─1─
あんまりデカい声で言いたくは無いが、この世界は退屈だ。それが俺、大神鉱斗が齢16歳にして出した結論だ。
キリスト誕生からとうに1900年とさらに87年ちょいの今、この世界の正体とやらなんておおよそ解りきってるんだ。別にガリ勉じゃあ無くたってな。学校が教えてくれることの殆どが、この世界がなんたるかを示してくれる。
だが嫌いとまでは言わねえ。ただ俺は、その退屈さをそういうモノだと飲み込んで生きている。
16の春にやった遠足とやらも、親交目的で近所をブラつくような遊びをやらされたところで心が踊るわけなんて無い。
1989年、落ち葉も路傍から消えかけている冬の東京。その朝。
ああやれやれ、今となっては16歳の冬。今日も今日とて朝飯食って高校に行くか、と俺はラジオを付けてみる。何しろ昨夜見た夢が、ドアノブのような髪の束をなん本も突き立てた頭を持った屈強な男が、長袖のダブダブな法衣のようなものの袖を捲り、輪っかが3本ずつカッチリ嵌め込まれた、これまた丸太のような腕で俺を指差し、占ってやろうなどとのたまった、なんだか奇妙なものだったからだ。いっとう、目を強く覚めさせなくちゃあならない。父さんの飲むコーヒーを少し拝借したっていいかもしれない。
俺は朝に弱いから、眠気覚ましに父さんが買ってくれたラジオを付けることにしている。買って以来流れて来る情報はいつもとなんら変わらない、朝のニュースの。新聞やテレビジョンとさして変わらない、能天気だったり凄惨だったりする情報の羅列。それを砂嵐混じりに訥々とお手本のイントネーションで語り聞かせる。いつもの光景ならぬ聴景、とでも言おうか。
ともかくそのハズだったんだ。ラジオからざあざあと砂嵐が奏でられるまでは。昨夜電源を切る直前までダイヤルを合わせていたはずだが、どうにも今日は調子が悪そうだった。
別にそれ自体は珍しくは無い。中学上がりたてに買ってから4年近く。むしろその立ち上がりの遅さが起き抜けの俺みたいで、シンパシーを勝手に感じることもあった。だが今朝はその調子がいつまでも整わないようなのだ。
ダイヤルを数ミリ単位でじわじわ動かしたり、すでに限界まで伸ばされたアンテナの先端をつまんでいじってみたりするも、ぐうの音は出ずともざあざあ波音を立て続けている。
「うーむ、故障か?なあオイ、相棒」
腕を組んで首を提灯みたいに前に出して俺はラジオに訊いてみる。ウンともスンとも言わないがまああれだ、アニミズムってやつだ。……学校のお勉強をすぐネタに落とし込もうとするのはガキの頃から変わらない。覚えやすいんだから仕方ない。
「いいや、残念ながら故障じゃあないんだ」
「はっ!ラジオから声がッ!」
「自己紹介が遅れたな。私の名はスティール。君にスタンドを授けた張本人だ。怖がらなくていい。私は君になにもしない」
「いいや、もう何かしてるぜ、お前は」
「なんだと?」
「俺の大事なラジオに取り憑いてやがるんだよお前は!出てこいよォ~……いや出てこれんのかソレ?人が入ってるなんてフツーじゃあねえよ。いいや、俺がきっとまだ寝ぼけているんだ」
「……私は特別な力がほしいと渇望している素質と勇気ある若者を探していた。そこで君を見つけ、その力を授けたのだ」
「……父さんからコーヒーでも貰ってくるか」
「これは現実だ、鉱斗」
「俺の名前を!?」
「信じられないなら先ほど与えた『スタンド』を呼んでみたまえ。君の前に現れるはずだ」
「そんなわけが……」
「やってみれば分かる。さあ、名前を呼びなさい」
「……ワイルド・ハーツ」
昨夜の夢をそこまで覚えてはいなかったはずの俺は、その名前とやらを呼んでいた。しかし、俺のベッドルームに何かが現れる気配は無かった。
「……はっ。なにも出ないぜ。これで気が済んだか?」
パリン、と皿が割れる音がした。そして、母さんの悲鳴が一階から聞こえた。
「……目論みと違ったが、出たみたいだな」
