俺達が空条家を出た同日の20時30分。俺達は翌13:00エジプト着予定の飛行機の中で、夜を明かすベッドにしては心地は良くない座席に着いていた。それとは別の理由で、俺は席の中でそわそわしていた。隣の座席にすっかり体重を預けた花京院に、俺は喋りかける。目を閉じてはいるが、さすがにまだ寝る時間ではあるまい。
「花京院、物怖じしないんだな」
「ん?なぜ物怖じすることがあるんだ?ただ飛行機に17時間乗るだけだぞ?」
「……実は俺、飛行機に乗るのは初めてなんだ」
「ほう。それまで旅行は陸路だったのか」
「ああ。父が地上で移り変わる変わる景色を見るのが好きだからな。高校から東京で暮らすことになったときも、家具は業者の車に任せて、俺達は新幹線で、だった。とにかく、地面を往くというよりは、空を避けたがっている、という感じだ。母も姉も移動する手段はどうでもよさそうだったが、俺にはそう見えたし、なによりそれに『共感』出来たんだ」
「空を避けたがることに、か」
「跳ぶのもなんだか恐ろしい。なんというか、『浮わついている』だろ?俺はちょっとした浮遊感にも恐怖を覚える。ホラ、車で少しだけへこんだ道路を車輪が乗り越えた時のあの、フワッとした感覚。あれでも十分肝が冷えるが、その最上位の恐ろしさが今から待ってると思うと、そわそわせずにはいられねぇんだ」
「……空の恐ろしさの話をするんだったら、僕らの立つ地殻も、地球の機嫌一つで僕らの真下で地割れを起こすかもしれないだろ?」
「そりゃあ……そうだけどよ」
「……まあ、理屈を並べ立てても怖いものは怖い。それは僕にも理解出来る。恐怖というものなんだろうな。恐怖症等で顕著に現れる『恐怖』」
「恐怖……皆が恐ろしいと言うDIOは、一体どれほどのヤツなんだ……」
「少なくとも、このフライトなんてチャチなものと思えてしまうくらいには恐ろしいヤツさ。どれだけ延びることを望もうと、もう明日にはエジプトに着くんだ。大神、出来ればDIO相手にはこのまま、恐れないままでくてくれよ」
明日には、か。明日にはDIOを倒して帰るつもりでいるのか、いいや、そんな訳が無い。明らかに俺に発破を掛けてくれている。ここにいる者なら、誰にだってそうするだろうな。
….…はは。もの言わない飛行機相手にビビってるようじゃ、いつまでも変わらないだろ。今隣にいる彼に立ち向かったように、ここから一歩を踏み出すんだ。
そのためにもまずはこんな状況でも寝られる肝っ玉をつくらねえと、と数度背中を座席に押し付けて眠れそうな姿勢を探していると、俺は上空を飛んでいる一匹の虫を見つけた。
人間の頭部くらいの大きさの巨大なクワガタムシが承太郎の頭の横を漂っている。で、でかい。
俺も男のコだ。ガキンチョの頃、昆虫図鑑を穴が開くほど見つめて、どの昆虫が最強なのか比べたことがある。そこから世界中のカブトとクワガタはほぼ覚えた。どれ、ここは一つ捕まえる前に、どのクワガタか鑑定してやろうじゃあないか。
世界で一番大きなクワガタはギラファノコギリクワガタ。だがギラファでもあんな大きさには育たねえし、ソイツの見た目は日本のミヤマクワガタのそれだった。
ブリーダーの品種改良を加えた個体が脱走でもしたのか?だとしたら一大事だ。エジプトで外来種とくっつかれたら生態系がメチャクチャになる。捕まえておくか。
そう思い座席を立とうとしたら、舌なめずりのような下品な水音がクワガタから聞こえた。夜目をさらに凝らすと、なんとソイツの口からスコ○ト映画のような口吻が、ご丁寧にホース付きで伸びていた!俺の脳内どころか世界中どこを探してもこんな種がいるわけなかった!
「スタンドだ!この飛行機にスタンドがいるッ!!」
俺の一声で一行は勿論、周囲の乗客数人が飛び起きた。謝るのは心の中だけにした。
「大神!どいつだ!?」
「あの飛んでるクワガタがそうだ!承太郎!!」
「オラァッ」
承太郎の半径2メートル以内をだるそうにホバリングする虫に、【星の白金】はワッと片手の乱打を繰り出す。しかしその百烈の拳は一つたりとて虫を捉えなかった。非常灯のみの薄暗い屋内で、体表から滲み出る油でぬめりを放つクワガタの口吻に、俺は何か閃くものを見つけた。俺が「何か来る!」と叫ぶと同時に、狙われた【星の白金】は突き込まれた何かを手の平で受け止める。手を貫いたそれは、伸びたクワガタの口吻だった!
