グリフィンドールであることが、気に食わない。   作:an-ryuka

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15.

 

 リーマスの言葉に、狐の耳がかすかに震えた。

 

「……ヴェリティにはシリウスが似合うなんて、もう言えない」

 

 彼の声は、いつもの柔らかさを残しながら、底だけがぽつりと深かった。

 

 ヴェリティは、尾を抱えたまま瞬きをする。

 さっきまで「本能的って何」「野性的とは」などと頭を回していた思考が、一瞬で真っ白になった。

 

「それ、前提が間違ってるわ」

 

「前提?」

 

「私に誰かが似合うなんて、最初からあなたが決めることじゃない」

 ヴェリティは、できるだけ平常運転の声を保つ。

「選ぶのは私。……あなたが今まで考えてた正しさなんて、私には知ったことじゃないの」

 

 リーマスは、少しだけ目を伏せた。

 それが図星だったからだ。

 

「そうだね」

 彼は素直に認める。

「僕はずっと、君のためだって言いながら、自分が安心する選択を正しいって呼んでただけかもしれない」

 

「やっと気づいたのね」

「遅い?」

「致命的に、とは言わないわ」

 ヴェリティは、わずかに口角を上げる。

「気づかないまま一生終える人間もいるもの」

 

 耳がぴくぴく動く。

 自分では制御できない動きに、彼女は内心だけでため息をついた。

 

 リーマスは、その耳から目をそらそうとして、結局そらしきれなかった。

 

「……ヴェリティ」

 

「なに?」

 

「僕が臆病だってこと、君は最初から知ってた?」

「最初からってほどじゃないけど」

 彼女は考えるそぶりもなく言う。

「でも、逃げ腰になるポイントは、見ていれば分かるもの」

 

「逃げないと決めたら?」

「試してみればいいでしょう」

 

 あっさりした答え。

 けれどそれは、「逃げなさい」とも「逃げるな」とも言っていない。

 

 リーマスは、言葉を喉の奥まで持っていって、そこで留めた。

 

 ――今ここで、「僕と付き合って」と言えばいい。

 

 言えば、たぶん、彼女は即答はしない。

 条件を並べるかもしれないし、「付き合うってどう定義するの?」と問い返すかもしれない。

 

 でも、言わなければ、何も変わらない。

 

(言え)

 

 自分にそう命じる。

 

(言えよ、リーマス・ルーピン。君が臆病でいたい理由は、まだ残ってるのか)

 

 満月。

 狼。

 秘密。

 暴力の記憶。

 

 全部ひっくるめて、喉の奥でぐつぐつと煮え立っている。

 

「……リーマス」

 

 逆に、呼ばれた。

 

「なに?」

「さっきから、ずっと何か言いたいけどやめてる顔してる」

 

 ヴェリティはじっと彼を見る。

 狐の耳が、まっすぐ立っていた。

 

「言わないなら、私からひとつだけ先に言っておくわ」

 

「うん」

 

「私はもう、あなたの正しさに付き合う気はない」

 まっすぐな声。

「逃げたいなら逃げていい。でも、それを優しさだとか、僕なんかがとかいうオブラートで包まないで」

 

 リーマスは、息を呑んだ。

 

「……逃げたら?」

「逃げるあなたを、ちゃんと逃げたわねって見てるわ」

 ヴェリティは淡々と言う。

「それでも、あなたのことを嫌いにはならないと思う」

 

 その「嫌いにはならない」が、やけに温度を持っていた。

 

 扉の向こうから、遠くの足音が聞こえた気がした。

 現実に、マクゴナガルか、別の誰かがこの部屋へ向かっているのか。

 それとも、リーマスの逃げ道が近づいているのか。

 

 彼は、ほんの一瞬だけ目を閉じた。

 

(逃げない)

 

 決めた。

 

 目を開ける。

 

「……ちゃんと、言うよ」

 

 声が震えているのが自分でも分かる。

 それでも構わない。

 

 

「僕は、君が好きだ」

「それは聞いた」

 ヴェリティは即答する。

「付き合いたいとは言わないのねって、前に言った」

 

「だから、続き」

 

 リーマスは一度、息を深く吸った。

 

「――僕と付き合って」

 

 準備室の空気が、一瞬硬くなる。

 

