一
ミカとシキがいそうな場所を考え、ツヅリが向かった場所はスーパーマーケットの倉庫だった。
息が途切れ途切れになりながらも全力で走り、ようやく着いた倉庫には電灯の光が射されていた。
誰にも見られていないことを確認し、ツヅリは倉庫の中に入る。ほかに誰もいないのか、足音が反響するほどに静かだった。しかし、奥に行くにつれて、声が聞こえはじめる。
物陰に隠れながら様子をうかがうと、ミカがシキの胸ぐらをつかみ揺さぶっていた。
「ミカ」
思わず大きな声が響く。ミカはツヅリに顔を向けた。彼女の表情はどこか虚ろだった。。
ツヅリを見ているはずなのに、顔や胴体に焦点がなく、もっと深いところを見つめているような表情だった。
シキは気を失っているのか、行動を縛られているのか、ツヅリを一瞥すらしない。
「何をやっているの」
ツヅリの問いかけにミカは答えない。代わりに、藤波の家宝が開かれる。ツヅリは握っていたガラスペンをより強く握る。
何も起こらないままに、藤波の家宝は閉じられミカは瞬きをした。改めて瞳が開かれると、いつも通りのミカの表情が戻ってくる。
ミカはつかんでいたシキを静かに横たわらせ離れる。十分に離れたことをアピールするように、両手をあげると声をあげた。
「もう何もしないよ」
ツヅリはシキのもとへ歩き、呼吸を確認する。腫れたり切れたりしている様子はなく、呼吸も安定していることを確認するとツヅリは安堵した。
「家宝を使ったんだよね」
「そうだね」
隠そうともせずに、ミカは笑った。
「それで私をどうするの。女神の手帳を悪用した私を松木のあなたは許してはいけないのでしょう」
「許すよ」
間髪入れないツヅリの短い答えに、ミカは目を丸くする。
「どうして。私は私たちの家宝を悪用する人間を許してはいけないって教えたはずだよ」
「理由があるんでしょう。なら、理由を聞いて、許して、一緒にこれからを歩むよ」
ミカは笑った。
「あなたはどこまでも私の救世主なんだ」
ミカはツヅリに近づき、頬に触れようとして止める。
「私、この世界に意味なんかなくて、人生に意味なんかなくて、命に意味なんかないって、思っているの」
何も言わずに自身を見つめるツヅリを見て、ミカは言葉を続ける。
「だから、みんなにも教えてあげたんだよ。それでも許せる?」
「それは、どうして」
「あなたが私を許さないようにするため。でも、あなたは冷静なんだね。もっと追いこまないといけなかったかな」
何も言わずともまっすぐにミカを見続けるツヅリに対して、ミカは背を向ける。
「このくらいじゃ、私を殺してなんかくれないよね。なら、どうすれば私を殺すしかないって、思ってくれるかな」
「絶対に殺すことはしないよ」
ミカは再び、笑った。
「たしかに今の私を殺しても意味なんかないか」
自嘲するような言葉をこぼして、ミカは藤波の家宝を開く。
淡い紫色の蛍火のような灯りが満ちて、弾ける。弾けた後にミカの姿はなくなっていた。
二
ミカがいなくなり、一夜が明ける。どこにいったのかの手がかりもなく、ツヅリの思考はまとまらなかった。
そのうちに、シキが目を覚ましてツヅリに詰めよる。
「あいつはどこにいった」
「わかりません」
「クソが」
荒々しい言葉を吐き捨てると、ツヅリを突き倒す。シキはそのままどこかへ去った。
いつから考えていた計画なのか、ミコの養父母がミコに贈り物をしなかったこともミカの思惑なのか、人生に意味がないなんてニヒリズムはどこまで広がっているのか。
ミカはどうして自分を殺してほしいなんて言ったのか。
一つの曇りがない空がどうしてか、ただの薄い青色で塗りつぶしたような背景にしか、今のツヅリには思えなかった。
倉庫に喧騒が生じる。開店に向けた準備のためか、足音が多く響く。
時間が経つにつれて悩むことの苦しみと無理矢理に受け入れさせようとしてくる現実の圧迫感がしみこんでいくのか、ツヅリの雰囲気が見ていられないほどに見窄らしくなる。
どうにか自宅に戻ったツヅリは、玄関で倒れるように眠りに就いた。
三
スマートフォンのサウンドで、ツヅリは目を覚ます。液晶に映った時刻は数分もすれば正午を過ぎる時間だった。
ポケットに入れていたガラスペンのケースを取りだし、ガラスペンをなでる。
