おぼ、おぼれる!
息苦しさが胸を締め付けている。まるで、肺が押しつぶされるかのような感覚に私は叩き起こされた。
塩っ辛い水が、喉に流れ込んでくる。息が、できない。
目を開けると、青い世界が広がっていた。上はどっちだ?空があるのは右?それとも左?
体が、重い。腕も、脚も、自分のものじゃないみたいに動かない。それでも動かさなきゃ、という原始的な何かが体を突き動かす。
顔を回して向きをかえると、光が見えた。必死に手足を動かして、明かりが照らす水面へと向かう。
肺の空気が底を尽きかけ、口からぶくぶくと泡が出る。
そろそろまずい。頭が、白くなってくる。
限界に近づいた体に鞭を打ち、力を振り絞った。
——バシャーン。
「はぁ、はぁ、はぁ....」
空気が肺に入り込んでくる。
生きられた。少し、安心した。
荒い呼吸のまま周囲を見渡すと、少し遠くに砂浜が見えた。陸地が、まるで粗い画像のように角張って見える。海岸の奥の木も、岩肌も、全部。
そして、水面に浮かぶ自分の腕が視界に入った。
体が——四角い!?!?
慌てて形を確認するために腕を引き上げた。
....四角い。
一瞬、自分の目がおかしくなったものだって思ったし、別の浮遊物かとも思った。でも、水の冷たさはちゃんとそこから伝わって来ている。
もしかしてと思い、恐る恐る....もう片方の腕を海中から持ち上げた。
....こっちも四角い。
....見間違いじゃない。肩から指先まで、段ボールみたいな直方体のブロックになっている。
動かせる。冷たさも感じる。私の体だ——少なくとも、今は。
夢かと思って頬をつねろうとしたけど、つねる指はあるのか?そもそも、頬の形も怪しい。
顔を上げると、砂浜が見えた。木も、岩も、波打ち際も——全部、四角い。
自分だけじゃなかった。世界ごと、そうなっていた。
夢?
いや、でも、さっきの水の冷たさも、肺が苦しかった感覚も全部リアルだった。
そもそも、なんで海の中に?最後にいた場所を思い出そうとするけど、少なくとも水辺で寝た記憶はない。
異世界?ゲームの中?....いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
とにかく、陸だ。
そう判断して腕を動かそうとした——けど、さっき必死に泳いだせいか、弱々しい犬かきしかできなかった。落ち着いてきた分、海の冷たさが体を浸食しはじめていた。
息はできる。でも、このままじゃ震えて魚の餌になる。
そんな時だった。 海岸に人影が見えた。黄色い髪と灰色の服——そいつも、やっぱり角張っていた。ボートのようなものに乗って、オールを漕ぎながらこちらへ近づいてくる。
「大丈夫!?すぐ助けるから!」
女の人の声だ。それだけで、少し息が楽になった。
近づいてくるボートの波が顔にかかった。塩辛い。
「つかまって!」
逆光で顔は見えない。差し出された手を掴んだ瞬間、体ごと引き上げられた。
「た、助かったよ....ありがとう」
揺れる船底に身を任せたまま、空を仰いだ。
太陽が見えた。形が——長方形だった。
空はいつも見ている水色。だけど、流れてゆく雲の形も四角い。
一瞬、透明度の高い豆腐かとも思った。
昼の空を見ていると、ボートが止まった。
「よいしょっと....」
女性の声と共に、肩を担ぎ上げられた。
ぽたぽたと、髪についた水滴が落ちながら太陽の熱で熱せられた砂浜に着陸した。
「大丈夫?なんで海の中に?」
「分からない....気がついたら海の底にいて....」
砂が、指の間からこぼれていく。ざらざらしてる。ちゃんと感じ取れる。
顔を上げて、周りを見た。
....なに....?ここは....どこなの?
