真っ暗な空。大地を覆い尽くすかのような漆黒の空間に、星はない。
だが、ここは完全な暗闇ではなかった。地平線の先――この世界には存在しないはずの果て――が、不気味に淡く発光している。
浮遊する白亜の角張った島々。不規則に生える紫色の植物。
そして、その隙間を闊歩する、背の高い影。
「う~ん....」
くたびれた白衣と、その下から覗くセーラー服。
ゆるく結った桃色の髪が、重力を無視して漂う紫の粒子の中で静かに揺れている。
小鳥遊ホシノ。
彼女は無造作に頭をかき、周囲を見渡した。
「....寝違えちゃったかな?」
ふと、自分の手に目が落ちた。
四角い。指も、手首も、腕も——全部、ブロックのような形をしている。周りに浮かんでいる白亜の島と、同じような形に。
ホシノは少しの間それを眺めて、それから特に気にした様子もなく視線を上げた。
視界の先には、人という原型を留めながらも、到底人間とは形容しがたい存在がいた。体長の二倍はある細長い手足。全身から立ち上る紫色の粒子をまとってそこら中を闊歩している。
ふと、目が合った。
細長い影がぴたりと動きを止める。
まずい——本能的にそう感じた瞬間、ホシノの手が腰元に伸びた。
ない。銃がない。
影がゆっくりと口を開け、体を向ける。あの長い腕が、持ち上がり始めた。
——パンッ。
乾いた銃声が、虚空に響いた。
影が揺らいで、紫の粒子を散らしながら消えていく。
「うほぉ~、誰かと思ったら~」
制服の裾を揺らしながら歩いてくるのは、見慣れた顔だった。
形こそ違うが、白髪をきっちりと整え、銃を構えたまま周囲を警戒している。その肩から腕にかけて、紫がかった光の粒子がふわりと漂い——やがて、溶けるように消えていった。
「小鳥遊ホシノ....」
「風紀委員の委員長さんがまさかこんな所にいるとはね~」
「....ここはどこか分かる?」
「残念だけど、おじさんにはさっぱりだよ」
ヒナはホシノを睨みつける。だが、その瞳に嘘はない。ホシノもまた、状況を把握し、あぐねているようだ。
「ここがあの世ってところなのかもねぇ~」
「ふざけないで」
「はいは~い」
ホシノは肩をすくめ、浮遊する大陸と小島を眺める。不気味な植物と、紫のオーラを纏う異形の影。どれをとっても、常識の外側にある光景だった。
「....ところで、あなた。銃は?」
ヒナの問いかけに、ホシノは腰元に手をやる。当然、そこにあるはずの愛銃は存在しない。
「それがね~、腰に付けていたんだけど、どこかに行っちゃってさ~」
「....」
「物忘れが激しくなっちゃって、おじさんもうダメだよ~」
ヒナは溜息をつき、静かに影のほうを向いた。
「それにしても、ここは何というか~....。まるで、滅んだ世界みたいだね」
「ここにいる人みたいなやつらは、目を合わせると襲いかかってくるわよ」
「うへ~大変だ~」
ホシノは両手を頭の後ろで組んで、のんびりと空を仰いだ。
星のない、果てのない黒。それでもホシノは、まるで公園のベンチにでも座っているような顔をしていた。
「ところで、委員長さんはどうやってここが分かったの?」
ヒナはポケットから、こけのような色合いのボールの様な球体を取り出した。
「あの生き物が消えた時に、光る石みたいなものを落としていったから、それを拾って投げたら、気づいたらここにいた」
「へぇ~、変わったやつだね~」
「ホシノ以外に誰かいないの?」
「いやぁ、起きたばっかりだからな~んもわかんないや」
「今は少し安全な場所に移動しましょう。もしかしたら、話せる人がいるかもしれない」
二人は並んで歩き始めた。
足音だけが、この静かすぎる世界に響く。
浮島と浮島の間には、底の見えない暗闇が広がっている。落ちたら終わりだと分かっていても、ホシノの歩調はどこかのんびりしていた。
ヒナは何も言わず、ただ前を見ている。
星のない空の下、二人の影だけが、果てのない世界に伸びていった。