四角い太陽が西の空を赤く染め、長い影が地面を這い始めた頃。
ガレージの中から、これまでとは明らかに違う、重厚な金属の駆動音が響き渡った。
「――どいて! 通るわよ!」
アンペアの鋭い号令が飛ぶ。
ズルリ、と闇の中から引きずり出されたのは、煤と油にまみれながらも、どこか神々しさすら纏った鉄の巨躯だった。
「せーのっ!」
シロコたちが車体に肩を入れ、セリカとノノミ、さらには見守っていた街も人たちまでもが、吸い寄せられるようにその冷たい鉄に手をかけた。
全員の力が一つになり、長年眠りについていた動かぬガラクタが、ゆっくりと、だが確実に外の世界へと押し出されていく。
夕闇が迫る広場に出た瞬間、磨き上げられた表面の板が沈みゆく陽光を鏡のように跳ね返した。
「明日までって言ったけど、かなり早く終わっちゃった。さあ、約束通り動かしてあげるわよ!」
彼女が額から流れた汗を拭き取り、機械の側面にあるレバーを渾身の力で引き抜く。
――ガシュンッ!!
内部で凝縮されていた蒸気が、溜まりかねたように真っ白な飛沫を上げて吹き出した。
「そんな....まさか....」
野次馬の最前線にいたガレスが、言葉を失って立ち尽くしていた。
彼が知っていたそれは、錆びつき、動くはずのない死体のような鉄クズだったはずだ。だが今、目の前にあるのは、すべての歯車が精緻に噛み合い、再び呼吸を始めた街の心臓そのものだった。
アンペアは油まみれの顔で、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ごめんね、明日にって約束を守らなくて。で、どう?ご自慢のガラクタが動き出した姿は」
ガレスは、ゆっくりと機械に近づいた。
恐る恐る、というより——確かめるように。
震える手をその側面に押し当てると、内側から伝わる振動が掌を揺らした。
温かい。動いている。
男の喉から、言葉にならない音が漏れた。
目が赤くなっているのは、立ち上る蒸気のせいだけではないかもしれなかった。
「さて、約束通り食料をちょっともらってもいいかしら?」
「....俺もそんな約束を守らない奴じゃねぇ」
そう言い、腰ポケットから一つのポーチを取り出して手渡してきた。
中をひっくり返すと、小麦の俵のブロックが5個コロコロ手の平に出てきた。
「これで、少しは安泰ね」
アンペアは安堵のため息をついた。
「それで、お主達はこの後どうするんじゃ?到底戻れる時間ではないが....」
「あ~....そう言えばもうすぐ夜になっちゃうね」
赤く染まった空を仰ぐ。
高い城門に遮られ、沈みゆく太陽の正確な位置は見えなかった。だけど、肌をなぞる冷たさと、急速に闇に染まっていく空の色が到底帰れる時間ではないことを告げていた。
「今からアンペアの洞穴に戻る時間はなさそうだね....」
「なら、宿を貸そう」
思わず、アンペアと顔を見合わせた。
この街の余裕のなさは、今日一日で嫌というほど分かっていた。
けど、まさか宿が借りれるとは思わなかった。
「え、本当!?」
「あぁ、君たちはよく働いてくれたからな」
「それは助かります~。じゃあ、お言葉に甘えてお借りしちゃいますね」
長老が先導する形で後ろをついて歩く。
夕日が背中を押すように、私を含めた五人と長老の影を石畳の先へと長く伸ばしていた。
後ろの方では、セリカがノノミに今日までにあったことを話しているのが聞こえてきた。
疲れていた。体も、たぶん頭も。
それでも、足だけは前へ動いた。
「ところで、ひとつ聞きたいのだが」
最前列を歩いていたシロコに、長老が後ろ越しに静かに話しかけていた。
「その背中の武器は——なぜお主たちが持っている?」
「....元々持っていた」
「そうか」
長老はすぐには続けなかった。
石畳を踏む足音が、しばらく二人の間を満たした。
「ひとつだけ、老いぼれの話を聞いてくれるか」
「....いいけど」
