グリフィンドールであることが、気に食わない。   作:an-ryuka

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13.

 

 シリウス・ブラックがヴェリティ・エインズワースに振られてから、しばらくのあいだ、グリフィンドール塔の空気は、ほんの少しだけ静かだった。

 

 最初の数日、彼は本当に喋らなかった。

 

 朝の大広間で、ジェームズがリリーの隣で「昨日さ、リリーがさ」と延々のろけているあいだ、シリウスはパンを齧るだけで会話にほとんど入らない。

 笑うタイミングは外していない。合いの手も最低限は返す。

 けれど、声量も身振りも、いつもの半分以下だった。

 

「シリウス、大丈夫?」

 リリーがさりげなく聞いた時も、彼は肩をすくめて、短く答えただけだ。

 

「平気。寝不足なだけだ」

 

 ジェームズは最初こそ心配していたが、リリーとの初めての正式な恋人生活に頭のリソースの大半を持っていかれていた。

 宿題とクィディッチとリリーと――時々、「おいシリウス」と声をかける。

 そこでシリウスが「大丈夫だ」と笑い飛ばしてしまえば、それ以上の追及は意識の外へこぼれていく。

 

 リーマスは、笑わない目で、黙ってそれを見ていた。

 何度か「話すか」と言いかけて、言葉が喉の手前で止まる。

 自分がこの件で口を出す資格があるのか――それが、彼の舌を鈍らせていたからだ。

 

 ヴェリティは、あえて何も言わなかった。

 あのホグズミードの帰り道、自分が彼に渡した言葉の刃の重さを、誰よりもよく知っているのは自分だ。

 だから、最初の数日は、彼女なりに「静観」という選択肢を選んでいた。

 

 ――最初の、数日だけ。

 

 

 しばらくするとシリウスの沈黙は、別の形に変わった。

 

「シリウス〜、今度の試合の後さ、一緒に写真――」

「いいね。ついでにホグズミードも付き合えよ。寒い日ほどバタービールが美味いんだ」

 

 元々親衛隊の1人だった子が声をかければ、彼は即座に笑顔で乗った。

 その笑顔の質は、以前とほとんど同じ――ただ、少しだけ力技になった。

 

「シリウス。今度の課題さ……」

「俺の答案なんか写したって点数は上がらねぇぞ? でも教えてやるよ、先生がどこで寝そうかくらいは」

 

 女子の肩に無造作に腕を回し、耳元で冗談を囁く。

 階段の踊り場で、廊下の角で、談話室のソファで。

 笑い声に囲まれている時間が増えていく。

 

 表向きだけ見れば、そこにはよく知ったシリウス・ブラックがいた。

 派手で、軽くて、よく笑う。

 ただ、その動きには、どこか「隙間を埋めている」ような必死さがあった。

 

(ああ、逆噴射してる)

 

 ヴェリティは、二日も見ていれば察した。

 

 静かに痛む時間を長く抱えていられるほど、シリウスは器用ではない。

 だから、人の声と手の温度で、内側をかき消そうとする。

 針の穴を塞ぐために、花火を打ち上げるようなことをする。

 

「最近、また女の子の出入りが派手ね」

 リリーが囁く。

「前より増えてない?」

 

「前はちゃんと手加減してたってことかしらね」

 ヴェリティは、パンをちぎりながら答える。

「今は、節度をなくしてまで埋めたい穴があるだけ」

 

「それって、あなたのせい?」

 リリーは、あえて目を逸らさずに聞いた。

 

「……でしょうね。」

 ヴェリティは淡々と言う。

「そう言えるだけの、自覚はあるわ」

 

 悪化させた自責も持っている。

 だからといって、口をつぐむつもりはない――それも、彼女自身の正しさの一部だった。

 

 

 談話室の暖炉前。

 夕食のあと、いつものようにカードゲームと雑談と宿題に分かれて、グリフィンドールはそれぞれの時間を過ごしている。

 

