誰も口を開かない。
普段ならセリカが何か言いそうなのに、今日は違った。
頭の中では、さっきの声が何度も繰り返される。
『もうあんたの顔なんて見たくない!』
『あんたは....ウチの親じゃない!』
あれほど機械の話になると楽しそうだったアンペアが、あんな顔をするなんて思ってもみなかった。
あの男も、一言も言い返さなかった。
何が正しいのかなんて、自分には分からない。
ただ一つだけ分かったのは――。
あれは、他人が簡単に口を挟める話じゃないということだった。
あの男の人と何か深い事情があるのは分かる。
けど、簡単には解決しそうにない。
気がつくと、宿の前にまで来ていた。
宿の扉が開くなり、アンペアは誰とも目を合わせなかった。
「ごめん」とも言わず、そのまま階段の方に向かって部屋の方に行ってしまった。
足音だけが、静かな宿に小さく響いた。
呼び止めようと思った。
でも、その背中は今、一人にしてほしいと言っているように見えて、声は出なかった。
「....アンペアさん」
ヒフミの短い一言だった。
「....あの男の人と一体なにがあったのかな」
「親って、言ってたからお父さん....?」
「....言えなかったんじゃないですか?」
ノノミが静かに答えた。
「家族って、一番近い相手だからこそ、言えなくなることもありますし」
少しだけ目を伏せる。
「....私も、そんなことがありましたから」
セリカは何も言い返さなかった。
「それに....」
「それに?」
「アンペアさん、本当にあの人が嫌いだったら、あんなに怒らなかったと思うんです」
「え?」
「期待してなかったら、怒ることもないですから」
静かな声だった。
けれど、その言葉だけは、なぜか自分の胸に残った。
シロコも、小さく頷いている。
「先生なら....」
みんながノノミを見る。
そして、続けた。
「先生なら、アンペアさんにも、あの人にも、きっと話を聞くと思います」
「どっちが悪い、とかじゃなくて?」
「はい」
ノノミは静かに頷く。
「先生って、そういう人ですから」
先生。
誰も「すごい人だ」とは言わない。
それでも、みんなが当たり前のように名前を口にする。
そんなすごい人は、どう言う風にアンペアに声を掛けるのか。
少し、気になった。
——————
~一晩明けて~
「少し散歩してくるよ」
朝の空気は少しだけ冷たくて、昨日まで響いていた銃声の代わりに、金槌を打つ音が街へ広がっていた。
昨日のことがあってから、部屋の中の空気はどこか重い。
アンペアも、みんなも、必要以上に口数が少なかった。
今は、そっとしておくのが正解なんだろう。
そう思って、自分は宿を後にした。
昨日まで止まっていた風車は、今日もそよ風に吹かれながら風車が回っていた。
荷揚げ機には資材が積まれ、人が笑いながら荷物を運んでいる。
アンペアが直した機械は、ちゃんと街を動かしていた。
どこか、心地良い風がながれる。自分事みたいに、少しうれしくなった。
気づけば、製粉所の前まで来ていた。
骨組みが露出した建物の中では、幾重にも重なった歯車が規則正しい音を響かせている。
昨日も、今朝も食べたパンは、ここで挽かれた小麦から作られているんだ。
そう思いながら、視線を道に戻すと、一人の男が目に入った。
昨日、橋の上でアンペアを呼び止めた男だった。
白髪が目立つ髪に、深く刻まれたしわ。
その背中には、長い年月を歩いてきた人だけが持つ静かな重みがどこからか出ている。
そんな男は、製粉所の歯車が回る様子を、ただ静かに見つめていた。
「あれ、昨日の....」
「....うん?あぁ、君は....」
少しだけ考えるようにこっちに振り向いてきた。
昨日は橋の上で少し見かけただけだ。すぐに思い出せなくても無理はない。
「おじさんって、アンペアのお父さん?」
「....あぁ、私はトルクと言う」
——トルク。
その名前を思い出すより前に、男は続けた。
「....昨日は、見苦しいところを見せてしまったな」
そう続けた。
この人は、アンペアとなにがあったんだろう。
「ところで....」
「どうしたの?」
「....あれは、アンペアが直したのか?」
トルクが見上げる先には、骨組みを残したまま動き続ける製粉所があった。
剥き出しになった歯車が幾重にも噛み合い、ガシャガシャと規則正しい音を響かせている。
無骨な機械のはずなのに、不思議と目を奪われる。
まるで、巨大な時計が命を取り戻したようだった。
「そうだと思うよ」
