硝子筆と無記教典   作:蒼月柊

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08_硝子筆(ガラスペン)無記教典(カノン)

     一

 

 

 ツヅリがライトノベルやマンガを読み耽り楽しんでいると、いつの間にか女神の声がないことに気づく。

 

「女神様?」

 

 声をかけても反応がないロボットに、ツヅリは不審なものを覚える。

 

「何かあったのかな」

 

 図書室から抜けて、ツヅリは避難所の出入り口まで向かってみる。すると途端にガラスペンが光りだした。

 

「これは、一体」

 

 ガラスペンの光がロボットにあたると、ロボットは来た道を戻っていく。と同時に、避難所の至るところからアラートが響いた。

 今度はガラスペンが熱を持ち、ついには持っていられなくなる。思わず落としてしまうが、ガラスペンは割れずに甲高い音を立てて転がっただけだった。

 しかし、ツヅリはガラスペンを拾う前に、意識が遠のいていった。

 

 

     二

 

 

 ツヅリが意識を取りもどすと、やはりそこは山の草原だった。

 

「女神様?」

 

 星々の光に照らされる中央で、女神はうずくまっていた。

 ツヅリは様子を伺うように近づき、もう一度声をかける。

 今度は反応してくれたようで、緩慢な動きながらも顔を上げてくれた。

 

「どうかされたんですか」

 

「……すまなかった」

 

「突然、なんですか」

 

 うずくまる女神の視線と同じになるように、ツヅリは座りもう一度問いかける。

 

「何かあったんですか」

 

「私が最初の選択を間違えたせいで、君たちには不幸を背負わせてしまった」

 

「何を言っているんですか。あなたが尽力したおかげで僕たちは生きていられるんでしょう」

 

「生きていても不幸になっては意味がない」

 

「意味、ですか。突然、どうしたんですか。ミカみたいなことを言うんじゃないでしょうね」「私は君に殺してもらう権利なんかないさ。そもそも意識だけで体は死んでいるんだぞ?」

 

 しゃがれた声とほんの少しの違和感に、ツヅリは眉をひそめる。

 

「体は死んでいる? もしかして女神様がAIというのは違うのですか。いや、そんなことはどうでもいいんです。殺してもらう権利ってどういうことですか」

 

「……そのままの意味さ。私は君たちに無責任な選択のつけを払わせてしまっている。君たちが私を殺そうというのなら受け止めるが、責任を取らずに殺してくれなんて言えない」

 

「……もしかしてミカと話しましたか」

 

 女神のうなずきでツヅリは何があったか察する。

 

「ようやくミカが意味にこだわった理由がわかりました。ミカはミカのお母さんの死を抱えたままだったのか。だから、生きることに意味がないと思ってしまった。そして、女神様と話をしたことで、余計にニヒリズムを悪化させたんですね」

 

 ツヅリの声に、女神はうなずいた。それを見て、ツヅリはこれからの話を始める。

 

「なら、なおさらうずくまっている時間はないでしょう。あなたの失態は自分でどうにかするしかないってわかっているんでしょう」

 

「しかし、私の声は届かなかった」

 

「僕が届けます。あなたがミカに伝えたいことを届けますから、言ってください」

 

 ツヅリに揺さぶられて、女神は顔をあげる。表情は今にも泣きそうで、神なんかではなく、

華奢な人間のものだった。

 そして、震える口からは弱音がこぼれる。

 

「だ、だめだ。なんて言えばいいのかわからない。言葉がまとまらない。どうすれば償える。どうすればいい」

 

 震える女神の体をツヅリは抱きしめた。

 

「落ちついてください。あなたはミカにどうなって欲しいんですか」

 

「み、ミカには謝りたい」

 

「それはどうしてですか」

 

「私がミカの努力を無意味にしたから」

 

「それはどうしてです?」

 

「私が悲劇をくりかえさないようにって、ナノマシンを接種させたから」

 

「ナノマシンのせいで寿命は三十八歳になったのですか」

 

