「なぁ、ハイデブルグが復興しているらしいぞ」
「いやいや、あそこ結構な被害を受けてたでしょ? 人もかなり出ていったし、直せる技術者もいない。デマじゃないの?」
工場に響く機械音の合間を縫って、そんな噂話が飛び交う。
焼け落ちた建物に明かりが戻り、人が集まり、止まっていた工場が再び動き始めたという。
誰が最初に言い出したのかは分からない。
それでも、その噂は少しずつ各地へ広がっていた。
「俺は商人から聞いたぞ」
「俺は旅人だな」
「いや、どっちにしろ信じられねぇよ」
信じる者もいれば、笑い飛ばす者もいる。
「....ハイデブルグ?」
その声に、室内が少しだけ静かになる。
設計図へ視線を落としていた男が、ゆっくりと顔を上げた。
「あ、社長」
「どうかしましたか?」
男は、机の上に広げた設計図から視線を外さないまま口を開く。
「今の話、詳しく聞かせてくれ」
普段なら部下の雑談に口を挟むことなどない。
その一言に、近くで話していた社員たちは顔を見合わせた。
「えっと、商人から聞いた話なんですけど」
「街に人が戻り始めているらしくて、止まっていた工場まで動いているとか」
「製粉所も復旧したって話ですよ」
「でも、本当かどうかは分かりません。噂ですから」
社長と言われる男は黙って話を聞いていた。
「....今日の予定を確認してくれ」
「え?」
「午後の会議は延期だ。明日の視察も、副社長に任せる」
「しゃ、社長!?」
部下たちが一斉に顔を上げる。
「ど、どちらへ?」
トルクは壁に掛けられた地図へ歩み寄った。
指先が、一つの街で止まる。
「ハイデブルグだ」
焼けた街が、短期間でここまで復興する。
そんなことが本当にあり得るのなら、一度この目で見てみたい。
そして——心のどこかで、引っかかりがあった。
「....確かめたいことがある」
それから数日後——
ハイデブルグでは、噂を聞きつけた一人の男が静かに街へ足を踏み入れようとしていた。
戻ってきたとき、コバットは頭を抱えていた。
心当たりならありすぎる。
一つ怒られるくらいなら覚悟していたし、いつでもその準備はできている。
問題は、怒られる人が多すぎて順番待ちをしていることだった。
「はぁ.......」
魂でも丸ごと吐き出しそうなほど、深いため息だった。
いつものコバットさんとは違う。
冷静で穏やかな人が、今は机に肘をつき、片手で顔を覆っている。
こうなってしまう、ほんの数分前までは違った。
報告に来たとき、ロッテンたちがネザーから無事に帰ってきたと知って、心の底から安堵していた。
——その直後。
「実は敵のアジトに勝手に突入して、アンペアを救出してきました」
そんな報告を聞かされた結果が、これである。
知らされたことは、別の意味で頭を抱えるものだった。
怒っているわけではない。
でも、自分たちが何をしたのかは分かっている。
命令違反。勝手な単独行動。
数え上げればきりがない。
「その....」
小さな声が響く。
「勝手なことして....ごめんなさい....」
セリカが猫耳をペタンと伏せて謝った。
それでも彼は顔を上げなかった。
「....怪我はないか?」
「....え?」
予想していた言葉とは違った。
「怒らないん....ですか?」
「怒っている」
コバットは静かに答えた。
「ベルダは昔から知っている」
その名前を口にした瞬間、いつもの落ち着いた声とは少し違って聞こえた。
ただ強い相手というだけではない。
コバットにとって、あの名前はそれだけ重い意味を持っているのだろう。
「でも、アンペアを....」
「分かってる」
シロコの言葉を、コバットは静かに遮った。
「だから、私は安全に戦車部隊を要請したんだ」
その言葉に、誰も反論できなかった。
「到着まで時間がかかりすぎると言う不安はあったかもしれない。それに、君たちは結果としてアンペアを救出することができた」
コバットは淡々と話している。
けれど、その声にはいつもの冷静さとは違うものが混じっていた。
「だが、いいか?ベルダはただ強いだけじゃない。戦場で何度も生き残ってきた、本物の兵士だ」
コバットの表情が少しだけ険しくなる。
その言葉には、実際にその相手を知っている人間だけが持つ重みがあった。
「話を聞く限り、かなり油断していたみたいだが....全員、死んでいてもおかしくなかったんだぞ」
声のトーンは変わらない。
それが、逆に重かった。
「今回は軽いけがくらいで済んでいるが....次からはやめてくれ」
責められているはずなのに、反発する気持ちは湧かなかった。
コバットの目は、まだ自分たちに向いていた。
怒っているんじゃない。心配してるだけだ。
「ロッテンとオストーは後でここに残れ」
「....分かった」
「了解だよ」
「アレックス、セリカ、シロコ、ノノミ、ヒフミ....あと、アコ達とスティーブ」
コバットはようやく顔を上げた。
「今日はもう休め。話は、それからだ」
それ以上は何も言わず、コバットは机の書類を整え始めた。
続きは、また今度。そういう手つきだった。
「わ、分かった」
振り返ってギィィっと、立て付けが悪い扉を開けた。
夕焼けが街を赤く染めている。
スティーブとゲヘナの風紀委員の子達と軽く手を振り合って、別々の場所に向かった。
戦いの音はもう聞こえない。
