硝子筆と無記教典   作:蒼月柊

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02_数日がすぎて

     一

 

 

 ツヅリが目を覚ましたところは倉庫だった。野菜の品種が書かれた段ボールに折りたたみ式のコンテナにある野菜を見るに、スーパーマーケットのようだ。

 ツヅリは手を動かそうとしてみるが、縛られていた。後頭部もかすかに腫れていた。

 

「ようやくお目覚めか。坊ちゃんは気が長いな」

 

 男の粗暴な声が響く。逆光になっている姿はがっしりとしたシルエットで、声と相まって、威圧されているようだ。

 影が近づいてきて、ようやく誰なのかがわかる。

 

「檜垣シキさん」

 

 ツヅリの声に、シキは嫌そうにする。

 

「お前に敬称をつけられると虫唾が走るな。とりあえず黙っていろ」

 

 肉が弾ける音が響く。殴られた頬が腫れる。

 

「うちの妹が世話になったな。ようやく会話ができるようになって兄としちゃ嬉しいぜ」

 

 反対の頬を殴られる。今度は首元を掴まれる。

 

「でもよ、これもてめえの筋書き通りなんだろう。人に想いを伝えられるペンなんか持っているんだもんなあ。人を自殺に追いこむことも朝飯前だろう」

 

「そんなこと」

 

 言葉を言い切る前に、今度は口を正面から殴られる。

 

「てめえに口を開く権利なんかないんだよ」

 

 殴った拳をツヅリの服で拭って、シキは言葉を続ける。

 

「ミコを殺そうとしたもんなあ。最初は手を汚さないつもりだったが、直接殺ろうとしたんだろう。あの日はそういうことなんだろう」

 

 泣きそうになっているツヅリは首を横に振ろうとしたが、頭を殴られる。

 

「否定してんじゃねえよ」

 

 シキはより強く首元を掴む。息苦しさにツヅリはうめく。

 

「今度はどうやって殺そうとしているんだ。どういうわけかてめえに救われたとか言っているが、目の前で絶望させて殺そうって魂胆か」

 

 ツヅリは目を固くつぶって首を横に振る。

 

「てめえ」

 

「そこまでだよ」

 

 シキが殴ろうとしたところで、ミカの声が響いた。

 

「あなた、つーくんに何をしているの」

 

 シキは舌打ちして、ツヅリから手を離す。そのままどこかへ走っていった。

 

 ミカはツヅリの手を結んでいた縄をほどき、ハンカチでにじんでいた血を拭きとる。

 

「もうどこかへ行ったよ」

 

 ミカは優しく声をかけた。ツヅリは涙をこぼしうめく。

 

「もう大丈夫だよ」

 

 何度もミカはそう言って、ツヅリの背中をさする。落ち着くまでそうしていた。

 

 ようやく涙がおさまり、ツヅリはミカに謝る。

 

「手間をかけさせてごめん」

 

「ううん。手間なんかじゃないよ」

 

 血で汚れたハンカチをしまい、ミカはうつむくツヅリを抱きしめる。

 

「無事とは言えないけれど、つーくんが見つかってよかった」

 

 

     二

 

 

 ミカに支えられながら夜の黒に隠れて家に帰る。

 痛みは引き始めているようだったが、腫れはひいていなかった。

 

「明日は病院に行こう」

 

 ツヅリはおとなしくうなずき、浴室に行く。ミカもついてきた。

 

「さすがに恥ずかしいよ」

 

「それでも、ふらついたりするかもしれないし」

 

 裾をしばり、袖をまくったミカはツヅリの服をゆっくり脱がし、風呂場に入る。

 ただ心配してくれているミカの様子に、ツヅリはこれ以上のことは言えなかった。

 

「しみるかもしれないけれど、ごめんね」

 

 そのかけ声と一緒に、水が降ってくる。傷つけられた部分がしみるのか、ツヅリは顔をしかめた。

 ある程度、髪が濡れるとミカはシャンプーを泡立てる。

 何も言葉を交わさずに、ミカは洗い、ツヅリもされるがままに洗われていた。

 それでもツヅリの表情から苦痛の色が抜けていった。ミカになでられることが心地よさそうだった。

 

