硝子筆と無記教典   作:蒼月柊

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06_空虚な日常

     一

 

 

 太陽が昇り、暮れることをくりかえす日常で、ミカは今日も学校に向かっていた。

 うっすらと雲がかかる空と灰色の街風景で、街の人々は藤波の姫君に挨拶をしてくれる。

 

「おはようございます」

 

「今日もお寒いですから、お身体にお気をつけて」

 

「ありがとうございます」

 

 ミカは笑顔を向けて、一人ひとりにお礼を伝える。そうしなければいけないと、どうしてか思ったからだった。

 学校につき、教室に入ればクラスメイトたちから話をふられて、愛想よく対応していく。

 誰もミカの心のうちを知らずに楽しい話題で盛り上がる。

 どうしても会話の中心になってしまうミカは、話題を続ける級友のそばに立ち、流れを切らないように振るまった。

 知っていることばかりの授業を聞き、合間の休憩時間には会話を流し、ようやく昼休憩の時間になる。

 断りを入れて、ミカは人が入ってこれないように根回しをした生徒会室で、作ってきた弁当を開ける。

 家の本殿で目を覚ましたときから、あることを考えようとするとすぐに霧散するようになった。興味の対象を別の何かへすり替えられるような感覚だ。

 今だって、紙に主題や考えを書きながらでないと、すぐに別のところへ意識が向いて、別のことを考えてしまう。

 ため息を吐く。考えることは生徒会のオブザーバーとしての役割、いやこの虚しさだ。

 どうしてか寂しくて、寒い。隙間風が心のうちをさらっているようだった。

 正体はいまだにわからない。いつの間にか料理を二人分作ってしまいそうになることや、両親が使っていたものとは違う食器がいくつもあることがヒントのように思える。

 ただ、覚えがないかを考えていると、いつの間にか別のことを考えている。料理を作っていれば、もうすぐ無くなりそうなものへ意識が向いてしまう。

 また、ため息を吐いてしまう。

 もうすぐ卒業式になる。答辞を考えなければいけない。この三年間、何があっただろう。

 書きとめようとして紙を見て、別のことへ意識が向いていたことに気づく。

 

「こんなに考えられなかったかな」

 

 どうしようもないと天井を見上げれば、教室と同じ天井が見えるだけだった。

 腕をだらしなく垂らしていると、予鈴が鳴る。まもなく午後の授業が始まる。

 ミカは立ちあがり、メモを片して生徒会室を出ようとした。

 ノックが響く。

 

「はい?」

 

 思わずしてしまった返事が了解を得たと思ったのか、相手は戸を開けた。

 

「午後の授業前に申し訳ございません。ご相談したいことが」

 

 入ってきたのは長い髪をそのまま垂らしている少女だった。学年は二つ下の後輩だった。

 

「もうすぐ授業が始まるから、放課後でもいいかな」

 

「あ、あの」

 

 ミカの声に少女は、ミカの顔をまじまじと見たあとに視線が乱れる。

 じっと様子を心配そうにうかがっているミカだったが、痺れを切らして口を開こうとした。

 

「泥棒猫」

 

「え?」

 

 少女の突然の罵倒に、ミカの時間が止まった。

 

「あ、ごめんなさい。つい口が、言うつもりはなかったんです」

 

「いや、それは思っていたということなんじゃ」

 

 わたわたと焦っている少女に、ミカは椅子へ指を向ける。

 

「とりあえず話は聞くから座ってよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 授業開始の本鈴を聞きながして、ミカはメモを用意する。

 

「念の為だけれど、授業はいいの」

 

「お、お気になさらず」

 

 オドオドとしたままの少女に、よっぽど緊張しいなのか、それとも罵倒されたときの表情がそんなに怖いものだったのか悩む。

 

「それで用事は私にあるってことでいいのかな」

 

「は、はい。ミカ様にお話ししたいことがあって」

 

「それじゃ、お名前を教えて」

 

「檜垣、ミコです」

 

「檜垣さんね。それで、話というのは」

 

 まだ受け答えが固いミコを気にせず、ミカは淡々と進めていく。そのありようのせいか、ミコの緊張はまだ解けていないようだった。

 

「その、探してほしい人がいまして」

 

「探し人なら、警察に届け出た方がいいよ」

 

