2094年4月。
桜の季節。
しかし、国立魔法大学校付属第四高等学校が位置する浜松はすでに生暖かく、海からの風には初夏の匂いが混じっていた。
第四高校の校風は、その理念に違わず、無機質。
『魔法は理論。魔法は学問。』
第一高校が魔法師というエリートの育成を掲げるのとは対照的に、四高が求めるのは「理論の純度」 だった。
感情や経験は、再現性を損なう誤差として扱われる。
その入学式で、新入生総代として壇上に立った少年は、その無機質な空間において、ある種の完璧な調和を示していた。
「新入生総代、普通科A組、四葉元弥」
呼ばれた名に、会場の後方が
「十師族」が、それも「四葉」が、この理論の殿堂に、首席で入学した。
壇上に上がった元弥は、母・真夜の面影を強く引く冷やかな瞳で、静かに満場の新入生と在校生を見渡した。
「……第四高校の理念、『魔法は理論。魔法は学問。』。私は、この言葉に強く惹かれ、この場に立っています」
彼の第一声は、四高の理念を完璧に肯定するものだった。
元弥は、自らが十師族の一員であることを深く自覚しており、公的な場で無用な波風を立てることを良しとしなかった。
「純粋な理論の探求は、魔法という技術を次の次元へ押し上げるために不可欠な礎です。しかし」
彼は、ここで一拍置いた。
「理論の探求は、それ自体が目的であってはなりません。理論の探求は、社会に、人々に還元してこそ、その真価を発揮します。私たちがこの学び舎で得るべきは、体系的な理論と、それを実社会で運用し、社会を支えるための強固な意志であると信じます」
完璧な優等生の挨拶。
四高の理念を尊重し、その上で「社会貢献」という非の打ち所がない目標を付け加える。
在校生席、それも生徒会役員が並ぶ一角で、一人の女子生徒がそのスピーチに聞き入っていた。
黒髪を後ろで束ね、淡い藤色の瞳を持つ、整った中性的な顔立ちの少女。
二年A組、生徒会副会長、
彼女は、隣に座る小柄な広報・伏見玲に、笑顔でささやいた。
「面白い子が入ってきたわね。『社会を支えるための強固な意志』ですって。今年の書記は、彼にしましょう」
彼女だけが、その挨拶に隠された、少年の
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その頃、遠く離れた八王子。国立魔法大学校付属第一高等学校。
七草真由美は、新入生が退出した後の講堂で、新学期の慌ただしさの渦中にいた。
二年生に進級した彼女は、今や生徒会副会長という重責を担っている。
「副会長! 新入生クラブ勧誘の動線、最終確認お願いします!」
「真由美さん、風紀委員会との調整会議、15分後です!」
「わかっているわ、すぐ行くわね」
完璧な笑顔。
七草家の長女としての気品と、アイドル的な人気を兼ね備えた彼女は、まさに一高生徒会の顔だ。
だが、その華やかな喧騒の中、彼女の意識は、ほんの一瞬、東海地方へと飛んでいた。
(元弥君は、今頃どうしているかしら……)
那覇での盟約から、一ヶ月も経っていない。
あの南国の熱気の中で交わした共犯者の契約。
利害と打算の上に築かれた、しかし確かな信頼。
「あなたなら、信頼するに足るかもしれない」
あの時の、ひんやりとした掌の感触と、年下とは思えぬ静かな声が、耳に残っている。
(私たちは、婚約者になった)
その事実は、七草家内部の力学を確実に変えた。
母と後妻派が明らかに優勢となり、真由美は次期当主の最有力候補として、家中だけでなく、他家からも見られるようになった。
だが、真由美はこれを既定路線だなどと、勇み足を踏むつもりはなかった。
(追い詰められた
前妻派の異母兄たちの、不気味な沈黙。
それこそが、彼女の胸の内に冷たい影を落としていた。
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放課後。四高生徒会室。
元弥は、副会長
扉を開けると、そこは「理論」の信奉者たちが集う、静謐な空間。
「ようこそ、四葉元弥君。生徒会へ」
笑顔で元弥を迎えたのは、葵だった。
室内には、他に三人の役員がいる。
銀縁眼鏡をかけ、白衣に近いコートを羽織る、三年A組、会長の
切れ長の瞳で、方程式のような整然さを持つ、二年A組、会計の
そして、葵の隣で不安そうにこちらを見る、二年B組、広報の
「新入生総代の挨拶、素晴らしかったわ」
と葵が切り出す。
「『社会貢献』。まさに、私たちが目指すべきところよ」
「理念の延長線上を述べたまでです」
元弥は、静かに返す。
その答えに、榊原会長は冷たい視線を向けながら、口を開いた。
「理念の延長、か。四葉君。君の言う『社会貢献』が、理論の純粋性を歪める『誤差』にならなければいいが」
「会長のおっしゃる通りです。完全な理論の構築こそが、我々の本分です」
と、
生徒会室の空気は一瞬にして凍る。
だが、元弥は表情一つ変えない。
「会長。魔法師が社会から
その瞬間、葵が、楽しそうに手を叩いた。
「……やっぱり、あなたは『そっち側』ね」
葵は、榊原と春日野を「理論派」、そして自分と元弥を「調整派」 と、明確に線引きした。
「四葉君。あなたに、この生徒会の書記をお願いしたい」
「……理由を」
「あなたが『調和』を好むからよ。私と同じ、理論と現実の境界線に立つ人間。でも、四葉君は私よりもっと冷徹に、現実に『手を汚せる』人でしょ……?」
『心理掌握』。
その言葉は出さずとも、この副会長は、元弥の本質を正確に見抜いていた。
元弥は、わずかに口角を上げる。
「……面白い。この生徒会、退屈はしなさそうだ。お受けします、副会長」
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その夜。
一高の自室に戻った真由美は、端末の通信履歴を見て、小さくため息をついた。
(……かけるべきか、どうか)
相手は、もちろん四葉元弥。
用件は、新学期の挨拶と、生徒会入りの報告(これは、既に七草家の情報網で掴んでいた)。
だが、本当の用件は、それだけではなかった。
今日、彼女の母から、極秘の連絡が入ったのだ。
『前妻派の者たちが、国防陸軍の佐伯少将 と、非公式に接触した形跡があります』
(佐伯少将……!)