「はあ……お前が誰だか知らないが、俺は忙しいし、いつものルーチンをこなさなくちゃあならないんだ。お前はそのラジオに間借りすることでそのルーチンを邪魔したんだ。幽霊か故障かなにかは知らんが、出ていってもらうからな、俺のラジオから。そしていつものように俺は学校に行くんだ!」
「いつものように、か。出来るといいな、いつものように」
ラジオの向こうの声は、笑っているようだった。いいや笑っているに違いない。語尾に少し震えが混じっていたぞ。
しかしあんな頓珍漢な話題なんてみえみえな挑発に決まってるから、俺は乗らない。
一語しか知らないスペイン語の別れの言葉をラジオに告げて、ラジオから電池を引っこ抜いてやり、俺は階下にスタスタと下りた。
さあとんだ狂わせが起きたが、気を取り直して今日もいつもと同じ朝飯を食うんだ、きっと父さんと母さんと姉さんはとっくにありついてるだろうと居間に出たところで、俺は面食らった。なんせペットなんて飼ってないのに、ハアハアと犬のような呼吸が聞こえてきたんだから。
なにやらずんぐりとした毛深い塊が、俺の席に立って背中を向けている。厳密に言えば、椅子のあるはずの位置に身体をめり込ませている。毛深いその身体は野郎の骨格を象っていて、なにかを長い爪を持つ両手で持ち上げて噛みついた。
「う、うおおお!?」
もうお化けにビビる歳じゃあ断じてないが、噛みつく前に天井に向けた、その毛むくじゃら野郎の頭部が見えたのだ。その頭は長いマズルを持ち、髭の付いた口をあんぐり開けてこれまた長めの舌をだらりと垂らして、犬さながらの等間隔な吐息をハッハッ、と吸って吐いてから、噛みついたのだ。
狼男だ。狼男が、俺の目玉焼きにむしゃぶりついてやがる。黄身がとくに旨いのか、白身の辺りは食い散らかされて床にこぼれ落ちる。いいや、正しくは黄身も飲み込めておらず、床に散らばっているが、なんとなく、その狼男がやりたいことが分かった気がしたのだ。なぜ分かるのかは分からないが。
「な、なによ~~コレェ!?なんで目玉焼きがひとりでに爆発なんかするってのよォ~!!電子レンジに入れてなんかないのに!」
母さんは浮かぶ目玉焼きを掴まえようと狼男の左手に回るから、俺は「母さん危ない!」と叫んで右手に回り込んだ。
狼男の牙は母さんの手も、俺の手をもすり抜けて目玉焼きをグチャグチャにかき混ぜてる。ペチャペチャと舐めている。ためしにその毛の塊をどけようとするが身体の大きさに反して手応えが全く無い。すり抜けていくのだ。
だがひとまず回りの人間を襲うつもりは無さそうに感じた。だが他の家族が慌てない道理は無い。父さんは母さんの前に仁王立ちし、姉は電話のダイヤルを回し始めてる。
俺は大急ぎで2階へ駆け上がり、ラジオに電池を叩き込んでフタも嵌めてやらずに電源を入れる。
「おい!聞こえてんだろ!スティールとかいう野郎!今この時が夢の中かなんかじゃあ無かったらな!起きろこのッ!!」
「おや、随分早い帰りだったな。学校は楽しかったか?」
「なんだありゃあ!?」
ラジオから一声フッと息が漏れたと思えば、スティールは高らかに言った。
「なんだなんだ?信じないと思ったら今度は手のひら返すのかあ~~?ならばもう少し口の聞き方があるってもんだろう?」
「この度は一身上の思い込みで先方の意見を取り下げてしまい誠に申し訳ありませんでした。深くお詫び申し上げます」
「……随分スラスラと出てきたな。なら免じて許そう。てっきり年頃のオトコなら食い下がると思ったもんだからギョッとしたよ」
「一流ビジネスマンの父さんからの受け売りさ。流れには逆らわない。俺はそう決めているんでね。低きに流れるんじゃあないぜ。お前が出したぶっ飛んだ話がさっき証明されたんだから謝らねえ道理が無いだろ。それより早くアレをどっかに仕舞ってくれ!頼む」
「頼むもなにも、あれの主人は君だ。君が望んだらどこへでも仕舞える」