 ソファの背にもたれたヴェリティは、本を膝に立てかけていた。

 火の粉がぱちりと弾けるたび、文字を照らす影が揺れる。

 

「おい、エインズワース」

 

 背後から降ってきた声に、彼女はページの端に指を挟みながら顔を上げた。

 

 シリウス。

 片腕をソファの背に引っ掛け、もう片方の腕には、さっきまで隣に座っていた下級生の女子の残り香が絡んでいる。

 その女子は、今は少し離れたところで友達と笑いながら談笑していたが、視線だけはときどきシリウスの方を盗み見ていた。

 

「さっきの見たか?」

 シリウスは、あえて大きめの声で言う。

「トランプの技。俺、手先器用だろ」

 

「器用さの使い道を誤ってるわね」

 ヴェリティは、表紙を閉じずに応じる。

「……今のあなたは、カードを操るより、自分の感情の整理に使った方が建設的よ」

 

「出た、正論」

 シリウスは笑ってみせる。

 だが、その笑顔には、うっすらと苛立ちが混じっていた。

「俺が誰と遊んでようが、放っておけよ。お前には関係ねぇだろ」

 

「関係あるわ」

 

 一拍も置かず返ってくる。

 

「あなたが、自分を安く扱うのを見るのは、単純に不愉快だから」

 

「安く扱ってねぇよ」

 シリウスは即座に反論する。

「向こうだって楽しんでんだ。ウィンウィンだろ」

 

「本気で言ってるなら、目を疑うわね」

 ヴェリティは、わざと本から視線を離さないまま続ける。

 

「あなたの中身を見ようとする人間は、あんなに多くない」

 

「お前みたいにな」

 吐き捨てるように言ってから、自分でその言葉に引っかかった。

 

 ヴェリティは、そこでようやく本を閉じる。

 静かに彼を見上げた。

 

「……それを知ってるなら、どうしてわざわざ中身を見ない相手を選び続けるの?」

 

 シリウスは、一瞬だけ言葉をなくした。

 そして、反射的に声を荒げる。

 

「うるせぇな。お前が俺を選ばなかったからだろ」

 

 談話室の空気が、すこし揺れる。

 あからさまに耳をそばだてる一年生。

 目を伏せるリーマス。

 ジェームズは状況を読んで、あえて話に割り込まない。

 

「……私のせいにするのね」

 ヴェリティは肩をすくめる。

「私がそういう目で見なくなったから、代わりの視線をいくらでも集めて、自分の空洞を誤魔化す」

 

「誤魔化して何が悪い」

 シリウスの声は、意地と焦りでかすれていた。

「本気になったら痛ぇだけだって、お前が教えてくれたんじゃねぇか」

 

 ――私、あなたに惚れることはない。

 

 彼の耳に、あの言葉がまだ棘のまま刺さっている。

 

「痛みを誤魔化したければ、好きにすればいいわ」

 ヴェリティは立ち上がる。

「ただ、私に見せつけて、ほら、俺はこんなにモテてるぞってやるのは、子どもっぽすぎて笑えない」

 

 シリウスの喉が、ぴくりと動く。

 

 図星だ、とは、言えなかった。

 

「あなたたち、またやってるの?」

 階段の方からリリーが降りてきて、呆れたように眉を上げる。

 

「いつものことよ」

 ヴェリティは、何でもなさそうに本を抱え直す。

「シリウスが自分の心臓を遊具にしてるから、危ないって忠告してるだけ」

 

「放っとけよ!」

 シリウスは叫ぶ。

 

「放っておけないから言ってるのよ」

 

 そのひと言には、わずかな自責と、確かな苛立ちが混じっていた。

 表向きの光景は、以前とまったく変わらない。

 毒舌と反発。

 火花の散る言い合い。

 

 違うのは、その裏に流れているものを知っている人数が、少しだけ増えているという事実だけだった。

 