「あ、ああ。悲劇を起こさせないためには、できる限り人類の発明を遅らせる必要があると思って。でもミカの努力を無意味にする選択だった。謝っても償いきれない」

 

「それの是非は置いておくとしましょう。それで、謝っても償いきれないとおっしゃる中で、どのように償おうとしているのですか」

 

「わ、わからない。どうすれば、いいんだ。わからない」

 

 すがるように女神はツヅリの胸元を握った。その手を外すことはせず、ツヅリは考える。

 

「わかりました。過去は変えらず、過去に死んでしまった人を生きかえらせることもできない以上、償うことはできないのでしょう」

 

 ツヅリの宣告に、女神は目を丸くして静かに涙をこぼす。

 

「ああ、たしかにそうだ」

 

「それでも償おうとしないわけにもいかないとお考えなのでしょう。なら、まずはミカを落ちつかせることから始めましょう」

 

「で、でも、もうナノマシンは」

 

「ナノマシンが万能ではないとおっしゃったのは女神様、ってこのやりとりも二回目ですね。僕たちには歌姫がいます。彼女の歌とナノマシンの演算機の権限を解放してまずはミカを落ちつかせます」

 

「できるのか」

 

「やりますよ。この地域に住む人々の幸せを祈る。それが松木の使命です。そして、その中には、当然ミカもそして女神様も含んでいます」

 

 女神から離れ、ガラスペンを強くにぎる。

 そして、ツヅリの意識は浮上した。

 

 

     三

 

 

 避難所で意識を取りもどしたツヅリは落としたガラスペンを拾って、外へ出る。

 ミコへ電話をかけると、ワンコールでミコは応えてくれる。

 

「ツヅリさん! ミカ様が」

 

「ひとまず落ちついてください。この前に一緒に作った歌はどうなっていますか」

 

「それは完成しています」

 

 あまり希望を持たずに尋ねた状況に、最高の答えを返してくれるミコにツヅリは驚く。

 

「あんな酷いことをしたのに、完成させてくれてありがとうございます」

 

「いえ、記憶がなくなっているとき、ツヅリさんへつながる唯一の手がかりでしたので」

 

「……たくさん謝りたいのですが、今はミカをどうにかします。松木と藤波の神社はご存知ですか」

 

「大丈夫です」

 

「であれば、歌える準備をしてそこに向かってください。僕もすぐに向かいます」

 

「はい!」

 

 電話を切り、山を下る。獣道のせいでなかなか本殿までが遠いが、何度も転び泥をつけながら、麓につく。

 何分が経ったのかもわからないが、すでにミコが待っていた。

 

「ツヅリさん、大丈夫ですか」

 

「ちょっと山で転んだだけです。本殿にミカがいるので、そこで歌ってください。後のことは僕がどうにかします」

 

「わかりました」

 

 そうしてツヅリはミカの手を取り、鳥居を越す。

 本殿まで駆けぬけ、ツヅリはミコに準備を確認した。

 

「あまり気を使えずに申し訳ないです。これから歌ってもらいますが、準備はどうですか」

 

「大丈夫です。気合いで頑張ります」

 

 入院していたときとは比べ物にならないほどパワフルなミコの言葉に、ツヅリは一言だけの感謝を残して、ガラスペンを強くにぎる。

 目をつぶったツヅリを見つめて、ミコも深呼吸をしてタイミングをはかる。

 

「いきます」

 

 ガラスペンからは青い光がもれ、開かれた戸に射しこむ。

 本殿が青に満たされ、歌姫の聖歌が響いた。

 

「ミカ」

 

 入ってきたツヅリに気づかず、シキの羽交締めから逃れようとするミカに、ツヅリはガラスペンを向ける。

 

「シキさん、お手数をおかけして申し訳ございません。そして、ありがとうございます」

 片目を閉じたままのシキにミカを解放してよいと伝えると、緩んだ拘束からミカはすばやく逃れる。

 そのまま蝋燭をつかみ、火をつけた。

 