「俺があれの……?」
「さあ早く、姉が警察を呼んでるぞ。大事になる前に速く」
「くっ、戻れ、ワイルド・ハーツ!!」
俺はベッドルームで叫んだ。すると、階段をチャッチャッと犬がフローリングを爪を鳴らすような音を立てて、半透明な狼男は俺の部屋に現れた。
「……想定と違った『戻す』行為だが、まあ、これでわかっただろう。コイツの主人はお前だ」
「……」
開いた口が塞がらなかった。なんという獰猛そうな見た目に対して、何も考えてなさそうな態度なんだ。無造作に両腕についた醤油を舐めている。あ、うちの目玉焼きは醤油派なんだ。そんなことはどうでもいい。
「なにはともあれ、それが君のスタンド、だ」
「スタンド?」
「簡単に説明すれば、超能力の一種だ。今君の目の前にいる幽霊のようなもの……君の分身といってもいいだろう」
「分身だと?この頭が悪そうなのが?言わせてもらうが俺は学校の成績は中の上くらいだぞ。こんなのが俺の分け身だってのかよぉ?」
「スタンドは持ち主の特徴をそのまま反映したものとは限らん。あくまで君の精神テンションをこの世に『著』したらこうなるのだ」
「いいや身に覚えがないな。こんな姿になる根拠なんて、俺の中には無い」
「……スタンドには原則として、1つだけ特殊な能力を持つ。その力は通常の物理法則に左右されない強力な力だ。きっと、君の強い味方になってくれるだろう」
「何のためにこんなことをしたんだよ?お陰で家族の団欒は台無しだぜ。それに、アンタは一体何者なんだ?」
「私はその『スタンド』のせいで死んだ者の魂の記憶……いわば録音されたテープのようなものだ。ある事を果たすためにこうして力を与えている」
「ある事……だと?」
「……この世界の運命を変えてほしいんだ。君にならそれが出来るはずだ」
「運命……俺にはもっとも縁遠い言葉だな」
「ほう?」
「俺は運命なんてものは信じちゃあいないんだぜ。この世はありとあらゆる事象の積み重なりで、それは数式なり、科学なりで説明出来る。そういう物語的な発想は、俺からすりゃあ昔のことよ」
「君がどう信じようが構わない。君は、やらなくてはならないのだ。なぜなら君は、ある人物から命を狙われることになったからだ」
「命って……嘘だろ」
「嘘じゃあない。その者の名は、DIO!邪悪な吸血鬼だ」
「吸血鬼って……まあ、狼男がいるならヴァンパイアもいるだろうぜ」
「慣れてきたな。とりあえず家を出て、学校に向かったらどうだ?ヤツの放った刺客が襲ってくるはずだ。ヤツに味方しない者を排除すべく、な」
「もうやってくるのかよ!くそ!なんだってこんな厄介事に……!」
「力を持つということは敵を作り増やすということと同じだからさ。これは君が望んだ結果なんだよ。スタンド、これが君の欲しかった特別な力だ」
「ふざけた話だぜ。そっちの勝手で力を与えておきながら、命を懸けろだって?」
「もう一度いうが君が望んだから、その狼男は現れたんだ」
突然命を狙われる恐怖に悪態を吐いた俺は、なぜか口角をこれでもかと吊り上げていた。このまま一階にまで下りて「ムフフな夢でも見たのだろう」、と姉にからかわれるのはごめんだ。
家では好き勝手振る舞えるとはいえ、姉の方が序列は上だ。言っておくがこの序列に両親が割り込んでくることは無い。何一つ苦労無く飯が食えることには勿論感謝してるし、父の禿げ上がったてっぺんには平伏もしたくなるんだ。
家族が巻き込まれたらマズいと、俺は急ぎ足でカバンとラジオを掴んで家を出た。ラジオの電源は切っていない。
─2─
「いってきまー」
「うう……うおおッ……」
扉を開けてレンガの壁の曲がり角を通過したところに、見事なポンパドールを拵えた不良が口から泡を吹きながらこっちに千鳥足で歩いてくる。俺は思わずうわぁ……と声を上げた。不良の目の焦点は合っていないが、俺を見つけたらしくドタドタと長ランにけ躓きながら走ってくる。