寝ぼけ眼で行った動作は、すぐに止まった。目を開いたツヅリはガラスペンを見つめる。
いつもなら温かみを感じていたガラスペンは、ただ冷たい空気を固めたように無機質な道具に感じられた。
と同時に、ツヅリの呼吸がだんだんと荒くなる。何かに怯えるように、壁へ寄っていき体を丸くする。
強引に息を吐いて吸うをくりかえし、どうにかリズムを整えた。
思考ができるようになると、ようやく感じていたものを言語化できるようになる。
これは、恐怖だった。そして、恐怖の原因はどういうわけか、ミカなのだと思わされた。
本能がミカを殺さなければいけないと訴える。それでも、理性で殺さないと封じこめる。
どうにか回り始めた思考で、ようやく藤波の家宝によるものだと理解した。
居場所がわからないミカのことを考えると、自己防衛の殺意が原風景をもとにした理性を食い破ろうとしてくる。
どうしてか、いつもと違う感じのするガラスペンをポケットにしまい立ち上がる。
スマートフォンに映る通知は、一通の電話があったことを知らせていた。
相手はミコの青年主治医だった。
ツヅリが電話をかけると、すぐに応答がある。
「無事だったんですね」
少し疲れの見える声音から、心配をかけてしまったツヅリは顔を曇らせる。
「ご心配をおかけしました。その、途中でシキさんと別れてしまったのですが」
「シキくんも連絡が取れました。なんでも、藤波の姫君にやられたとか」
ミコの名前が出てきて、ツヅリは言葉をつまらせる。
その反応で青年は察したようで、言葉を続けた。
「まさか藤波の姫君がツヅリさんを裏切るようなことをするとは」
「ミカは決して」
「事実は事実です」
言葉をさえぎり、青年は怒りをにじませた声を続けた。
「あなたを裏切り、ミコさんを自殺に追いこんだ。決して許せることではありません」
うつむき歯を食いしばるツヅリを思いやることもなく、青年は会話の締めに入る。
「藤波の姫君を捕まえるために人を動員することになるでしょう。裁決は松木のあなたが立会人でしたが、私たちだけで進める方向で話が進んでいます」
ツヅリは通話が切れたスマートフォンを持ったまま、崩れ落ちる。
こんなにも早く事態が動いていることは、おそらく藤波の家宝による力が働いていることは明らかだった。
シキは誰かにやられたことをミコに知られないように隠しただろうから、誰にやられたのかを知るすべはないはずだった。
ツヅリは裁決の流れを思い出す。教えてくれたのはミカだった。そして、その仕組みがどのように作られたのかを教えてくれたのもミカだった。
ミカのことが脳裏によぎれば、胸が刺されたような痛みを覚える。
それでも松木として、ツヅリは立ち止まっているわけにはいかなかった。
家を出て、裁決に関わるであろう人たちが集まる場所へ向かう。その場所は、通う高校の会議室だった。
四
ノックをすると同時に戸を開くと、一斉にツヅリを無数の目が見た。すべての目が険しく、誰一人として友好的な者はいない。
「遅くなりました」
建前といえども、ツヅリは頭を下げる。
おそらく集まりをまとめていた筋骨隆々の大男が睨みながら、応えた。
「お呼びしておりませんので、お越しいただかなくてもよかったのですよ」
「それでも裁決はすべて松木が見届けるしきたりです。たとえ、藤波のものが対象だとしても、いえ、藤波が対象だからこそ松木が見届けなければいけないはずです」
大男は口を閉ざし、ツヅリをにらむ。おそらくミカを捕縛しようとする立場の急先鋒だろうことは見てとれた。
その大男を諭すように、メガネをかけた細身の女が持っていたペンを置いて場を治めようとする。
「たしかに松木様がおっしゃる通りですね。どんなときでも規則は守られなければいけません。それがこうしてお話ができる余裕があるのであれば尚更に」
「……失礼しました」
大男は渋々と頭を下げ、席に座る。女は右手でいつの間にか空けられていた円卓の一部を指し示した。
「松木様はそちらの席にお座りください」
「ありがとうございます」
ツヅリが席に座ると、細身の女が司会を引き継ぐ。
「改めて、松木様にご説明いたします」
細身の女の説明は明瞭だった。
