」
「....アレックスなの!?」
椅子に縛り付けられたアンペアの目が見開かれる。
「今、助け——」
「だめ!」
鋭い声。
『っ!気を付けて——』
「来ちゃだめ!」
ヒュンッ。
風を切る音。
「危ない!」
宙に向けて攻撃を放った。
白い、小さな影。
剣を握った半透明の、翼を持った何か。
宙に浮いたまま、こちらを睨んでいる。
銃口をその影から離さない。
動きは不規則だが、完全にランダムというわけじゃない。
一定の間隔で旋回し、攻撃の隙を狙っている。
「正面であれだけ騒げば、裏から来るに決まってるだろ」
太い、威圧的な声。
——聞くのは、初めてじゃない。
「久しいな、君たち」
工作機械の陰から、女が姿を現した。
アンペアへ一瞬だけ目を向け、それからこちらを見渡す。
「ベルダ....!」
アンペアがにらみつける。
「助けに来るとは思っていた」
女は肩をすくめるように笑い、ゆっくり歩み寄ってくる。
「だが、正面であれだけ派手に暴れるとは予想外だったよ」
薄い笑みが浮かぶ。
「さて、君たちは——」
——パンッ!
引き金を引いた。
弾丸はベルダの足元を逸れた。
「....最初に私を撃つ。その判断は嫌いじゃない」
焦る様子も、怒る様子もない。
まるで最初からこうなることを知っていたような余裕。
「....牽制も効かない」
ベルダの視線が、宙に浮く生き物に流れた。
「ヴェックス、遊んでやれ」
ヒュンッ。
白い影が一斉に宙を滑るように飛び出した。
「っ!ちょっと我慢してよ!」
アレックスが咄嗟にアンペアを椅子ごと抱え上げる。
「アレックス!?」
——ヒュンッ!
鉄の剣がアレックスの頬をかすめた。
赤い筋が一本、頬に滲む。
物陰へ転がり込んだのを確認して、視線を戻す。
銃口はヴェックスから離さない。
弾丸は当たっているのに、完全に避けられているわけではない。
すり抜ける直前の一瞬だけ、実体化している。
そこを狙えば....。
「セリカ、右!」
「分かってる!」
銃声が続く。
——パンッ、パンッ!
「すばしっこい....!」
「隠れてください!」
ノノミとヒフミが工作機械の陰へ滑り込む。
「えっ!?」
機械をすり抜け、剣を振り下ろした。
「きゃっ!」
ヒフミの肩口が浅く裂ける。
「ヒフミさん!」
ノノミの援護射撃で、白い影がまた壁の向こうへ消える。
「壁まですり抜けるの!?」
セリカが舌打ちする。
「でも、弾はよけてる」
壁から抜け出す一瞬だけを狙う。
——ヒュンッ!
「今!」
——パンッ!
——ドン。
鈍い音。
ヴェックスじゃない。
弾丸が突き刺さった先は——。
ベルダの胸だった。
小さな赤い染みが広がる。
ベルダは何も言わない。
ゆっくりと膝をつき、床へ崩れ落ちる。
小さな赤い染みが広がる。
ベルダは何も言わない。
ゆっくりと膝をつき、床へ崩れ落ちる。
やけに、遅く見えた。
銃を握る手に、力が入らない。
「....あっ」
誰かが息をのんだ。
それが自分の声だと、少し遅れて気づいた。
——パァンッ!
光が弾け、木彫りの人形が砕け散る。
ベルダが立ち上がる。
崩れ落ちていく姿から、床に立つ姿へ。
巻き戻るみたいだった。
撃たれたはずの胸元に、指先を這わせた。
傷はない。
それを確かめてから、握った手を一度、強く握り直す。
「悪いな、死なないんだ」
「不死のトーテムまで....!」
アンペアの声が聞こえてきた。
機械の陰から、縄がこすれる音。
布と縄が擦れ合う、もどかしい音が続いている。
「あと少し!」
「....だが、そろそろ遊びは終わりだ」
ベルダの低い声。
「来い」
——ヒュンッ。
——ヒュンッ。
——ヒュンッ。
機械の陰から。
割れた窓から。
天井の梁の隙間から。
「....まだいたの!?」
セリカの声が震える。
数えられるほどだったヴェックスが、みるみる増えていく。
六体。
九体。
——まだ増える。
「アヤネ」
『....はい』
「....まずそう」
『え!?どういうことですか!?』
「....囲まれた」
『....分かりました』
目の前には、ヴェックスの群れ。
逃げ場はない。
『砲撃支援を要請しました!十秒後に着弾します!』
無線の向こうで慌ただしい指示。
『壁から離れてください。空いた穴から脱出を!』
「十秒....」
「時間を稼ぐ」
「了解!」
——パンッ、パンッ!
セリカの弾が白い影を散らす。
一体退けば、別の一体が飛び込んでくる。
「アレックス!」
「もう少し....!」
縄はまだ解けない。
「数が多すぎます!」
ノノミのミニガンが咆哮を上げる。
連射音が工場を支配し、白い影がいくつか吹き飛ぶ。
だが、壁や天井から新たな個体がまた湧いてくる。
キリが無い....!
『残り五秒です!』
「あと一本....!」
アレックスの声に力がこもる。
ヒュンッ!
「シロコさん!」
右から、上から、左から。
「まだ!」
セリカの援護がヴェックスを押し返す。
『残り三秒!』
——ブチッ。
「取れた!」
影の方から、アレックスの声。
「立てる!?」
「....走れる!」
アンペアが赤く痺れた手首を握りしめ、膝に力を込めて立ち上がる。
『残り一秒!』
「伏せて!」
——ドォォォォォン!!
工場全体が跳ね上がった。
外壁が内側へ弾け飛び、コンクリート片と鉄骨が吹き荒れる。
爆風が白い影をまとめて飲み込み、土煙が視界を真っ白に染めた。
「今!」
「走って!」
煙をかき分けて外へ飛び出す。
背後で工場の壁が崩れ、ヴェックスの羽音が爆音にかき消されていく。
「逃がすな!」
煙の向こうから怒号。
白い影が一斉に飛び出そうとした、その瞬間。
——ドォォォォォン!!
爆炎が土砂と鉄骨を巻き上げ、追撃に出ようとしたヴェックスをまとめて飲み込む。
「まだ来ます!」
『砲撃継続!急いでください!』
立ち止まる理由はない。
全員で森へ向かって駆け出す。
壊れた壁、フェンス、木々が後ろへ流れていく。
振り返る回数は、数えていない。
今はただ、前だけを見る。
爆音が遠ざかっていく。
白い影の羽音だけが、いつまでも耳の奥に残っていた。