2026年5月26日 修正
1話:物理法則、休業中
目が覚める。
石の上に寝転んだ自分。寝返りを打とうとして、また四角い腕が目に入った。昨日の出来事は、夢じゃないと改めて認識した。
体は四角いと言うのに凝りというものはあるみたい。腕を伸ばし、大きく息を吸った。
秘密基地の入り口は既に開いていた。日の光と朝の涼しい風が入り込んでくる。明かりを灯していたランタンの光は消えて、夜の間についた煤の跡が黒く残っていた。壁の縁ではシロコが背を丸めて寝ている。だけど、アンペアの姿がない。入り口が開いていることからも外にいるのだろうか。
体を起こして外の景色を見に行く。入り口から外を見ると昨日より入り口前が開けた感じがした。
風で髪が揺れる。
まだこのカクカクの世界に来たことが受け入れられないのか、ぼんやりと立ち尽くす。
家も、自分の姿も、何もかも違うと言うのにまだ他人事のような気がしてならない。ただ、朝の風は心地良い。
爽やかな風を受けながらぼんやりしていると、草を踏みつける音が聞こえてきた。
「あ、起きてたの?」
アンペアだ。手には水が入ったバケツを持っている。
「いや、さっき起きたばっかり」
「そうだったんだ。ところで、昨日はよく寝られた?」
「おかげ様でね」
平凡な朝の挨拶。それなのに、この会話さえも妙に新鮮に感じられる。
「これ、朝ご飯の代わりに食べて」
手渡されたのは赤いリンゴだった。
このリンゴも昨日のパンみたいで平ぺったい。だが、ちゃんとした重みがある。
「ありがとう」
とは言うものの、今はそれほどお腹は減っていない。
後で食べるようにポケットにしまっておこう。
「それで、そのバケツは?」
「これ?今から畑作るの」
「畑?」
「まぁ、とりあえず着いてきてよ」
アンペアに手招きをして自分の隣を横切る。視線を移すと、昨日まではなかったはずの秘密基地の横に一人通れるくらいの小さな縦穴が空いていた。やけに中が明るい。
木で作られたゲートの先には、天井が開けた空間に土が敷き詰められていた。この縦穴の深さは少なくとも二階建て一軒家くらいの大きさがありそうな感じがする。到底一晩でやったとは思えないほどの大きさだ。
「これ、どうやって掘ったの?」
「普通にツルハシで掘ったよ」
「普通に?」
「あ~....なんて言うか....」
「一晩でできる大きさじゃないと思うんだけど」
「う~ん...."普通"を説明するってなんでこんなに難しいんかな....」
頭をポリポリさせながらアンペアが足を踏んだ。
「まぁ、説明するより実際に見た方がいいかもね。ちょっと、こっちきて」
すると、アンペアは近くに生えていた葉っぱの高さが自分たちと同じくらいの高さの木陰の木の幹に向かった。
「木がどうかしたの?」
「見ててね」
すると、おもむろに葉っぱの付け根部分の幹をアンペアは腕を振り始めた。
....いや、振る?振り回していると表現した方が正しいのかな?
