グリフィンドールであることが、気に食わない。 作:an-ryuka
◆
ホグズミード当日。
雪混じりの風が、城の塔をかすめていく。石の階段を降りるたび、吐く息が白くなっていった。
「おお、今日のリリーはまた……」
ホールの入口で待っていたジェームズが、リリーを見るなり固まる。
「そんなに見つめられると、さすがに照れるんだけど」
リリーが眉をひそめる。
「いや、その……その……」
ジェームズは語彙を落とした。
「えっと、世界一かわいい」
「合格」
リリーは、少しだけ笑って彼の袖を引く。
「さ、行きましょう。遅れるわ」
その横で――
「……お前も、なんかちゃんとしてんな」
シリウスは、ヴェリティの全身を一往復眺めてから言った。
「なんかちゃんとしてるって評価、最悪ね」
ヴェリティは、鼻で笑う。
「けどまぁ、あなたが今使える言葉の範囲では、最大級の賛美なのかしら」
「お、おう……」
シリウスは視線を逸らした。耳が赤い。
四人が並んでホグズミードへ向かう。
雪道を踏む音が四つ、一定のリズムで続いた。
「まずは三本の箒だろ」
ジェームズが宣言する。
「冬のホグズミードはバタービールから始めないと始まらない!」
「異議なしよ!」
リリーが頷く。
「ヴェリティは行ったことない店、多いだろ?」
雪を蹴りながら尋ねる。
「俺が案内してやるよ。何でも聞け。どこの店が美味いとか、どの路地が面白いとか」
「地元のガイドみたいに言うわね」
ヴェリティは肩をすくめる。
「でも、まぁ助かるわ。情報は多い方がいいもの」
「任せろ」
シリウスは、得意げに胸を張った。
その勢いのまま、またもや腕が彼女の肩に向かって伸びかけ――
(待て)
今度はギリギリで止まった。
代わりに、手をポケットに突っ込む。
(何回同じミスしかけるんだ俺は)
心の中で頭を抱えながら、出来るだけ平然を装う。
ヴェリティは横目でそれを見ていた。
ノリで肩を組まれたなら、反射で肘鉄を入れていたかもしれない。
でも、寸前で止まったことを知っているからこそ、彼女は何も言わない。
(線引きが、難しくなってる)
心のどこかで、自分でもそう自覚した。
彼の変化を見ているのは、確かに楽しい。
その変化に、自分の言葉の影響があるのも分かる。
それを心地良いと感じてしまっていることも。
だからこそ、どこで止めるべきか、判断が鈍る。
◆
三本の箒は、昼前から賑わっていた。
暖炉の火が揺れ、グラスの音と笑い声と、甘いバタービールの香りが混ざり合う。
「四つお願いします」
ジェームズが胸を張って注文する。
「今日は奢る! 俺、彼女いるし!」
「なんの理由にもなってないけれど」
ヴェリティは半眼になる。
泡の乗ったバタービールが運ばれてきて、それぞれがカップに手を伸ばす。
「はい、乾杯」
リリーがカップを掲げる。
「何に?」
「決まってんだろ」
ジェームズがにやりと笑う。
「俺たちの初ダブルデートに!」
リリーは呆れながらも、カップを軽くぶつける。
「初ダブルデートに」
シリウスもカップを掲げ、ヴェリティの方を見る。
彼女は一瞬だけ迷うような表情を見せてから、淡々とカップを合わせた。
「ついでに乾杯」
ヴェリティは言う。
軽口が飛び交い、笑い声が重なる。
シリウスは、その輪の中にヴェリティがいることを、何度も心の中で噛み締めた。
(これ、ほとんど付き合ってるみたいなもんだろ)
バタービールを口に運びながら、彼は半分本気でそう思っていた。
今ここで、彼女の隣に座っている。
彼女の笑い声を聞き、自分の冗談にたまに笑ってくれる。
――あと必要なのは、言葉だけだ。
バタービールを二杯飲み終えた頃、ジェームズとリリーは「ちょっと外の空気吸ってくる」と言い残して席を立った。
「戻ってこいよ、置いていくなよー!」
シリウスが叫ぶが、ジェームズは振り向きもせず手をひらひらさせる。
リリーは、肩越しにヴェリティへ「あとで合流するわ」と目で告げた。
残されたのは、シリウスとヴェリティ、二人分の空いたグラスと、暖炉の熱気だけ。