「いいのか」

 

「大丈夫です」

 

 ツヅリは置かれた手帳にガラスペンのペン先を向ける。すると、手帳は一人でに開かれ、文字が刻まれていく。

 

「まずはミカを落ちつかせます。シキさんは本殿の外で歌ってくださっているミコさんを守ってください」

 

「ああ」

 シキが本殿から出たことを確認すると、ツヅリは戸を閉める。すでに、火は本殿に放たれており、炎は本殿の装飾を飲みこんでいた。

 

「ミカ」

 

「どうして、つーくん」

 

 火を放ち、ようやく気が済んだのか、ミカは座りこんでツヅリを見た。

 

「すべて聞いたよ」

 

「死んじゃうよ」

 

「大丈夫だよ。それより、ごめんね」

 

「どうして、つーくんが謝るの。悪いのは全部、あの女じゃない。……私の先祖じゃない」

 

「そうかもしれないね。でも僕にも謝らないといけないことがある」

 

 ツヅリは手帳に向けていたペン先を下げて、ガラスペンをしまう。

 そのままミカに近づき、抱きしめた。

 

「つーくん、どうして」

 

「僕は一番近くにミカのそばにいたのに、ミカの苦しんだ絶望に気づくことができなかった。絶望することはきっと自分自身を知らないからだって思っていた。でも、ミカにそんなことを言えないよ。ミカの努力を一番そばで見ていた僕が、ミカがミカ自身のことを知らないなんて言えない。すべての時間をお母さんの命に捧げたミカが自分のことを知らないなんて、そんなことはないのだから」

 

「早く逃げてよ」

 

 訴えかけるミカの口をツヅリは人差し指で抑える。

 

「大丈夫、死なないから。それに、僕は君に生きてほしい。たとえ絶望したとしても、苦しんだとしても一緒に生きてほしい。どうかな」

 

「だめ、だよ。こんな無責任な血は穢れている」

 

「そっか。でも僕はその無責任のおかげでミカと会うことができた。自分勝手だけれど、君の血を穢れているとは思えないよ」

 

「そんなことを言わないでよ。だって、お母さんが死んだのは」

 

「そうかもしれない。でも、生物はいつか死ぬ。人生の長さで価値は決まらないし、意味の有無も決まらないよ」

 

 優しく微笑むツヅリの声に、ミカは逃れようとして足掻く。

 

「じゃあ今度こそ私を殺してよ。私に意味を刻んでよ。私にあなたの生に意味を刻ませてよ」

 

「それも嫌だよ。ミカには僕と一緒に生きてほしい」

 

「じゃ、じゃあ私は」

 

 どうにかツヅリの腕から逃れたミカは炎の中に飛びこむ。着ていた服にも火がついた。

 

「あなたの記憶にずっと残る死に方をする」

 

「それもだめかな」

 

 ツヅリは立ちあがり、もう一度ミカを抱きしめた。

 

「僕は死なないし、君も死なない。そもそも君の人生の意味は君だけのものだよ。そして、僕の人生の意味も僕だけのものだ。だから、僕の人生の意味になんてなろうとしなくていい」

 

 ツヅリは片腕でミカを抱きしめたまま、もう一方でガラスペンを掲げた。まるでガラスペンが指揮棒のように宙を走り、と同時に手帳が宙に浮かびあがりページがめくられていく。

 ミコの歌声がよく通り、ときおりはじける木々と炎の響きも相まって、観客はミカ一人だけの合奏会のようだった。

 

「今日の出来事をこの地域に住む人々は忘れてしまう。でも僕とミカだけは覚えている。そして、ガラスペンが刻んだ手帳の文字も最後になる」

 

 力いっぱいに振られたガラスペンの勢いはそのまま手帳に伝わる。

 刻まれていく文字は視認できないが、代わりに文字も宙に浮かび書かれた言葉をミカは知る。

 