素手で木の幹を殴り続けるアンペア。
一度、二度、三度と拳を叩きつけるたびに粉塵のような小さい粉が出ると共に、木の表面に亀裂が入っていく。昨日、クランクを隠してあった、あの葉っぱを壊すかのような感じだった。
ボコッ、という音と共に木の幹が砕け散った。
いや、砕け散ったというより、突然小さな立方体になって宙に浮いている。手のひらに乗るサイズまで縮んだ木のブロックが、ふわりと浮遊していた。
「え....」
困惑する私を置いておいて、アンペアはそれを当たり前のように掴み取った。
まるでコインを拾うかのように、何事もないかのように軽々と拾い上げている。
「ほら、こうやって」
手の中で木のブロックを指先(この場合は手先と言うべきなのだろうか)でくるくると回してみせた。
確かに木だ。木目も質感もそのままに、ただサイズだけが信じられないほど小さくなっている。
だが、驚くのはまだ早かった。
視線を上げると、壊した幹の上にあった木の部分――枝も葉も、そして残りの幹も――が、そのまま空中に浮いている。
「....噓でしょ」
支えを失ったはずの木が重力を無視して宙に留まっている。風に揺れる葉は相変わらず緑色で、まるで地面に根を張っているかのように凜々しくその場に留まっていた。
リンゴが落ちて万有引力を発見した偉大な科学者も、この光景を見たら泣くに違いない。
「これが"普通"なの、この世界だと」
「宙に浮くやつも?」
「そっちも普通」
アンペアは肩をすくめて言った。
具体的なことは分からないが、なんとなくこの世界について理解してきた。
物理法則が仕事を放棄している世界なら何でもありだ。そもそも、この世界ではリンゴが落ちない時もあるかもしれない。
「ほら、アレックスもやってみて」
「え?私も?」
半信半疑で、私も近くの木に近づいた。
四角い幹の表面に手を置く。ざらりとした木の感触。本物だ。
「本当に、これを壊すの?」
「うん。力を込めて」
素手で殴るとイタイだけかもしれないが、ここはアンペアを信じてやってみよう。
深呼吸をして、拳を握る。
そして、思いっきり振り下ろした。
ゴンッ。
「痛っ....!」
思わず手を引っ込めた。
当然だ。素手で木を殴って痛くないわけがない。
「あはは、最初はそうなるよね」
「どういうこと?全然できないんだけど」
「もっとこう、掘るようなイメージでやってみて」
「掘るイメージ....?」
アンペアに言われた通り、もう一度意識を集中させる。
掘る。掘る。掘り進める――。
今度は違った。
拳を叩きつけるたびに、木の表面に細かい亀裂が入っていく。
「そうそう、その調子」
掘るイメージで、何度も何度も拳を目の前の木の幹に叩きつける。
がむしゃらに腕を振り回す。腕が痛くなるくらい振り回す度にひびが広がり、粉が舞っていた。
頑張れ!頑張れ!あと少しだ!
腕が限界となっていくが、それでもひたすらヒビを入れていった。
木のブロックに完全にヒビが入り、その直後に粉を散らして壊れた。そこにはアンペアが壊した時と同じような小さなブロックが地面の上に落ちていた。
思わず手を伸ばす。指先が触れると、小さくなった木のブロックは吸い込まれるように私の手の中に収まった。
それと、なんとなくこの材木を使って"なにかできそう"....な、感じがする。
「いいね!じゃあ、残りの幹も全部壊しちゃお!」
「ちょ、ちょっと待って....」
これ以上は拳の方が先に粉砕されてしまう。
このリンゴの学者泣かせの木の幹はあと何個残ってる?3個くらい?無理だ。
草むらに身をドサッと下ろした。
そんな時、秘密基地の方から音がした。
カサリ、という衣擦れの音と、ゆっくりとした足音。入り口の影から、銀色の髪が覗く。
昨日、出会ったシロコだ。
「おはよう、シロコちゃん」
「ん....おはよう」
寝ぼけているのか、目を手でこすっている。
「調子はどう?」
「ん、大丈夫」
「リンゴ食べる?」
「....いいの?」
「うん」
そう言い、ポケットに入れていたリンゴを取り出した。シロコは眠そうな目のまま近づき、それを受け取った。
少しの間じっと見つめてから、小さく「ん」と頷いて服で軽く拭いてゆっくりとリンゴを口に運ぶ。
シャクッ、という小気味いい音が朝の空気に響いた。
「そうだ、シロコちゃん」
「なに?」
「シロコちゃんも木を壊してみてよ」
事情を知らない人からしたら誤解しか生まれない言葉だろう。
シロコちゃんがリンゴを頬張ったまま動きを止めて不思議そうにこっちを「木を....壊す?」と無言で問いかけてくる。
ほらみろ、シロコちゃんが困惑しちゃったじゃんか。
「?....わかった」
シロコはリンゴを片手に持ったまま、残った3つの浮遊する木のブロックの前に立った。
少しの間、じっと木を見つめる。
そして――
ボコッ。
淡々と、まるで日課をこなすかのように、シロコの拳が木を砕いていく。
一撃で正確に無駄がない動作。
私が必死に叩いていたのとは対照的に、最初こそ少し驚いた様子だったが、2つ目からは淡々と壊していく。
バキッバキッ。
そして、最後の1つが砕けた瞬間――
パラパラと音を立てて、空中に浮いていた葉っぱと枝が一斉に落ちてきた。
「え、ちょっと――」
ゴツンッ!