「来るぞ」
「うがあッッ」
よだれだらだらの不良は俺に掴みかかろうとするが、俺は突き出される腕を紙一重で躱し、拳骨を顔面に叩き込んでやる。クロスカウンター、ってやつだ。不良はきゅうとも言わず昏倒した。ついでにワイルド・ハーツもポンパドゥールを咥え込み、モサモサと噛みちぎってやった。狼男が不良の頭で遊ぼうと振り回している間に、不良の胸ポケットから何かが跳ねて地面に落ちた。拾い上げてみるとそれは、カードのようだった。テレホンカードのような少し固い材質だが、込められた紋様はトランプの類いではなさそうな、奇怪なものだった。ひとまず俺はそれをカバンに仕舞う。
「ほう、ステゴロも少しは出来るのか」
「いいや全く。男なら誰しも憧れるだろう?こう気を溜めて、『破ァー!!』って放つあの作品にさ。それに伴う身体を作っているまでのことよ。テレビの見よう見まねだし、運動能力は運動会で部活対抗競争で運動部のハナを明かすためにやってるだけだ。もしあらゆる運動部の県大会に助っ人として呼ばれたなら、二回戦くらいまでしがみついてやれる自信はあるぜ」
「!構えろ、来るぞ」
スティールは俺の背後を指すかのようにノイズを走らせる。振り向けばそこにはマトリョーシカが浮かんでいた。俺の高校にいるブイブイ言わせてるある一人の不良に比べればてんでダメだが、そこらのチンピラに遅れを取るつもりはない程度には鍛えてるんだ。一丁前にボクシングの構えを取ってみる。やったこと無いけど。
「違う。スタンドだ。スタンドを出すんだ」
「いやあ、必要無いだろ、コイツには」
ラジオは警告を出すが、俺はお構いなしに拳を突き出してみる。単なる飛来物なら簡単に叩き落とせると勘ぐっていたが、その飛んでいるマトリョーシカはグイっと急接近して、突き出した俺の拳を通り抜け、腕を通過し、俺の目の前で爆発しやがった。
爆竹5本分くらいのけたたましい音が俺の鼓膜をつんざく。
「ぁああ痛ぇ~~ッ!!」
俺は顔を押さえて地面をのたうち回る。左頬の辺りがカッカと熱いし、ドロリと粘度の高い液体の感触がある。これ程血を流したのは初めてだ。俺は慌てて起き上がり次の攻撃に備えるが、肝心の浮遊するマトリョーシカは跡形もない。
「ふむ。どうやら爆発するかどうかは、スタンド使い本人が決めているわけでは無さそうだ。消えているあたり」
「どういうことだ?」
「コイツは君と同じく、ある程度指示も聞ける操作型のスタンドのようだが、自律して動いている」
「つまり、倒したらどうなるんだ!?」
「どうもしない。いいか。スタンドはその能力の細かさに応じて、本体にフィードバックするダメージが増える。こいつの場合機能が単純な分、倒しても別に本体にダメージは届かない」
「……最初から言えなかったのか、それは」
「仕方がない。スタンドとは情報戦だ。今私が事細かに説明できたように、攻撃するとはすなわち手の内を晒す、ということだ。自分から弱点を晒すようなものだ。スタンドを使う者たちの大半は、狡猾に動くぞ」
「……相当、厄介なことに巻き込まれてしまったんじゃあないか、俺は」
「ちなみにさっきの不良も、何者かに操られているタイプだ。これもまた、本体にダメージは無い」
「マジかよ……かなり不利だな」
「ここで一つ、いいことを教えてやろう」
「なんだい、スティール」
「スタンド使いはスタンド使いに引かれ合うよう出来ている」
「引かれ合う……磁石とか引力みたいなものか」
「そうだ。敵対する者も、味方になる者も、どちらも引かれ合うよう出来ている」
「現状敵だけみたいだけど」
「まだ分からないか?移動するなら早いほうが良いと言っているのだ。ボヤボヤしてればスタンド使いに取り囲まれるぞ」
さすがにそれを察せないほど俺は甘ちゃんではない。ひとまず頬の手当てのため保健室に行くと決めて、俺は走り出した。
─3─