「ま、待ってください」

 

 ズバッと結論を出して、メモを片すミカを大声でミコは止める。

 

「その、誰も覚えていないみたいなんです。たしかに、私はあの人に救われたはずなのですが」

 

「……ほかには、何か手がかりはないの」

 

 ミコは持ってきていたノートをミカに渡す。

 

「たぶん、その人とは歌を作っていたはずなんです。最近の話だと思うのに、どういう人だったのか思いだせなくて」

 

 ミカは書かれた文字に目を通していく。見ている限りでは、誰かのための歌詞だった。

 殺してほしいと願う相手に対して、生きてほしいという想いがよく伝わるものだった。

 

「これは……」

 

 言葉が続かないミカの表情をうかがうように、ミコは上目使いする。気を使いすぎるのか、瞳が潤んできていた。

 考えがまとまったのか、ミカは言葉をつなげる。

 

「よければ、少し預かってもいいかな。調べてみるよ」

 

「あ、はい。全然、大丈夫です」

 

「ありがとう。何かわかったら連絡するよ」

 

「こちらこそ、ありがとうございます」

 

 生徒会室を出ていくミコを見送り、ミカはだらしなく椅子に寄りかかる。

 

「どうしてか、一緒に書いていた人のことを知っているような気がするんだよな」

 

 もう一度、ノートを見直す。

 ミコの字以外にも、たしかに別の筆跡が混じっている。とはいえ、その数は少ない。

 そもそも二ページしか使われていないノートだった。

 藤波の家宝である手帳を開く。掠れて何が書かれていたのか読めない字がたくさんある。

 その中のうっすら残る筆跡で近いものがないか、見てみるが特に見当たるものはなかった。最近だというのなら、字が消えているというのもおかしい。

 ミカは手帳を使っていた人とは違うと結論づける。

 

「今から授業出るのも面倒だな」

 

 授業が終わるのを待ち、ミカは学校を早退した。

 

 

     二

 

 

 家に戻り、ミカは本殿の近くにある資料倉庫へ足を運んだ。

 埃が宙を舞い、ミカは顔をしかめる。

 

「掃除もしないといけないんだけど、なかなか手が回らないな」

 

 近くにある蔵書をどかし、神隠しのような事例がないかを探してみる。非論理的な話ではあるが、手がかりが一つしかない以上は類似事例にあたるほかになかった。

 発生した事例をまとめた資料を紐解いてみるが、そもそもすぐに見つかるものしかない。

 大抵は時間を忘れて遊んでいたとか、家出だとかで、二十四時間以上行方しれずという事件事故は一つとしてなかった。

 とうとう最後の一ページにさしかかる。そのページは黒と見紛うほどに濃い紺色のインクで書かれていた。

 内容は事例ではなく、ミカ自身に当てた手紙のようだった。

 

「これは、誰の字?」

 

 ミコから借りているノートと見比べてみると、かなり似たような筆跡だった。

 しかし、得られた情報は少ない。そもそも、どうしてか、紙面を滑っているかのように、文章の意味が頭に入らなかった。

 何度読んでも変わらない事態に、ミカは疑問を抱く。

 持ってきていたメモ帳に、書写してみても変わらない。

 

「どういう、こと」

 

 資料から最後の一ページだけ抜きとり、ミカは資料倉庫から出る。

 すでに暗くなっている時間のため、調査を中断して家に戻った。

 一人しか食べない質素な料理を作り、ほんの数分で済ませると、自分の部屋で考えをまとめる。

 すぐに霧散しそうになる考えをどうにかつなぎとめても進展がない状況に唸るしかない。

 

「わからないなあ」

 

 何度も同じことをつぶやき、これ以上は何も進まないと、ミカは預かっているノートをもう一度見直す。

 おそらく途中になっている歌詞を小さな声で音読してみると、少し元気づけられているような気がした。

 そして、一つ不意に思いだしたことがあった。

 

「この家にお母さんもお父さんも使っていない部屋があった。物置にもなっていなかったような気がするけど」

 