「痛ッ....」
私の頭に何かが当たった。
頭皮に乗っかってる物に手を伸ばす。
当たった部分をさすりながら確認したが、それは赤いリンゴだった。
「....やっぱり、リンゴは落ちるんだ」
支えがなくなった途端、重力を思い出したかのように落ちてくる。
もう何も驚かない。この世界では、きっとそういうものなんだろう。
ーーーーー
「それで、2人とも朝からなにをしているの?」
「アレックスにも言ったけど、ウチは畑を作ってたよ」
アンペアはさっき案内した縦穴の畑の穴を指差した。
「....食べ物がないの?」
「まぁ....正直言うとね」
アンペアは苦笑いを浮かべながら、首の後ろに手を当てた。
「元々、ここで一人で細々暮らしてく予定だったから魚でも釣っていこうと考えてたの。だから、あんまり食べ物の余裕がないんだよね」
アンペアの言葉に、私は改めて秘密基地の中を思い返す。
確かに、食料らしいものはほとんど見当たらなかった。リンゴも、おそらく朝に切り倒した木から採れたての物を渡してくれたものだろう。
「....大変だったんだね」
「まぁ、一人ならなんとかなると思ってたんだけど、こうなっちゃったからにはしょうが無いよ」
アンペアは苦笑いを浮かべた。言葉にはしないが、その意味は分かる。
一人ならなんとかなっただろうけど、今は私とシロコがいる。
「あの....本当にごめん。急に押しかけちゃって」
「ん....ごめん」
「あ、いやいや!そう言うつもりじゃないから!」
アンペアは慌てて両手を振った。
「ただ、ちょっと計画より早く畑を作らないとなって思っただけだから。別に二人が来たこと、困ってるわけじゃないよ?」
そう言って、アンペアは優しく微笑んだ。
だけど、その笑顔の奥に少しだけ疲れのような物が見える。
「なにか私にできることある?」
「あ、え?じゃあ、そうだなぁ....」
そう言うと、アンペアは少し考えるように首を傾げた。
「じゃあ、魚釣ってきてもらえる?」
「ん、分かった」
「じゃあ、釣り竿を——」
「必要ない」
シロコの即答に、私とアンペアは顔を見合わせた。
「アレックス、昨日の剣ある?」
「あるけど....魚を?」
「来るまでに川を見た。動きが遅い。直接取れる」
有無を言わさない返答だった。
困惑しながらも剣を手渡すと、シロコは重さを確かめるように一度振って——
「ん、これでいい」
それだけ言って、海の方へ走って行った。
アンペアと二人、その背中をしばらく見送った。
「....頼もしいね」
「うん....」
しばらく、二人でその背中を見送った。
遠ざかっていくシロコの後ろ姿を見ていると、なんだか自分だけ取り残されたような気がしてくる。
「私もなにか手伝えることある?あ、魚を捕るとかは流石に無理だけど....」
「あ、えっと.....じゃあ、そこら辺に生えてる草を刈って、小麦の種を集めてきてくれる?」
「草....から?小麦の種が?」
「うん、この世界だとそうなの」
またしても、この世界の常識に困惑する。
雑草から小麦の種。普通なら小麦から種を取るものだろうに。
物は試しと、雑草に手をかける。
さっきの木と同じように、掘るイメージで。何度か手を振ると、シュッという軽い音を立てて雑草が砕け散った。
――しかし、種は出てこない。
「あれ?出ないんだけど」
「まぁ、たまにだからね。全部から出るわけじゃないよ」
「たまに....」
つまり、運次第ということか。
この世界、物理法則だけじゃなくて確率論まで独自ルールがあるのだろうか。
気を取り直して、次の雑草に手を伸ばす。
1つ、2つ、3つ。
シュッ、シュッ、シュッと小気味よい音を立てて雑草が消えていく。
それでもまだ種は出ない。
「....本当に出るのかな、これ」
「出るよ、そのうち」
アンペアの言葉を信じて、さらに雑草を刈り続ける。
4つ目、5つ目――
パラリ、と何かが地面に落ちた
地面に転がっていたのは、小さな緑色の粒だった。
「....本当に出てきた」
手に取ると、確かに種の感触がある。小麦の種かどうかは分からないがこれがアンペアの言う種なのだろうか。
だけど、直感だとこれが小麦の種で合っているようだ。
「本当に雑草から種が出るんだ....」
呆れながらも、出ると分かってからは次々と周囲の雑草を刈り始めた。