それは、すぐにでもミカの身柄を確保し、裁決によって罰を決めるということだった。
「これは総意ですか」
「ええ。この場にいる者だけではなく、それぞれがまとめてきた大人たちの意見を含めての総意です」
確保後、すぐに処刑すべしという過激な意見から、裁決で決めるべきという冷静な意見もある。しかし、裁決で決めるという意見も、松木は見守るべきであるという意見で一致していた。
ミカのやったことは、藤波やミカ自身の信頼だけではなく、松木が積み上げてきた信頼すらも崩してしまった。
「問題は、藤波ミカがどこにいるのかです。松木様もご存知ではないんですよね」
ツヅリのうなずきに、大男が噛みつく。
「松木様は藤波ミカを守りたいようですから、お隠しになっているのではないですか」
大男からの威圧感以外にも、集まりに参加している人々の無機質な瞳が、ツヅリを圧迫する。今まで挨拶を笑顔で返してくれていた大人たちの知らない表情に、ツヅリは泣きたくなった。
「……ミカがやったことは許されるものではありません。しかし、まだ死人はいない。取り返しがつく状況だと認識しています」
大男は鼻で笑う。
「取り返しがつく、ですか。今朝方、数人がリストカットしているのですよ。そもそも、死人がいないのも偶然でしかない。あなたが間に合わなかったのなら、一命を取り留めていたとしても、再び自殺を試みるかもしれない。今度は死んでしまうかもしれないのですよ」
ツヅリは目を見開いて、「どういうことですか」とこぼす。
「どういうことも何も、事実として近頃自殺未遂で入院していた高校生や中学生が、突然自身の手首を切ったんです。これが現実です。取りかえしがつかないことが起こってからでは遅いんですよ」
もはや怒鳴り声となった大男の声に、ツヅリはうつむくほかにない。
「松木様、家宝のガラスペンでどうにか方法はございませんか」
変わらず冷静な細身の女に問われるも、ツヅリは首を振る。
「ミカの持つ手帳が主ですし、松木が引き継ぐガラスペンは想いを伝える以上の力はありません」
「……さようですか」
「藤波の家宝は人を操ることができるものだそうですね。リストカットが果てには、本当に自死させることだってできるのでしょう」
大男の言葉に、ツヅリは誰の目も見ることができずに円卓へ向けるほかにない。
「藤波を早急に確保すべきではないですか」
ほかの参加者からも同調の声があがる。その声がツヅリにはミカを殺せと言っているように聞こえた。
だんだんにじんでくる涙を感じながら、ツヅリは声に耐える。今度ばかしは細身の女性も静止しようともしていなかった。
大人たちは誰もがミカの裁決を望んでいる。間違いなく、生きていることが罰になるような裁決になると思うと、ツヅリはうなずくわけにいかなかった。
しかし、ツヅリの中でも、恐怖による殺意がより具体的に自身の姿で殺せと言っているように感じられる。
殺したくない。殺せ。殺してはいけない。殺せ。どうして。殺せ。いやだ。殺せ。殺す。
目の前の自分の顔が嗤った。
とたんにガラスペンが燃え上がる。ツヅリの意識は炎に呑まれて消える。制御を失ったツヅリの体は前のめりに倒れる。
ようやく気づいた大人は、細身の女性のみだった。円卓にツヅリがぶつかる音が響き、ようやく自分を含めた大人たちが一つの意思に統一されていたことに気づく。
倒れたツヅリに声をかけ、近くにいる大人の名前を呼ぶ。
それでも反応がない大人の代わりに、自身がツヅリの元へ行き状態を確認する。青く灯ったガラスペンを一瞥すると、周囲をもう一度見渡した。
「これが、藤波の力なのでしょうか」
細身の女性に誰も意識を向けない集会場を抜けだして、細身の女性はツヅリを背負う。
息も絶え絶えに、どうにか保健室のベッドにツヅリを寝かせる。
誰もいない保健室でどうするべきか考えていると、ノックが響いた。
「ツヅリさんはいらっしゃいますか」
入ってきたのは、ミコとシキ、そして主治医の青年だった。
「ツヅリさん!」
ベッドに横たわるツヅリを見つけると、ミコは一目散に駆けよる。険しい表情のまま、ミコの背をシキは追う。二人の様子にため息を吐きながらも、青年は細身の女性に会釈した。
「挨拶もせずに申し訳ございません。私は二人の主治医を務めています。今日は、女の子にお願いされて伺いました」