「武器というものはな、向ける相手によって守る物にも、奪う物にもなる。お主はまだ若い。だからこそ——向ける前に、その先に何があるかをよく見なさい」
シロコは答えなかった。ただ、前を向いたまま、少し首を傾げた。
長老は一瞬だけその横顔を見て、ただ視線を道の先に戻した。
それ以上は、何も言わなかった。
宿に着くと、笑顔で宿主は出迎えてくれ、六人用の広間を自分たちのために開放してくれた。
それに、食事まで用意されていた。
....とは言っても、決して豪華なものではない。いつもの見慣れた硬いパンと、皮ごとの切られたジャガイモが入ったスープに塩をまぶしただけの質素なものだった。けれど、冷えた体に温かい食事が用意された、それだけで今は何よりもあったかい。
「ふぅ、質素な味だと思っていたけど、中々いけるわね」
「ん、おいしい」
気づけば、三人の皿はもう空になっていた。
「それにしても、この街のことを知っていくと、なんだか私たちの学園と同じ感じがしてくるわね....」
「そうですね。だからなのか、放っておけないというか....」
セリカたちの会話が、湯気と共に穏やかに流れる。彼女たちは、滅びゆくこの街の姿に自分たちが通っていた学園の影を見ているようだった。
「アビドスってどう言うところなの?」
自分が素朴な疑問を口にすると、三人は一瞬だけ顔を見合わせ、それから少し遠くを見るような目を向けた。
「....昔はね、キヴォトスでも最大級の自治区だったのよ。見渡す限りの広大な土地と、多くの人がいて。砂漠化が進む前は、おっきな祭りができるくらい本当に活気のある場所だったんだから」
セリカが誇らしげに、だけど、どこか寂しげに語り始める。
かつてのアビドス。
それは今のこの枯れ果てた街とは比較にならないほどの繁栄を極めていたという。しかし、止まることのない砂嵐が街を飲み込み、人々は去り、今や残されたのは広大な廃墟と彼女たちが守るたった一つの校舎と莫大な借金だけ。
「ん、今はもうほとんどが砂の下。....でも、私たちの居場所はそこにある」
シロコの短い言葉には並大抵ではない覚悟が宿っていた。
聞けば聞くほど、この街の現状と重なる部分があるように感じた。
外から見れば、もう手遅れに見えるのかもしれない。それでも、そこに住む誰かにとっては何にも代えがたい大切な日常なんだと。
「じゃあ、帰る方法を早いところ見つけないとね」
自分はそう応えながら、スプーンで木皿の底に残ったスープを掬い、ゆっくりと口に運んだ。
スープの味は相変わらず薄い。けど、体は暖まった。
その時、後ろのテーブルから声が聞こえてきた。
「この辺りでも奴らの活動が増えたな」
振り返らずとも、その声には聞き慣れない張り詰めた空気があった。
後ろの席に、厚手の外套を羽織った男たち数人が、酒杯を傾けながら声を潜めて話している。腰にはシロコ達が持っていた同じ銃の物のような影。旅人というより、何かの組織に属している人間の雰囲気だった。
「ヴォルクス・リベレーターね....。確か、この街の周辺だとベルダとか言う奴が指揮官だったか」
「ベルダって、あのザ・ブロック・シティを一人で守り抜いたとか言う英雄か?」
「あぁ。なんでも、東の森で大規模な伐採があった後から暴れてるみたいだ」
「誰がそんな真似を....」
「分からない。ただ、奴らが保護しているモンスターの縄張りに思いっきり引っかかっていたみたいで....それで報復のために周囲の街を襲撃しているとかって話だ」
「そうなると、この街もいつ襲われるか分からないな....」
「そんな奴に、俺たちが勝てるのか?」
「いや、コバット隊長ならやってくれるさ」
知らない名前ばかりだ。
この世界にも、自分たちの知らない争いがあるらしい。
「そう言えば、ザ・ブロック・シティと言えば有名な赤石重工があったがあれは今どうなってる?」
「
「いや、その部門は数日前に
「その爆発、
「ここまでひどいと、なんかの陰謀を考えちまうな」