1つ刈るたびに、パラパラと雑草の屑が散らばる。出てこない方が多いが、それでも確実に種は集まっていった。
「じゃあ、ウチはこの畑耕してる」
「了解」
単純作業に没頭していると、不思議と心が落ち着いてくる。
四角い世界。物理法則を無視した現象。それでも、草を刈って種を集めるという行為自体は、どこか懐かしい感覚だった。
一通り草を刈り終えて顔を上げると、太陽がだいぶ傾いていた
これだけあれば、畑も作れるだろう。
「アンペア、種集まったよ」
「助かるよ。ありがとうね」
袖で額の汗を拭う。
単純作業とはいえ、延々と草を刈り続けるのは思った以上に疲れた。
「シロコちゃん、まだ戻ってこないね」
「まぁ、手掴みだし時間かかっているのかも?」
アンペアが海の方を見やる。
確かに、随分と時間が経った気がする。
空は、あと少しで赤く染まりそうなほど日は傾いてきている。
その時だった。
ザッ、ザッ、ザッ――
森の奥から、草を踏み分ける足音が聞こえてきた。
規則的なリズム。誰かが戻ってくる音だ。
「あ、シロコちゃんかな」
「みたいだね」
シロコが魚を抱えて戻ってきたのだろう。
私は期待を込めて、音がする方へと振り返った。
「シロコちゃん、お帰り――」
言葉が、途中で止まった。
確かにシロコだ。石の剣を手に、こちらへと歩いてくるシロコの姿。
だが――
シロコは、誰かを背中におんぶしている。
青みがかった黒のツインテール。猫耳のような飾り。
体中に砂がついた、見知らぬ少女だ。
「シロコ....ちゃん?」
「セリカ。私の後輩。浜辺で倒れてた」
淡々と、いつものトーンで答えるシロコ。
まるで魚を捕ってきたのと同じような調子で、人間を抱えている。
しかし、その表情には焦りが少しあった。
「え、ちょっと、大丈夫なの!?その子!」
慌てて駆け寄る。
近くで見ると、少女の服は濡れていて呼吸も浅い。
「と、とりあえず中に運ぼう!」
アンペアも慌てて秘密基地に運び込む。
魚を取りに行ったはずが、人を拾ってくるとは思いもしなかった。
ーーーーー
「大丈夫?」
「やれることは多分やったけど....」
アンペアが持っていた水入りの瓶で、少しずつ水を飲ませる。
幸い、意識はないものの呼吸は安定してきたみたいだった。
「体温は....大丈夫そうかな」
アンペアが額に手を当てて確認する。濡れた服はできるだけ乾かしてはいるものの、意識は戻るとは限らない。
やれることはやった。後は、目が覚めるのを待つくらいだ。
「シロコちゃん、後輩って言ってたけど....」
「ん、セリカ。私の後輩」
「後輩って、同じ....えっと、アビドス学園の?」
「そう」
シロコは短く頷いた。
シロコの声は相変わらず淡々としていたが、背負った少女の体をずり落とさないよう支える腕には力が入っていた。
きっと、私と同じことを考えているのだろう。
シロコがこの世界に来たように、セリカも――いや、もしかしたら他の生徒たちも――。
「ケホッケホ....!」
突然、セリカと言う少女が咳き込んで起き上がった。
「ここは....?」
「よかった、起きたみたいだね」
「あ、シロコ先ぱ....い?」
一瞬、シロコの姿を見て安堵したが、困惑の顔が広がっている。
私と同じ、この四角い姿に困惑しているのだろうか。
「えっと、シロコ先輩....で、あってる?」
「ん、あってる」
おそらく、彼女の言うシロコで間違いは無い。
ただ、やはり私と同じ丸みを帯びた世界にいたのか困惑の顔が広がっていた。
セリカの視線は、シロコの四角い輪郭を何度もなぞるように動いていた。自分の手のひらを見て、なぞって、また顔を上げて、もう一度シロコを見る。
丸みを帯びた世界から来たセリカにとって、この立方体で構成された世界は――私がそうだったように――受け入れがたい現実だと思うのは簡単だ。
「え、えっと....」
「とりあえず、落ち着いて」
私がこの世界に来た時と同じような反応をしているセリカの肩を置いてなだめながら、話を続けた。
途中、アンペアが割り込みながらもこの世界について話を続けた。
「えっと、その....この世界だとなにもかもがカクカクってこと?」
「ん、そうみたい」
「....どうやったら戻れるの?」
「分からない。今はアレックスたちと一緒に行動するしかない」
「そんな....アビドスの借金は誰が返すのよ....」
借金?