「……ご丁寧にありがとうございます」
「それで、何があったのか伺ってもよろしいでしょうか」
青年の問いに、細身の女性は戸惑いながらもうなずいた。
五
近くにいても熱くない炎に囲まれて、ツヅリは意識を取り戻す。誰もいない、炎ばかりの暗闇にただ立つばかりだった。
突然、囲っていた炎の一部が下火になる。現れたのは一人の女性だった。
白衣を身にまとい、雑に後ろで長髪をまとめている彼女は、ツヅリを見て微笑む。
「まだ機能は使えているんだね」
ツヅリにとってどこか聞き覚えのある声に、ツヅリは正体を尋ねる。
「本名を伝えても意味はないし、君を蝕んでいる手帳とそれから守っているガラスペンの製作者と思ってくれればいいよ。もう何年経ったのかわからないけれど、ひとまず目的は達成できていそうでよかった」
「もしかして女神様ですか」
ツヅリの臆面もない問いかけに、女性は恥じらう。
「まさか、私は神様になっているか? ただの研究者だったんだが。確かに過去の日本では割となんでも神様として崇める空気があるし、都合がよかったのか」
深いため息を吐きながら、顔をあげると女性はツヅリの顔を観察する。
「ガラスペンの持ち主だから、松木の子孫だと思うけどだいぶ中性的になったね。あいつのセンチメンタルな気性が子孫の顔に映るとは思わなかったよ」
困ったように笑うツヅリを見て、女性は謝る。
「なかなかない機会だから、好奇心に従ってしまった。すまないね」
「い、いえ」
「それでガラスペンがこの機能を始動させたということは、手帳の持ち主だろう私の直系が何かをやらかしている感じだね。手帳の機能をガラスペンの持ち主にまで使っているのだろう」
「申し訳ございませんが、そもそも機能というのはどういうことでしょうか。ガラスペンは、地域の人々に想いを伝えるための神具と聞いているのですが」
「その感じだとどこかで伝承が途絶えたね。ひとまず端的に説明すると、人の想いなんてものを十全に伝える機能なんてない。手帳もガラスペンも人の心を調律するための発信機にすぎない」
すでに理解ができていなさそうな表情のツヅリに、女性は言葉を悩む。
「おそらく全部を説明した方がいいんだろうが、君にとって不都合な内容が大半かもしれない。そもそも誰も知らないのであれば、今回のような問題は起きずに済んだかもしれない話だ。どういうわけか今代の私の子孫は絶望を知って、ことを大きくしているわけだから、今更な話ではあるが」
「ミカは、僕に殺してほしいと言ってきましたが」
「手帳のログからも確認しているよ。まあ、私としてもまさかな事態というやつだ。もしかすると、あいつ、松木の初代の生まれ変わりなんじゃないかと思ってしまうな」
笑いそうになったのを咳払いで誤魔化し、女性は「失礼」と言って姿勢を正す。
「改めて君はどうしたいかを聞かせてくれ。絶望を知ったミカとやらは、どういうわけか君に殺されたがっている。君はミカを殺せるのか」
女性の強い目線と問いかけに、ツヅリは女性から目を逸らす。しかし、顔を両手で押さえられて、すぐに視線を合わせられる。
「周りなんかどうだっていい。君の恐怖だってどうでもいい。君の理性は、ミカをどうしたいんだ」
「ミカを殺せるわけがないです」
ぽつりと、どうにか目を合わせないようにしつつもこぼされた言葉に、女性はニヤリと笑った。
「なら殺さずにミカを引き止めるしかないな。あとは方法を考えようじゃないか」
「そんな方法があるんですか」
「なければ考えるしかないだろう? 考えて考えて、それでも思いつかなければ最後は力づくで先伸ばしにすればいい。そうすれば、いつかはよい案が思いつくかもしれないし、時が勝手に解決してくれるかもしれない」
「そんな短略的でいいのですか」
「いいんだよ。それで生きながらえているのが人類だ」
納得がいかない様子のツヅリをのぞきこむように、あぐらをかく。
「君はまじめなんだな。だからこそ、求める未来を得るためには、計画が必要であり、努力が必要であると考えているのだろう」
笑顔でツヅリの顔を見つめる女性は、言葉を続ける。