「この世のすべては虚無へと還る。されども、虚無に還る前の私たちは虚無へと向かう意味を拾うことができる。だから、この世界に意味はあふれ、生きる価値がある」

 

 そう願っているんだ。

 呟かれた言葉をミカだけが知る。

 ツヅリがガラスペンを止めると、ガラスペンは粉々に砕ける。ツヅリの願いが刻まれた革装丁の教典(カノン)も炎にまかれて煤になる。

 いつの間にか炎が消え、残ったものはガラスペンと教典の遺灰だけだった。

 

「これでこの話はおしまいだよ。ガラスペンも手帳、ううん願いを刻んだのだから教典でいいよね。それもなくなってしまったし、ナノマシンを調律するものはなくなった。あとは演算機を探して壊せば、女神が世界を操ることはできなくなる」

 

 ツヅリは抱きしめていたミカを離して、正面から手を差しだす。

 

「さ、ミカが死ぬ必要はないよ。ミカの穢れは神社の本殿をもとにした炎と歌姫による君のを祈った聖歌によって雪がれた。これ以上に何かまだ穢れていると思う? だとしたら、その原因を一発殴らないといけなくなってしまうんだけど」

 

 おどけて拳をにぎるツヅリに、ようやくミカは笑った。

 

「ありがとう、つーくん」

 

 

     四

 

 

 ツヅリとミカが本殿を出ると迎えたのは、歌いつづけるミコと倒れそうになるミコを支えるシキだった。ツヅリの笑顔を見て、ようやく歌を止める。

 

「ミカ様!」

 

 うつむくミカに、ミコはとびこむ。どうにか倒れずに済んだミカはようやくミコの顔を見た。

 

「ミカ様、私は怒っています」

 

「……はい」

 

「病院を脱けだして、神社に火をつけようとしたばかりか止めようとした兄に怪我を負わせるなんて」

 

「……はい」

 

 しおらしく返事をするしかないミカへ、ミコはあまり怖くない怒り顔を歪ませてもう一度、強くミカを抱きしめる。

 

「本当に、ご無事でよかったです」

 

「そんな、私はあなたたちに酷いことを」

 

「赦します。最後は救われたので言えることかもしれませんが、私はミカ様を赦します」

 

「あり、がとう」

 

 言葉をつまらせ涙がこぼれるミカの頭をミコはぽんぽんと優しく叩く。

 その様子を複雑そうに見つめるシキに、ツヅリは声をかける。

 

「今日はありがとうございます。そして、巻きこんでしまい申し訳ございません」

 

 ツヅリの丁寧な言葉に、受け慣れていないシキは動揺して意味をなさない言葉しか出ない。

 

「本当にありがとうございます」

 

 頭を下げるツヅリにようやく何かを言わないといけないと思ったのか、シキは口をゆっくり開く。

 

「あなたには恩もあれば、償いきれない罪もあります。だから、気にしないでください」

 

「罪だなんてどこにもありません。あなたの行動はすべてミコさんを想ってのことです。ですから僕はとっくに許しています」

 

「ありがとうございます」

 

 ぎこちないお礼の言葉を受けいれ、今度はミカへ視線をやる。その視線を受けて、何をさせたいのか理解しているミカはミコを一旦遠ざけて、シキにも謝った。

 

「シキさんも本当に申し訳ございませんでした」

 

 気まずそうにシキは目をそらしながらも、謝罪を受けいれる。その様子を見届けたツヅリは、今後の話を始めた。

 

「この場所の後始末は僕たちでやりますので、どうしましょうか。松木と藤波の秘密があるので、触らぬ神に祟りなしとも言いますし、ご帰宅いただいた方がいいかもしれないです」

 

「あの、できれば手伝わせてください」

 

 ミコの伺うような上目使いに、ツヅリは負けそうになる。逃げるように、シキへ確認する。

 

「シキさんは」

 

「力仕事であれば手伝えると思います」

 

 二人の心強い言葉に、ツヅリは二人に手伝ってもらうことを受けいれる。

 