スープを飲む手が止まった。
爆発事故。
アンペアが言っていた
「それにしても、
「前にもあったな。レードロードの機関車のブレーキが効かなくて大変な事態になったって」
「噂だけど、その二つの不具合、社長の子供が関わった部品が不具合起こしたらしいよ」
「っは、自分の子供の実績欲しさに任せてリコールされたってわけか。冗談じゃねえ」
笑い声が上がった。
「アンペアさん?」
セリカの声が聞こえた。
振り返ると、アンペアは静かに立ち上がった。
椅子を引く音もなく、誰かに声をかけるわけでもなく。
ただ、スープの皿をそのままにして、二階へと続く階段を上がっていく。
スープの皿だけが、半分ほど残されたまま置かれていた。
「あの、アレックスさん」
「ノノミちゃん、どうしたの?」
「その....忘れ物をしてしまって、少しお片付けをお願いできますか?」
「わかった、気をつけてね」
ノノミは席を外して外に行ってしまった。
テーブルに、三つの皿が残っている。空になったノノミの皿と、残っている自分の分と、アンペアの分。
どちらも、もう冷めているだろう。
自分の分も同じようにして、立ち上がる。
アンペアの皿を手に取って、厨房の返却口に置いた。
厨房を後ろ目に、残った三人で階段を上がった。
「そういや、この辺りでも放浪者が増えてるらしいな」
「あぁ、知ってる。中には角とか、翼が生えているやつがいるとか....」
「どういうことだよそれ?」
下から聞こえてきた続きの会話。
その言葉が妙に耳に残った。
「疲れた~....早くベットに寝っ転がりた~い」
一段ごとに、木がきしんだ。
セリカが肩を回しながら愚痴をこぼす。シロコは何も言わず、ただ後ろをついて上がってきていた。
廊下の突き当たり、部屋の扉が少しだけ開いている。
セリカは気にした様子もなく、そのまま勢いよく押し開けた。
扉を開けると、アンペアは窓際に立っていた。
振り返らない。外を見ている。
街の明かりが、暗闇の中にぽつぽつと灯っていた。
セリカは一瞬だけ空気を読んだのか、それとも単純に疲れ果てていたのか、何も言わずにベッドへ倒れ込んだ。ボフっと毛布の音がした。
自分は、アンペアの傍によって小さい声で聞いた。
「....アンペア」
彼女はすぐには応えなかった。窓ガラスに映る自分自身の瞳を、じっと見つめているみたいだった。
返事はなかった。けど、アンペアの指先が窓の桟を白くなるほど強く掴んでいるのが見えた。
「さっきの話、聞こえてた?」
「....聞こえてたよ」
声は驚くほど平坦で、それだけだった。
否定もしない。説明もしない。ただ、窓の外の明かりを、ただ見ている。
「前にも言っていたけど、
「聞かないで」
静かな声だった。
怒っているわけじゃない。ただ、今は話せない――そういう声。
しばらく、黙っていた。
街のどこかで、風が木を揺らす音がした。
「....ごめん」
「アレックスが謝ることじゃないよ」
アンペアは、それきり静かになった。
彼女はそう呟くと、掴んでいた窓の桟からゆっくりと手を離した。その指先は、かなり冷え切っているように見えた。
その時、廊下からカチャカチャと金具がぶつかり合うような音が聞こえてきた。
それから、何かが壁に当たる鈍い音。少し間があって、またカチャカチャ。
「お待たせしました~」
扉の縁に気をつけながら、ノノミが横向きになって入ってきた。
白と緑でデコレーションされた、明らかに普通ではない大きさの銃を抱えて....。
アンペアが、思わず窓から視線を外した。ベッドに倒れ込んでいたセリカも、むくりと顔を上げる。
「ノノミちゃん、それ....なに?」
ミニガンというものなんだろう、とは分かる。
よくよく考えれば、シロコの銃も、セリカの銃も、それぞれどこか個性が出ていた気がする。シロコのは無骨でシンプル、セリカのはどこか威圧感がある。