「計画がなくても未来は勝手にくるし、努力をしなくても死んでしまうまで未来はくる。求める未来をたぐりよせるのは、どれだけ運命を振り回せたかだけだよ。君は望む未来のために人を振り回してみるべきだな」
「しかし、今はみんなミカを確保して裁決するべきだと」
「それで頼ることができないって」
「……はい」
不安げなツヅリをじっと見つめ、女性はツヅリの額をつつく。
「どうして周りがミカを確保すべきだと思うのか、それは手帳のせいだったね」
ツヅリがうなずくと、女性も相槌を打つ。
「そもそもガラスペンも手帳もコミュニティに生きる人々に遺伝している受信機に、単純な指示を送るだけの機能しかない」
「どういうことでしょうか」
「軽蔑してくれて構わないが、要するに手帳もガラスペンも単純な方法で人を操るための道具でしかない。そして、単純な方法は手帳でもガラスペンでもなくても実現可能だ」
女性は周囲を見渡す。いつの間にか燃えていた炎が消えて、ほのかに青い光が灯っているだけになっていた。
「耳をすませば歌が聞こえるはずだ。その歌の力で、手帳の影響が弱まっている」
ツヅリの表情には、まだ曖昧なものが残っていた。
「手帳もガラスペンも、歌の力には敵わない。私があらゆる才能の発芽を切り捨て、停滞するとしても選んだ人類の未来でも、歌姫と呼ばれる存在は生まれていたんだ」
かすかに聞こえる少女の歌声が、ツヅリに呼びかけていた。
「歌姫が歌えば、より強い感情が人々を満たす。手帳もガラスペンも意味をなさなくなるだろう。それでも、歌には詩が必要だ。ミカを救うための詩をよくミカを知っている君が書き、歌姫に歌ってもらえばミカも救うことができるかもしれない」
ツヅリに背を向け、手帳とガラスペンの製作者となった彼女はうつむく。腕でどこかをぬぐい、勢いよく顔をあげて、ツヅリに発破をかけた。
「どうか君が私とあいつの描いた未来よりも、もっと幸せな未来へ導けることを祈っているよ」
六
ツヅリが目を覚ますと、ミコが嬉しそうな表情をしてツヅリの手を握っていた。
「よかった。目を覚ましたのですね」
「ひとまず診察をさせてもらうよ」
青年医師の声でミコは横にずれる。
「何があったのかはあなたを運んでくださった方に伺いました。どこか痛みがあるとか、気分が悪いとかはないですか」
「それらは大丈夫です」
「頭痛もないですか」
「大丈夫です」
ツヅリの声で青年はようやく真剣な表情を崩して、小さくためこんでいた息をこぼす。
「よかったです。そして、申し訳ございません」
「一体、どういうことですか」
「藤波の姫君をどうこうしようという話です。あなたを追い詰めてしまった」
「気にしないでください。僕はもう大丈夫ですから」
それでも申し訳なさそうにする青年になんと言葉をかけるか考えていると、シキが保健室に入ってくる。
「俺もお前を疑っていたことを謝る。許してくれとは言わないが、俺のケジメのために受け入れてくれるとありがたい」
深く頭を下げるシキに、ツヅリはすぐに頭をあげてほしいと伝える。
「僕はシキさんを許します。だから、頭をあげてください」
「ありがとう」
強面の表情を崩さずに、シキは後ろへ下がる。
「何かできることがあれば言ってくれ。妹を苦しみから救ってくれたことに報いたい」
「そう言ってくれるだけで僕は十分です。ただ、少し言いづらいのですが、ミカを助けたいんです」
口を固く結ぶシキの代わりに、ミコが微笑む。
「ツヅリさんに救われたのです。ぜひ、力を使ってください」
贈り物をされずにいた悩んだミコには、もう自信がないゆえの暗さはどこにもなかった。
その理由をツヅリは知っていた。
「ミコさん、あなたを苦しめたミカのために歌えますか」
「あなたが書いた想いを歌えるのなら、これ以上ない幸せですよ」
ミコの答えにツヅリは少し驚く。
「僕が書いた詩を歌ってくれるつもりでいたんですね」
気恥ずかしそうに、ミコは微笑んでツヅリの手をにぎる。
「ええ、私に彼女を救う歌を歌うことが難しそうですから。今はただ、私を想ってくれて救ってくれた人が書いた言葉を歌いたいんです」
感謝を伝えるツヅリは頭を下げる。ツヅリとミコを見つめるシキと青年医師は、微笑を浮かべるミコの表情に気づいていた。
純白なはずの色は、少しだけ別の色が差していた。