 記憶だけがなくなっている状況で、かつ藤波の家に出入りすることができた人物であるのなら、もしかすると部屋に手がかりがあるかもしれない。

 ミカは自室の向いにある部屋をノックする。当然、返事がないことを確認して、ドアを開けた。

 中には幅広いジャンルの参考書が収められた本棚があり、机にはノートが十冊程度、積まれていた。

 ミカはノートのうちの一冊を手に取る。そこには相変わらず、文章が頭からすり抜ける文字とミカ自身の字と思われるものが書かれていた。

 覚えがないはずの字に、ミカはどうにか思いだそうと頭をひねる。

 

「なんか、あったはずなんだけど。思いだせない」

 

 ミカの字はどうやら、解説のものか、採点のときに書いた一言のようだった。

 

「誰かにものを教えていた時期があったかな」

 

 別のノートを手に取る。今度はミカの字は一つもない。

 

「この人の字が読めないと手がかりにはならなそうだな」

 

 ノートをもとに戻し、もう一度部屋を見渡す。参考書やノート以外には布団が置かれているだけで手がかりはなさそうだった。

 これ以上は何も情報はないとみて、ミカは部屋を出る。

 得られた情報をなんでもメモに書きとめておき、今日を終えた。

 

 

     三

 

 

 次の日、ミコを呼びだし、得られた情報を共有しておく。

 

「昨日の今日でありがとうございます」

 

「別にいいよ。どうやら私にも関係があった人みたいなんだ」

 

 書写しておいた手紙を見せ、ミコの様子を観察する。

 

「これはミカ様宛の手紙ですか」

 

「そうみたいなんだけど、なんて書いてあるか読める?」

 

 ミカの言葉に、ミコは困惑するがひとまず手に取って読んでみる。

 

「一般的なというには重たいかもしれませんが、普通のお手紙のようです。ミカ様はお相手に覚えがないんですよね」

 

「それどころか、この人の書いた文字は頭に入らないみたいで。理由がまったくわからないんだけどさ」

 

「だから、私に読んでほしいということですか」

 

 ミカのうなずきに、ミコは手紙を音読する。

 

「『ミカへ どうか君が幸せでありますように。苦しまずに生きることができますように。ただ、それだけを願っています。 松木ツヅリ』」

 

「ツヅリ、さん」

 

 ミカが声をこぼした瞬間、ミカは頭を抑える。

 

「どうしましたか、ミカ様」

 

「いや、頭痛が」

 

「だ、大丈夫、ですか」

 

 苦しそうな表情をしつつも、ミカはミコに気にしなくてよいと伝える。

 

「ダメです。一度、病院に行きましょう」

 

 ミコはスマートフォンを取りだし、どこかへ電話をかける。すぐに話はついたようで、ミコはミカに背を向ける。

 

「どうぞ、乗ってください」

 

「大丈夫、歩けるよ」

 

 強引にミカを背負い、ミコは歩きはじめる。

 

「ちょっと」

 

「暴れないでください。バランスが崩れてしまいます」

 

 少しよたつきながらも、どうにか校舎の門までたどりつくと、一台の車が止まっていた。

 

「まさか姫君を診ることになるとは」

 

「無理を言ってしまってごめんなさい。でも、頼れる方がほかにいなくて」

 

「気にしなくていいさ。とりあえず、病院に向かうから乗ってくれ」

 

 車のそばで待っていた青年は、ミカとミコを車に乗せて病院へ向かう。

 道中、症状を聞いて、病院につくや否やすぐに診断が始まった。

 

「トリガーになったのは、二人の探し人の手がかりが見つかったときでしたね」

 

 青年の問いかけにミカの代わりにミコが答える。

 

「はい。名前がわかってというところです」

 

「その人のお名前を聞いても?」

 

「松木ツヅリさんです」

 

「松木、ツヅリ……」

 

 思いだそうとする青年に、ミコはすがるように見つめた。

 その様子をミカはぼうと眺めているだけだった。

 

「申し訳ないですが、私の記憶にもないようです。ひとまず記憶を思いだそうとして頭痛が起こった可能性もありますが、確実ではないです。今の所問題はなそうですが、精密検査を実施してもよろしいですか」

 

 反応がないミカにミコが視線をやると、ミカはようやく気づく。

 

「すみません。なんだか、ぼうっとしてしまいました」

 

「いえ、やはり記憶の混濁なんでしょうかね。それで、精密検査はいかがしますか」

 

「一応、お願いします」

 

「わかりました。準備をしますので少しお待ちください」

 