店内のざわめきが、急に遠くなったように感じられる。
「……あいつら、絶対イチャつきに行ったな」
シリウスが毒づく。
「幸せそうなら、犯罪にはならないわ」
ヴェリティは、空になったカップの縁を指先でなぞりながら言う。
「皮肉?」
「事実」
二人は一度、会話を止めた。
バタービールの泡が、グラスの底で小さく弾けていく。
「なぁ、ヴェリティ」
沈黙に耐えられなくなったのは、シリウスの方だった。
「今日さ、楽しいか?」
「……悪くはないわ」
ヴェリティは少し溜めてから言う。
「ジェームズもあなたも、今日はスリザリンを標的にしてないし、ね。」
「そりゃ、お前が嫌がるの分かってるからだろ」
シリウスは肩をすくめる。
「お前に嫌われる方がよっぽど嫌だ」
そのひと言に、ヴェリティの瞳が一瞬だけ揺れた。
(こういうところが、厄介なのよ)
まっすぐ。
嘘をついていない声。
「卑怯さ」から距離を取り始めた彼の変化が、良くも悪くも、彼女の皮膚に刺さる。
「……飲みすぎじゃない?」
ヴェリティは、あえて少し軽い声で返した。
「バタービールにアルコールはほとんど入ってないはずだけど」
「酔ってねぇよ」
シリウスは即座に否定する。
「酔ってるのは――」
言いかけて、口をつぐむ。
「何?」
「いや、なんでもねぇ」
彼は立ち上がると、会計を済ませてしまった。
ホグズミードの薄曇りの空が、外で待っている。
◆
午後のホグズミードを、四人はそれなりにダブルデートらしく歩いた。
ハニーデュークスでは、新作のチョコを誰が買うかで揉め、
ゾンコのいたずら専門店では、ジェームズとシリウスが子どものようにはしゃぎ、
路地裏の変な本屋では、ヴェリティが棚の前から動かなくなり、リリーが小声で「やっぱりね」と笑った。
「この本、完全に呪われてるわよね」
ヴェリティは、黒い革表紙の本を見ながら言う。
「開いた瞬間、自分の後悔が全部出てくるって。へぇ……」
そんな掛け合いの隙間で、リリーとジェームズは、時々自然に手をつないだ。
誰に見せようというわけでもなく、ただそこにあるのが当たり前みたいに。
その当たり前を、シリウスは何度も横目で見た。
見るたびに、自分の手が空であることを意識する。
目の前を歩くヴェリティの背中に、腕を伸ばす衝動が、そのたびに湧いては消えた。
(もう、付き合ってるみたいなもんだろ)
ホグズミードまで一緒に来て、
彼女のためにスリザリンいじりも減らして、
親衛隊とも距離を置いたし、
ダンスパーティーだって踊った。
(あと必要なのは、一言だ)
ジェームズとリリーが「ちょっと校舎の方まで散歩してくる」と、夕方前に別れた。
その背中が角を曲がって見えなくなったとき、ホグズミードの通りには、シリウスとヴェリティの二人だけが残る。
風が、少し冷たくなっていた。
遠くの店の明かりが、オレンジ色に滲み始める時間帯。
「……リリー、顔が緩みっぱなしだったわね」
ヴェリティがぽつりと言う。
「ジェームズのノロケも、ここまで来ると芸術的」
「うんざりしてるか?」
「してない」
ヴェリティは、首を横に振る。
「あぁいうのもいいわねとは思う」
シリウスは、喉の奥で何かが引っかかる感覚を覚えた。
「だったらさ」
彼は足を止める。
雪を踏んだ音が、一度だけ大きく響く。
「俺たちも、そうってことでいいだろ」
ヴェリティも立ち止まった。
振り返ると、シリウスが真正面から立っている。
おどけた笑いもなく。軽口もなく。
「……何がそうなの?」
彼女は、あくまで確認する声で問う。
「決まってるだろ」
シリウスは息を吸い、言葉を押し出した。
「俺たち、もう付き合ってるみたいなもんだろ。違うか?」
その言い方は、どこか確認というより宣言に近かった。
彼の中では、答えはほぼ決まっている。
ヴェリティもそれを承認するだけだ――そんな空気。
ヴェリティは、黙った。
雪の上に立つ二人の影が、夕方の光で少し伸びる。
遠くの店から漏れる笑い声が、やたらと遠くに聞こえた。