 言った。

 言ってしまった。

 

 臆病な部分が、ここでようやく地面に引きずり出された。

 

 ヴェリティは、彼を見つめる。

 狐の耳が、心臓のリズムに合わせて小さく揺れた。

 

「……今、あなた、自分の言葉にちゃんと責任を持つ覚悟、ある?」

 

「あるつもり」

「つもりは信用しない」

 彼女は厳しい。

「あなたがどれだけ自分を嫌いになっても、次の朝に僕のそばにいてって言える?」

 

 リーマスの喉が鳴る。

 

「……言う」

 

「あなたの理性と感情、私に見せてくれる?」

「もう散々見せてるよ」

 

 わずかな冗談で、ふたりの間に少しだけ笑いが生まれる。

 

「シリウスに対して、後ろめたさがあるのは分かってる」

 ヴェリティは続ける。

「それでも、私があなたを選んだって事実から目をそらさないつもりはある?」

 

 そこが一番の核心だった。

 

 リーマスは、ほんの少しだけ目を伏せて、それからゆっくり頷いた。

 

「……まだ、完全には割り切れてない」

 正直に言う。

「でも、シリウスが選ばせたってことも分かってる。君も、僕も」

 

「彼が傷ついたってことから、逃げたくはない。

 でも、その傷を理由に、自分の気持ちを葬るのも……もう、やめたい」

 

 彼は、はっきりと言った。

 

「それでも良ければ。

 それでも君が良いなら。

 ――僕と、付き合ってほしい」

 

 今度こそ、言葉は逃げなかった。

 

 ヴェリティは、少しだけ息を吐いた。

 長い、長い観察の末に、やっと手に入れた感情を噛みしめるように。

 

「……そういえば私、告白したこと無かったわね」

 

「それって……。」

「私はリーマスのことが好きよってこと」

 彼女は、ほんの少し笑った。

「逃げないでね?」

 

「望むところ」

 リーマスは、肩の力を抜くように笑った。

「君となら」

 

 耳が、ぽふっと揺れた。

 それを見て、彼は我慢できずに言う。

 

「……やっぱり、可愛い」

 

「先生呼んでくるわね」

 ヴェリティは即座に踵を返しかけ――

 

「ちょっと待って」

「なに?」

 

「そのままの君を、もう少し見ていたい」

 リーマスは、あっけらかんと言った。

「他の誰にも見せたくないから、今のうちに目に焼き付けておきたい」

 

 ヴェリティの頬が、また熱くなる。

 耳も、律儀にぴんと立った。

 

「……やっぱり、あなた、一番危険だわ」

 

「それは誉め言葉として受け取っておく」

 

 二人がそんなふうに、危うい初期値のバランスを取り始めたところで、マクゴナガルの足音が近づいてきた。

 

 扉の前で、一瞬だけ間が空く。

 

(……十分な時間を確保できたようですね)

 

 そう心の中で呟きながら、彼女はノックした。

 

 

 もちろん、これで全部うまくいくほど、ホグワーツの空気は単純ではない。

 

 リーマスが付き合おうと口にできたとしても、その言葉にはあまりに多くの影がぶら下がっていた。

 

 シリウス・ブラック。

 満月の秘密。

 四人組のバランス。

 ピーター・ペティグリューの居場所。

 

 その夜、リーマスは寮のベッドの上で、カーテンを半分閉めた状態で天蓋を見つめていた。

 

 ジェームズは、下でリリーとの手紙に夢中。

 ピーターは、早々に寝息を立てている。

 シリウスは――いない。

 

(また、どこかで誰かの肩を抱いてるのかもしれない)

 

 そう考えて、リーマスは胸が少しだけ痛んだ。

 

 自分がヴェリティと付き合い始めた――といっても、正式な宣言などしていない。

 ふたりの間で合意しただけ。

 まだ、外に向かって「俺たち付き合ってる」と言える段階ではない。

 

 それでも、決定的に変わったことを、彼は自覚していた。

 

(シリウスに、言わなきゃな)

 

 それが怖い。

 けれど、言わずにいる方が、もっと怖い。

 

 ホグワーツの夜は長い。

 けれど、いつまでも目をつぶってはいられない。

 

 ふと、カーテンの隙間から影が滑り込んだ。

 