「次は体を洗っていくよ」

 

「いや、前は、恥ずかしい」

 

 ミカから目をそらしながら、ツヅリは抵抗しようとする。

 

「もういまさらでしょう」

 

 タオルで泡立たせて、ミカはツヅリの左腕を取った。手早く進めて、すぐに右腕に移り、背中へ移動していく。

 背中を洗い終えると、背中側から抱きつくようにして胸を洗っていく。

 

「これはこれで恥ずかしいんだけど」

 

 しどろどもろになっていくツヅリの声に、ミカ自身も赤くなりながら進めていく。

 どんどん下にいくにつれてミカも胸を押しつけるようになってしまい、服が濡れていく。

 

「ミカ……」

 

「何も言わないで」

 

 ツヅリが何を言おうとしたのかわかっているかのように、ミカは遮る。

 そして、鼠蹊部にまで洗いおわると、ついに手が届かなくなりツヅリの正面に移動する。

 ミカの姿はいたるところが濡れてしまっていた。

 

「つーくん、目をつぶって」

 

 ツヅリはすぐに目をつぶる。しかし、余計に敏感になってしまったのか、隠されていた部分が持ち上がってしまった。

 

「つーくん……」

 

 顔を真っ赤にして、ミカはすぐにそれから顔を背けた。

 

「こ、これ以上は自分でやるから」

 

 慌てた声でツヅリはミカを浴室から出す。

 

「すぐに出るから」

 

 浴室の戸を閉められたミカは着替えることもできずに、ただ顔を手で覆う。

 

「つーくんもああなるんだ」

 

 深呼吸をして、熱を冷まそうとする。しかし、すぐには治らず、ツヅリがシャワーで泡を流す音が聞こえるまで、動揺したままだった。

 

「上がるけれど着替えた?」

 

 ツヅリの声がかかるまでにはどうにか、濡れた服を洗濯かごに入れ、バスタオル一枚になる。

 

「う、うん。私もシャワーを済ませちゃうね」

 

「了解」

 

 互いに目をそらしながら、すれ違う。それでも、二人の頬は赤かった。

 

 

     三

 

 

 言葉が少ない食事を終えて、食後の時間になる。今日のお茶は秋に摘まれた紅茶だった。

 熱湯が注がれ時間が幾分かすぎると、スパイシーな香りが鼻に触れる。ティーカップに注がれた紅茶は白い陶器を紅色にすかしてみせた。

 

「ありがとう」

 

「まだ熱いから、気をつけてね」

 

 暗に口の傷を気遣っているらしいミカに、ツヅリはうなずきで返す。

 いつもなら食事から会話があるものだったが、今日はなかなか会話が続いていなかった。

 そういう事情もあってか、ミカは目を伏せつつ口火を切る。

 

「今日のこと、聞いてもいいかな」

 

 ツヅリはうなずくが、答えるべき言葉に悩んでいるようで声にならない。

 諦めたようで、率直な感情を返す。

 

「正直、どうして僕がミコを殺そうとしていると思っているのか、わからないんだ」

 

「思い込みで暴力を振るわれたってこと」

 

「そうだね」

 

「松木のガラスペンのことは、この辺りでは知られているはずだし……」

 

「ミコさんもシキさんも最近、引っ越してきたわけではないし」

 

 ツヅリが暴力を振るってきた相手のことを敬称つきで呼んだことに、ミカは少し顔色を変える。

 

「暴力を振るってきた人もさんづけなの」

 

「正直、彼のことを思えば泣きそうになるほどなんだけど、敬称をつけないのもおかしな話だし」

 

 ミカはため息を吐いた。

 

「立派だけど、無理はしないでね」

 

「わかっているよ」

 

 ミカは一口、紅茶を味わい、話を続ける。

 

「これからどうするの」

 

「ミコさんに話を聞いてみたいところだけど、危ないよね」

 

「そうだね。まだ目を覚まして数日だから退院できていないし、いつシキが訪ねてきてもおかしくない」

 