砂浜も、波打ち際も、遠くの木々も——全部、四角い。
自分の手を見る。四角い。助けてくれた子も、四角い。
「大丈夫?」
助けてくれた人が、しゃがんでこちらを覗き込んだ。
タンポポみたいな薄い金髪に、煤で汚れたピンクのスカーフ。頭には金色のゴーグル。
「ここは....どこ?」
どこか知っている場所であってほしかった。
せめて、海外でもいいから。この世界じゃないとだけは、言わないでほしかった。
「えっと、ここは"グロースラント"ってところだけど....」
だけど、そんな淡い期待は聞いたことのない地名で粉々になった。
「と、とりあえずウチの洞穴まで案内するよ」
腕をつかまれて、立ち上がらせてもらった。足がうまく動かない。砂浜から森へ、半分担がれるようにして歩いた。
「そういえば、ウチの名前言ってなかったね」
彼女は足を止めずに、でもちゃんとこっちを向いた。
歩きながら、肩越しにこちらを見る。
「ウチはアンペアって言うの。よろしく」
――――――
「着いたよ」
着いたよ、と言われても——正面も右も、切り立った石の壁しかない。
どう見ても、ただの崖だ。
振り返ると、来た道には森が続いていた。木々の隙間から、さっきまでいた砂浜がちらりと見える。
「ちょっと待っててね」
私を近くの岩に座らせると、アンペアは右側の石崖へ向かった。
何をするんだろうと目で追っていると、彼女が崖沿いの壁の前で足を止めた。よく見ると、そこだけ不自然に葉っぱのブロックが生い茂っている。
アンペアは迷いなく手を振り上げた。
葉っぱにヒビが入る。豆腐でも切るような手際の良さで、ブロックがぽろぽろと消えていく。
ん?
その葉っぱの中からクランクが顔を出した。
「これを....よいしょっと!」
腹に力を込めて、クランクを回している。全身を使った、本気の回し方だ。
すると、どこからか、石が擦れる低い音が聞こえてきた。
振り返ると——絶壁だったはずの壁が、せり上がっていた。
これ知ってる。
秘密基地だ!!!!
思わず身を乗り出した。原理はさっぱり分からない。でも、子供の頃に憧れたやつだ。こういうの、ずっと欲しかった。ロマンの塊すぎる。
壁が完全に持ち上がると、人が二人並んで通れるくらいの入り口が現れた。
アンペアが戻ってくる。
「どう? 立てそう?」
「....多分、いける」
手を地面について、ゆっくり立ち上がる。少しふらついたけど——まぁ、問題ない。
入り口に向かいながら、自然と足が速くなった。
石造りの通路、隠し扉、クランク式の仕掛け——ここまで本格的な作りをしているなら、中だってただじゃないはずだ。
子供の頃に憧れたような隠し扉をくぐり、胸を躍らせながら中へ入る。
——けれど、そこにあったのは、赤いベッドと作業台が置かれただけの、文字通りの洞穴だった。
「そこら辺に腰下ろしていいよ」
石の床に腰を下ろす。カクカクしてるくせに、冷たさはちゃんと伝わってきた。
「はい、これ」
座った途端に、何かが目の前に差し出された。
茶色くて、平たくて——まな板?
いや、違う。よく見るとパンだ。
「漂流してたんだから、なにか食べないと」
その瞬間だった。
グゥウゥゥゥ〜....。
お腹がなってしまった。
顔が熱くなるのを感じながら、パンを受け取った。
改めて眺めると、すごく薄い。テレビで見るガレットとかクリスピーピザの類かと思うくらい薄い。これ、パンとして成立してる?