代わりに、金槌の音だけが街の遠くで響いていた。
「そう言えばさ」
自分がそう言ったとき、アンペアの肩がピクッと動いた。
「あの男の人が言っていた、大事な人って誰のこと?」
「....別に」
視線は前を向いたまま。
歩く速さだけが、少しだけ早くなった。
「もう、関係のない人だから....」
小さな声だった。
「それはそうと、帰って来れてよかったじゃないの」
セリカがわざと明るい声を出す。
「あんたがいなくなったら、機械が壊れたとき誰が直すのよ」
「セリカさん、それ、心配の仕方がちょっと....」
ヒフミが苦笑する。
「でも、本当に無事でよかったです」
「....うん」
シロコも小さく頷いた。
「街のみんなも安心してた」
「....ありがとうね」
崩れていた家の壁には新しい木材が打ち付けられ、職人たちの金槌の音があちこちから聞こえてくる。
「そこ、もう少し右だ!」
「了解!」
「って、ガラス置く場所そこじゃない!」
「え?」
「そこ壁だって!」
「うわっ、壊さなきゃ....」
「あ~あ、もったいない」
子供たちは路地を走り回り、商店には明かりが灯り始めていた。
少し前まで、人の気配すら少なかった街とは思えない。
少しずつだけど、この街は確かに前へ進んでいる。
そんなことを考えていた、その時だった。
少し歩いたところでアンペアの足が止まった。
なにか、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
「なんで、あいつがここに....」
その視線は、道の先から動かない。
「え?」
つられて前を見る。
夕焼けに照らされた通りの向こう。
一人の男が、街並みを見上げながら歩いていた。
白髪の混じった髪、目元や口元に刻まれた深いしわ。
五十とか、多分それくらい。
何かを探しているような目で、通りの奥まで見渡していた。
「....こっちから行こう」
アンペアの手が、こっちの左腕を掴んで引っ張ってきた。
声も、いつもより低い。
「え?でも宿はそっちじゃないわよ?」
「いいから」
アンペアは踵を返した。
その足取りだけが、少し早い。
急に腕を引かれ、危うく足をもつれさせる。
「っと....」
なんとか踏みとどまったものの、 掴まれた腕だけがまだ強く引かれている。
上体だけが大きくのけぞった。
それでも、アンペアは振り返らない。
「ちょ、どうしたのよ!」
後ろから、足音がついてきているのが分かった。
セリカたちも、何も言わずに付いてきている。
アンペア、どうしちゃったんだろう。
——————
扉を開けると、一階は夕食を取る兵士たちの声があふれ出てきた。
さっきまでの重苦しい空気が嘘のように、笑い声が飛び交っている。
だけど、大体は、誰かがヴォルクスの拠点を攻撃した話で盛り上がっている。
「アンペアさん....さっきの人、知り合いですか?」
「....関係ない」
声が少し尖っていた。怒っているというより、触れられたくないものを無理やり押し込めたような響きだった。
一瞬、テーブルを囲む空気が気まずく沈む。
「なんか、この街にトルクが来たみたいだな」
その名前が出た瞬間、アンペアの肩がピクリと震えた。
思わず彼女の横顔を見た。いつも機械の話をするときに浮かべる、あの生き生きとした表情はどこにもなかった。
「は?トルクって、あのトルク・ゴグハートか?」
「ああ。クリエイト社の社長だよ」
思わず足が止まる。
「なんで、こんなところに?」
「さぁな。復興した街を見に来たとか、商談だとか....色々噂はあるけど」
アンペアはもう何も言わなかった。
ただ、焼いた肉の香ばしい匂いが漂う中、小さく息を吐いた。
「....ごめん、先行く」
そう言い残して、彼女は階段の方へ早足で向かっていった。
背中が、いつもより少し小さく見えた。
食堂の賑わいが、急に遠く感じる。
「....行っちゃいましたね」
ヒフミが、小さく呟く。
誰もすぐには返事ができなかった。
「....あんなアンペアさん、初めて見ました」
「いつも機械のことばっかり話してたのに」
シロコは少しだけ考えてから、静かに口を開いた。
「....何か、相当嫌な思い出があるんだと思う」
セリカが腕を組んで、苛立ったように言った。
「さっきの人、明らかに避けてたよね。『関係ない』って言ってたけど、全然関係ありそう」
ノノミが心配そうに階段の方を見た。
「アンペアさん、機械のことになると目がキラキラしていたんですが....あの反応、珍しいですよね」
「機械の修理がすごく上手だったから、もしかしたら....」
ヒフミが小さく息を吐く。
「どうしましょう....アンペアさん、今一人で大丈夫でしょうか」
「....多分、大丈夫だと思う」
食堂の賑やかな声が、なんだか遠く感じた。
焼いた肉の良い匂いさえ、今日は少し味気なく思えた。
部屋へ戻ったアンペアは、窓の隙間から通りを見下ろしていた。
あの男は、まだ街を歩いている。
「....なんで来たの」
小さく漏れた声は、誰にも届かない。
ベッドの脇には、昔から使い続けている一本のレンチが置かれていた。
それを手に取ろうとして——やめた。
「....もう、関係ない」
自分に言い聞かせるように呟き、窓のカーテンを閉めた。
遠くから聞こえる金槌の音だけが、静かに響いていた。