 

 シリウスの「遊び場」が、グリフィンドールだけで足りなくなってきたのは、その少し後だった。

 

 ある夕方、図書館。

 課題の本を探すふりをして、シリウスは本棚の陰でぼんやりしていた。

 犬が雨宿りをするみたいに、居場所を探してさまよった末の避難場所だ。

 

「……邪魔なんだけど」

 

 後ろから飛んできた声は、鼻にかかった少し低めの女声だった。

 

 振り向くと、スリザリンのローブ。

 黒髪を肩のあたりでひとつに結え、瞳の色はとても暗い灰色。

 整っていると言っていい顔立ちだが、化粧っ気もなく、愛想もなく、ただじっとこちらを見ている。

 

「ここ、通路」

 少女は、棚と棚の間を顎で示した。

「立ち塞がるなら、看板くらい立てれば?」

 

「は?」

 シリウスは思わず笑う。

「なんだお前、ブラック様の通行料を払えって言わないあたり、珍しいスリザリンだな」

 

「様って言われて喜ぶのは、貴族崩れのおじさまだけよ」

 彼女は冷淡に返す。

「私はイヴ・ロジエール。あなたの親戚の親戚の親戚くらいかしら」

 

「ロジエール、ね」

 シリウスは眉をひそめる。

「じゃあ余計に通行料払えよ。俺、そっちの家とは仲悪ぃんだ」

 

「知ってるわ」

 イヴは肩をすくめた。

「スリザリンの談話室まで噂が届いてるもの。ブラックの放蕩息子が、グリフィンドールで好き勝手やってるって」

 

「へぇ」

 シリウスは、わざとらしく髪をかき上げる。

「で? その放蕩息子に何か用かよ、ロジエール」

 

「用はないけど」

 イヴは彼をまっすぐ見た。

「噂のヴェリティ・エインズワースに振られたブラックの顔を、一度くらい見ておこうと思っただけ」

 

 シリウスの動きが止まる。

 

「……誰から聞いた」

 

「スリザリンの廊下に耳をくっつけてたら、勝手に流れてくるわ」

 イヴはさらりと言う。

「あいつ最近、女遊び激しいけど、本気で好きだったのはエインズワースらしいって」

 

 彼女は、笑わなかった。

 その話題を餌にして、面白がることもしない。

 ただ、「それを知った」という情報だけを口にする。

 

「ふーん」

 シリウスは、何とか興味なさそうな声を作った。

「で、その話を聞いて、わざわざ俺の顔見に来たのか。奇特な趣味だな」

 

「諦められない相手を見てる男の顔が、どんなものか興味があっただけ」

 イヴは言葉を重ねる。

「私の寮にもいるわよ。あっち向いて名前呼びながら、こっちのベッドに潜り込むような連中」

 

 シリウスの眉が、ひくりと動いた。

 

「……嫌いか、そういうの」

 

「嫌いよ」

 即答だった。

「欲しいものと手に入るものを混同してるの、馬鹿みたいだもの」

 

 図書館の静寂の中で、その言葉はやけにクリアに響いた。

 

「あんたも似たようなもんよね」

 イヴは、まるで誰かの論文を批評するような口調で続ける。

「エインズワース見ておきながら、別の女の肩抱いてごまかしてる。諦められてないくせに、諦めたフリをしてる」

 

「……お前、初対面だよな?」

 シリウスは目を細める。

「なんでそこまで分かったような口きいてんだよ」

 

「簡単よ」

 イヴは棚から一冊の本を抜きながら言った。

「私も似たような穴を抱えてるから。覗けば分かるわ、同じ色のものは」

 

 彼女は踵を返し、歩き出す。

 その時、ふと思い出したように振り返った。

 

「――それにしても」

 

「ん?」

 

「エインズワース、たいした女よね」

 

 イヴは、そう言ってから、ほんの少しだけ笑った。

 それは、憧れでも嫉妬でもない、純粋な評価の笑いだった。

 