様子のおかしい不良を何人か素手でブチのめして学校に入ると、さすがに校舎の中にはそんな異常な者はいなかった。朝練する野球部員の声に、まばらな管弦楽の音。そして、廊下を行き交う生徒たち。朝の怒涛の混沌の連続とは無縁ともいえるほどに、平和そのものだった。
俺は過去いちその平和に安堵しつつ、保健室へ歩いた。
俺が保健室の扉を開けたときは、思わず顔をしかめそうになった。
げっ不良がいやがる。まあ、普段は仮病なりなんなりで一人は必ずならず者が保健室にいるんだが、今日はなんと二人がベッドを占拠し、さらにもう一人、この学校で一番出会いたくないヤツがいる。
女ならこの傑物の負傷をセンチな肴にして黄色い歓声を上げるのだろうが、俺からすれば怖くて仕方ねえ。
空条承太郎。この学校どころか、地区いや、県きっての不良だ。喧嘩で怪我してる姿なんて見たことは無いと、ベッドで寝ている不良が評しているがその通りだ。それゆえ不吉だ。まさかスタンド使いとやりあったとか?保健室の女医が高笑いしながら、承太郎の足の怪我について言及している。
「ほほほ、じゃあ転んだって信じるわ、あわてんぼうさん」
絶対ウソだな。
「おい待ちな。何をする気だ…?」
「ズボンを切るのよ、手当て出来ないわ」
「冗談じゃねーぜ。脱ぐよ、もったいねー」
女医はパンパンに膨れた承太郎のズボンを指差して万年筆をちらつかせる。町の人いわく、承太郎の学ランもかつてはぶかぶかだった時代があるらしいが、今じゃその肝心の学ランは筋肉ではち切れそうでとても信じがたい。
「ホホホ、意外とセコいヤツね。さあ、JOJOがズボンを脱いでる間に、君たちの体温を計って仮病だってこと証明したげるわ」
「カゼですよォ~早引けさせてくださいよォ~」
まだ始業すらしてないのに何を早引けしようと言うのやら。まあ、平凡な学生の俺には思い至らないビジネスにてもお熱なんだろう。さっさと薬剤と包帯で手当てして教室に行こう。いつもどおりに。
「ダメだ」
声がする。ラジオから辛うじて俺だけが聞き取れる小さなノイズで、スティールは呼び掛ける。
「ここから始まるのだ。君が立ち向かうべき運命の」
運命だと?そんなこと言ってる場合じゃあないだろ。まずは手当てだ。と、俺は薬の棚から一枚の紙を発見する。発見というには目立ちすぎる位置に、それは貼り付けられていた。保健室の椅子に座る承太郎でも見えるくらいに。俺はその送り主の名を読み上げる。
「花京院典明……?」
「せ…先生…な…なにをしているんです…!!」
「ひィィ!!」
ベッドの不良二人が小物じみた悲鳴を上げて、俺はびくりとその方を向いた。しまった、こうしてビビってるのを態度に出すと目を付けられてしまうんだ。あくまで冷静にするんだ、俺!
だが俺はその光景に、怖れざるを得なかった。
「!?」
女医がちらつかせていた万年筆を振り回し、口から泡を噴いている。
「なにを?って…体温計を振って目盛りを戻してるんじゃあないのッ!」
「ひいい……せ、先生…それ万年筆ですよぉ!」
「これが万年筆に見えるですってえ!?なんて頭の悪い子達でしょう!ガボッこれが万年筆に見えるの?ガボガボ」
噴き出るあぶくの数が増えていき、激情に駆られた女医は不良の左目に万年筆を突き立てた。痛みに叫ぶ不良に対しフヒィーッヒィーッと喘息のような音を女医は立てている。単なるヒステリーにしては明らかにおかしい。
「JOJOォ……あなたはまさか万年筆に見えるなんて」
「こ、コイツ……」
承太郎は女医の万年筆を腕で受け止めるも、驚くことなかれ、拮抗していた。県いちの不良である承太郎に、保健室の女医が腕力で打ち勝ちそうになっている。
明らかにおかしいと俺は考えたがその通り、保健室の床に、明らかに場にそぐわない異質なものが這っているのが見えた。触手だ。点滴のような細さの半透明な緑色の触手が1本、女医の尻の付け根辺りから延びて地面を這っている!
