魔法科高校の優等生〜四葉の黒太子〜   作:うに・とらひこ

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2094.07:九校戦発足式

2094年7月。

 

夏本番を迎え、浜松の空は、突き抜けるような青に覆われている。

 

だが、国立魔法大学校付属第四高等学校の講堂内部は、強力な冷房によって外界と隔絶され、感情の入り込む隙間もない。

 

無機質で冷え切った空気は、まるで四高の理念そのものを体現しているかのようだった。

 

九校戦選手団の発足式。

 

本戦選手男女10名ずつ、新人戦選手男女5名ずつの計30名、作戦スタッフ4名、技術スタッフ(エンジニア)6名。

 

総勢40名が、壇上に整然と並んでいる。

 

寸分の乱れもない整列は、一見すれば精鋭の集団だが、その実態は大きく異なっていた。

 

無論、四葉元弥もその列に並ぶ。

 

新人戦選手、そして作戦スタッフ(新人戦総指揮)兼任。

 

一年生が、それも『四葉』の名を持つ者が、指揮権を握る。

 

彼の特異な立場は、壇上においても一種のノイズとして、上級生たちからの無言の非難を集めていた。

 

「――諸君に期待するのは、勝利という結果ではない」

 

生徒会長・榊原理久が、壇上の中央に進み出る。

 

白衣の奥から放たれる視線は、誰も見ていない。

 

「諸君がこの日のために組み上げ、磨き上げてきた理論が、いかに他校の安易な実戦主義よりも優れているか。それを、九校戦という実験場において、完璧に証明することだ」

 

(始まったか……)

 

元弥は、榊原の演説を聞きながら、心の中で冷ややかに呟いた。

 

一高や三高であれば、この場は「勝つぞ!」という、ある種、原始的とも言える熱気に包まれるのだろう。

 

だが、四高は違う。

 

榊原が、そして彼を支持する主流派が九校戦に求めるのは、勝利(トロフィー)ではない。あくまで理論の正しさの証明であり、それ以上でも以下でもない。

 

彼らにとって九校戦は、所詮『お遊戯』だった。

 

元弥は、会長の演説をBGMのように聞き流しながら、壇上に並ぶ仲間であるはずの新人戦選手たちを、再度冷静に分析していた。

 

榊原会長の言葉に、選手団の誰の瞳も輝いてはいない。

 

それもそのはずだ。

 

ここに並ぶ選手たちは、四高の主流派(エリート)ではない。

 

四高において、理論分野を本当に得意とする主流派(エリート)は、九校戦を軽視し、論文コンペティションこそを重視する傾向にあった。

 

九校戦は実践であり、彼らにとっては無意味なものだからだ。

 

今、壇上にいるのは、魔法大学校の入試における加点が目的の者や、単に実家から近いという理由で四高に来た、理論一辺倒ではない生徒たちだった。

 

(榊原会長の言葉など、響いていないだろう)

 

だからこそ、彼らは実利で動く。

 

元弥はそう考えていた。

 

----

 

発足式が、無感情で形式的な拍手と共に終わる。

 

選手たちが解散しようと気を緩めた瞬間、元弥の冷たい声が響いた。

 

「新人戦チームは、これより第3ブリーフィング・ルームに集合。担当の技術スタッフもだ」

 

第3ブリーフィング・ルームの扉が閉まると、講堂の建前上の緊張感さえも消え失せ、淀んだ諦観が空気を支配した。

 

集まったのは、新人戦選手男女5名ずつ計10名と、新人戦担当として割り当てられた技術スタッフ(エンジニア)の生徒2名。

 

そして、彼らを統べる指揮官、四葉元弥の計13名だった。

 

「さて……」

 

元弥は、椅子に座ることもせず、中央に立つ。

 

「俺が、作戦スタッフ兼任で指揮を執ることに、不満がある者は?」

 

元弥は、集まった選手団たちを、一人ずつ見渡す。

 

室内が、静まり返る。

 

彼らは見るからに、覇気がなかった。

 

どうせ勝てないと決め込み、大学入試の加点のためだけに、この面倒な行事に参加している。

 

彼らはまさしく、『敗者の顔』をしていた。

 

だが、彼らは元弥の存在感と、その背後にある「四葉」という名が持つ圧倒的な力の前に、沈黙せざるを得ない。

 

その沈黙を破ったのは、一人の男子生徒だった。

 

彼は、諦めと皮肉をない交ぜにした表情で、元弥を見上げた。

 

「不満というより、疑問だ、四葉君。君の指揮は、俺たちの大学校進学の役に立つのか? 正直に言えば、俺たちは、榊原会長の理念より、そちらが重要でね」

 

それは、チーム全員の総意だった。

 

元弥は、その問いを待っていた。

 

「役に立つ。それも確実にだ」

 

即答だった。

 

「榊原会長の言う理論の証明では、君たちの実利には繋がらない。なぜなら、勝てないからだ」

 

元弥は、続ける。

 

「君たちは、勝利のためにここに来た。俺は、その勝利を、理論でないものによって補完する」

 

元弥が合図すると、技術スタッフの生徒2名が困惑した表情のまま、おそるおそる運ばれてきたジュラルミンのアタッシュケースを数個、テーブルに並べた。

 

F.L.T.(フォー・リーブス・テクノロジー)からの『寄付』だ」

 

元弥がケースを開くと、調整されたばかりの、鈍い輝きを放つ最新鋭の特化型CADが姿を現した。

 

「新人戦選手全員の、個々の魔法特性に最適化された、最新鋭の道具だ。技術スタッフの二人には、これの運用管理をしてもらう」

 

「F.L.T.……だと?」

 