 診察室から出て、待機用の椅子に座る。ミカの横にミコが座り、心配そうに見つめた。

 

「大丈夫ですか」

 

「うん、何か思いだせそうな感じはするんだけど、すぐに消えているような感じなんだ」

 

「藤波ミカさん。準備ができましたのでお越しください」

 

「それじゃ、行ってくるよ」

 

 離れていくミカを見送って、ミコはうつむいて待つ。

 

「ツヅリさん……」

 

 

     四

 

 

 診察の結果、脳に出血は見られないとして、頭痛薬だけ受け取りミカは家に戻る。

 帰途、ミコが心配して家事の手伝いを申し出てくれたが、ミカは断っていた。

 

「松木ツヅリ」

 

 自分を悩ませる相手の名前をこぼす。すぐに声は風に流されて消えてしまった。

 

「私がいろんなことを教えていた人。私を大切に想ってくれていた人。そして、誰かに殺してほしいと願われて、その上で生きてほしいと歌に込めた人」

 私と檜垣さんだけの幻覚だったらよかったのに、そうミカは思う。

 しかし、現実に文字という形で存在が残されていた。どうして、忘れてしまったのか。記憶を無くさせる手段が何かあるのか。あるとすれば、どうして記憶を消したのか。

 考えてもわからないことばかりだった。

 

「もしかして、私に殺してほしいと願われた?」

 

 どうして殺してほしいと思ったのか、今のミカには理解ができない。それに、ミコとツヅリの関係性もわからない。

 しかし、これ以上の手がかりはなかった。どんなに想いを馳せても届きそうにない。

 どうにか記憶を取りもどせば何かわかるかもしれないが、どういうわけか脳はすぐに忘れようとしている以上、道はない。

 これ以上、忘れてしまわないようにメモを残し、何度も暗唱して、まもなく日が変わる頃だった。

 ミコから電話があった。

 

「夜分遅くに申し訳ございません」

 

「いや、気にしないで」

 

「ありがとうございます。それで用件なのですが、ツヅリさんと作っていた歌の創作を手伝っていただけないですか」

 

「私はまったく創作なんてしたことないよ」

 

「おそらく、ツヅリさんとやっていたように私とお話ししてくださるだけでいいんです。曲を完成させれば何か思いだせるかもしれませんし、思いだせなくても大切な宝物にしたいんです」

 

 ミコの切実な言葉に、ミカは少し考える。

 

「そのくらいでよければ、手伝うよ。今日は助かったし恩返しはしたい」

 

「ありがとうございます!」

 

 はねる様子が目の浮かぶような声音に、ミカの表情は緩んだ。

 

「それでは明日も伺います」

 

「わかった」

 

 スマートフォンを置き、ミカは息を吐いた。

 

「ツヅリさん、ね」

 

 どうしてか胸を刺す痛みを忘れようと、ミカは眠りに就いた。

 

 

     五

 

 

 朝を迎える。あいかわらず鈍色かかった晴天の下で、ミカは学校の生徒会室を目指していた。

 ホームルームには早い時間だったが、なんとなく生徒会室にいたかった。

 棚に並べられたガラスペン用のインク壷を眺める。墨色から瑠璃色、紅色に翠色も揃えられている。しかし、生徒会室にはガラスペンもなければ、そもそもガラスペンを扱う人は役員にいなかった。

 置かれている理由がわからないインク壷はもしかすると、ツヅリの痕跡かもしれないとミカは思う。

 窓から登校してくる生徒たちを眺めた。一年生と二年生は仲のよい相手と思い思いに話をしているようだった。三年生は少し言葉数が少ないだろうか。

 まもなく卒業することもあって、少しアンニュイな気分になる。

 何をするでもなく生徒会室にいると、スマートフォンから通知音が響く。ミコからのメッセージが来ていた。

 

「生徒会室にいますか」

 

 一言だけのメッセージに、ミカも一言だけ「いるよ」と返す。しばらくすると、ホームルームの予鈴が鳴ると同時にノックが響いた。

 

「ミカ様、いらっしゃいますか」

 

「いるよ」

 

 戸が開き、コートを脱がないままミコは生徒会室に入ってくる。

 

「もうすぐホームルームが始まるよ」

 

「それはミカ様もですよ」

 