「起きてるか」

 

 シリウスだった。

 

 髪は少し乱れていて、ローブも雑に羽織っている。

 酔ってはいない。けれど、どこか外気の匂いをまとっていた。

 

「うん」

 リーマスは上体を起こした。

「どうした」

 

「……話あんだろ」

 シリウスは椅子を引き寄せて、ベッドの横に座る。

 声は低いが、いつものケンカ腰ではない。

 

「……あるね」

「やっぱな」

 

 しばらく、二人は黙っていた。

 ジェームズの笑い声が、遠くからかすかに聞こえる。

 

「ヴェリティと」

 沈黙を破ったのは、シリウスの方だった。

「付き合うのか」

 

 リーマスは、一瞬だけ目を閉じて、それから頷いた。

 

「……うん。付き合ってみようって話になった」

 

「みよう、ね」

 シリウスは鼻で笑う。

「お前らしい言い方だ」

 

「怒ってる?」

「さあな」

 

 彼は、天井の木目を見上げる。

 

「ホグズミードの帰り」

 低い声で続ける。

「ヴェリティに、ふられたって言ったよな」

 

「……シリウス」

「ちゃんと最後まで聞けよ」

 遮る。

 

「俺に惚れることはないって言われてさ」

 乾いた笑い。

「そのあと、言われたんだよ。『あなたと一緒にいる時間が増えたことより、リーマスと話せない時間の方が辛かった』って」

 

 リーマスの心臓がひとつ、強く跳ねた。

 

「……そうか」

 

「だから、最初から分かってた」

 シリウスは呟く。

「俺がどんだけ頑張っても、最初の一歩から、もう負けてたって」

 

「それは――」

「お前のせいだって言いてぇわけじゃねぇよ」

 シリウスは、視線をようやくこちらに向ける。

 その目は、思ったよりも静かだった。

 

「ヴェリティが選んだんだってのは、分かってる」

「でも、納得はしてない?」

「納得なんか、できるわけねぇだろ」

 

 あっさり言う。

 むしろ、その素直さが救いだった。

 

「お前のこと、ぶん殴ってやろうかとも思った」

「それは……痛そうだ」

「でもさ」

 シリウスは、深く息を吐いた。

 

「俺、自分でリーマスに相談して、自分であいつを好きだって認めて、自分でふられたんだよな」

 

「……ああ」

「誰のせいにもできねぇ。最悪だ」

 

 自嘲気味の笑いがこぼれる。

 

「それでも、お前には言っときたかった」

 彼は言った。

「お前が選ばれたんだから、ちゃんと選ばれた自覚持ってろよ」

 

 リーマスは、一瞬言葉をなくした。

 

「……自覚?」

「そうだよ」

 シリウスは舌打ちする。

「お前さ、どうせ僕でいいのかなとか思ってんだろ。あいつにはもっとまっすぐで、もっと派手で、もっと――」

 

「それ、誰のこと?」

「……俺、かもな」

 

 不意に、シリウスは笑った。

 今度はちゃんと、笑っていた。

 

「でも、あいつが選んだのは、俺じゃなくてお前だ」

 彼は、はっきり言う。

「だったら、お前がビビってたら、マジで殴るからな」

 

 脅しのようでいて、呪いのようでいて、祝福のようでもあった。

 

 リーマスは、やっと小さく笑った。

 

「……分かった」

「約束しろ」

「約束するよ」

 彼は真面目に頷く。

「逃げない」

 

 その言葉に、シリウスは満足げに鼻を鳴らした。

 

 しばし沈黙が落ちる。

 やがて、リーマスが切り出した。

 

「……あの子と、どうなんだ」

 

「は?」

「ロジエール」

 リーマスは、さりげなく言う。

「最近、よく一緒にいるだろ」

 

「見てんじゃねぇよ」

「見えちゃうんだよ」

 

 シリウスは、ベッドの脚を軽く蹴る。

 

「……あいつ、変な女だぞ」

「そう?」

「ヴェリティと同じくらい、俺の中身見ようとしてくる」

 言い方は文句だが、どこか誇らしげだ。

「スリザリンのくせに、諦めたふりしてるのが一番ダサいとか言いやがるんだ」

 

「正論だね」

「お前まで言うな」

 