「嘘だろ……あの、シルバー・モデルの……?」

 

誰かが、かすれた声を漏らす。

 

ブリーフィング・ルームの空気が、一瞬で変わった。

 

先ほどまでの、どうせ勝てないという淀んだ諦観の空気は消え失せ、魔法工学を志す者としての純粋な好奇心と、そして何よりも、勝利への生々しい渇望が、室内に充満する。

 

榊原会長たちが『お遊戯』として切り捨てた、九校戦と四高選手団。

 

F.L.T.の圧倒的な技術で、彼らを勝たせる。

 

それこそが、元弥が仕掛けた第一の策だった。

 

元弥は、燃え始めた彼らの瞳を見据え、宣言する。

 

「俺の目的は、榊原会長の言う理論の証明などではない。 新人戦の、完全優勝。それが諸君らの実利にも繋がるはずだ」

 

----

 

その夜、浜松の自室。

 

元弥は、端末のディスプレイに一つの名前を浮かび上がらせていた。

 

『七草真由美』

 

その文字を、彼は指でなぞる。

 

だが、その指が通話ボタンを押すことはなかった。

 

(駒は揃った。武器も配った)

 

F.L.T.の援助は、元弥にとって諸刃の剣だ。

 

『四葉』の力を公然と学内に持ち込んだ。

 

これで結果が出なければ、元弥個人の失態では済まされない。

 

四葉家の権威は失墜し、家名に泥を塗ることになる。

 

だが、本当の『切り札』はF.L.T.のCADそのものではない。

 

元弥は、自身の端末とは別に、厳重に暗号化されたストレージデバイスを起動した。

 

そこに格納されているのは、従弟・司波龍夜から個人的に譲り受けた「CAD自動調整AI」だった。

 

四高のあの技術スタッフ(生徒)2名では、F.L.T.の新型を完璧に調整し続けるのは、不可能だった。

 

だが、このAIがあれば、全選手のコンディションと特性をリアルタイムで分析し、常に最適化が可能になる。

 

無論、龍夜のような超一流の魔工師の技術(ワザ)に勝てるものではないが、九校戦には十分だった。

 

これは、元弥と龍夜だけの秘密。

 

四葉本家にも、もちろん真由美にも明かせない、元弥の、そして龍夜の『切り札』だった。

 

九校戦は、敵への餌だ。

 

『四葉家と七草家の婚約者が、揃って九校戦に出場する』

 

この情報が、七草家の前妻派の耳に入れば、彼らは必ず動く。

 

婚約者である真由美を、あるいは元弥を、事故に見せかけてでも潰しに来るだろう。

 

F.L.T.のCAD寄付は、そのための挑発でもあった。

 

(真由美さん……)

 

元弥の胸に、冷徹な計算とは異なる、微かな「情」がよぎる。

 

彼女は今、八王子で、この重圧に、一人で耐えているはずだ。

 

(だが、俺たちは共犯者だ。全てのカードを見せ合う関係ではない。互いが、互いの最強を信じて、それぞれの戦場で勝つしかない)

 

----

 

八王子、第一高等学校。

 

七草真由美は、自室で、手元に届いたばかりの「四高・九校戦選手団名簿」と、添えられた「F.L.T.、CAD及び調整機器を寄付」の機密報告を、見つめていた。

 

報告書には、元弥が新人戦の作戦スタッフとして、F.L.T.の機材を一年生に引き渡したことが、克明に記されていた。

 

「……本当に、容赦がないわね」

 

真由美の顔に、自嘲的な笑みが浮かぶ。

 

F.L.T.がCADを寄付。

 

だが、報告によれば技術スタッフの派遣はない。

 

四高の生徒エンジニアだけで、あの最新鋭機を完璧に扱いきれるとでもいうのだろうか。

 

(いや、おかしい)

 

彼女は、元弥がそんな中途半端な手配をするはずがないと直感していた。

 

(四高の技術スタッフはダミー? それとも、私にも見せていない、別の『切り札』がある……?)

 

だが、どちらにせよ、「事実」は変わらない。

 

彼は、新人戦という限定的な舞台で、四葉家の(技術力と財力)を誇示するつもりだ。

 

その結果、真由美が戦う「本戦」は、とてつもなく重い意味を持ってしまった。

 

「四葉家の四高」と、「七草家の一高」。

 

九校戦という政治の舞台に立った二人を、真由美の異母兄たちが、そして『銀狐』佐伯少将が見逃すはずがない。

 

真由美が勝てば、「後妻派は四葉の支援なくとも強い」と証明できる。

 

だが、もし僅かでも、一高が取りこぼしを見せれば……。

 

『七草真由美も後妻派も大したことはない』

 

そう喧伝され、彼女の家中における求心力は、決定的に削がれるだろう。

 

(私を信じてくれたのね、元弥君)

 

真由美の胸が、きり、と痛む。

 

それは、恐怖ではない。

 

年下の婚約者が仕掛けた、あまりにも過酷で、あまりにも冷徹な信頼の証だった。

 

『俺は必ず勝つ。だから、貴女も勝ってください』

 

『二人ともが勝って、初めて俺たちの同盟は完成します』

 

彼の行動が示すのは、それだけだった。

 

「上等じゃない……」

 

真由美は、立ち上がった。

 

端末に表示された、九校戦の選手団名簿を、彼女は冷徹に分析し、記憶していく。

 

(あなたの切り札が何であれ、私は私の戦場で勝つ)

 

盤上で、二人の共犯者は、互いの背中を危険な場所へと押し出した。

 

九校戦という名の戦場は、今、確実に闘争の舞台へと変貌していた。

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