「花京院典明……張り紙にあった名前のヤツ……まさかこれはスタンドで、花京院はその持ち主かッ!!」
「その通り…」
「て、てめーは!」
「その女医には私のスタンドが取り憑いている。私のスタンドを攻撃することはその女医を傷つけることだぞ、JOJO」
校庭に向けた窓に、一人の男が立っていた。赤銅色の髪を一房前に垂らしたその長身痩躯の男は承太郎に向かって言い放つ。
「私のスタンドは【法皇の緑】。承太郎、お前のところにいるアヴドゥルと同じタイプのスタンドだよ。我が名は花京院典明!!私は人間だが、あの方に忠誠を誓った。だから貴様を……む」
しまった。あんまりその光景に見入っていたからか、花京院は俺に気付いてしまった。
「そこのお前、見えているんだろう?」
銅色の髪を持つ長身の男、花京院典明は俺を指さす。
「見えているんだろう。このスタンドがッ。だが今そっぽを向いて立ち去れば───」
「見逃してくれる、というんだな」
「そうだ。いでたちからして、お前はスタンドとの戦闘には不慣れなようだし、何よりお前は私の”リスト”に入っていない。我々に着く気も無さそうで、承太郎とも大して交遊があるわけでもない。完全に無用で無関係の人間だ」
……ああ、その通りだ。この大神鉱斗は、平々凡々な一般高校生だ。しかし、
「さあ、疾くここから去れ!!」
「確かに俺は普通の人間だ。だがな!」
俺は大きく一歩を踏み込み、花京院とやらに向かって吠える。確かに俺は普通の高校生だった。だが今日からは違うと、俺は俺に叱咤した。
「もう戻る気は無いんだぜッ!!この退屈でフツーの日常ってやつにはよお~~!!」
「そうか。ククク。ではお前から先に死ね」
ああチクショウ、いっちょまえに不良の口調を真似てみたが怖え、明らかに不良や飛ぶマトリョーシカとは、スタンドの『格』が違う!勝てるのか?だが言ったからには戻れないよな。
「オイ」
承太郎は女医に口づけをし、女医に取り憑いていたスタンドに噛みつき、引きずり出した。そして俺に這い寄る触手をスタンドで踏んづけた承太郎は、花京院を睨みつける。
「おっと、さすがに私のスタンドでお前を搔い潜るのは難しかったか。だが承太郎。その触手は私のほんの一部に過ぎない。確かに踏まれればちょいと痛むが、再起不能には至らないし、行動を阻害するにもまた、至らない」
「強がるなよ。テメーのスタンドに食い込んだ、俺のスタンドの指の跡がくっきりとてめーの二枚目面にも現れてる。このまま寝かしつけてやるぜ」
言い終えると同時に、メロンのような体色のスタンドは、その全貌を露にする。美しい翠緑の身体とメロンのような細かい白い脈が張り巡らされた奇妙なスタンド、これが、【法皇の緑】だッ。
「いいだろう。貴様ごと、あのガキも吹き飛ばしてくれる」と花京院は宣告、法皇に両手を合わせさせる。合わさった両手を少し開ければ、そこには滝があった。両の手から互いを打ち消し合うかのように濁流が流れ出ている。その濁流の合掌から、無数の宝石が迸る。
「エメラルドスプラッシュ!!」
緑色の宝石のほとんどは承太郎に直撃した。数粒は逸れるも床に天井を跳弾し、不良や俺の身体にもブチ当たる。俺は痛みに叫ぶ。
「ぐあッ」
「こ…これは……」
「これがエメラルドスプラッシュ。我がスタンドの必殺技だ。貴様に見えたあの緑の濁流は、”破壊エネルギーのビジョン”。貴様のスタンドの胸を貫いたぞ承太郎!貴様はもうズタボロだし、そこにいる女医も私のスタンドで中身をいじくられ重傷だ。さあ、次こそはそこのガキ、貴様が相手だ」
両手を開いて花京院はにじり寄る。法皇に両手を閉じさせながら。