 

 

 それから、イヴ・ロジエールは時々、シリウス・ブラックの近くに現れるようになった。

 

 図書館の静かな机の向かい。

 中庭の石壁にもたれた少し離れた位置。

 ホグワーツの廊下の陰。

 

 彼女は自分からべたべたと近づいてくるタイプではない。

 ただ、「そこにいる」。

 そして、ときどき、話を振ってくる。

 

「また増えたわね」

 ある日、中庭でイヴが言った。

 遠くで、グリフィンドールの女子がシリウスの周りに固まっている。

 

「慰め役」

 

「慰めなんかいらねぇよ」

 シリウスは、石の上に座ったまま足を組む。

「俺は楽しんでるだけだ」

 

「楽しめてるならいいけど」

 イヴはローブの裾を整え、小さくため息をつく。

「時々、顔が死んでるわよ。笑ってるくせに」

 

「スリザリンのくせに、人の顔色よく見てんな」

「そっちの教育は、行き届いてるから」

 

 皮肉を交わしながら、会話は少しずつ深いところに向かっていった。

 

 シリウスは、自分でも驚くほど自然にヴェリティの話をするようになった。

 あのダンスパーティーのこと。

 正論で親衛隊を切らされた時のこと。

 ホグズミードでのこと。

 

「私、あなたに惚れることはないってさ」

 彼は、苦笑とも自嘲ともつかない声で言う。

「ここまでハッキリ言われたの、人生で初めてだ」

 

「誠実じゃない?」

 イヴはあっさりと返す。

「うちの寮なんて、利用価値がなくなってから捨てるタイプの方が多いわよ。最初から持ち物にしないって言ってくれるだけマシ」

 

「お前、エインズワース好きだな」

「嫌いじゃないわ」

 イヴは目を細める。

「自分の刃が何を切るか分かってる人間は、信用できる」

 

 シリウスは、その言葉に少し救われる。

 ヴェリティのことを話しても、イヴは嫌な顔をしない。

 むしろ、その話題を通して、彼の内側を覗こうとする。

 

 他の女の子たちは、シリウスの武勇伝や笑い話を好む。

 イヴは違った。

 失敗談を聞く。

 格好悪さを面白がらない。

 黙る時間を怖がらない。

 

(……話しやすい)

 

 ふと、そんな言葉が浮かんで、シリウスは内心舌打ちした。

 自分の心の中のスペースを、知らないうちに誰かが共有し始めている。それがスリザリンであること。

 皮肉と分析。

 鋭さと諦観。

 その奥にある、意外なほどまっすぐなところ。

 まるで。

 

 

「今度、ホグズミード行かない?」

 イヴが珍しく具体的に誘ったとき、シリウスの反応は、半歩ずれていた。

 

「……あー」

 彼は頭を掻いた。

「予定、見てみる」

 

 行かないとは言わない。

 行きたいとも言わない。

 

 彼の中で、「スリザリン」というラベルが、彼女を通して見るヴェリティの面影が、無意識のうちに線を引いていた。

 彼女に散々「整理が雑」と言われた部分が、そのまま残っていた。

 

 イヴと話すのは楽だ。

 だが、手を繋いで大広間を歩く自分の姿を想像しようとすると、どこかで思考が止まる。

 

(俺がスリザリンの女と?)

 

 ブラック家の血。

 親戚たちの顔。

 家を飛び出した自分。

 それら全部とイヴの姿が、頭の中でごちゃごちゃに絡まり合って、うまく整理できない。

 

 自分の中にスリザリンの血がある。

 そう突きつけたのは、ヴェリティだった。

 結局俺は、スリザリンから抜け出せていないのか?

 違う。俺はグリフィンドールだ。

 

 シリウスは気づかない。

 イヴを、無意識に「ここまで」と線を引いた場所に押し込んでいることに。

 

 

 

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