「では、少し歩きますがついてきてください。道中、足元が悪いので気をつけてくださいね」

 

 ツヅリは三人を連れて、避難所までの獣道を登っていく。ところどころ足跡がついていて、ツヅリはそれを目印にしていた。

 そうして登りきり、ひらけた原っぱにたどりつくと、枯れ木のウロへ足を踏みいれた。

 ゆっくり下っていき、広い空間に出る。

 

「ここは」

 

 戸惑いの声を上げるシキに、ツヅリは三人に説明する。

 

「ここは避難所です。詳細を省きますが、混乱が起きた際にここへ誘導することになっていました」

 

「なっていた、というのはどういうことですか」

 

 ミコの疑問に答えたのは、奥からやってきたロボットだった。

 

「ここが使われることはもうないからだ」

 

「復活したんですね」

 

「ああ、世話をかけた」

 

「であるなら、演算機の場所を案内してください。ガラスペンも手帳も炎にまかれて灰になってしまったので、今後は演算機も不要です」

 

「ああ、そうだな」

 

「演算機というのはどういう。そもそもこのロボットは」

 

 ふたたびミコが質問をするが、今度はツヅリが答えた。

 

「このロボットは女神、つまり藤波の初代の意識が操っています。そして演算機というのは、この地域に住む人々に影響を与えるものです」

 

 少し濁した言い方に、女神は感謝と補足を伝える。

 

「責められる覚悟はとうに決めた。だから隠し事をせずに説明するとだ。この避難所にある演算機というのは、コミュニティ、つまりこの地域に住む人々のことだが、彼ら彼女らの精神をできる限り安定させるためのものだ」

 

「それはどうやってですか」

 

 ミコの質問をシキは険しい表情で見守る。

 

「君たちの先祖にはコミュニティへ所属するに当たってナノマシン、とても小さな機械を接種してもらった。そのナノマシンによって精神を安定化することができる」

 

「それは一種の洗脳ということですか」

 

「ああ、そうだな。そこまで強制力があるものではないが、使いようによっては洗脳も容易いだろう。そして、接種してもらったナノマシンは子孫へ遺伝するように設計されている」

 

「ということは俺らの体にも」

 

「そうだ。この精神の安定には松木が伝えてきたガラスペンと藤波が伝えてきた手帳が発信機の役割をしていた。ツヅリもミカもそのことを知らずにいたんだ。二人は責めないでくれ」

 

 懇願する声に、ミコはすぐに「するわけがありません」と声にした。

 

「私はツヅリさんに救われました。恩人をどうして憎むことができますか」

 

「……そうか。本当によかったよ。それで、話はまだ続きがある。精神の安定化の理由でもあるが、根本は過去の人々によって開発されたAIによる悲劇をくりかえさないための処置だった。人類の発展によって人類は滅ぼされそうになったことで、私はできる限り人類が発展しないままに生き延びてもらおうとした。それが寿命の調整だ。ナノマシンによって人類は三十八歳をベースに寿命が来るようにした」

 

 女神は言葉を切り、声を待つ。しかしいくら待っても罵声は飛んでこなかった。

 

「どうして私を詰らないんだ? 人生を操作したのは私だ。特に歌姫は自殺するほどに追いこまれたと聞いた。その元凶は私だ」

 

 それでもシキもミコも声を荒げることはなかった。

 

「女神様、もしかすると現実を飲みこめていないだけなのかもしれないのですが、本当に怒ったりしていないんです。きっと現実を理解したとしても怒らないと思います。今の私は、ツヅリさんに救われて、やりたいことである歌が見つかったんです。何かに悩むよりも、今は歌っていたいんです」

 

「妹も言っていますし、俺も理解ができたわけではないですが、特に思うことはありません」

 

「そうか、すまない」

 

 もう一度謝罪の言葉をこぼし、女神は移動を始める。

 その後ろ姿にツヅリは声をかけた。

 

「女神はこの人生に後悔はないですか」

 

