グリフィンドールであることが、気に食わない。   作:an-ryuka

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1.

 九月の風は、ホグワーツの石の壁をまわりこんで、グリフィンドール塔の窓からするりと入り込んでくる。

 ヴェリティ・エインズワースは、その風がめくった羊皮紙の端を、親指で押さえた。

 

 朝の大広間はいつも通りざわざわとうるさい。皿とフォークがぶつかる音、ふざけ合う声、フクロウが持ってきた手紙の封が破られる音。それら全部が一斉に押し寄せる中で、彼女の周囲だけは、妙に輪郭がくっきりしている。

 

 テーブルの向かいで、ジェームズ・ポッターがまたしても騒いでいた。

 黒髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら、箒を振る真似をして見せている。シリウス・ブラックがそれに乗って身振り手振りを大きくし、ルーピンはパンにバターを塗りながら肩をすくめて笑う。ピーター・ペティグリューは、相槌を打つのだけだけは一人前で、口いっぱいにソーセージを詰め込んでいた。

 

 ヴェリティは、視線をほんの少しだけそちらに向ける。

 何度も観察した光景だ。だれがどのタイミングで笑い、どこで目を伏せ、だれの冗談にちゃんと意味があって、どこから先はただの空虚な騒音になるのか――そういうものを測るのは、彼女にとってほとんど呼吸のような習慣だった。

 

 ジェームズが笑う。

 笑い声のあとに、ふっと入る一拍の間。その一瞬だけ、彼はかならず誰かを探すように視線を泳がせる。たいていはリリー・エバンズの方へ。

「自分の面白さを確かめたい相手」がだれなのか、火を見るより明らかだ。

 

 シリウスの笑い方は違う。

 彼は、誰かに認められたいわけじゃない。ただ「笑っている自分」が好きなのだ。自分の声、自分の動き、自分の名前。そのどれもが場の中心にあることが当然だと信じている。そのくせ、ときどき――家名の話になるときだけ――目の奥が冷たく曇る。

 

 その変化を、ヴェリティは知っている。

 だからこそ、彼の軽薄なスリザリン嫌いには、なおさら苛立ちを覚えるのだ。

 

 彼女はバタートーストを齧り、口のなかでよく噛みながら、心の中で整然と考えを並べる。

 

 自分は正しいと思う。

 少なくとも「考える」という行為において、彼らより怠けていない自負がある。

 でも、それだけでは足りないことも知っている。

 正しさは、時々、刃物みたいに人を傷つけるから。

 

 だからこそ――刃物である自分を、いちばんよく握っているのも、自分でありたい。

 

「ヴェリティ? 聞いてる?」

 

 向かい側から、リリー・エバンズが顔を覗き込んだ。

 鮮やかな赤毛が朝陽をはじいて、少し眩しい。

 

「ええ、聞いてるわよ。スラグホーン先生の課題がどうとかいう愚痴でしょう?」

 

「愚痴というか、現実よ」

 リリーは肩をすくめ、あきれ顔をつくった。「あの先生、あなたには妙に甘いのよね。『ミス・エインズワースはいつも考え方が面白い!』とか言って……」

 

「そうかしら。私は単に、先生の論理の穴が我慢ならないだけなんだけど」

 

「ほらそういうところよ」

 

 リリーは笑いながらも、少しだけ尊敬の色を混ぜて彼女を見る。

 ヴェリティはそれを知っているし、その視線に甘える気もない。

 

「でも、考えた方がいいと思わない?」

 ヴェリティは指先でマグカップの縁をなぞりながら、ゆっくりと言葉を選んだ。

「自分が何を信じてるのか、どうしてそれを信じてるのか。誰かが決めた線を、そのまま飲み込むのって、気持ち悪くない?」

 

「気持ち悪いかどうかは人によるんじゃない?」

 リリーは、パンをちぎりながら笑う。

「たとえばジェームズみたいに、『俺がルールだ!』って思ってる人もいるし」

 

「それはそれで、単純で羨ましいわ」

 

 そう言いつつも、ヴェリティの声にはかすかな皮肉が滲んでいる。

 

 ちょうどそのとき、少し離れた席から大きな笑い声があがった。

 ジェームズとシリウスが、なにやらスリザリンの方角を見ながらはしゃいでいる。

 

 視線を追えば、そこにはセブルス・スネイプの姿があった。

 痩せた肩を丸め、黒髪は油で束になってうなじに張りついている。彼の周囲には、うっすらと冷たい空気がある。

 グリフィンドールの一部はそれを「気持ち悪さ」と呼び、スリザリンの一部はそれを「役立つ闇への親和性」と呼ぶ。

 