セリカの言葉に、部屋の中が一瞬静まり返った。
借金、という単語がこのカクカクした世界の空気に溶け込まず、妙に重く響いた。アビドス学園の借金――シロコの話から、彼女たちの世界ではそんな深刻な問題を抱えていたらしい。
だけど、ここではそんな現実が遠く感じる。
木を素手で壊したり、雑草から種が出たりする世界で、借金なんて概念が浮かんでこない。
日は既に沈んでしまった。外ではモンスターが闊歩している時間帯だろう。
「借金....って、アビドス学園の?」
私は思わず尋ねた。
セリカはベッド代わりの石の上に座ったまま、力なく俯いた。
「そうよ....」
「....まあ、まずは落ち着いて。借金のこと詳しくはわからないけど、まずは生き抜かないと。幸い、住むところはここがあるから。食べ物とか....水とか」
アンペアが部屋の隅から声を掛けた。彼女はランタンを調整しながら、穏やかに言った。
その言葉は現実的だが、なんだか心強い。
彼女は空になったバケツを置いて、セリカに近づいた。
「ほら、まずはこれ飲んで。体を温めてから考えよ?」
アンペアは魚のスープを手渡した。
昼間にシロコが取ってきた物を調理したものだ。
「....あ、ありがとう」
「ほら、シロコちゃんの分もあるよ」
「ん、ありがとう」
私も、アンペアが作った魚のスープを受け取ってそれを食べる。
スープは、鍋代わりの木のボウルに注がれただけのシンプルなものだった。
このカクカクした世界で、生き延びるための最低限の食事――それが、なんだか本物の安心感を与えてくれる。
スープを飲み干す頃には、胃袋がじんわりと満たされていく感覚が広がった。
少なくとも今、この瞬間は生きている実感が湧いてくる。
「ただ、ちょっと食べ物がね....」
しかし、アンペアの不安の種は拭えないようだった。
アンペアの視線は、部屋の隅に積まれたわずかなリンゴの山や、煮詰めた魚の残骸に注がれていた。
今日一日で集めた種を植えた畑は、まだ芽すら出ていない。成長には数日かかるらしいけど、4人分には足りないだろうし、それまで頼れるのは海の魚とリンゴだけ。
人数が増えた今、細々とした生活がより一層厳しくなっている。
「明日はもっと取ってこよっか?」
「いや、魚だけじゃ足りない。どこからか、分けてもらわないと」
「どこからかって、そんな場所あるの?」
「ここから東に向かったところに小さな村があるの。明日はみんなでそこに向かうわよ」
アンペアの言葉に、部屋の中が静かに活気づいた。
村、という響きが、少しの希望を灯すようだった。外はすでに夜の闇に包まれ、遠くからモンスターのうめき声が聞こえてくる。だが、今はそれさえも、明日への準備の合図のように感じられた。
「村か....どんなところなんだろう」
私が呟くと、アンペアはランタンの光の下で地図のようなものを広げた。
いや、地図というより、彼女の記憶をスケッチしただけの粗い紙切れだった。
四角い線で描かれた道筋、木の群れ、そして小さな家々の集まり。
アンペアはそこに丸を付けて場所を教えてくれた。
「200ブロック先にあるの。小さな村だけど、交易ができるし、食べ物も手に入るはず。村人たちは....まあ、変わってるけど、悪い人たちじゃないよ」
アンペアの言葉に、私は少しだけ不安を覚えた。
この世界で"変わってる"って、どういう意味だろう?
きっと私たちと同じように四角い体をしているんだろうけど、それ以上の何かがあるのかもしれない。
「明日の朝、早めに出発しよう。みんな、今日はゆっくり休んで」
アンペアがそう言って、ランタンを少し暗くした。
石の床に横になりながら、私は天井を見つめた。
明日は、きっと何かが変わる。
不安を紛らわしながらも、どうにか今夜は眠りについた。