翌朝。
まだ日の光は見えず、家も照らされていない朝に、宿の前で井戸から汲んだ水バケツで顔を洗い流した。
冷たい。目が覚める。布団の中に戻りたいという気持ちが、綺麗さっぱり消えた。
宿の前で、シロコたちの三人はもう起きていた。
「みんな早いね」
手の水滴を払いながらそう言った。
「まぁ、慣れてるからね」
セリカが目の下を指でこすりながら答えた。
眠そうだ。でも、ちゃんと起きている。
「慣れてる?」
「うちの先輩がね、よく寝坊するのよ。起こしに行くのが日課になってるから、朝だけは嫌でも目が覚めちゃうの」
「へぇ、大変だね」
「大変なんてもんじゃないわよ。布団から引き剥がしても、次の瞬間にはまた丸まってるんだから」
シロコが小さく頷いた。
「ん。ホシノ先輩はいつもそう」
「でしょ!」
セリカが勢いよく同意した。眠そうな顔が、少しだけ生き生きとした。
「ノノミちゃんは?」
「私はそこまでは....でも、教室で寝ているところを起こしに行くと、大抵もう一回寝ちゃうのでドアを開けたままにしますね」
「それでホシノって先輩は起きるの?」
「布団をどこからか取り出して寝ていました」
三人が、それぞれ少し遠い目をした。
間があった。苦労してきたんだな、というのは聞かなくても分かった。
そこへ、宿の扉が開いた。
「あれ、もう外にいたの」
アンペアだった。靴を履きながら、つま先をこつこつと石畳に叩きつけている。
「アンペアの方が遅かったね」
「ウチ、夜型なんだよね」
ぼさついた髪を片手で押さえながら、アンペアはあくびを噛み殺した。
どうやら、この中で早起きが得意なのはこの三人だけみたいだった。
「それで、手伝うって言ってもなにをすればいいの?」
「そうだね....機械とか配管とかならウチはできるけど....」
アンペアは少し考えるように腕を組んだ。
「えっと....アレックスは、クラフトできるから....瓦礫とか、壊れた建物の修繕とか?」
「分かった」
「シロコちゃんたちは....」
三人を見渡して、また少し止まった。
「体力はありそうだから、重い物の運搬とか....あと、なんか得意なことある?」
「一応、銃は使えるけど」
「それは多分、今は必要ないかな....」
シロコが若干不満そうな顔をした。
「まぁ、とりあえずみんな瓦礫を片付けることとか....かな?」
「わかった」
「ウチはあのガレスとか言う奴に、なんか聞いてくるよ」
それだけ言って、アンペアは先に歩き出した。
誰かの返事を待つわけでもなく、振り返るわけでもなく。
セリカが小声で呟いた。
「....仕切るの、慣れてないのね」
「ん」
それに、シロコが短く同意した。
いつの間にか、日が道を照らし始めていた。
ひんやりとした雰囲気が、一日が始まるみたいにぽかぽかに変わり始めていた。
道ばたには、建物の瓦礫や盛り上がった土で整備されてない裏路地みたいで、レンガの隙間から草が「こんにちは」している。
あちこち、でこぼこだ。昨日も歩いている時、少し気になっていたけど骨が折れそうな作業量だった。
「改めて見ると骨が折れそう....。まぁ、砂の掃除を毎日するよりかはマシだろうけど....」
セリカがそう溢した。
「と言うか、道具はどうするのよ。まさか素手でやれっての?」
「多分、素手でいけると思う」
自分がそう答えると、セリカが固まった。
「....は?」
「木は素手で壊せたから、石もいけると思う」
そう言いながら、近くに転がっていた石のブロックに手をかける。
アンペアの洞穴の前で木を切った時と同じ掘るイメージで、腕を振った。
ゴンッ。
「いった....!」
手を引っ込めた。じんじんする。さっきセリカが「骨が折れそう」と言っていたが、冗談じゃなかったかもしれない。
それにも関わらず、石はびくともしていなかった。
「なにやっているのよ....」
セリカが半眼で言った。
「いや、木はいけたから....」
「木と石が同じわけないでしょ....」
そうだ、この世界は物理法則が気まぐれだ。木が素手で壊れるからといって、石も同じとは限らない。ルールも気まぐれなんだった。
セリカが呆れたようにため息をついた。
そのすぐ横で、ノノミがくすくすと笑っている。
シロコだけが、無言でこちらの手を見ていた。
「....大丈夫?」
「大丈夫」
じんじんはしているけど。
「....道具がいるね」
「だからそう言っているでしょ」
気を取り直して、ポケットを探る。
アンペアの洞穴の前で切り倒した1個の木のブロックが入っていた。
棒と石...いや、別の物でもあれば——頭の中で、自然と答えが浮かんだ。
だけど、"なにかできそう"とは思うものの、これをどうする?