 ヴェリティにとっては、どちらも値札を貼り間違えた言葉にしか見えなかった。

 

「……また何かやってるわね」

 

 彼女が呟くと、リリーの表情が強張る。

 スネイプをかばうときのリリーの目は、いつだって少し真っ直ぐすぎる。

 

「止めに行く?」

 リリーが立ち上がりかけて、ふとヴェリティを見る。「……あなたは?」

 

「私は授業に遅れたくないだけよ」

 ヴェリティは静かに立ち上がった。

「だからさっさと終わらせてあげたいの」

 

 それは、彼女なりの正直な答えだった。

 

 ◆

 

 騒ぎの中心に近づくほど、空気は軽く、薄く、耳障りになっていく。

 

「ほら、スニーキー・スネイプ。髪をポーションに使いすぎたんじゃないか?」

 ジェームズが、杖をくるくると回しながら言った。「油っぽさが限界突破してるぞ」

 

「もしくは、将来の闇の主に捧げるための準備運動かもね」

 シリウスが、わざとらしく鼻をつまむ。

「におうな、『裏切りそう』って」

 

 周囲から笑い声。

 ピーターはきゃっきゃと笑い、ルーピンは――口元にだけ、小さく引きつった笑みを貼り付けていた。

 

 スネイプは、杖を握る指に力を込めている。

 顔色はいつも通り青白くて、しかしその瞳は黒曜石みたいにぎらぎらと怒りを含んでいた。

 

「……くだらない」

 

 彼の口からこぼれた言葉は、想像以上に低く、乾いていた。

 それを、ジェームズが勝手に聞き違える。

 

「聞いたか、シリウス。『くだらない』だってよ! 俺たちが君の社交の機会を作ってやってるってのに!」

 

「ありがたく思えよ、スネイプ」

 シリウスはニヤリと笑う。「グリフィンドール様と会話できるんだ。スリザリンの地下の連中には自慢できるぞ?」

 

 ヴェリティはそこで、ぱん、と手を打った。

 わざとらしく大きな音が石の廊下に反響する。

 

「――はい、そこまで」

 

 その一言だけで、数人がびくりと肩を跳ねさせた。

 ジェームズもシリウスも振り返る。その顔には、見慣れた「先生に見つかった時の顔」とよく似た、しかし微妙に違う警戒と苛立ちが混ざっていた。

 

「なんだよ、ヴェリティ」

 ジェームズが眉をひそめる。

「今、いいところなんだ。邪魔するなよ」

 

「ええ、いいところよ」

 ヴェリティは涼しい顔で言った。

「あなたが、自分の醜いところを惜しげもなく晒してくれる、とても貴重な時間だもの」

 

「は?」

 

 ジェームズの笑顔が、一瞬でひきつる。

 シリウスは腕を組んで、彼女を値踏みするように見つめた。

 

「……また始まったぞ」

 誰かが小さく囁き、何人かが面白がって足を止める。

 

 ヴェリティは、一人一人を順番に見る。

 まずジェームズ、次にシリウス。そしてルーピン、ピーター、最後にスネイプ。

 彼女の視線は暖かくも冷たくもなく、ただ「観察している」目だった。

 

「ポッター」

 敢えて姓で呼ぶ。

「一つだけ確認させて。あなた、本気でセブルスを嫌っているのよね?」

 

「……当たり前だろ」

 ジェームズは鼻を鳴らす。

「こいつはスリザリンだ。闇魔法に興味津々で、嫌味で、友達を大事にしない。理由ならいくらでも――」

 

「違うわね」

 

 ヴェリティはきっぱり遮った。

 ジェームズがむっとする。

 

「お前に何が――」

 

「あなた、自分より劣ってると思ってる人間が、自分の好きな人と仲良くしてるのが、許せないだけよ」

 ヴェリティは淡々と告げる。「リリーとセブルスが話してるだけで、胸がざわざわするんでしょう? だから、彼を『リリーの隣に立つ資格のない存在』にしてしまいたいの。みんなの前で、できるだけ惨めにして」

 

 周囲の空気が、ひゅっと冷える。

 リリーの名を出されたジェームズの顔が、一瞬で赤くなる。

 

「な、何言って――!」

 

「もちろん、嫉妬そのものは悪くないわ」

 彼女は続ける。

「誰だってするもの。ただ、あなたの場合、嫉妬を直視するのが怖いから、全部”正義”のフリをさせてる。『あいつは闇に染まりそうだから』『あいつは危険だから』って。ねえ、ポッター。自分の胸の中身をちゃんと見ないまま、他人の未来を断罪するのは、楽しい?」

 

 ジェームズは言葉を探して、口をぱくぱくと開閉する。

 シリウスが割って入ろうとした気配を、ヴェリティは片手を上げて制した。

 