直した瞬間を見たわけじゃない。
でも、何日か前にアンペアが言っていた。
『製粉所ってところを直したのよ』
その時の、少し嬉しそうな顔が浮かんだ。
「そうか....」
トルクと言うおじさんは、しばらく歯車から目を離さない。
まるで、その音の中に何かを探しているようだった。
その時だった。
「どいてくれ!通るぞ!」
ガラガラと車輪が石畳を揺らす。
蒸気を吹き出しながら、一台の農機が門の外へ向かっていた。
その音に、トルクの視線が動く。
蒸気や歯車の音。
トルクは、思わずその機械を目で追っていた。
「ちょっと、少し待ってくれ!」
「なんだ、おっさん?ってあんた....」
ガレスに最初会った時とは別に、あれだけ大声を出していたのが嘘みたいだった。
昨日まで、ただのアンペアが知ってる誰かだと思っていた。
でも、この街でトルクという名前を知らない人はいないのかもしれない。
この人は、一体どれだけ大きな存在なんだろう。
「少し、この機械を見せてもらえないか?」
「あぁ....まぁ、いいが」
ガレスがそう返すと、ゆっくりと農機へ近づいた。
壊れ物を扱うような、慎重な手つき。
「....これも、アンペアが?」
「アンペアってあの嬢ちゃんのことか?この街に来た時に最初に直してもらったやつだな」
ガレスは懐かしむように笑った。
トルクの指先が、わずかに動く。
触れようとして、途中で止まった。
「....きれいに直してあるな」
小さく呟く声は、誰に聞かせるでもなく、ただ機械に向けられていた。
「部品の組み合わせ方も、力の抜き方も....私が見てきたものとは全く違ってる」
それ以上の言葉は続かなかった。
「あの娘のおかげで、止まってた機械が全部動くようになった」
トルクは何も言わなかった。
ただ、農機を見る目が少しだけ変わった気がした。
「おかげで今年は畑が助かったよ」
にこやかになっているガレスの顔をトルクは見ていた。
今のこの人の姿は、昨日橋の上で見た物とは少し違って見えた。
『ウチの親じゃない!』
昨日のアンペアの声が、頭の中で再び響く。
こんなに娘のことを気に掛けている人が、どうしてあんな言葉を向けられたんだろう。
自分には、まだ分からなかった。
「さて、もういいか?」
「....あぁ、止めて悪かった」
そう言ってガレスは再び機体を動かして去って行った。
ガラガラという音が遠ざかり、次第に聞こえなくなる。
トルクは、その方向をしばらく見ていた。
やがて、ゆっくりと視線を戻す。
「....あの子は、本当に変わったな」
小さく呟く声だった。
こっちに向けた言葉じゃない、機械に向かって漏れただけのように、自分には聞こえた。
「おじさん....」
「ん?」
「さっきから、ずっと機械ばっかり見てるけど....」
「気になるのか?」
「うん。アンペアのこと、考えてるんじゃないの?」
トルクは否定しなかった。
ただ、小さく息を吐く。
「私が、あのゲートの研究に没頭していたばかりに....」
ゲート?
そう言えば、アンペアはゲートだったりの話になったら途端に口を閉ざしたことがある。昨日の話でも、アンペアからちょこっと出ていたような。
それが、もしかしたら....。
そのときだった。
少し離れた道から、誰かが歩いてくる気配がした。
「あ、スティーブ!」
鉄の鎧を身にまとったスティーブは、こちらに気づくと軽く手を上げて近づいてくる。
相変わらず、言葉はほとんどない。
「どうしたの? どこか行くところ?」
スティーブは少しだけ首を傾げると、ポケットから何かを取り出した。
緑色の眼球のような、エンダーアイ。
それを、無言でこちらに掲げる。
次の瞬間、トルクの表情がぴたりと固まった。
「....それは、一体なんだ?」
トルクの視線は、緑色の球体から離れなかった。
「えっと、エンダーアイってものだったよね?」
スティーブは、静かにうなずいた。
「エンダーアイ....エンド....」
トルクの呟きが、途切れ途切れに漏れる。
まるで、長く封じていた何かを、無理矢理引きずり出しているみたいだった。
「まさか——」
トルクはゆっくりと顔を上げ、スティーブを見つめた。
その目に何が浮かんでいるのか、自分にはうまく言葉にできなかった。ただ、驚きだけじゃない、もっと重たい何かが混ざっているように見えた。
「君。もしかして....エンドポータルについて、知っているのか?」
短い沈黙のあと、トルクははっきりと言った。
「一度、私の会社に来てくれないか?」