シリウスは、それを迷っている沈黙だと受け取った。
ダメなら、もう少し言葉を足せばいい。
変わったこと、努力したこと、全部並べればいい。
「俺さ」
彼は続ける。
「ちゃんと変わっただろ。お前の言葉聞いて、親衛隊とも距離を置いた……スリザリンのことであんまり騒がないようにして……」
「今日だってさ、ちゃんと考えて動いた。お前が嫌がること、しないように」
ヴェリティは、目を閉じた。
深く息を吸って、ゆっくり吐く。
胸の中で、何かを沈めるみたいに。
(言わなきゃいけない)
彼の変化が嬉しかったことも事実。
一緒にいる時間を楽しいと分類してしまったのも事実。
でも――それは恋ではない。
そこを曖昧にしたまま、彼の期待に頷くのは、一番卑怯だ。
目を開く。
シリウスの瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。
怖れと期待と、子どもみたいな自信が混ざった目。
「……結論から言うわ」
ヴェリティは静かに言った。
「私は、あなたに惚れることはない」
シリウスの呼吸が、一瞬止まった。
「今までのことも、今日のことも、ちゃんと楽しいって感じてたわ」
ヴェリティは続ける。
「あなたが私の言葉で変わっていくのも、嬉しかった。褒めるのは癪だけど、事実よ」
「でも――」
言葉を選ぶ。
彼の自尊心を壊すためじゃなく、彼の現実を渡すために。
「それは、恋とは違う」
シリウスの顔に、はっきりと困惑が浮かぶ。
「違うって……何が」
「私は、あなただけを見てるわけじゃない」
ヴェリティは、言葉をはっきり区切る。
「廊下でも、教室でも、談話室でも、私はいろんな人を見てる。分析してる。そこから逃げるつもりもない」
「でもあなたは、自分だけを見てくれる人が欲しいのよ」
シリウスの眉が跳ねた。
「……そんなこと――」
「違う?」
彼女は問い質す。
「親衛隊の子たちに、曖昧な優しさを振りまいてたのも、その裏返し。『自分を好きだと言ってくれる目』を手放したくなかったから」
「あなたは、誰かにまっすぐ見つめられてることで、自分を保つタイプ」
ヴェリティは言い切る。
「私はその役にはなれない。あなただけを特別に見ようとは、思えない」
シリウスは、拳を握った。
雪を踏む音がしないほど、固く。
「じゃあ……じゃあ、俺はどうすればいいんだよ」
声が掠れている。
「欲しいものって、なんだよ。俺、お前のために変わった。これからだって変われる。言ってくれれば何だって――」
「何だっては、言わない方がいい」
ヴェリティは首を横に振る。
「そんなの、信用できないから」
「……悪かったと思ってるわ」
彼女は、初めて少しだけ目を伏せた。
「自分でも分かっていなかったとはいえ、あなたの気持ちを弄んだようなものね」
「弄んでなんか――」
「してるの」
ヴェリティは遮る。
「あなたの変わろうとする姿を見るのが好きだった。そこに私が関わってるのが、少し嬉しかった」
「でも、それは対等な好きじゃない」
雪が、ひとひら、彼女の肩に落ちて溶ける。
「……はっきり言うわね」
ヴェリティは息を整え、最後の一撃を自分の舌に載せた。
「あなたと一緒にいる時間が増えたことより――」
一瞬だけ、喉が詰まる。
それでも、引き返さない。
「リーマスと話せない時間の方が、ずっと辛かったの」
シリウスの目から、完全に色が消えた。
時間が止まったように感じる、という表現がある。
その瞬間のシリウスは、その言葉の意味を初めて正確に理解した。
「……リーマス、か」
搾り出すような声。
「そう」
ヴェリティは嘘をつかない。
「あなたと歩いてる時に、リーマスと話してないって考えてる自分に気づいた。――その時点で、私の中の答えは出てたのよ。本当は」
シリウスは、しばらく彼女を見つめていた。
睨むでもなく、縋るでもなく。
ただ、理解しきれない現実を見つめる目で。
やがて、ふっと視線を逸らした。
「……そうかよ」
彼は笑おうとした。