「ブラック。あなたにも言うことがあるの」

 

「光栄だね」

 シリウスは、あえて軽口で受ける。

「で? 俺は何に嫉妬してるって?」

 

「スリザリンに、でしょう」

 

 彼の笑顔が、ほんの一瞬だけ、ぴきりとひび割れた。

 

「グリフィンドールのみんなが、スリザリンを嫌っている――そういう雰囲気を作っているのは、紛れもなくあなたよ。あなたの家の事情と、あなた自身が父親や親戚を嫌っていることと、スリザリンという寮への嫌悪と、それからポッターを好きな気持ち。それら全部を一つの箱に詰め込んで、『スリザリンは悪だ』というラベルを貼ってる」

 

 ヴェリティは、少しだけ首を傾げる。

 

「頭の回転が速いあなたにしては、ずいぶん雑な整理ね」

 

 周囲から、誰かの息を呑む音がした。

 

「……俺はただ、スリザリンが嫌いなだけだ」

 シリウスが低く言う。

「あいつらは――」

 

「『あいつら』って誰?」

 ヴェリティはすぐにかぶせる。

「マルフォイ? ロジエール? それとも、家族の誰か? ちゃんと名前で言える相手なら、まだいいわ。でもあなた、たぶん自分の中の影を、全部ひとまとめにしてスリザリンの地下室に押し込めてるだけよ」

 

 彼女は手のひらをひらひらさせる。

 

「好きにすればいいわ。あなたの内側の片づけなんて、私の仕事じゃない。でも最近は、その整理の悪さを、グリフィンドール全体に広げようとしているのが目につくの。『みんなスリザリンは嫌いだろ?』って。無意識かもしれないけれど、私は迷惑しているのよ」

 

 シリウスは、口を開きかけて止まる。

 感情が、彼の喉の奥で渦巻いているのがはっきりと見えた。

 

 ルーピンがそっと息を吐いたのを、ヴェリティは横目で捉える。

 彼の表情には、責める色も、擁護する色もなかった。ただ――「聞いている」目だけがあった。

 

「で、セブルス」

 

 ヴェリティはそこでようやく、スネイプの方を向く。

 その動作は、まるで舞台の上で照明が移動するみたいに滑らかだった。

 

「な、なんだ」

 スネイプは唇を歪める。「今度は俺の分析か?」

 

「当然でしょう?」

 彼女は肩をすくめる。

「私はこの場を放置する自分が嫌だから、ここにいるの。公平でありたいのよ」

 

 スネイプの目が、わずかに揺れる。

 ヴェリティは一歩、彼に近づいた。

 

「あなたにも原因はあるわ。リリーとあなたが釣り合っていないのは、誰より自分がよく分かっているでしょう?」

 

 その名が出た瞬間、スネイプの肩がびくりと跳ねた。

 

「何もせずに、ただポッターを憎んでいるだけじゃ、何も変わらない。見返したいなら、せめて自分の外側を整える努力くらい、してみたらどう? 服をきちんと着るとか、髪を洗うとか、寝不足を少しは減らすとか。そういう小さな積み重ねを全部『どうせ意味はない』で片づけている限り、あなたはずっと、ここに立ったままよ」

 

「……お前に、何が分かる」

 スネイプは低く唸る。

「俺の事情も、俺の――」

 

「分からないわ」

 ヴェリティはあっさり言った。

「だから聞いてるの。もし私が間違ってるなら、教えなさい。私は、自分が間違ってると分かったら、ちゃんと飲み込めるわよ?」

 

 廊下に、短い沈黙が落ちる。

 それは呆然でもあり、期待でもあり、怖れでもあった。

 

 そのとき、背後からパタパタと足音が近づいてきて、リリーが彼らの間に割って入った。

 

「もうやめて、ジェームズ!」

 リリーは鋭い目で彼を睨む。

「セブに構うの、いい加減やめなさいっていつも言ってるでしょ!」

 

「俺はただ――」

 

「十分伝わったわよ、ポッター」

 ヴェリティが淡々と告げる。

「あなたが何に腹を立ててるかも、周りがどう見てるかも」

 

「……っ」

 

 ジェームズは、顔を真っ赤にして杖をしまうと、言い訳の言葉を飲み込んだまま踵を返した。

 シリウスも舌打ちして後を追う。ピーターも慌ててついて行き、ルーピンだけが一瞬その場に残って、ヴェリティとスネイプの横顔を見た。

 

「……ありがと、ヴェリティ」

 小さく、リリーが彼女に囁く。

 

「私は自分の気分を守っただけよ」

 ヴェリティは肩を竦める。

「この醜い光景を、見ないふりをしたくなかったの」

 

