翌朝。
宿の窓から差し込む朝日が部屋を照らしていた。
一階からは、朝食の支度をする音と兵士たちの笑い声が聞こえてくる。
「今日は南地区だったわよね?」
「うん。そのあと風車も見てほしいって」
復興が進む街では、今日もアンペアへの修理の依頼が山積みだった。
崩れたブロックを積み直し、壊れた仕組みを直す——このカクカクの世界に来てから、それが日常になりつつあった。
「一緒に行こっか?」
「....いや、ウチでなんとかするよ」
でも、靴を履いたアンペアの様子が、朝から少しおかしかった。
理由は分からない。
ただ、自分はアンペアの顔を横から見ながら、なんとなく違和感を覚えていた。
「さらわれてから1日も経ってないんですから、もう少しゆっくりしましょうよ」
「平気。早く直さないと、また迷惑かけるし」
ヒフミの言葉に、そう返して笑っている。
けれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。
「私たちは仲間なんだから」
セリカの言葉に、アンペアは少しだけ目を伏せた。
その言葉は、悪い意味じゃないはず。
普段なら、「じゃあお願い」と笑っていたかもしれない。
でも——
「....ごめん」
その一言だけが、ようやく口から出た。
「今日は、一人で行きたい」
アンペアらしくない。
修理を頼まれれば、いつも「手伝って」と笑っていた。
危ない場所なら、なおさら一人では行こうとしない。
なのに今日は、何度声を掛けても首を横に振るだけだった。
「そんなこと言わずに、行くんだったら私たちも行くわよ!」
セリカはそう言ってアンペアの手を引っ張り走り出した。
「ちょ、ちょっと....!」
「あんたがそんな顔してるの見てる方が、よっぽど嫌なのよ!」
セリカはアンペアの手を強く握ったまま、振り返らずに言った。
「でも——」
アンペアは一瞬だけ足を止める。
行きたくない。
そんな気持ちが、ほんの少しだけ表情に浮かんでいる。
「また何かあったらどうするのよ!」
「でも....」
「でもじゃない!一人はダメ!」
セリカはお構いなしと言わんばかりにアンペアの手を引っ張って、扉をバタンと開けた。
「ちょ、待っ——」
言い終わるより早く、宿の外へ引っ張り出されていく。
セリカの背中を追うように、みんな走り出す。
「あっ、工具箱忘れてます!」
アヤネが慌てて抱え上げ、後を追ってきた。
復興途中の街を走り抜ける。
新しい木材を運ぶ人々。
足場の上で金槌を振るう職人。
昨日よりも街は、少しだけ賑やかになっていた。
けれど——
アンペアだけは違った。
広場へ出るたびに人混みへ目を向ける。
角を曲がる前には、必ず通りの先を確認する。
誰かを探しているわけじゃない。
そんな顔じゃなかった。
どちらかというと——
誰かがいないことを確かめているようだった。
「ほら、着いたわよ!」
セリカが立ち止まる。
「ここ?」
「うん。この建物だったはずわよ」
見上げると、小さな昇降機が建物の外壁に取り付けられていた。
木箱や資材を上階へ運ぶためのものらしい。
アンペアはもう一度だけ周囲を見回した。
通りの向こう。
建物の影。
広場を行き交う人影。
「....」
誰もいない。
アンペアは安心したように工具箱を開いた。
だけど、その手はすぐには動かなかった。
一度だけ後ろを振り返って、もう一度周りを見回す。
何を気にしているんだろう。
朝からずっと、こんな調子だった。
小さく息を吐きながら、アンペアは作業を始めた。
ツルハシで壁を崩し、隠れていた機構を露出させる。
そのあとレンチに持ち替え、歯車を支える固定具を一つずつ外していく。
——カラン。
固定具が足元へ転がった。
最後の一本を緩めた瞬間、
ガクン。
大きな歯車が前へ傾いた。
「おっと....」
アンペアが慌てて抱え込む。
「これ、ちょっと一人だと難しいな....」