「承太郎、これはお前がやったのだ。周囲の人間を巻き添えにしたのだ。そしてこれから無知で哀れな一人のスタンド使いもまた、貴様の目の前で惨殺、処刑されるのだ!!JOJO!これはお前のせいだ!お前がやったのだ!!」
承太郎は口から垂れる血も拭わず、無言で立つ。両手を握りしめながら。
「ほう、まだ立ち上がるか。だが悲しいかな、その行動を例えるならボクサーの前のサンドバッグ。ヒョロい私でもタコ殴りにできるくらいにな」
「……この空条承太郎は、所謂不良のレッテルを貼られている」
なにを言い出すかと思えば不良そのものだろ、お前は。
「喧嘩の相手を必要以上にブチのめし、未だ病院から出てこれねえヤツもいる……威張るだけで能無しなんで気合いいれてやった教師はもう二度と学校へ来ねえ」
俺の選択科目で個別指導してくれた教師が来なくなったのはお前のせいなのかよ。
「料金以下の不味い飯を食わせるレストランには代金を払わねーのはしょっちゅうよ」
並みの俺に言うことなんかもうないよ。
「だが…こんな俺にも、吐き気のする悪はわかる!!「悪」とはてめー自身のために弱者を利用し踏みつけるやつのことだ!!ましてや女をっー!貴様がやったのはそれだ!あ~~~ん?おめーのスタンドは被害者自身にも、法律にも見えねえしわからねえ…だから……」
俺は一度だけ、承太郎が喧嘩してる現場を見たことがある。ただの物見遊山だし、参戦する気も無かったからビビって近くの屋内の二階からだが、ソイツは激昂する不良に対し、涼しい顔で、無言のままブチのめしていくその姿は、冷血無慈悲な殺人鬼かと思ったものだ。だが現実は違った。今この場で確信した。コイツは熱い。正義に燃える熱き男なんだ。正義とは何かを自問し、彼なりのポリシーを持つ漢なんだ。
承太郎は毛髪と一体化した学帽のつばを、指でなぞる。
「だから、俺が裁く!」
「それは違うな。「悪」?「悪」とは敗者のこと、『正義』とは勝者のこと。生き残った者の方だ。過程は問題じゃあない。負けたやつが『悪』なのだ」
「取ってこい!」
俺は叫んだ。花京院のエメラルドスプラッシュの直撃を食らいながら、俺の半身に向かって叫んだ。俺は保健室のドアにぶつかり、ドアと一緒に廊下まで吹っ飛ぶ。
「フ、なにをするかと思えばスタンドの命令さえろくに出来なかったとは、計算外だったよ」
法皇は構えながらも、その尾っぽは逃げ込むための身体をベッドへ向けて探していた。しかしその尻尾は何者も捉えられず、フリフリと泳ぐ。
「人質に出来る体はもう無いぞ」
俺はワイルド・ハーツで患者と女医を保健室の外まで運び終えていた。
ワイルド・ハーツは人並みのパワーしか持たないみたいだが、三人くらいなら一気に背負えるようだ。知能も低いが、犬が棒切れを取ってくることになんの疑念も抱かないように、俺の単純な指示を聞いてくれた。
「き、貴様……」
「へ、へへ」
頭から血を流しながら俺は格上のソイツに指差して言ってのける。
「悪者ってのはよお、どこまでも泥臭く足掻くところは正義の味方と同じなんだ。同意するぜ花京院。だがッ。袂を分かつのは、その足掻く手段が人道を逸れるかどうかだと俺は思ったんだ!俺がスタンドに出した命令は攻撃じゃあねえ!人質を救い出すことだったんだ!」
「貴様」と睨む間もなく、花京院の隙を逃さず半透明の大男が法皇を首の辺りで掴んだ。花京院は「しまった」と言う間もまた無かった。
「敗者とはやはり、てめーのことだったな」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ」
出た!あれが、承太郎のスタンドの全身!!デカい。まるでボディビルダーのようだが、シュワルツェネッガーよりも遥かにデカい筋肉の塊だ!!