けど、薄っぺらい見た目に反して重みを感じる。そして、やっぱりカクカクしてる。
試しに、一口かじってみた。
....意外と、ちゃんとパンだ。
固い。かなり固い。でも、腹ぺこの体には、それがありがたかった。
「よ....いしょっっっと」
もそもそ食べていると、アンペアが洞穴の中にもあったクランクに手をかけた。ゴゴゴ、と石が擦れる音がして、入り口が閉まっていく。
「にしても、その仕組みすごいね」
パンを飲み込んで、思わず口に出た。入り口といい、クランクといい、どこかワクワクする作りをしている。
「え? あぁ——ウチ、
「くりえいとしゃ?」
聞き返した途端、アンペアの目が少し遠くなった。
「....まぁ、今じゃ落ちぶれたから知らないのも無理はないか」
それだけ言って、話を閉じるような間があった。
触れない方がいい話題だったかもしれない。
「....それで、他はなにか覚えていることはないの?」
アンペアが自分と同じように腰を落とし、話を聞く姿勢になった。
「例えば....自分がいた町の名前とか、友達の名前とか....自分の名前以外になにか覚えていることはある?」
「....分かんない」
「....そっか」
そう聞いて、アンペアは設計図を前にした技術者のように考え込んだ。
「ただ、自分はこんな世界じゃない」
「....こんな世界?」
「いや、なんというか....こんなカックカクな世界じゃなくて、もっと丸みを帯びていたというか.....」
限りある記憶の断片から、アンペアに自分がいた世界の話をする。
太陽も月も丸かったし、木も石だってこんな風に角ばってなかった。この世界みたいに、全部が同じ形の立方体で出来てるなんてことはなかった。
「覚えている範囲だとそれくらい。こんなカックカクの世界じゃない」
「.....なるほどね」
一通りしゃべり終えた時に、彼女は口を開いた。
「....もしかしたら、別のディメンションから来ちゃったのかもね」
「別の....ディメンション....?」
「えっと、簡単に言うと......別の世界?次元って言えばいいのかな」
アンペアは続けた。
「私も詳しくは分からないけど、この世界には3つのディメンションがあるみたいなの」
ディメンション....次元....異世界....。
SF小説とか、ゲームで聞いたことがあるような、ないような。
「ネザーっていうディメンションは確認されてるけど――」
そこまで言って、アンペアは口をつぐんだ。
「....いや、ごめん。今の話は忘れて」
「え?」
「ウチも詳しく知らないから」
アンペアは言葉を切った。
「....それで、名前くらいは分かるんじゃないの?」
そう、アンペアが言ってきた。
....ぼんやりと、一つだけ浮かんだ。
「....アレックス」
「それが、あなたの名前?」
「分からない。でも、今思い出せるのは、それだけ」
少しの間だけ考えて、アンペアはすぐに顔を上げた。
「それで、もっとアレックスのいた世界の話を聞かせてくれる?」
彼女は前のめりになって語りかけてきた。
――――――
それから、思い出せる限りのことを話した。
丸い太陽、飛行機、電気、車……。
アンペアは子供みたいに目を輝かせながら、一つ一つ質問してきた。
「へぇ、空飛ぶ乗り物かぁ」
「そう、飛行機って言うんだけど」
「興味深いね。技術力がそんなに高い文明にいたんだ」
気づけば、外はすっかり夕焼け色になっていた。
換気扇から冷たい風が流れ込んでくる。長話で火照った体には、ちょうどいい涼しさだった。
——でも、その風には何か違うものが混じっていた。
昼間の潮の香りじゃない。もっと、冷えた、湿った匂い。森の奥から滲み出てくるような暗さが、風に乗ってきていた。
アンペアも感じたのか、窓の外をちらりと見る。その目が、さっきより少し細くなっていた。
「....あ!もうこんな時間!」
冷気に気づいたアンペアが立ち上がり、ランタンの明かりを消した。
「どうしたの?」
「ちょっと静かにして」
表情が変わった。さっきまでの緩い顔が、険しい目つきに切り替わる。
彼女は慎重に窓へ近づき、外を確認した。
私も釣られて外を見る。さっきまで夕焼け色だった空が、もう藍色に変わっていた。砂浜も、木も、岩も——全部が影に溶けて、昼とはまるで別の場所みたいになっていた。
暗闇の中で、何かが動いたような気がした。
何かいるのか...と、月明かりの下、森の影から何かが現れた。
人の形をしている。でも、明らかに異質だ。
青緑の肌。腐敗したような色合い。両腕を前に突き出し、ゆらゆらと揺れながら歩いている。
「あれ、なに....?」
「ゾンビ。夜に出るモンスター」
アンペアの声は落ち着いていたが、視線は外に固定されたままだった。
ゾンビ。映画とかゲームで見るあのゾンビ?