手を貫いた口吻は、【白金】の口で辛うじて阻止されていた。繋がれた一線を逃さず筋骨を爆発させる【星の白金】。しかし両手によって繰り出されたラッシュを、クワガタは口吻を切り離して逃げ回った。高笑いと共に。承太郎は恨めしく唇から血を数滴吐き捨てた。
「バカな!承太郎のラッシュを掻い潜った!?しかも両手の!」
花京院はかつて【星の白金】に揺すられた自分の頭を手で押さえる。俺はスタンドの専門家に、ヤツが何者なのかを尋ねた。
「聞いたことがある。舌を食い千切る殺し方に執拗に拘るスタンドを。仮定するなら、タロットの【塔】のカード!破壊と災害、旅の中止の暗示を持つスタンド!!ヤツは、タワー・オブ・グレー!!」
「旅の中断!?まだ始まって1日も経ってねえのに!」
「早々に挫きに来た、という訳か。事故に見せかけて大量殺戮をするスタンドだ。昨年に起きた大事故は、報道で明かされたその原因の不明さから、我々の界隈ではスタンドによる仕業と見ていたが……」
「ケッハハ!!いま零距離で散弾銃をぶっパナしたとしても、俺のスタンドには触れることすらできん!銃でスタンドは殺せねえが、まあ言葉の文よ!」
スタンド使いは!これ程強いスタンドだ。空港に着くまでのアヴドゥルとの談義によれば、スタンドの強さと持ち主の物理的な距離は反比例する。本体が必ず近くにいる筈だ。
(……ダメだ。皆呑気に寝てやがる。俺の声で叩き起こされたヤツも、すっかり他の乗客同様寝入ってしまった!俺達の起こしてる騒ぎは決して静かじゃない筈だが……)
「本体も狸寝入りが相当上手いぜ、これは」
見回した時間はほんの一瞬だったが、俺が視線を戻したときには【灰の塔】は既に姿を消していた。
同時に、肉が裂けるような音が座席から聞こえた。決して普段キッチンで聞く規則正しく肉の切られるような音じゃあない。牛や豚を、生きたまま引きちぎるかのようなグロテスクさがその音にはあった。俺はその音の正体に、思わず狼狽えた。
「ううッ!!」
脛椎から口を貫かれた乗客。およそ五人が縦に並んで死んでいた!!貫きたてホヤホヤのヤツの口吻には、均一に五枚の舌が並べられている。
「ケッヘヘ!ビンゴ!!舌を抜き取ってやった!!そして、俺の目的はぁッッ」
舌を束ねて【灰の塔】は機内の壁に、口吻を絵筆に見立てて血を塗りたくる。その塗装の規則性から俺達は、筆遣いから文字を書いてることがすぐに分かった。こんなところで人間味を見させられるとは。
好きでもないお勉強を一頻りやった俺には意味が分かった。
Massacre!!
皆殺し!!
(くそッ。このまま乗客全員が死ぬのを待つか?そんなわけにはいかない!)