口元だけが不自然に持ち上がる。
「最初から本気じゃなかったし」
出てきた言葉は、嘘の味しかしなかった。
「ちょっと面白そうだと思ってただけだ」
その「ちょっと」が、どれだけ膨れ上がっていたか、自分が一番よく知っている。
でも、今ここでそれを認めるのは、あまりにも惨めだった。
「俺なんかより、あいつの方がいいってことだろ」
シリウスは肩をすくめる。
「真面目だし、頭いいし、優しいし。完璧なリーマス様だ」
「それは違うわ」
ヴェリティは即座に否定した。
「彼は全然完璧じゃない。臆病で、自分を責める天才で、いざというとき逃げ腰になるところもある」
「じゃあ――」
「でも、私はその臆病さごと見たいと思った」
彼女ははっきり言う。
「あなたのことも、もちろん見てた。でも、選べと言われたら……私は、私が一番知りたいと思った方を選ぶ」
それがリーマスだった。
それだけの話だ。
シリウスは、鼻で笑った。
「……お前より、いい女なんて山ほどいるしな」
自分でも驚くほど軽い声が出る。
「次行くわ、次。もっと分かりやすく俺のこと好きって言ってくれるやつの方が楽だし」
その軽さは、逆に不自然で。
ヴェリティはその不自然さを追いかけないことにした。
「そうね」
彼女はただ頷く。
「あなたはきっと、誰かにとって最高の恋人になれるわ。――私じゃないだけ」
「分かってるよ」
シリウスは踵を返した。
雪を踏む音が、さっきより少し重い。
「じゃあな、エインズワース」
振り返らずに言う。
「与えられるものが決まったら、リーマスのとこに持ってってやれよ」
冗談みたいな言い方だった。
でも、その背中は笑っていなかった。
ヴェリティは、その姿が角の向こうに消えるまで立ち尽くした。
胸の奥が痛む。
でも、その痛みは正しさを手放さないための代償だと、自分に言い聞かせるしかなかった。
◆
シリウス・ブラックは、寮に戻る途中で何度も立ち止まりそうになった。
頭の中では、言い訳が渋滞している。
――いや、別に最初から惚れてなかったし。
――あいつの毒舌が面白かっただけだし。
――あんな面倒くさい女より、もっと楽な女はいくらでもいる。
そのどれもが、口に出す前にひび割れていく。
代わりに浮かんでくるのは、ヴェリティの言葉。
『あなたと一緒にいる時間が増えたことより、リーマスと話せない時間の方が辛かったの』
脳裏に、リーマスの顔がちらりとよぎる。
いつも穏やかで、笑うときに少し申し訳なさそうにする顔。
(あいつは、俺とは違うのか)
同じ四人組の一員で、同じ寮で、同じ悪戯を繰り返してきたはずの男。
その彼が、知らないところで、ヴェリティと何かを積み上げていた。
(俺は、笑わせて、騒いで、肩を組んで……)
与えたつもりでいた。
でもヴェリティは、変わっていく自分を見せることを一番喜んでいた。
それすら、彼女からすれば「恋とは別の何か」だった。
(俺は、何も与えてなかったのか?)
自分で自分に突きつけるその問いが、一番痛い。
部屋の前で、一瞬だけ足が止まる。
中からは、ジェームズとピーターの声が聞こえた。
リーマスの声はしない。
「……逃げたか」
シリウスは、笑いも皮肉も混ざらない声で呟いて、ドアを開けた。
◆
その頃、別の廊下では。
「……で、振ったんだな」
セブルス・スネイプは、回廊の影から出てきたヴェリティの顔色を見て、一瞬で察した。
「覗き見趣味?」
ヴェリティは、疲れたように笑う。
「あなたも大概ね」
「偶然だ」
スネイプはローブの裾を払う。
「ホグズミード帰りの馬鹿げた浮かれ顔を眺める趣味はない」
「そう。じゃあ、これは私の独り言」
ヴェリティは、回廊の壁にもたれた。
「シリウスはちゃんと噛みついてきたわ」
「で?」
「リーマスに首輪をつけたくなった」
スネイプは鼻で笑った。
「趣味が悪い」
「まぁね」
ヴェリティは、そう返した。
胸の中にはまだ痛みがあった。
けれど、それでも――
自分が何を選んだのか、その選択だけは、彼女は誰よりも明晰に理解していた。