「私はもうすぐ卒業だし気にしていないけど、檜垣さんは一年生でしょ。あまり先生たちに目をつけられるようなことはダメだよ」

 

「しばらく学校に行っていなかったので親しい友人はいないんですよ。私がいても空気が悪くなってしまうだけですし」

 

 何を言っても無駄だと悟り、ミカは椅子に座る。

 

「それで歌作りは」

 

「用意してきました」

 

 新しいノートを開くと、走り書きがされた文字が目に入る。

 

「何を思って歌を作ろうとしていたのかなって考えていたのですが、ご意見を伺いたく」

 

 渡されたノートを読みすすめていくと、いくつも線を引かれて消されたものがあった。

 どうやら手当たり次第に文字にしているようだった。

 

「そもそもこの歌で何を伝えたいのか、だよね」

 

「自分を殺してほしいと願う相手に生きてほしいと伝えたいように思います。ただ、どうして生きていてほしいのかを考えているところで途切れているようです。なんというか、ただ生きていてほしいという気持ちが先に来ているような」

 

「そうだね。そもそもツヅリという人は、どうして生きてほしいと思っていたのかな」

 

「……好きな人だったとか、ですかね」

 

 ミコの言葉に、ミカは言葉に詰まる。

 

「昨日見せた手紙の相手は私だったんだけど、私宛の歌なのかな」

 

「……じゃあ、違うのでしょうか。みんなに生きてほしいと想っているような聖人とか」

 

 何かを溜めこんでのミコの言葉に、ミカはうなずく。

 

「理想主義だったのかもしれないね。先に理想だけが来てしまって、誰かに伝えるときの言葉に困ってしまうような」

 

「あるかもしれませんね。ツヅリさんと話しているときに使っていたノートにも何箇所か取り消し線が引かれていましたし」

 

「作品にする以上は説得力が欲しかったんだろうね」

 

 ミカの言葉にうなずき、ミコはノートに書きこんでいく。

 

「どうすれば生きていてほしいという想いに説得力が生まれるのでしょうか」

 

「生きていたい理由なんて人それぞれだし、死んでしまいたい原因も多くあると思うし」

 

「その話はわかる気がします。入院していたときも、早くに死んでしまいたいと思っていました。人に迷惑ばかりかける私は生きている意味がないって」

 

「生きている意味、かあ」

 

「たぶん、私が救われたのはツヅリさんに、生きている意味が見つからなくても、生きてほしいと願われたからだと思います」

 

 ミカが少し考えこんでいる間に、授業が始まる本鈴が響く。

 

「授業、始まっちゃったけどいいの」

 

「いいんです。今は、この歌を完成させてツヅリさんに届けたいんです。直接は届かなくても、ツヅリさんを想って歌えば届くと思うので」

 

「檜垣さんは、強いね」

 

「そうですかね。きっと、やっぱりツヅリさんにもらった言葉、まだ思いだせないけれどもらった記憶があるから前へ進めるんだと思います」

 

「そっか」

 

 私にはないな。

 そうミカは小さな声を飲みこんだ。

 

「どうかしましたか」

 

「いや、なんでもないよ。それで、生きていてほしいという願いの説得力についてだけど、どうしようか」

 

「死んでしまいたいという理由に何か寄りそうとか、でしょうか」

 

「そもそも何で死んでしまいたいと思うのかな」

 

「あくまで私のですが、誰かに迷惑をかけていることが一番だったと思います。与えられてばかりで、何かしないといけないと思っても体が動かなくて」

 

「どうして入院していたの」

 

「え?」

 

 ミコは戸惑いの声をあげて、頭をひねる。

 

「どうして入院していたんだろう」

 

「記憶がない?」

 

「そう、ですね。思いだせないです」

 

「ツヅリに何か関係することだったのかもしれないね」

 

 ミカの言葉に、ミコはうつむく。

 沈黙の時間を嫌ってか、ミカは言葉を続ける。

 

「ひとまず、思いだせる範囲で死んでしまいたいと思った理由について考えてみよう」

 

「あ、はい」

 

「何もできないことに死んでしまいたいと思ったってことだけど、どうすれば死んでしまいたいと思わなくて済んだと思う」

 

 ミコの進行を引きつぎ、今度はミカがリードしていく。

 