残像が見えるくらいに法皇の頭は高速で揺さぶられる。脳味噌でメロンシェイクが作られてそうで思わず口元を手で押さえた。さらに大男の五指は硬く握り込められて、片手でメロンに乱打を食らわせる。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ」
ギリシャの英雄かのような筋肉ダルマに、片手でとはいえブン殴られればひとたまりもない。花京院は全身から血を噴いて倒れ、花京院の背後にあった保健室の壁もろとも吹き飛ばされた。
「裁くのは俺のスタンドだッ!」
フウ、とようやく一息ついた承太郎は俺に言う。
「助かったぜ。だがてめーのそれはスタンドか?まさかと思うが、てめーもDIOの手下か?」
いざ睨まれるととてつもなく恐ろしい。だが今は、俺もその眼差しに立ち向かう心構えが出来ている。同じ敵と戦った者としての自覚があるから。
「いいや」
「フン。……お前のスタンドも、戦いに向いているタイプと見たが、制御が効かないのか?」
「承太郎の行動が少し妙だと思ったんだ。そこで考えた。スタンドのパワーが強過ぎて、周囲の建物や人までもまでぶっとばしちまうんじゃないかってな。まあ、戦えないのはそうともいえる。俺も今朝コイツに会ったばかりでさ」
女医の白衣を遊びではぐはぐ噛んでいるその狼男を仕舞おうとするも、帰ってくれない。
しかし、うーむおかげで校庭がよく見える、と俺はとぼけて見せるが、承太郎は眉一つ動かさず、花京院の元に歩み寄り、彼を拾い上げる。
「どうするんだ?こんな人を診れる医者なんていないと思うけど」
「ツテはある。ジジイのところだ」
「ジジイ?仙人か何かか?」
「バカ言ってんじゃあねえ。お前も寝るか?」
「いいや、そういうわけにはいかない。承太郎、実は道すがらこんなものを拾ったんだ」
俺は道端で拾った珍妙なカードを取り出し、承太郎に掲げてみる。
「これ、見覚えないか?」
「なぜ俺に訊く」
「頭がおかしくなった不良のポケットに入ってたからだ。あんまり悪く言うつもりはないが、このテの情報とくれば、お前にこそ訊くべきだと考えたんだ。なにか分からないか」
「フン。そこらの不良の頭がおかしいのは当たり前だが、どうおかしかったんだ?」
「そりゃあ、そこの花京院のように、なにかに操られていたかのように泡吹きながら俺を襲ってきたんだよ」
「……」
承太郎は無言で俺からカードを引ったくり、小さくウムと頷いた後、花京院を米俵を担ぐかのように肩に乗せ、マラソン選手も真っ青なペースで走り出した。
「承太郎!?どこに行くんだ!」
学校の裏口を抜けて東へ1キロ。そこには商店街があるが、その商店街の南端、西沿いにその建物はあった。承太郎はその建物に一切躊躇なく入ってゆく。
「ゲームセンター……」
承太郎を止める気などさらさらないが、ええいままよと俺も中に入った。
まだ朝早いから筐体は動いていないし、屋内に隣接したカウンターも、酒を抱えているがバーテンダーもいない。しかしそんな管理者不在の場にも関わらず、大量の不良どもが店内を彷徨いていた。全員が泡を吹いて。
クラブを兼ねたゲームセンターだから当然客層もアレな人達が多い。だが明らかにおかしい。
ボグォ、と轟音が聞こえ、俺がその方を向こうとしたら、不良どもが一斉に床に伸びた。
「どうやら自覚なしにスタンドを使っていたみたいだな」
承太郎が背中をどかすと、そこには美しい女性が寝ていた。顔が二つあるのかと見紛うほどに、左頬を真っ赤に腫らして。その女の手には、俺が拾ったものと同じデザインのカードが握りしめられていた。
「もう終わったのか」
「女に手を挙げる趣味はねえが、町に害を為すからには、ブチのめすしかねえ」
やれやれ、と承太郎はその女も抱える。
「これからジジイのところに連れていくが、丁度いい。お前も診てもらえ」
「信用出来るのか、その人は」
「不良の俺に着いてきておいて何を言ってる」
確かに一人で今日一日をやり過ごせるとは思えなかった。安全地帯かと思われた学校にも敵が潜んでいた。
だがしかしチャンスだとも思った。この空条承太郎、不良だが味方でいる限りは殴ってこないらしい。
ならばと俺はその巨漢に付いていった。山の上の屋敷、空条家に。
「ところで、なんでゲーセンだってわかったんだ?」
「不良が持ってたカードがそこの筐体の物だったからな。大方、ゲームを遊びに来た不良を、片っ端から洗脳していったんだろうぜ」
「なるほどな」