「頼む!ワイルド・ハーツ!」
狼男は大きく口を開けて、俺の体から弾丸のように一直線に突進する。乗客の座席の上を埋め尽くす毛むくじゃらは、さながら迫り来る壁のように天井部分を攻撃できたはずが、【塔】は虫特有の無表情を浮かべたまま、人の腰程度の高さを飛んでいる。
「オイオイ、まさか面で制圧すれば俺を止められるとでも思ったのか?お前の突進は確かに速ぇが、分かるぜ。お前は善人気取りだから座席ごと攻撃出来ねぇんだろ?だから上を攻撃した。なら俺はこうして下りてやればいいんだぁ~~。2階から1階に、初めておめかししたシンデレラかの如く優雅になぁ!」
「大神、君のスタンドは大きすぎて、飛行機の狭い空間じゃあ満足に動けない。落ち着くんだ」
「分かった。あっ、おい!」
頭を天井に押し付けられて不満の唸りを漏らした狼男は、勝手に俺の中に帰っていきやがった。犬小屋に入るみてーに。
「ならば私が──」
「待ってくださいアヴドゥルさん。まだ僕の話は終わってません。貴方のスタンドの炎で、機内を焼き尽くされては困ります。承太郎でも、スピードがあっても機内に穴を開けられたら大変だ。大神のスタンドは射程があってもスピードは殺されてしまう。……だからここは、僕の【法皇】に任せてほしい!」
胸に手を当て、花京院は進言する。「え、ワシは?」とぼやくジョセフを差し置いて。
「花京院、テメーのスタンドはたった今DIOから聞かされたぜ。そこの紫の大男ようなパワーも、狼男のようなスピードもねえ!そんななまっちょろいスタンドで、テメーに何が出来るってんだ!?」
「スタンド同士の戦いを単なるスペックの差で結論を語るのは、いささか急ぎすぎゃあないか?僕の聖なるスタンド、その恐ろしさをお見せしよう!」
【法皇】は両手に翠玉色の濁流を蓄え、放つ。
「エメラルドスプラッシュ!!」
見たことは無いが、恐らく弾丸並みの速度で発射される宝石の嵐。射程も威力も十分だ。だがしかし、
「数打ちゃ当たる戦法かあッ?ナメられたもんだぜッ!俺が何人殺してきたか知らねえだろ!教えねえがな!」
【灰の塔】にはかすりもしなかった。【塔】は空中を軽やかに跳躍し、口吻を【法皇】の口元にブチ込んだ!メロンのマスクは砕かれ、花京院は血を吹いて倒れ伏せた。
「ハッハハ!!スピードが違うんだよッスピードがあッ!!次の攻撃で貴様の舌を、このタワーニードルで突き刺して、引きちぎってくれるわ!!」
花京院はその宣告に抗ってか歯を食い縛り、再びエメラルドスプラッシュを放った。しかしそれもまた、【塔】に容易く躱されてしまう。
「ま、まずい!またエメラルドスプラッシュが躱されている!」
花京院の渦中に俺は考えた。いや待て。確かに花京院が心配だが、今の一撃でぶっ倒れる程のダメージを受けるか?スタンドの身体のダメージは本体にフィードバックされる。口をぶっ壊された【法皇】は確かに痛々しいし、俺も食らえばめちゃ痛い。けどそれは、満足に動けなくなるほどのものなのか?
俺の思考をぶった斬るかのように、俺の背中に鋭い痛みが走った。立て続けに何発も。
「いダァーッッ」
俺は身体をダイナミックによじらせる。その拍子に、いや、鼻をくすぐられてくしゃみが出るのと同じくらい自然かつ唐突に、【ワイルド・ハーツ】が俺から飛び出した。座席1番に向かって。【灰の塔】まで巻き込めそうなくらい大きく両腕を広げて。
しかしまたしても座席の上を突進して、狼男はスチュワーデスのいる壁面で着地した。
もし人の顔をしてるなら、そのクワガタは勝ち誇った笑みを浮かべて宣言する。
「もうその手は食わねえよクソガキ!これで終わりだ花京院!引きちぎられて苦しみ悶えやがれ───」
その確信は、すぐに立ち消えることとなる。クワガタの小さな身体を、はち切れんばかりに【法皇】の触手が貫いている!
「な、なにィ~~~ッッッ!?」
「僕は既にシートの中や下に、【法皇】を仕込んでいたのさ」
【法皇】の触脚を座席に大量に仕込んでいた!蜘蛛の網に絡まる虫のように【塔】を捕らえ、【塔】の身体にはゆっくりと穴が空けらていった。座席に寝ていた一人の老人が、同時に苦しみ悶えていく。爆散した【灰の塔】と同じように、身体が引き裂かれてしまった。
「過信が招いた罰だったな」
圧巻なのは、機体に一切傷が付いていないことだ。エメラルドスプラッシュの破壊力なら機体に穴を空けられただろうが、そうならないように射出の角度を調節していたというのか!宝石が座席や壁にぶつかろうとも壊れない、なおかつ敵スタンドにダメージを与えられるよう練られたスタンドの業だッ。