 ツヅリはゆらしていたティーカップをソーサーに置いて、ミカの瞳を見つめる。

 

「やっぱりミコさんに話を聞くしか手掛かりがないよね」

 

 困ったような表情で目を逸らしていたミカは、ぼそぼそと話す。

 

「でも、どうやって」

 

「ミコさんの主治医の人につないでもらえるか聞いてみるよ。どうやら付き合いがあったみたい」

 

「そっか」

 

 あまり気が乗らない様子のミカにツヅリは理由を尋ねるが、ミカは首を横に振った。

 

「なんでもないよ」

 

 それ以降は口を開かなかったミカにツヅリも黙るほかになく、紅茶がなくなると互いに無言でその日は別れた。

 自室に戻ったあと、ツヅリはプライベートの番号へ連絡する。

 快く快諾してくれた主治医の青年に感謝して、眠りに就いた。

 

 

     四

 

 

 次の日、置き手紙でミカの不在をツヅリは知った。朝早くからの用事には検討がつかなかったが、家を出る準備を終えて病院へ向かう。

 ミコの主治医である青年はすでにツヅリを待っていた。診察室に入ったツヅリを見て、心配そうに声をかける。

 

「大丈夫ですか。シキくんに暴力を振るわれたとはおっしゃっていましたが」

 

「痛みはもうひいてはいます」

 

「頭をぶつけてはいないですか」

 

「殴られたくらいですね」

 

 腫れている頬に触れたり、口の中を見て青年は診察を進める。

 

「頭痛はいかがですか」

 

「ないです」

 

「今はなんともないかもしれないですが、もし頭痛があればすぐに病院にいらしてくださいね」

 

 ツヅリのうなずきを見て、青年は診察を終えた。

 

「それで、ミコさんと話をしたいのですよね」

 

「どうやらシキさんは、僕がミコさんを殺そうとしていると思っているようでして」

 

「ひとまずシキくんが絶対に入ってこれない場所に移りましょう」

 

 立ち上がり、案内された場所はコーヒーの匂いが染みついた院長室だった。

 ノックをすると、ミコの声が聞こえる。

 

「ツヅリさんをお連れしました」

 

「ありがとうございます」

 

 中にはミコの他に誰もいない。どうやら院長も席を外していた。

 

「来賓室は使っていることがバレてしまいますからね。院長にも協力していただき、部屋を空けていただきました」

 

「ありがとうございます。しかし迷惑だったのでは」

 

 ツヅリの不安げな表情に、青年は首を横に振った。

 

「いえ、院長も松木の当主が必要とするのであれば、と快諾しましたよ」

 

「ありがとうございます」

 

 自身の心にしみこませるような声音でツヅリはお礼をくりかえした。

 

「それでは私も席を外しますね」

 

 青年が部屋を出ると、残った二人は向きあう。

 

「改めて、本日はよろしくお願いします。ミコさん」

 

「いえ、私の兄のことですから。本当に申し訳ございません」

 

 ミコは悲しげに目を伏せる。

 

「ミコさんが謝ることではないですよ。むしろ、私の不徳の致すところで辛いお気持ちにさせてしまい申し訳ございません」

 

 互いに頭を下げあうと、ミコは悲しみは拭えずとも、かすかに笑顔を見せた。

 

「これではいつまでも謝りあってしまいますね。ひとまず私にできることであれば、ぜひ協力させてください」

 

「ありがとうございます」

 

 ツヅリは座り慣れないソファに、座り直すと本題に入る。

 

「それで、シキさんはどうして僕を目の敵にしているのかご存知であれば、教えていただきたいのですが、何か僕についてお話しされたことがありますか」

 

「いえ、特に会話したことはないです。正直、松木の方と関わることがあるとは思っていませんでしたから」

 

 ミコの答えに、ツヅリは「なるほど」とこぼして、口ごもる。

 

「あまり関係ないかもしれませんが、松木についての評判というか噂でもいいのですが、うかがってもいいですか」

 

「あ、そうですね」

 

 ミコは少し考えると口を開く。

 

