ガタンゴトンガタンゴトン。
座席に伝わる振動が、尻から背中まで絶え間なく這い上がってくる。まだ慣れない揺れに、思わず肘掛けを握る手に力が入った。
窓ガラスがカタカタと細かく音を鳴らして、耳の奥まで揺さぶってくる。
時折り、窓の隙間から石炭の焦げる匂いが忍び込んできて、ああ、本当にこれは蒸気機関車なんだ、と妙な実感だけが遅れてやってくる。
窓の外は目まぐるしく景色を変えていく。
さっきまでサバンナみたいな景色が広がっていたと思ったら、今度は見渡す限りの砂漠。かと思えば、次の瞬間には光も届かなそうな暗い森。
....待って、今どこを走ってるんだ。
自分が今世界のどこにいるのか、もうさっぱり分からなくなっていた。てっきり、街で過ごしていた時は平原であったかい気候だったから、このまま温暖な場所を進むんだと思い込んでいたのに。
なにも驚かないなんて言った自分が馬鹿みたい。この世界は、まだ何度でも自分の常識を裏切ってくるらしい。
自分たちが通されたのは、四人用の特別な車室だった。黒い木材が壁一面に張られていて、外の喧騒が嘘みたいに静かで、ゆったりとしている。
横にはスティーブが座り、正面にはトルクさんが腰を下ろしていた。
向かい合って座る配置。
揺れる車内。
静かな空気。
どこかで、似たような体験をしたような気がする。
向かいに誰かがいて、揺れる車内に座っているこの感じ。
だけど、そこから先が思い出せない。
——ガタン、と大きく車体が揺れた。
その振動で、意識が現実に引き戻される。
壁の向こうから、微かにノノミやシロコたちの声が聞こえてくる。
『もしかしたら元の世界に帰れるかもしれない』
そう伝えた瞬間、みんな一斉に顔を明るくした。
けど、アンペアだけは違った。
『別に、行きたきゃ行けば』
そう言った時の声だけが、やけに冷たく耳に残っている。他のみんなが喜んでいる中で、突き放すみたいなその言い方が、なんでなのか自分には分からなかった。
その時のアンペアの顔が、頭の奥に焼きついたまま離れない。
「付き合ってくれて、ありがとう」
トルクはそう切り出した。
思い出すのは、あの後——トルクから話を聞いていた時のことだった。
『エンドポータルについて知っているのか』
エンドポータルってなんだろう。ネザーゲートと言い、ディメンションと言い、ことごとくファンタジーな世界で聞く言葉が飛び交う。
でも、スティーブは当たり前かのようにそれに頷いた。
この人はどこまで知っているんだろうか。どこまでも、不思議な人だ。
『私が研究しているポータルの一つなんだがな』
トルクは静かに続けた。
『あれは、この世界とは異なる場所——別の次元へと繋がっている可能性があるんだ』
異なる場所。別の次元。
その言葉が、頭の中で一気に繋がっていく。
もし、本当に別の世界と繋がっているのなら、自分が元いた場所とも、繋がっているんじゃないだろうか。
スティーブを見ると、驚いた様子もなく、小さく頷いていた。
まるで、それが当然のことだと言うように。
....本当に、帰れるかもしれない。
そんな希望が、確かな輪郭を持って見えてきた。
「本社までは少しかかる。それまではゆっくりしていてくれ」
トルクはそう言うと、座席に深く身を預けた。
しばらく、車室には列車の音だけが響いていた。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
そんな中で、ふと隣を見た。
「....スティーブ?」
さっきから、妙に静かだった。
いや、いつも静かなんだけど。
スティーブは窓の外をじっと見ていた。
流れていく景色ではない。
そのさらに下——列車の足元を見ようとしている。
「なに見てるの?」
スティーブは答えない。
ただ、少しだけ身体を窓側へ寄せた。
その視線を追ってみる。
窓の下では、二本のレールがどこまでも続いていた。
「....レール?」
スティーブが小さく頷く。
「そんなに珍しい?」
スティーブの目が、レールから離れない。
そして、先頭の車両に目を向けている。
大量の鉄と木材で作られた車体。
石炭を燃やして、蒸気を吐き出す機関車。
それが何両もの車両を引っ張りながら、レールの上を走っている。
「....もしかして、初めて見た?」
スティーブはしばらく列車の先を見つめてから、もう一度頷いた。
「そっか」
なんだか、それがおかしかった。
あれだけ何でも知っていそうなスティーブにも、知らないものがある。
そんなことを考えていると、車体が大きく揺れた。
——ガタンッ!