 スネイプは、彼女をじろりと睨みつける。

 その視線には、感謝も、敵意も、混じっていた。

 

「偽善者め」

 

「そうかしら?」

 ヴェリティは、少しだけ笑った。

「私ほど自分のためにしか動かない人間も、珍しいと思うけど」

 

 彼女は踵を返し、ローブを翻す。

 授業に遅れたくない――その最初の動機を、ちゃんと守るように。

 

 ◆

 

 その日の夜、グリフィンドールの談話室は、いつも以上にうるさかった。

 

 暖炉の火がぱちぱちと音を立て、その前のソファにはジェームズとシリウスが陣取っている。

 二人はさっきの出来事について、何度目かの言い合いをしていた。

 

「だからお前が余計なこと言うから――」

 

「余計ってなんだよ、ジェームズ。あいつは危ないって俺は前から――」

 

「危ないのはあなたの方でしょ」

 ヴェリティは、ソファの背凭れに本を立てかけながら口を挟んだ。

 「自分のコンプレックスを他人に投げつけて、それで安心しようとする人間がいちばん危ないのよ」

 

「……お前、まだその話を引っ張るのか?」

 シリウスが眉をひそめる。

「いい加減飽きないのかよ」

 

「飽きてるわよ」

 ヴェリティはページをめくりながら言う。

「でも、あなたたちが改善する気配がないから、同じ話を繰り返さざるをえないの」

 

 ルーピンが苦笑して本から顔を上げた。

 

「ねえ、ヴェリティ」

 彼は静かな声で言う。

「君はどうして、そんなに気にするんだい? セブルスのことも、シリウスのことも」

 

「簡単よ」

 ヴェリティは指をしおりの位置に挟んで、本を閉じた。

「私は、見て見ぬふりをする自分が嫌いなの。だから口を出す。それだけ」

 

「それだけ、ね」

 ルーピンは、何か考え込むような目をして彼女を見つめた。

「……君は、自分のことも同じくらい厳しく見てる?」

 

「当たり前でしょう?」

 ヴェリティは少しだけ笑う。

「自分に甘くて他人に厳しい人間なんて、分析する価値もないもの」

 

「ほう」

 シリウスが、わざわざ派手に身を乗り出す。

「じゃあ、お前はそんなに立派なのか? 自分の間違いだって、ちゃんと認められるのか?」

 

「認めるわよ。事実ならね」

 彼女は即答する。

「ただ、あなたたちが私を間違ってると言うとき、自分で考えた言葉を使ってるかどうかは、ちゃんと見るけれど」

 

「どういう意味だ、それ」

 

「簡単な話よ。『なんかムカつくから間違ってる』っていうのは、議論じゃないってこと」

 

 シリウスは一瞬、言葉を失い、それからふっと笑った。

 その笑顔は、昼間のものとはすこし違っていた。軽いけれど、どこか、ほんのわずかに寂しさが混じっている。

 

「お前、本当に面倒くさい女だな」

 

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 ヴェリティは再び本を開く。

 火の粉がぱちり、と弾ける。

 

 その向こうで、ピーターがもじもじとシリウスに話しかけていた。

 

「なぁ、シリウス……あの、その、明日の占い学さ……」

 

「お前、自分でノート取ってないのか?」

 シリウスは露骨に嫌そうな顔をする。

「そういうとこだぞ」

 

「だ、だって、みんなと一緒にいるとさ、つい……」

 

 ヴェリティは、その会話に耳だけを向ける。

 ピーターの声には常に、誰かの後ろに隠れようとする影がある。そのくせ、自分より弱そうな相手には、時々妙に偉そうに振る舞う。

 

 ――意思を持たない人間が、世界でいちばん嫌い。

 

 彼女は、自分のその感情が少し極端だと分かっている。

 でも、それは譲る気のない「信念の核」の一つだった。

 

 彼女はページから目を離さずに、心の中でそっと呟く。

 行動しない正しさより、傷つけても行動する方を選ぶ。

 その選択の是非を、彼女はこれから何度も何度も、自分で問い直すことになるのだが――このときのヴェリティはまだ、それを知らない。

 

 ただ、正しさを信じていた。

 自分の正しさと、考えるという行為の価値だけを。

 

 そしてその正しさが、いつか誰かの心を震わせることも、傷つけることも、引き寄せることも。

 まだ、よく分かっていなかった。

 

 暖炉の炎が揺れ、誰かの笑い声が遠くで跳ねる。

 ホグワーツの夜は、ゆっくりと更けていく。

 

 ヴェリティ・エインズワースの物語もまた、その夜、確かに動き始めていた。

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