でも、これは別格だ。白と緑のデコレーションが、物騒さをどこかポップにしている。
「私のお気に入りなんです~」
ノノミは特に気にした様子もなく、まるで大事なぬいぐるみを紹介するような顔で銃身を撫でながら言った。
「いや、まぁ、"そういう物"ってのは分かるけど....よく持ってこれたね」
「結構すごいね....私も初めて見たよ」
アンペアが珍しそうに覗き込んだ。あれだけ悩んでいた様子だったのに、今じゃノノミが持ってきたこの銃に興味津々。
さっきまで張り詰めていた空気が、いつの間にかどこかへ行っていた。
窓の外の街の明かりは変わらずぽつぽつと灯いている。だけど、部屋の中は少しだけさっきより温かくなった気がした。
「お~い、お主達まだ起きているか?」
扉の外から声が聞こえてきた。
扉を開けると、さっきここの宿まで案内してきた長老が立っていた。部屋には入らず、ただ扉の前で待っている。
ランタンの明かりが、廊下からその顔を照らしていた。
「夜遅くにすまんな。ところで、今は大丈夫か?」
「大丈夫だけど....」
「あの後、この街の物たちで話し合ってな。なんでも、友達とはぐれたとか....」
長老は部屋の中をゆっくりと見回した。
疲れた顔の子供たちを、ただ静かに見ている。
長い時間をかけて多くのものを見てきた人間だけが持つ、そういう目だった。
「もし、この街に残ってなにか手伝ってくれるなら、総出で探すこともできよう」
「本当?」
「あぁ。とは言っても、期待するほど人は割くことはできんが....それでも、人手はいればいるほどいいだろう」
「どうする?」
自分はアンペアとシロコたちと顔を見合わせた。
友達、という言葉が頭の中で少しもやもやする。
シロコたちには、名前も、顔も、はっきりと思い浮かぶ探している仲間がいる。
自分には——分からない。この世界に来る前の記憶にある名前も、顔も、ない。
それでも、どこかに誰かがいるような気がする。
根拠はない。ただの気がするだけだ。
自分には関係ない話かもしれない。
でも、シロコたちには探している仲間がいる。それだけは確かだ。
「私は....賛成」
シロコが最初に声を上げた。
「私もいいですよ」
ノノミも手を挙げた。
「セリカは?」
返事がなかった。
見ると、セリカはすでに枕に顔を埋めていた。
「....ふぇ?まぁ、別にいいわよ~....」
くぐもった声が枕から漏れてくる。
体はもう半分眠っているのか、返事をしながら足をばたつかせた。
聞いていたのか、聞いていなかったのか。たぶん、どっちでもよかったのだろう。
「まぁ、どうせ居座るつもりだったし」
アンペアはぶっきらぼうな言い方だったけど、その口元が少しだけ緩んでいた。
「じゃあ、明日から頼めるか?」
「まぁ、内容にもよるけど」
「....よかった」
それだけだった。
でも、その一言の重さは、長い話より確かだった。
長老は静かに頭を下げて、廊下へと戻っていった。扉が、そっと閉まる。
部屋に残ったのは、五人とランタンの明かりだけだった。
「じゃあ、寝よっか」
アンペアがランタンの火を絞った。部屋が薄暗くなる。
ベッドに横になった。
背中に伝わる木の感触が、妙に懐かしいような、温かいような。
洞穴の石の床と比べると、格段にましだ。
いや、ましどころじゃない。
あの石の床は冷たいし、硬いし、寝返りを打つたびに背骨が主張してくるし——そもそも、あれを"寝床"と呼んでいいのか今でも疑問だ。
このベットのふかふかを経験したら、しばらくは石の上には寝られない。
明日のことを考えようとしたけど、頭が動かなかった。
何から始めればいいか、何が待っているか、何を探せばいいか——全部、明日の自分に任せることにした。
目を閉じると、波が引くように意識が遠くなっていった。
洞穴の石の床の上では、こんなに素直に眠れなかった気がする。
街の明かりが、窓の外でまだぽつぽつと灯いている。それを最後に見たような、見ていないような。