「任せて」
隣からシロコが歯車に手を添えた。
「自分も手伝うよ」
シロコの反対側へ回り込み、両手で歯車を支える。
「ごめん、だれか後ろ締めれる?」
「あ、私で良ければ....」
真っ先に返事をしたのはアヤネだった。
「じゃあ、歯車の裏、やってもらっていい?」
「分かりました」
レンチを受け取ると、アヤネは迷いなく機械の横へしゃがみ込む。
「....」
ギッギッギッ、と締める音が聞こえてくる。
アンペアはその音をしばらく聞いていた。
「できました!」
アンペアとシロコが歯車から手を離す。
「....こういうの、初めてじゃない感じ?」
「え?まぁ....はい、そうですね」
レンチを抱えたまま、アヤネは少し考える。
「色々やりくりしなくちゃいけなかったので、簡単な整備ならできます」
「へぇ....」
「ただ、一人だと不安なので、時々先生に見てもらうこともありますけど....」
そう言って、アヤネは少し照れくさそうにレンチをアンペアに返した。
「....その先生って人は、アヤネちゃんより腕が立つの?」
「あ、いえ」
アヤネは苦笑しながら首を横に振る。
アンペアは歯車を覗き込むように背伸びしながらボルトを締めていく。
「整備は、ほとんど私がやっています」
「じゃあ、なんで?」
「....少し恥ずかしい話なんですけど」
そう言うと、アヤネは照れくさそうに笑った。
「側にいてほしいなって思うんです」
「....」
アンペアは少しだけ目を伏せた。
「....それだけで、安心できるの?」
「はい」
曇りもなく、アヤネはそう言った。
「先生が『大丈夫』って言ってくれると、本当に大丈夫な気がするんです」
アンペアのレンチを握る手が止まった。
「....いい人なんだね」
「はい」
アヤネは迷うことなく頷いた。
「ちょっと頼りないところもありますけど....私たちにとっては、大切な先生です」
「....そっか」
それだけ言うと、アンペアは再びレンチを握り直した。
「まぁ、私もみんなこの世界で遭難してしまっているので、また会えるかわかりませんけど....」
アンペアは何も答えない。
ただ、ギギギっと、いつもよりボルトの締める音が少しだけ強く響いた。
「これで、終わりかな」
アンペアはレンチを手の中でくるりと回して、足元の工具袋へ差し込んだ。
「終わったなら次行くわよ、次!」
セリカは返事も待たず、アンペアの手を掴んで走り出した。
「ちょ、ちょっと....!」
まだ外した壁はそのままだ。
「あっ、待って!」
慌ててブロックを積み直し、壁を元通りにしてから追いかけた。
セリカに手を引かれたアンペアを追いかけ、次の現場へ向かった。
途中でもアンペアは何度か足を止めた。
人混みの向こうを見つめては、小さく息を吐く。
けれど、その理由だけは最後まで話そうとはしなかった。
風車へ走り、
水車を直しては、
今度は荷揚げ機へ向かう。
街中を駆け回るたび、アンペアの工具箱は少しずつ軽くなっていった。
街の人は笑っていた。
子供たちは走り回って、職人たちは壊れた建物を直していく。
街は確かに元へ戻り始めている。
なのに....。
アンペアだけは、最後まで落ち着かないままだった。
自分には、アンペアが何を恐れているのか、まだ正確には分からない。
それでも、無理に笑っていることだけは、はっきりと分かった。
——————
いつの間にか、空は夕焼けに染まり始めていた。
アンペアの作業を見ていただけのつもりだったのに、なぜかみんなには煤の線が所々にくっついていた。
「これで最後ね」
「あと一件か」
「うん」
アンペアはそう答えながらも、また一度だけ通りの先へ視線を向けた。
誰も居ない。
アンペアの視線を何度も見たけど、そこに珍しいものなんて一回もなかった。
「....さて、行こっか」
アンペアが歩き出そうとした、その時だった。
ふっと、その足が止まる。