「両親が亡くなる前に聞いていたのは、松木のご当主はすごい方だとかですかね。どんな悩みでも聞いてくれて、背中を押してくれたとか」

 

 ツヅリが表情を暗くしているのに気づいたミコは、ツヅリが何に気を遣おうとしているのか察した。

 

「私たちの実の両親はすでに亡くなっていますが、もう割り切っていますから気になさらないでください。少し早かっただけです」

 

「すみません」

 

「私の両親は松木のご当主を尊敬されていましたが、わかる気がします」

 

 首を傾げるツヅリに、ミコは芯が通った美しい椿のような微笑みを浮かべた。

 

「松木の皆様は本当にお優しいから、尊敬されているのだと思います」

 

 目を丸くするツヅリの両手をミコは自身の両手で包む。

 

「私を生かしてくれたのはツヅリさんです。死んでしまいたいと思った私を救ってくださったのはあなたです。だから、兄が何を勘違いしているのかわかりませんが、ツヅリさんが傷つく必要はないんです」

 

 顔が近くなったせいか少し紅潮するミコだが、それでもツヅリの目から逸らさない。

 

 年下の少女が見せた精神性に、ツヅリはうなずく他になかった。

 

 そして、ミコは手を離した。

 

「ごめんなさい。急に手を添えたりして」

 

 少し動揺しながらもツヅリは、「大丈夫です」と口にする。

 

「それで、どこまで話しましたかね。松木の方の評判というと、もしかすると親の世代での尊敬が強くて、私たちの世代だと雲上人のような感じかもしれません。やはり、お話ししたことがある人はいませんでしたから」

 

「ありがとうございます。シキさんはミコさんと違った感想を抱いたということはありませんか」

 

「兄も素直に受け入れていたと思います。特に反発してはいなかったです」

 

 ツヅリは考えこむそぶりを見せて、再び詫びるような表情をする。

 

「その、ご両親が亡くなってからのミコさんとシキさんの関係が何か変わってはいないですか。例えば、過保護になったり、放任するようになったり」

 

「確かに、兄はあるときを境に過保護になったかもしれません」

 

「過保護になったときについて、伺ってもいいですか」

 

 ミコは記憶を振り返っているのか、可愛らしくうなる。しかし、何かに思い当たったのか、目を大きくしてすぐ泣くことを堪えるような様子を見せた。

 

「おそらく、私が宝物を養父母からもらえなかったときからだと思います」

 

「宝物をもらえなかった?」

 

 信じられなかったのか、ツヅリはくりかえした。

 

「ご存知かもしれませんが、私たちのような一般的な家庭でも、十五の誕生日に両親から宝物を贈られます。松木と藤波の風習を真似たものと養父母が兄に贈る際に聞きました。でも、私が十五になったときには何もありませんでした」

 

「理由は何か、尋ねたのですか」

 

 ミコはうなずく。

 

「理由は言えないと申し訳なさそうな表情で言われました。兄は納得ができないと再三、養父母に宝物を贈るように言ってくれましたが叶いませんでした。それから、兄は過保護になったと思います」

 

「……ありがとうございます」

 

 ツヅリはどうしてシキが過保護になったのか、あたりがついていた。

 おそらくミコが暴力を振るわれないように、嫌がらせを受けないようにしたかったのだろう。

 宝物を贈られなかったと知られてしまえば、自身の子どもと認めてもらえなかった問題のある子どもとして、迫害されてしまうことは想像に難くなかった。

 ただ、その選択はミコを孤立させてしまうことに気づいていなかった。事実、入院をしていたミコの見舞客に同級生の姿はなかった。

 このことから、ツヅリはシキの性格を推測する。

 シキは家族に優しいが猪突猛進する性格から、危うさを孕んだ人間だ。

 おそらく誰かに、妹を傷つけようとする人間がいると吹きこまれたのだろう。吹きこまれた後に、妹を見舞うとガラスペンのペン先を妹に向けている男がいれば、妹を殺そうとしていると考えてもおかしくはなかった。

 ため息を吐きそうになるが、ミコの心配そうな表情に気づいたのか飲みこむ。

 

「すみません。つい、ため息を」

 