もう一度目を凝らす。血が出ているわけでも、内臓がどうにかなっているわけでもない。原型を留めた人間みたいな感じだ。
「珍しい....いつもはスケルトンと一緒にいるはずなのに」
「スケルトン?」
「骸骨。弓とか"銃"を使ってくる。日が昇るまでは外に出ない方がいい」
銃。この世界にもそういうものがあるのか。
しばらく、息を殺してゾンビたちを見守った。
一体は木の近くで立ち止まり、もう一体は地面を見つめている。三体目が——こちらに近づいてくる。
いや、たまたまこの方向に歩いているだけのようだ。
それでも、心臓が早鐘を打った。
――パン、パパパンッ!
「!?」
銃声が鳴り響いた。
私は思わず体をすくめた。アンペアは少しピクッとしただけで、慣れた様子で外を見ている。
「スケルトンがもしかしたらいるのかも....」
その時、視界の奥に走っている人影が見えた。髪が月に一瞬だけ照らされて、銀色みたい。オオカミの耳みたいなのも一瞬見えた。
ゾンビ三体が、その方向へ向かっていく。
「誰か襲われてる?」
「....かもね」
「....ちょっと、助けに行きたい」
「ちょ、ちょっと待って」
クランクに手をかけた私を、アンペアが止めた。
「ウチたちが出て行っても死ぬだけだよ。モンスターは倒しても暗闇でよみがえる。この場所をマークされたくない」
「でも——」
「....祈るしかないよ」
私の信念は変わらなかった。
「助けたい。なにか使えるものない?」
後ろのチェストが目に入った。
走り寄って、勝手に開ける。
「ちょっと!何してるの!?」
月明かりを頼りに中を探る。丸石、板材——戦えそうなものは棒一本だけだ。しけてる。
でも、ないよりかはマシだと、棒に手を伸ばした瞬間、頭の中で何かがひらめいた。
丸石、棒——石の剣。
触ったことも見たこともない。でも、なぜか作り方が分かる。
ただ、作るには『道具』が必要だった。
部屋を見渡す。ベッド、本棚、ランタン、かまど——作業台。
あれだ。
棒と石をチェストから取り出し、作業台の前に立つ。
手が勝手に動いた。何百回も練習したかのように、素材を迷いなく配置していく。
丸石が浮き上がり、棒が光を帯びる。それらが溶け合うように形を変え——石の剣になった。
「アレックス、クラフトできるの!?」
アンペアが驚いているが、今は説明している暇はない。
剣を握り、クランクを回す。
「助けに行ってくる!」
「ちょっと!」
月明かりの下へ飛び出した。
「....あぁ、もう!」
――――――
背後でアンペアの舌打ちが聞こえたが、振り返る余裕はない。
石の剣を握りしめながら走る。持ち方が分からない。でも、今はこれでいくしかない。
見えた。
月光を反射する白銀の髪。頭に、獣の耳。背丈は子供くらいだ。
その前方に、ゾンビが三体。じりじりと近づいていく。
"カチッ"
少女が腰のポーチに手を伸ばす。
"カランッ"
マガジンが地面に落ちた。石に当たって、乾いた音。
月明かりの下で、それが転がっていく。
「あ——」
拾おうと屈んだ瞬間、ゾンビはもう目の前だった。
少女が後ずさる。足が絡まった。尻餅をついて、倒れ込む。
一体のゾンビが腕を振り上げる。
「おりゃぁぁぁぁぁぁ!!」
後ろから叫びながら飛び込んだ。
剣を右に、左に、めちゃくちゃに振り回す。ブンッ、ブンッと風を切る音。
ゾンビの腕に剣先がかすった。手応えが薄い——まるで空気を切ったような感触。でも、ゾンビは怯んだ。腐敗した肌に、浅い傷が走る。
残りの二体がこちらを向いた。
その瞬間、少女が足を振り上げた。かがんでいたゾンビに、彼女の足が叩き込まれる。