「どうしたんだ」

 

 移動を止め、女神は意図を尋ねる。

 

「最後なので、思い残したことがないか聞いただけです」

 

「ないよ。立派な子孫を見ることができて、これ以上ないほどに救われているとも」

 

「なら、よかったです」

 

 ふたたび女神は移動を始め、今度こそ四人は後ろをついていく。

 単調な廊下を抜けて、到着したのは資料室と書かれた行き止まりだった。

 

「ここは」

 

「ツヅリには資料室と説明していたが、ここの下が演算機の部屋になっている」

 

 女神が操作するロボットは、資料室扉の横にある壁を押す。すると途端に床が下がりはじめた。

 

「もうすぐだ」

 

 床が止まり、演算室とプレートに書かれた部屋に到着する。

 扉を開けると、部屋を埋めつくすコンピューターが鎮座していた。

 

「あとはこのシャーレにツヅリとミカの血を一滴ずつ垂らせば、あとは自動で処理が進む」

 

 ツヅリとミカはロボットから差しだされた針を受けとり、血を垂らす。

 シャーレはコンピューターに取りこまれ、処理が進んでいるようだった。

 

『藤波と松木の血液による認証を承認します』

 

 電子音が響くと、女神が四人に声をかける。

 

「あとは私が廃棄フローを進めていけば演算機に火がつけられて、跡形もなくなるようにしている。もちろん火をつけるまでは見張っていてもいいがどうする」

 

 ツヅリは他の三人の表情を見て、代表してうなずいた。

 

「見張りではないですが、最後ですし見ていてもいいですか」

 

「わかった」

 

 そうして、女神は演算機の廃棄フローを進めていく。

 始めにナノマシンの無効化信号を発報する。

 

「これでコミュニティのナノマシンは無効化される。いづれ、人類の進化に伴って、退化していくだろう」

 

「寿命はどうなるのですか」

 

「ナノマシンによるアポトーシス促進フローも無効化されるが、過去のように八十まで生きることができるようになるにはそれなりに長い年月が必要だ。本当に申し訳ない」

 

「いえ……」

 

 次に、データの初期化が進み、これまで記憶されていたデータは消える。

 データが初期化されると、いよいよハードウェアの破壊に移るようで、コンピューターは自身の部品を切り離していった。

 

「いよいよ最後のフローになる。もう避難所を出なさい」

 

「女神様」

 

 ツヅリは、ミカを前に押す。

 うつむいたままだったが、ミカは口を開いた。

 

「ひどいことを言って、ごめんなさい。そして、生きていてくれてありがとうございます」

 

「……本当にこの世界に意味がないことはなかったって思うよ。どうか、息災で」

 

 女神の言葉を聞き入れ、四人は避難所を抜ける。

 すでに朝日が原っぱを照らしていた。




エピローグ 空虚をこえて

 避難所に通じていたウロから煙が昇る。
 曙らしい、太陽が射しこんだ物が瑞々しい色合いになっていた。

「さて、まずは本殿の片付けだね」

 先をいくツヅリにミカは足を止めて声をかけた。

「つーくん。ありがとう。そして大好き」

 振りかえったツヅリにミカは飛びこむ。
 泣いた顔も照らされて透明な涙がきらめいていた。

「僕も好きだよ」

 ミカはいつまでもツヅリの胸で泣きつづけた。母親が死んでから溜まりに溜まった涙が、ツヅリの胸にしみこんでいく。
 そんなミカを優しくきらめく宝石を扱うように抱きしめる。そして、後ろで見守ってくれる二人にツヅリは黙礼した
 シキはうなずき、恋心に別れを告げたとはいえ、寂しそうなミコの手を優しくにぎる。

「帰ろうか」

「うん、ありがとう。お兄ちゃん」

 四人の後ろ姿を太陽は照らす。
 いつの間にか咲いていた気の早い桜も、一片の花びらで祝福する。
 どうかこれからに幸せがありますように、と。
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