俺は自分の背中を器用にまさぐると、制服に数ヶ所穴が開いていることに気付いた。これは!大きさからして、
「エメラルドスプラッシュか。なんで俺の背中に……?」
「すまない、大神。それなりに加減はしたのだが、制服に傷を付けてしまった。きっと親御さんが買ってくれた大事なものなんだろう」
「服のことはいいんだよ。そうじゃなくて花京院!なんで俺を撃ったんだ?人命に関わることなんだから寧ろ責められるのはそっちの方だろ」
「ああ、それもそうか。……僕には、あと一手だけ、決め手が必要だった。僕のスタンドは素早くない。それを眩ませる弾速を持つエメラルドスプラッシュはある。だが、速さ自慢のヤツはそれを警戒する。僕の罠に誘い込むには、まだ足りない。アッと驚かせる決め手が必要だったんだ」
「それが、俺のスタンド、なのか?」
「僕の見立てでは、君のスタンドは、もっと速くなれる。現に、僕に殴られて飛び出した君のスタンドは、君の命令で繰り出したときよりも一段速かった」
「そうなのか?気付かなかったぜ」
「うむ。悔しいことに、我々は観察に徹することしか出来なかったが、確かに私にも、大神のスタンドはかなり速く動いたように見えたぞ」
「アヴドゥルさんまで……」
「あー、ところで」
ジョセフが挙手する。
「ワシが列挙されるスタンド使いの中にいなかったのはどうしてかな、花京院?」
「それは、僕の作戦と役割が丸被りするのと、貴方のスタンドは出現場所が右手だ。こっそり這わせるにしてのも無理だし、それに、強度も無い」
「なるほどな。ワシにも自覚はあったのじゃよ。いや、全くその通りなのじゃが……」
なにやらその老人は苦笑していた。まあ、苦々しいのは俺もそうなのだが。なぜならおいそれと寝直す訳にもいかなくなったからだ。血みどろの機内で、俺は座席に座ったままの死体を見つめて大きく唾を飲んだ。
「どうした?」
「いいや、死体を見て少し驚いただけさ。心配いらねえ」
冷や汗一つかいてない承太郎に俺は答えた。
俺は、今までの人生で死体を見たことがない。道端で轢かれた死んだ野良の犬猫を数に入れたら話は変わってくるが、人間のものは一度も、だ。
身内なら曾祖母が亡くなって久しいが、それも俺が一歳の時のことだ。覚えちゃいねえ。
人が死ぬ機会自体ならいくらでもある。テレビが言うには世界各地じゃ紛争は絶えねえし、俺のいる国でも事故、事件はいくらでもある。でもそれらは全部、俺の近くで起きちゃいない。
やれそこの不良が喧嘩でやり過ぎただの、近くで強盗がヤっただの聞いたとして、それが俺や、家族や、友達にまで及んだことは、これまで一度も無かったんだ。
俺は何食わぬ顔を浮かべて、言ってのける。
「画面の向こう側で見ていたものが、今目の前に移っただけだ。だから平気───」
ふと背中に、温もりを感じた。振り向くとそこには、小さな火種が浮かんでいた。
またスタンド攻撃か、と俺は身構えたが、周囲の静けさから俺以外が気付かない筈がねえ、と考え直した。その火の正体は、アヴドゥルの【魔術師】によるものだった。
「その割に、随分と冷や汗をかいてるじゃあないか……人の死に、慣れることは無い。そこらのティーンエイジャーだろうが、我々大人だろうが、それは変わらない」
「アヴドゥルさん……」
俺が感謝を述べる前に、機体が大きく揺れた。いや、揺れ始めたのだ。乱気流に突っ込んだわけじゃなさそうなのは、感覚で分かる。
「な、なんだ!?」
スチュワーデス達を押し退け先頭へと向かうと、なんと操縦士が死んでいるじゃあないか!!副操縦士も、しっかり舌を抜かれて殺されているッ!!
「既に操縦士達を殺しておったようじゃのぉ……」
「うぉぉぉおおお!!!」
座席の方から声がする。さっき倒したはずのスタンドの持ち主が何か喚いているようだが、承太郎が殴り飛ばした。
「さあて」とジョセフは指をポキポキ鳴らし、操縦席に座った。
「ジョースターさん。まさか、飛行機の操縦、やったことあるんですか?」
「おう。何度か、な」
「オイ。あんまジジイの言葉を信用しない方がいいぜ。コイツは2回操縦して、2回とも墜落してる」
「果たしておるのかのう。
人生で3回も飛行機で墜落するやつなんて」
「俺なんて初めての飛行機で墜落だぞ!?」
「あと2回でワシと並べるのう!ま、それまで生きていればの話じゃがな、ガッハッハッ!!」
「……ジジイ、二度とテメーとは一緒に乗らねえ」
夜9時海上、俺達はジョースターさんの機転でなんとか不時着し、しばらくの間救助を待つことになってしまった。
ポルナレフ戦で詰み、ある技を覚えるべく最初からやり直した結果ものすごく延びてしまいました
次回の更新は【灰の塔】を倒してから