スティーブの身体が、ほんの少しだけ跳ねる。
隣からは、ヒフミの軽い悲鳴のような声が聞こえた。
それでも、すぐに窓の外へ視線を戻した。
よほど気になるらしい。
「そんなに面白い?」
スティーブは答えなかった。
ただ、今度は列車そのものを観察するように、車室の中を見回し始めた。
「....興味があるのか?」
トルクがスティーブを見ていた。
「この列車が、そんなに珍しいか?」
スティーブは少し考えたあと、頷く。
「そうか」
トルクは少しだけ笑った。
「なら、本社に着いたら見せてやろう。もっと面白いものがある」
「....クリエイト社って、どんな会社なの?」
ふと気になって尋ねた。
「大まかに言えば、機械を作っている会社だ」
「機械?」
「ああ。農業機械から、工場で使う設備。それから....」
トルクは窓の外を走る機関車へ目を向けた。
「こういう機関車も作っている」
「あの機関車も?」
「機関車だけじゃない。この客車も貨物車もだ」
思わず、もう一度窓の外を見る。
今まで自分は、ただ走っている蒸気機関車としか思っていなかった。
でも、それをこの会社が作っている。
「....結構、大きな会社なんだ」
「機械を扱うなら、名を聞くことはあるだろうな」
トルクは淡々と答えた。
「農業機械も、工業設備も、輸送機関も。必要とされるものは、できる限り作ってきた」
「じゃあ、戦車とかも?」
半分冗談のつもりだった。
「ああ」
トルクは何でもないことのように頷いた。
その温度差に、思わず言葉に詰まる。
「....戦車まで?」
「機械であることに変わりはない」
あまりにもあっさり言うので、逆に驚いた。
トルクは足を組み替えて、窓の外へちらりと目をやった。
「農家の人が使う機械も、工場の設備も、戦車も同じなの?」
「目的が違うだけだ」
トルクはそう言って、少しだけ笑った。
「機械というのは、誰かの『こうしたい』を形にするものだからな」
「....それもそうだね」
その言葉を聞いて、ふとアンペアのことを思い出した。
街中の機械を直していた時の、あの楽しそうな顔。
もしかすると、アンペアも同じように考えていたのかもしれない。
そんなことを考えていると、
ガタンッ。
列車が大きく揺れた。
「うわっ」
思わず身体が前へ持っていかれる。
それまで一定だった車輪の音が、少しずつ小さくなっていく。
ガタン、ゴトン....。
やがて、列車はゆっくりと速度を落としていった。
「もう着くの?」
「そのようだな」
トルクが窓の外を見る。
景色の向こうから、大きな駅舎が見えてきた。
石造りの巨大な建物。
その奥には、煙を吐き出す無数の煙突が空へ伸びている。
駅へ近づくにつれて、機関車の汽笛が何度も鳴り響く。
ポォォォォ――――ッ!
列車がゆっくりとホームへ滑り込んでいく。
プシューッと蒸気が噴き出す音がして、ホームにいた人たちが一斉にこちらへ視線を向けた。
ふと、ホームに掲げられた看板が目に入った。
『クリエイト社前駅』
「駅名にまでなってるんだ」
それだけ、この辺り一帯がクリエイト社のものだということなのかもしれない。
「ここが....」
トルクが立ち上がった。
「そうだ、クリエイト社の玄関口だ」
扉の向こうから、駅員の声が聞こえてくる。
「クリエイト社前駅、クリエイト社前駅——」
スティーブも立ち上がる。
さっきまで窓の外を眺めていた目が、今度はホームの向こう側へ向いていた。
その先に何があるのか、自分にはまだ分からない。
ただ一つ分かるのは——。
ここから先は、今まで見てきたものとは少し違う世界が待っている。
そんな気がした。
客室の扉が開いた。
「やっと着いたわね」
セリカが伸びをしながら、隣の部屋から出てきた。
「長かったですねぇ」
「列車って、こんなに揺れるんですね....」
ノノミとヒフミも続いて降りてきた。
最後にシロコが静かに出てきた。
「全員いる?」
「いるわよ」
セリカが答える。
そこには、もうアンペアはいない。
アンペアは、街に残った。
それでも、昨日のことが頭をよぎる。
列車に乗る前、みんなにあの話をした時のことだ。
「もしかしたら、元の世界に帰れるかもしれない」
そう言った瞬間だった。
「....え?」
机に肘をついていたアンペアが顔を上げた。
今までどこか上の空だった表情が、一瞬だけ変わる。
「分かったの!?」
「かもしれない」
「元の世界に帰る方法!」
思わず身を乗り出すセリカやヒフミたち。その目には、はっきりとした期待が浮かんでいた。
その横でアンペアも身を乗り出していた。
「いや、まだ方法が分かったわけじゃないよ。トルクさんが言うには——」
「....トルク?」
アンペアの声が、ほんの少しだけ低くなった。
さっきまでの期待が、消えていく。
「うん。エンドポータルっていうものを使えば、もしかしたら——」
「....エンドポータル」
アンペアは、その言葉を小さく繰り返した。
「そう。スティーブが知ってるみたいで、クリエイト社に向かうかって——」
「....そうなんだ」
「....アンペア?」
「別に」
さっきまで身を乗り出していた身体を、ゆっくりと戻す。
「ウチは行かない」
「え?」
「別に、行きたきゃ行けば」
声が、急に冷たくなった。
その言葉が、まだ耳に残っていた。
「....」
考えても、答えは出てこない。
「アレックス?」
シロコの声で我に返る。
「....うん。早く出よっか」
みんなの後を追って、列車を出た。
ホームを出て、駅舎から出る。
そして——。
「....え?」
思わず足が止まった。
目の前に、巨大な工場が広がっていた。
いくつもの建物が連なり、無数の煙突から白い煙が空へ伸びている。
高架を貨物車が走り、その下では巨大な歯車が回っていた。
遠くではクレーンが鉄材を吊り上げ、蒸気を吹き出す機械が絶え間なく動いている。
「....これが、クリエイト社?」
「そうだ」
トルクが答えた。
「ここが、私の会社だ」