ゾンビがよろめく。そのすきに、少女が転がったマガジンへ手を伸ばした。
でも、二体目が反応した。腕が振り上げられる。
「よけて!」
少女が体を引く。ゾンビの腕が頬をかすめ、白銀の髪が数本、宙を舞った。
こちらも余裕はない。最初のゾンビが両腕を突き出して迫ってくる。
避けられない——剣を横にしてガードした。
ドスッ。
腕を狙われた。衝撃が走る。痛い。
歯を食いしばって握り直し、力任せに薙ぎ払った。
「っらぁ!」
ゾンビの腕に剣が食い込む。確かな手応え。
もう一度——渾身の力で叩きつける。
"グォォォォ"
ゾンビの体が霧のように薄れ、消えた。
息を切らして少女を見る。二体の注意がこちらに逸れた。
今だ。
少女が低く身を沈め、ゾンビの懐に飛び込んだ。両手で胸を押す。
"カチャッ"
マガジンを拾い上げ、銃口が向けられる。
パパパンッ!
もう一体、消えた。
でも、三体目が私に向かってくる。押し倒される。背中が冷たい地面に叩きつけられた。
少女の銃口がこちらを向く。
"カチッ、カチッ"
空撃ち音だけが響く。弾切れだ。
体勢を立て直そうとするが、間に合わない。
視線が合った——あの子と、私。
次の手が、ない。
ゾンビの腕が振り下ろされる。
"パンッ!"
乾いた音と共に、最後のゾンビが霧になって消えた。
「はぁ、はぁ....間に合った」
後ろにはアンペアがいた。肩で息をしながら、手には白い煙を吹いている銃を握っていた。
「アンペア!」
「ったく....無茶するんだから」
彼女は銃を下ろし、周囲を見回した。しばらく静寂が続く。風が木々を揺らし、草が擦れる音だけが聞こえる。
「....大丈夫そうだね」
安堵の息が漏れた。
立ち上がって、少女に近づく。
「大丈夫?」
「ん....。ありがとう」
水色の瞳——左右で色が違う、白と黒のオッドアイ。首元には水色のマフラー。
少女は立ち上がりながら、無言で銃を確認していた。弾倉を抜いて、残弾を確かめて、また戻す。慣れた手つきだった。
学生らしい制服を着た子供が、当たり前のようにそれをやっている。
「グズグズしてる暇ないよ!早く戻って!」
アンペアが手を振る。私は少女の手を握って、走った。
――――――
秘密基地の中は相変わらず狭かった。
アンペアがクランクを回して扉を閉め、ランタンに火を灯す。暖かな光が部屋を照らした。窓には大きな石が置かれ、明かりが漏れないようにふさがれる。
少女は壁に背中を預けて座り込み、膝を抱えた。
「はい、これ」
アンペアが薄いパンを差し出す。少女は黙って受け取り、小さく礼を言った。
「ん....。ありがとう」
一口かじる。ゆっくり噛んで、飲み込む。
しばらく、誰も何も言わなかった。
ただ、ランタンの炎が揺れる音だけが聞こえる。
「君、名前は?」
「....砂狼シロコ」
「シロコちゃん、ね。ウチはアンペア」
「私はアレックス」
軽い自己紹介を終えてアンペアが再度、口を開いた。
「....で、シロコちゃんはどこから来たの?覚えてる?」
シロコは顔を上げ、二人を見た。
そして、静かに答えた。
「キヴォトス」
「....きゔぉとす?」
アンペアが聞き返す。この子の声は落ち着いていた。
でも、その瞳には困惑の色が見えている。
「ん。キヴォトス。アビドス学園。私が....いた場所」
シロコは少しの間、部屋を見渡した。ランタンの光、石の壁、アンペアの工具箱——一つ一つ、確かめるように目を動かしていた。
それから、静かに口を開く。
「そこには学園があって。友達がいて。先生がいて——」
彼女は言葉を切った。膝を抱える腕に、力が込もる。