 シリウスは頭をかきむしる。

 

「ヴェリティには、もういい女だなくらいしか思ってねぇよ」

 ふっと視線をそらしながら続ける。

「なんていうか……あいつを見ると、自分がちゃんと振られた男だって分かる」

 

「それ、誉め言葉になってる?」

「なるんだよ。あいつの場合は」

 シリウスは笑う。

「で、イヴの話に戻すけどさ」

 

「うん」

「あいつのこと、ヴェリティに聞いてみようと思ってる」

 

 リーマスは目を瞬いた。

 

「……大丈夫か?」

「大丈夫じゃねぇから聞くんだろ」

 シリウスは立ち上がる。

「お前はお前で、ちゃんとヴェリティと話しとけよ。俺のことで変に気ぃ使ってたら、マジで蹴るからな」

 

「暴力やめろ」

「愛情表現だ」

 

 そう言い捨てて、シリウスはベッドから離れた。

 カーテンをめくって出て行こうとして、ふと振り返る。

 

「リーマス」

「なに」

「……おめでとう、とはまだ言わねぇけど」

 

 ほんの少しだけ、笑う。

 

「いい顔してんぞ」

 

 それだけ言って、今度こそ部屋を出て行った。

 

 

 シリウス・ブラックがヴェリティ・エインズワースの前に現れたのは、その翌日の放課後だった。

 

 授業の合間。

 図書館の一角。

 ヴェリティは、本のページを追っていた。

 

「よぉ、ヴェリティ」

 

 影が落ちる。

 顔を上げると、シリウスが立っていた。

 

「……なに」

「そんな顔すんな」

 シリウスは椅子を引き出し、勝手に向かいに座る。

「今日はケンカ売りに来たわけじゃねぇ」

 

「今日はって付けるあたり、説得力に欠けるわね」

「うるせぇ」

 

 しばし、沈黙。

 図書館の奥では、マダム・ピンスが誰かを睨んでいる。

 

「で?」

 先に口を開いたのはヴェリティだった。

「わざわざ今日はケンカじゃない宣言をしてくるってことは、それなりに重要な用件?」

 

「お前さ」

 シリウスは、机の上で指をとんとんと鳴らす。

「イヴ・ロジエールのこと、どう思う」

 

 ヴェリティは瞬きした。

 

「また、唐突ね」

「唐突じゃねぇ。俺としては、わりと一大事だ」

 シリウスは真顔になる。

「お前から見て、あいつ、どう見える。

 どうせ分析してんだろ」

 

 ヴェリティは、視線を少し上げた。

 天井の梁をひとつ数え、それから静かに言う。

 

「自分の足場を他人の弱点の上に作らないタイプね」

 

「……どういう意味だよ」

「他人の痛みを見て、自分の優越感の材料にしないってこと」

 ヴェリティは肩をすくめる。

「あなたが私に振られて、他の女の子の肩を借りて誤魔化してたとき……」

 

「それ言う必要あるか?」

「あるわ。比較対象として」

 あっさり。

 

「あなたの周りにいた子たちの多くは、落ち込んでるシリウスを慰める私偉いって顔をしていた。

 別に悪いことじゃないけど、その中では、あなた自身は道具として組み込まれてるだけ」

 

 シリウスは、顔をしかめる。

 図星を刺されると、いつもこの顔になる。

 

「でも、イヴ・ロジエールは違う」

 ヴェリティは続ける。

「あなたの誤魔化しに気づいて、それをそのまま言葉にして、そこから先をどうするかはあなたに任せてる」

 

「……任せてる、ね」

「あなたの足場を、あなた自身の中に作らせようとしてる」

 

 シリウスは、しばらく黙っていた。

 指先で机をなぞりながら、ゆっくり言葉を探す。

 

「なぁ」

「……なに?」

「俺さ」

 

 一瞬だけ目を逸らして、それから戻す。

 

「イヴのこと、好きになっていいと思う?」

 

 ヴェリティの眉がぴくりと動いた。

 

「誰を好きになるべきかの許可を、私に求めてるの?」

「違ぇよ」

 シリウスはむっとする。

「お前から見て、そういう相手かどうかって意味だ」

 