真由美の脳裏に、総白髪の、しかし小学校の女校長先生のような柔和な容姿とは裏腹に、「銀狐」とまで呼ばれる国防軍の才女の姿が浮かんだ。
国防軍内における十師族批判の最右翼。
国の防衛が十師族という私的な枠組みに依存している現状を、最も厳しく糾弾している人物だった。
家の内紛に、軍、それも反十師族派のトップが介入する。
派閥抗争のレベルが、一段階上がった。
(これは、七草家の問題。私が処理すべきこと……)
そう思う一方で、彼女の心には那覇での元弥の声が響いていた。
(『あなたなら、信頼するに足るかもしれない』)
信頼。
真由美は、意を決して、通信ボタンを押した。
数コールで、画面に元弥の無表情な顔が映し出される。
「……こんばんは、真由美さん。どうされましたか」
「こんばんは、元弥君。新入学、そして生徒会書記就任、おめでとう」
「情報が早いですね。あなたこそ、副会長としてお忙しいようで」
当たり障りのない会話。
浜松と八王子という物理的な距離が、二人の間に見えない壁を作っているようだった。
真由美は、胸が苦しくなるのを感じた。
これは「恋愛」とは程遠い、乾いた感情のはずだった。
だが、彼の顔を見ると、心がざわめく。
「……元弥君。今日、あなたに話しておかなければならないことがあるの」
真由美は、佐伯少将の件を、淡々と、事実だけを伝えた。
情報を共有すること。
それが、二人の「盟約」だったから。
元弥は、黙って聞いていたが、聞き終えると、静かに分析を始めた。
「佐伯少将……あの『銀狐』ですか。十師族に依存しない戦力を標榜する、国防軍の才女ですね。 七草家の内紛に乗じ、十師族切り崩しの足掛かりにするつもりか。厄介です」
「……ええ。私のお兄様たちも、追い詰められて、分別を失っているようだわ」
「それで、あなたはどうしたいのですか」
「私は……」
元弥の問いは、彼女の覚悟を問うていた。
「私は、七草家を、私の手で掌握する。そのために、邪魔なものは全て排除するわ」
「分かりました」
元弥は、画面越しに真由美を真っ直ぐに見据えた。
「真由美さん。那覇でも言いましたが、俺たちは『共犯者』だ。あなたの敵は、俺の敵でもある。佐伯少将の件は、こちらでも……父(九島前) のルートも使って、探りを入れておきましょう」
「……ありがとう」
その言葉は、真由美の口から、無意識にこぼれていた。
安堵。
政治の渦の中で、たった一人で戦っていると思っていた。
だが、今は違う。
画面の向こうに、年下だが、自分よりも遥かに深く、冷たい闇を見ている「婚約者」がいる。
「元弥君は……四高の生徒会は、どうなの?」
「こちらも、退屈はしなさそうです」
元弥は、
「一高とは違う意味での『戦場』ですよ。理論という名の、絶対的な『壁』がある」
「ふふ……。お互い、大変ね」
初めて、二人の間に、政略ではない、穏やかな空気が流れた。
「では、また連絡します」
「ええ。……気をつけて、元弥君」
通信が切れる。
真由美は、まだ温かい端末を胸に当てた。
(一人じゃない)
政治の渦、家の内紛。
その中心で、彼女は確かに「共犯者」との絆を感じていた。
それはまだ、恋と呼ぶにはあまりに冷たく、しかし、信頼と呼ぶにはあまりに熱い、不思議な「感情」だった。
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同じ頃、浜松。
元弥は、真由美から送られてきた『銀狐』佐伯少将と101旅団の資料を眺めていた。
(七草家の内紛、そして四高生徒会。面白い)
彼は、自らの固有魔法『心理掌握』 を使うまでもない、と考えていた。
理論だけでは人は動かない。
(……真由美さんも、そうだ)
冷たい契約と、熱い感情の狭間で揺れる彼女の姿を思い浮かべ、元弥は微かに笑みを浮かべていた。
それぞれの戦場で、二人の戦いが始まった。