「大丈夫、ゆっくり考えよう。時間はあるんでしょう」

 

「そう、ですね。誰にもお返しができなくて、生きている意味を考えてしまっていたので。もしかすると私にできることがあれば死にたいと思わなかったかもしれません」

 

 ミコの答えに、ミカは相槌を打つ。その動きに促されて、ミコも言葉を続けた。

 

「今になって思えば、死んでしまうことこそがお返ししたい相手を悲しませるだけだと思えるのですけど、視野が狭くなっていました」

 

「視野が狭くなると、どんどん見えているところへ向かっていくしかなくなってしまうんだろうね」

 

「なら、その内容も歌詞に入れましょう」

 

 ミコはノートに書きこみ、会話を続ける。

 

「視野が狭くなっている人に気づいてもらうためにはどうすればいいでしょうか」

 

「そう、だね。別のところへ意識を向けさせるとか」

 

 ミカの言葉に、ミコは納得したような表情でうなずく。

 

「だから、ツヅリさんはただ生きてほしいって想いだけを伝えてくれていたのかもしれないですね」

 

 嬉しそうなミコの言葉に、ミカはただうなずいた。

 

「でも、どうしてツヅリさんは生きてほしいって想いを歌詞にしなかったのでしょうか」

 

「……おそらくそれでは、殺してほしいって気持ちを覆せなかったんじゃないかな」

 

「なるほど。となると、別のところへ意識を向けさせる案も難しいですかね」

 

「そうかもしれない」

 

「どうして意識を向けさせることができないのでしょう」

 

「きっと自分を殺してほしいと思っていた人にとって、その願い以上に大切なものはなかったんだよ。自分を殺すことがツヅリのためになると本気で思うほどの何かがあったんだと思う」

 

「自分を殺してもらうことで、ツヅリさんが得をするような何か、ですか。人を殺すことで得られるものは悪評しかないと思うのですが」

 

「悪人を殺すことは正義の行いとして称賛されると思う。その悪人が大きな影響を持っているとすればなおさら」

 

「それは、ツヅリさんをヒーローにしようとしたということですか」

 

「ヒーローにすることで、ツヅリが」

 

 何かをつぶやこうとして、ミカは頭を抱える。

 

「ミカ様、大丈夫ですか!」

 

 すぐにミコは救急車を呼ぶ。

 

「すぐに来ますから」

 

 青年医師へも電話を済ませて、救急隊員ができる限り早くくることを祈る。

 

「ツヅリ、つーくん」

 

 虚ろにこぼれていくミカの言葉の中でミコが聞きとれたのは、ツヅリの呼び名だけだった。

 

「やっぱり、あの歌はミカさんのために」

 

 緊急搬送をされるミカと一緒に、救急車へ乗りこみ運ばれていく中、ミコはミカとツヅリの関係性を考える。

 

 そして、病院に辿りつき、すぐさま治療が行われた。

 

 特に致命的な症状はなかったということで、病室へ運ばれるとミコはそばにつく。

 

「ミカ様、あなたはどうしてツヅリさんを英雄にしようとしたのですか」

 

「ミコさん、何があったか聞いても」

 

 青年医師に声をかけられ、ミコは病室から出た。

 

「ミカ様はツヅリさんのお話をしているときに症状が現れました」

 

「やっぱり記憶が戻りかけているからかな」

 

「だと思います。ただ、どうしてかすぐに忘れてしまうというようなこともおっしゃっていたので」

 

「なるほど。似たような症例がないか僕も探してみるよ」

 

「ありがとうございます」

 

 踵を返す青年をミカは呼びとめる。

 

「すみません」

 

「なんでも言ってよ」

 

「その、一人の想い人に殺してもらおうとするってどういう状態なんでしょう」

 

 ミコの質問に、青年は少し考え自論を答えた。

 

「自分の命の価値を相手の価値へ渡そうとしているのかなって思うよ。どうしても自身の生存へ向かう本能を人間であれ持っているのに、本能を抑えて理性的に行動しようとしていることは一見、すばらしいものだけど、愛している人に殺してほしいという感覚は、病的な価値観だと思う。もちろん、病的な価値観になってしまった何かがあるのかもしれないけれど」

 

 青年の言葉にお礼を返し、ミコは病室のミカをながめた。

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