石の剣を作った時は作業台があったからできた。今は作業台がない。この木材自体をどうしよう?
そう言えば、あのガレージの中でネズミ色の豆腐を作ったことを思い出した。あの時は確か、押し込んだはず。
じゃあ、この木材をどうする?叩く?押し込む?どっちも多分だめだ。
けど、押して駄目なら引いてみろと、昔の偉い人は言ったはずだ。
そうと決まればと、木材を両手で掴んで、思いっきり引っ張った。
ポテチの袋を勢いよく開けた時みたいな感じで。ふんぬぅぅぅ!
——途端に、抵抗が消えた。
目を足元に、淡い黄色の平たいブロックが四つ転がっていた。
板材だ。木目がそのまま薄く伸びた、見覚えのある形。
「今のどうやったの!?」
セリカが叫んだ。それでも、多分自分の方が驚いている。
拾い上げて、手の中で確かめる。軽い。でも、ちゃんとした木の感触がある。
横で黙って見ていたシロコが、自分の木材を両手で掴んだ。
少し間を置いて——引っ張った。ポコッ、と音がして、四つのブロックが散らばった。
「....できた」
シロコは特に驚いた様子もなく、転がったブロックを拾い上げた。
「ちょっと一つ貸して!」
セリカがシロコの手からブロックを一つ取る。
両手で掴んで、顔に力を込めた。
「ふぎぎぎぎ....」
びくともしない。
「もっと強く」
「これ以上って....ふんぬぅぅぅぅ!!」
――バンッ。
ブロックがはじけ飛んでおでこに当たった。背を反りながら、セリカが後ろに倒れ込んで石畳に背中をぶつけて、鈍い音がした。
「....大丈夫?」
「だ、大丈夫よ!見てないで!」
ノノミがくすくす笑いながら手を差し伸べた。セリカは真っ赤な顔のまま、その手を掴んだ。
その様子を視界のわきに、板材を手の中で転がしながら、頭の中でなにかが繋がった。
これを四つ組み合わせると——作業台が作れる。
なんで分かるんだろう。でも、分かる。
板材を四つ、お互いを圧縮するように押し込むようなイメージで——
ポン、と軽い音がして、木の箱のようなものが目の前に現れた。
「....へぇ」
「え、今の何!?」
アンペアの洞穴で剣を作った時と同じような作業台が目の前に小さく転がっていた。拾い上げて、手の中で確かめる。
でも小さい。これじゃ使えない。ただ、地面に置けばどうなるか——試してみた。
すると、作業台が地面にぴたりと収まった。さっきまで手のひらサイズだったものが、ちゃんとした大きさになっている。
もう何も突っ込まない。この世界の気まぐれにも、少しずつ慣れてきた。
棒を二本、木を三つ。組み合わせる順番まで、なぜか分かる。
手を動かそうとして——止まった。
木材が、ない。 さっき板材に変えてしまったから、手持ちの木がなくなっていた。
思わず呟くと、シロコがこちらを見た。
「シロコちゃん、どうしたの?」
「私がやってみる」
そう言われて、シロコはポケットから木材を取り出して、作業台の前に立った。
少しの間、作業台をじっと見つめる。
それから、静かに手を動かした。
ポン、と軽い音がして——木のツルハシができた。
シロコは特に驚いた様子もなく、出来上がった木のツルハシを手の中で確かめた。
「え、シロコ先輩もできるの!?」
「ん、なんとなく分かった」
そう言うとシロコは出来立てほやほやのツルハシを、さっきびくともしなかった石のブロックに振り下ろした。
ガン、という確かな手応え。ヒビが入った。
ガン、ガン——ボコッ。
石のブロックが、手のひらサイズに縮んで浮いた。
「....いける」
シロコはそれを拾い上げた。でも、掘った石とは違ってなんか模様が違うような....。
物質まで変わるのかと思ったけど、そう言えばそこら辺の雑草から小麦の種がとれるんだった。物質の変化だって、この世界じゃ普通なのかも。
「セリカも、やってみる?」
「え、私も?」
セリカが少し躊躇してから、作業台の前に立った。
見よう見まねで木と棒を並べようとして——。