「いえ、構いませんが、大丈夫ですか」

 

 ミコの心遣いに、シキはどうにか笑顔を作って応える。

 

「おかげ様でシキさんの動機が推測できました。ありがとうございます」

 

「だったら、いいのですが」

 

 ツヅリは深く頭を下げて、もう一度お礼を言う。

 

「どうか、ご無事で」

 

「ミコさんも、どうかご無理をなさらず」

 

 ツヅリが院長室を出ると、主治医の青年が待っていた。

 

「ご協力いただき、ありがとうございます」

 

「いえ、当然のことです」

 

 ツヅリは意を決して、青年に質問をする。

 

「ミコさんに宝物が贈られなかった理由はご存知ですか」

 

 青年は残念そうに首を横に振る。

 

「二人を引き取った養父母はどういうわけか、口を閉ざしたままです。そのせいで、シキくんはミコさんを連れて家を出ました」

 

「ありがとうございます」

 

 ツヅリは青年に礼を言い、病院を出た。まだ日は高いが、橙色がにじみはじめている。一時間もすれば夕暮れ色に染まる時間だった。

 スマートフォンを見る。ミカからの連絡もなかった。

 ツヅリはスマートフォンをポケットにしまい、歩きだす。

 けっきょく、ミカからの連絡は家に帰ってもまだなかった。

 

 

     五

 

 

 ミカへ何時に帰りつくのか、メッセージを送り、ツヅリは夕食を作りはじめる。

 冷凍庫にあった鮭を取りだし、解凍のために置いておく。解凍されるまでの間に、米を炊き、味噌汁も用意する。

 簡単な和物も準備し終えると、ツヅリはシャワーを浴びた。

 しかし、シャワーを終えてもミカからの返信はない。

 電話をかけてみるが、電源を切っているのか通じない。

 スマートフォンを見ていると、炊飯器が鳴る。米が炊けたようだった。

 蓋を開けて、しゃもじでほぐしておく。鮭の解凍もよい具合に進んでいた。

 ツヅリは火の元を確認して、鮭を冷蔵庫にしまう。

 もう一度、ミカへ電話をかけてみるが、また通じないことを確認すると、ツヅリは上着を羽織って家を出た。

 月明かりだけが頼りの闇の中をツヅリは早歩きで進む。特に当てがあるわけではないためか、さまざまなところへ向かった。

 すでにシャッターが下りている商店街に出向き、学校にも様子を見にいった。

 病院にも訪ねてみるが、ミカの姿を見た人はない。ただし、どうやらシキも一日連絡がつかないと青年医師に言われる。

 

「もし、余裕があればで構いませんので、兄のこともよろしくお願いいたします」

 

 ミコからの言葉に、ツヅリは笑顔の仮面でうなずく。

 ただの偶然なのか、それとも二人に関係があったのか。ツヅリには特別悪い予感があった。

 その予感を確かめるために、ツヅリは家の裏門にある鳥居を抜け本殿に出向く。本殿の戸を開き、ろうそくを灯すと、予感が当たったことを知った。

 祀っていたはずの本はなく、きっとミカが持ちだしたのだとツヅリは思った。

 藤波の家宝である赤褐色の革装丁がなされた本は、死後に女神として祀られた女性が使っていた遺品だ。

 手帳という文字を記し残す媒体であり、ただでさえ女神の想いが込められたそれは、死の直前まで使われていたことで、一種の聖書となった。

 祀っていた松木の人間が特別な筆記具で文字を書けば祝詞となる。しかし、女神の血筋が何か文字を書けば、神託となり人を縛ってしまう。

 そして、藤波ミカは女神として祀られた女性の直系だった。

 ミカが何か文字を書けば、人を思うように操ることができる。シキとの連絡が取れないことも、ミカが行動を縛っているからかもしれなかった。

 ツヅリは泣きそうになる瞳をつむって、大きく深呼吸をする。

 そして、いつも身につけている青いガラスペンを強く握って、目を開く。

 青く光ったガラスペンに照らされたツヅリの顔は、不安げな感情と過去の決意が混ざっていた。

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