その視線の先。
橋の向こう側を、一人の男がゆっくりと歩いていた。
夕焼けを背に、街並みを見渡しながら。
どこにでもいそうな、中年の男だった。
それなのに、アンペアの表情がみるみる強張っていく。
周りのみんなは、まだ気づいていない。
気づいたのは、アンペアと....多分、自分だけだった。
アンペアはぎゅっと拳を握りしめた。
俯いたまま、男の横を通り過ぎようとする。
あと数歩。
気づかれないような感じで——。
「....アンペア」
男は穏やかとも、疲れ果てたとも取れる声で言った。
その声音には、かすかな安堵と、言い知れぬ重さが混じっていた。
アンペアは顔を上げなかった。
ただ、地面を睨んだまま、握った拳が白くなるほど力を込めている。
「....」
アンペアの表情が一気に曇る。
握りしめた拳に、力がこもるのが分かった。
その表情を見た瞬間、分かった。
いつものアンペアじゃない。
機械の話をしている時の、楽しそうな顔も。
街の人と話している時の、明るい笑顔も。
そこにはなかった。
「....アンペアさん?」
先を歩いていたセリカの声がした。
いつものように強い声じゃない。戸惑っているように聞こえた。
どうやら、セリカも気づいたらしい。
アンペアが、この男を避けていたことに。
「....知り合い?」
シロコが静かに尋ねる。
「.....無事だったんだな」
「....」
でも、アンペアは顔を上げなかった。
いつもなら、誰かに声を掛けられればすぐに返事をする。
怒ったり、笑ったり、何か言い返したりする。
なのに今は、何も言わない。
ただ、地面を見つめたまま立っていた。
「話がしたい」
男は静かにそう言った。
「....話?」
不意に、アンペアが笑う。
笑っているのに、目は笑っていなかった。
「まさか、また『あのゲートの研究』とか言うつもり?」
「違う」
男は首を横に振る。
「私は——」
「その言葉、何度も聞いた」
被せるように、アンペアが言葉を遮った。
「『もう少し待ってくれ』、『この研究が終わったら』、『ちゃんと話をする』....。そんなんばっか」
初めて聞く話だった。
けれど、その言葉だけで、同じ約束が何度も繰り返されてきたことだけは分かった。
「っで、今度はなに?また『待ってくれ』?また『あと少し』?」
アンペアの声は震えていなかった。
だけど、握り締めた拳だけは白くなるほど力が入っている。
「ウチのことなんて、一度でもちゃんと見てくれた?私はずっと待ってたのに!」
初めて見るアンペアだった。
いつも機械の話をしている時の落ち着いた姿はどこにもない。
「帰って!」
アンペアの声が夕暮れに響いた。
「もうあんたの顔なんて見たくない!」
その声に、誰も動けなかった。
夕暮れの街から、音だけが消えたような気がした。
その言葉を吐いた瞬間、アンペア自身が一番傷ついたような顔をした。
「....」
「あんたは....」
ほんの一瞬、言葉が止まる。
「....ウチの親じゃない!」
叫んだ声が、最後は掠れていた。
その言葉を口にしたアンペア自身が、一番苦しそうな顔をしていた。
男は何も言い返さなかった。
ただ、なにも言わず、ゆっくり目を伏せた。
その表情は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
アンペアの目元が光っているように見えたのは、夕焼けのせいだけじゃない。
「....と、とりあえず、今日は、戻りましょう?」
ノノミが、いつもの柔らかな声で言った。
でも、その声にも少しだけ迷いが混じっていた。
歩き出して数歩。
アンペアは一度だけ振り返った。
でも、そこにいた男を見ることはなかった。
ただ、夕焼けに伸びた影だけを見ている。
自分は、どうするべきか分からなかった。
アンペアと、夕焼けの中に残された男を交互に見ることしかできなかった。