「こう?」
「もう少し上」
「こっち?」
「そこじゃなくて」
作業台の前でしどろもどろになりながらも作ろうとするセリカの横でシロコが誘導すること、しばらく。
ポンっと、軽快な音が聞こえて同じようなツルハシが作業台の上に現れた。
セリカが目を丸くした。
自分で作ったツルハシを、まじまじと眺めている。
「....なんか、悔しいくらい簡単にできたわね」
三人並んでツルハシを眺めた。アンペアが「クラフトができるみたい」と、言っていたのを思い出す。
これが、そういうことなんだろうか。
「あれれ~?誰かと思ったら~」
声を掛けられた。また新しい声。
振り返ると、そこには見知らぬ子が立っていた。
白の髪を一本にまとめた小柄な子で、黒と赤のチェック柄の服と短いスカートを履いていた。気軽な調子でこっちに手を振っている。よく笑う顔つきで、陽気な感じだった。
「あんた....一体ここで何をしているの....」
「こっちの台詞だよ。君たちこそ、なんでここにいるの?」
セリカの声が低くなった。威嚇するような、そんな感じ。
「知り合い?」
私がそう聞くと、セリカの表情が微妙に曇った。
「知り合いと言うよりかは、面倒な奴....」
「面倒ってちょっと失礼じゃない?色々とそっちに協力したりもしたじゃんか~?」
その子は、にへっと笑った。セリカはその笑顔を横目でいちべつしてから、視線を外した。
「そこの人とは初めてかな?ムツキって言うよ、よろしくね~」
ムツキ、と名乗った子がこちらへ手を差し出してきた。握り返すと、案外しっかりした力だった。
「アレックスって言う。よろしく」
「へぇ~、変わった名前だね」
「自分でもそう思う」
シロコとノノミの反応が、なんとなくセリカと違う気がした。
シロコはなにも言わず、ノノミは少し困ったような感じだった。
「シロコたちとどう言う関係なの?」
「いや~、友達って感じだよ」
「誰が友達よ....」
セリカはムツキをじっと見る目に、警戒の色がにじんでいた。
「ムツキ、ここでなにをしているの....」
「あ、課長!」
ムツキという子の後ろから、もう一人現れた。
白の短髪に、眉間に垂れ下がる髪と結び目から先の髪を黒で染めていた子が出てきた。
「ちょうどよかった~。こちらは便利屋68の課長、鬼形カヨコで~す」
カヨコと紹介された子には角(?)みたいな生えている物が後ろ髪の方にある。このムツキって子より背丈は高い感じだけど、雰囲気は正反対で、なんとなく警戒しているような目つき。近寄りがたい印象を受ける。
「君たちもここにいたんだ」
だけど、表情とは裏腹にどこかしっかりと優しいような感じの声がした。
「揃いにそろって、何を企んでいるって言うの?」
「別に、ただこの街で保護してもらっているだけ」
そして、こう聞いてきた。
「ところで、社長は見なかった?」
「知らないわよ、あんたらのことなんか....」
「少なくとも、この街に来るまでは見てない」
「そう....」
俯かずに、目を瞑った。そして、再び目を開けて、こっちをまっすぐ見た。
「この街の周りで起きていることは、私たちだけの話じゃないみたい」
独り言のような、でも確かにこちらに向けられた言葉だった。
「まぁ、長居するつもりなら気をつけて。ここは昨日と明日が違う場所だから」
それだけ言って、カヨコは路地の方へ歩き出した。ムツキが「またね~」と手を振りながら、その後をついていく。
難しい言葉だ。昨日と明日がちがうってどう言うことだろう。
ただ、その背中をただ眺めるくらいしかなかった。
ふと、路地の奥に目が留まった。昨日の宿で見たのと同じ格好の男が、何重にも布をかぶせた荷台を壁に寄りかかりながら引いている。重そうだ。男は見るからに痛そうに、腰をかばいながらうずくまっている。
「あ、ちょっと、そこの子供達」
気づかれたのか、その男が顔を上げてこちらに声をかけてきた。