「でも、なんでここにいるのか分からない....。みんなはどこ?」
その言葉に、何も言えなかった。
私だって、同じだ。
自分が誰なのか、どこから来たのか、何も分からない。
「....大丈夫」
気づけば、そう言っていた。
「きっと、分かるよ。なんとかなる」
根拠のない言葉。でも、それしか言えなかった。
シロコは私を見て、小さく微笑んだ。
「ん....ありがとう」
「はぁ....なんか、うちの隠れ家が避難所みたいになってきたね」
アンペアがため息をついた。
そう言いながらも、彼女は優しい目をしていた。
「まぁ、いいか。とりあえず、今夜はここで休んで。明日、これからどうするか考えよう」
私とシロコは頷いた。
ランタンの炎が揺れる。
外では、まだモンスターたちが徘徊しているのだろう。
でも、この狭い石の部屋の中は不思議と安心できる場所だった。
「....ん」
シロコの目がしょぼしょぼしている。
緊張が解けたのか、眠たくなったようだ。
「寝てて大丈夫だよ。ここは少なくとも安全だから」
「....わかった」
シロコが壁に背中を預けて、目を閉じる。
「アレックスも、色々大変だったしいいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて....」
私も、床に横になった。石の冷たさが頬に伝わる。
アンペアがランタンの火を少し弱めてくれた。部屋が薄暗くなる。
「....おやすみ、二人とも」
小さく、そう呟く声が聞こえた。
外では、月が静かに輝いている。
カクカクの世界を照らしながら。
「にしても、二人か....」
アンペアは手元に残った薄いパンを一枚見つめて、静かにチェストに戻した。
ランタンの火が、小さく揺れている。
外では、また別の何かが動き始めていた。
[とある社員の手記]
あぁ、クソ!どうなってやがる!
灼熱の中で汗かきながら仕事して、ようやくエアコンの効いた涼しい世界に戻れると思って基地に戻ってきたらどうだ!
昨日まで使えていたはずのネザーゲートが壊れてやがった!
通信機に怒鳴りつけたが返ってくるのは耳障りなノイズだけしか聞こえん。
クソが、通信機まで死んやがった。本社のバカどもは今頃エアコンの効いた部屋でコーヒーでも飲んでんだろうな。こっちは文字通り地獄なんだよ!
俺は基地の備蓄倉庫を漁った。水が三日分、食料が五日分とかいうしけた具合だった。ネザーラックの粉末と硫黄のサンプルは山ほどあるが食えるものじゃない。手持ちにはつるはしと護身用のガラクタ、それに会社支給のバッテリーが少ねぇ簡易精錬キット。
本社の連中は「黒曜石に雷が落ちればゲートが開く」なんて寝言ほざいてたが、雷なんていつ頑丈に鋼鉄で囲われたゲートに当たるんだよ!結局、誰もこのゲートの仕組みなんて分かってねぇんだ。開いてるゲートを見つけて、ラッキー!って使ってただけだろうが!
助けが来るまでに絶対に干からびちまう。
すぐに俺は棚の奥から地図をひったくった。ビリビリに破けかけた羊皮紙。Mekanism社が管理してるネザーのゲート配置図だ。Mekanism社が管理している十二基のゲートがあるはずだから生きているゲートを探しに行こうとしたさ!
だけどこいつ、距離が書いてねぇ!適当すぎんだろ!三日か?五日か?ガストの集団にでも遭遇したら一週間コースだぞ!
だが、ちんたらしている暇はない。元の世界にぜってえ帰ってやる。
東へ向かえば一番近い第五ゲートがあるはずだ。もし第五ゲートもダメなら、その次は北西の第三ゲート。それもダメなら——考えるな、一つずつだ!