「悪いけど、腰を痛めてな....。これを古びた倉庫まで持って行ってくれないか?」
「いいよ、任せて」
「助かるよ。ちょっと遠いけど、このまままっすぐ進めば村の入り口のすぐ傍に見えるはずだから」
男が道順を教えてくれる間も、腰を押さえたまま動けないでいた。
荷車の取っ手を握る。
「うぉ....」
重い。思わず声が出てしまった。何が入っているのかと思うくらいに重い。
「一体....何が載っているのよこれ....」
セリカが後ろから押す。ノノミも加わる。
四人がかりでようやくゆっくりと動き始めた荷車を、指示された方へと引きずるように進んでいった。
石畳の継ぎ目を越えるたびに、ガタン、ガタンと石を蹴る音が鳴る。
「岩でも積んでる?」
「そんなことないと思うけど....」
「でも岩くらい重いぃぃ....」
とにかく重い。途中、引く人を交代しながらも運んだが小さな段差で躓く事が多い。
荷車を引きながら、自然と街の様子が目に入ってくる。
焦げた跡が残る壁。崩れたまま放置されたレンガの山。その隣で、黙々と石を積み直している老人がいる。
「....この街、昨日も同じ光景だったのかな」
セリカが呟いた。誰も答えなかった。
途中、瓦礫の上で子供が二人、鬼ごっこをしているところを見た。
笑い声だけが、妙に明るく響いている。
「ノノミ先輩、ここの人たちに話しかけてたの見てたけど、なんか聞けたりした?」
「えっと....みなさん、あまり話したがらないんですよね」
ノノミが少し困ったように続けた。
「でも、子供たちは話してくれて。ここ最近、夜になると遠くで音がするって言っていました」
「音?」
「カサカサって草が揺れる音とか、どーんって銃声とか....」
荷車がまた段差に引っかかった。四人で力を込めて、引っ張った。
「交代する」
シロコが無言で私の隣に並んだ。
気づけば、ノノミも反対側に入っていた。
「無理しないでくださいね~」
「いや、ノノミちゃんも押してるじゃん」
「私は大丈夫ですよ~」
笑顔で言うノノミの額に、汗が光っていた。
なんとかこの荷台を引いていると、石造りの壁が見えてきた。
村の入り口だ。もう少しで着く——というところで、また荷車の車輪が石畳の継ぎ目に引っかかった。
四人で力を込めて押し込んだけど、ちっともびくともしない。
「きゅ、きゅうけ~....」
セリカのその言葉に、誰も反対しなかった。荷車をそのままにして、四人でそれぞれ肩を回したり壁にもたれかかったりした。
「にしても、重いわね....。一体なにを運んでいるのかしら....」
岩じゃないのは分かっている。でも、これだけ重いなら中身が気になるのは当然だ。
「気になりますね....」
「ちょっと、中身見てみない?」
私が三人を振り返ると、少しの間があった。
セリカが視線を荷車に向けたまま、口を開いた。
「....まぁ、運んでる途中で確認するくらいは」
「賛成」
シロコが短く同意した。 ノノミだけが「いいんでしょうか~」と言いながらも、一番荷車に近い場所に立っていた。
依頼した人には悪いけど、運んでいる途中で中身を確認するくらいは許してもらえるだろう。
万が一、危ない物だったら困るし。
手を伸ばして、布をそっとめくってみた。貴重品でもないかと期待していたが、それとは違う、鈍い金属の輝きが見えた。
黒くて、長くて——形に見覚えがある。
「....なにこれ」
黒光りした銃。その時、風に煽られて、更に荷車の布がめくれた。
一丁や二丁じゃない。整然と並んだ銃身と銃床が、隙間なく積み重ねられている。その脇には木箱が何個も積まれていて、側面には見慣れない刻印と"WD"と書かれた文字が入っていた。弾薬だと、直感的に分かった。
中を確かめた。全部、同じだ。銃火器と弾薬。それも大量に。
あの男の人は、「古びた倉庫に」と言っていた。これを、その場所に収めるのか....。
「だから違うと言っているだろ!」
怒鳴り声が響いてきた。街の入り口の方からだ。