 ヴェリティは、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「……あなたが、誰かを利用して穴を埋めるんじゃなくて、一緒に穴を覗き込んでくれる相手を求めてるなら」

 淡々と続ける。

「イヴは、かなりいい選択肢だと思う」

 

 シリウスの喉が鳴る。

 その答えを、たぶん彼自身もどこかで分かっていた。

 

「ただし」

 ヴェリティは付け足す。

「スリザリンだからって線を引きたいなら、最初から近づかない方がいい」

 

「……見てたのか」

「見えるのよ」

 ヴェリティは静かに言う。

「あなた、自分の中のスリザリンを、まだ許せてないでしょう」

 

 ブラック家。

 純血主義。

 闇の魔術。

 

「イヴを好きになるってことは、自分の中にあるもの全部を、少しは認めることよ」

 彼女は締めくくる。

「それができないなら、イヴにも失礼」

 

 シリウスは、しばらく俯いたままだった。

 やがて、ぽつりと呟く。

 

「……前は、お前の言葉、マジでムカつくだけだったけどさ」

 

「今は?」

「痛ぇし、ムカつくけど」

 彼は、諦めたように笑う。

「ちょっとだけ、ありがてぇって思うようになった」

 

「最大級の賛辞として受け取っておくわ」

 ヴェリティも、わずかに笑った。

 

 シリウスは席を立ちかけて、ふと思い出したように振り向く。

 

「そういや」

「なに」

「リーマスと付き合うって、マジなんだな」

 

 ヴェリティは瞬きをした。

 彼の口から、その言葉が出るとは思っていなかった。

 

「本人から聞いたの?」

「まぁな」

 シリウスは肩をすくめる。

「ケンカでもしようかと思ったけど……やめた」

 

「賢明な判断ね」

「殴り合いでお前が喜ぶとは思えねぇし」

 彼はニヤリと笑う。

「ちゃんと選べよ。俺の親友だからって、情けで付き合うなよ」

 

「私がそんな薄っぺらい感情で人を選ぶと思ってるの?」

「思ってねぇから言ってんだよ」

 

 シリウスは手を振って、今度こそ図書館を出て行った。

 その背中は、以前より少しだけまっすぐだった。

 

 

 四人組のバランスが変わるとき、いちばん先に揺れるのは、いつもピーター・ペティグリューだった。

 

 ジェームズとリリーが正式なカップルになり、

 シリウスが女の子たちと騒ぎつつ、イヴという静かな相棒を得つつあり、

 リーマスとヴェリティが、ときどき二人で話すようになり――

 

 談話室のソファに座るとき、ピーターの隣には、いつも誰かの空席があった。

 

「ピーター、それ回して」

「ごめん、いま手が――」

 

 カードゲーム。

 課題の答え合わせ。

 クィディッチの話題。

 

 彼はいつも、「輪の中」にいるのに、「中心」にはいない。

 それは昔からそうだったが、最近はその差が目立つようになってきた。

 

「……なんか、いろいろ変わってきたよな」

 

 ある夜、暖炉の前で、ピーターがぽつりと言った。

 手には、課題の巻き物。

 リーマスは、その隣で本を読んでいる。

 

「変わったね」

 リーマスは、ページから目を離さずに答える。

「でも、全部が悪い変化ってわけでもないよ」

 

「ジェームズはリリーとばっかりだし」

「それは、予想された未来だった」

「シリウスはなんか……よく分かんないスリザリンの子と話してるし」

 

 ピーターは、不満とも不安ともつかない声を出す。

 

「リーマスは」

 少しだけ声を落とす。

「ヴェリティとばっかり話してるし」

 

 リーマスはページを閉じて、ピーターの方を向いた。

 

「ばっかりってほどじゃないと思うけど」

「……でも、前よりは」

 

 ピーターは膝を抱え込むように座り直した。

 

「俺、取り残されるのかな」

 ぽつりと言う。

「みんな、誰かと特別になってくのに」

 

 それは、彼にしては珍しいほどまっすぐな言葉だった。

 

 リーマスは、少しだけ考えてから口を開く。

 

「ピーター」

「なに」

「君が、自分でそういう場所を求める気があるなら――僕は、できるだけ手伝いたいと思ってるよ」

 

「場所?」

「誰かの隣って、勝手に空いてるところに座るもんじゃないから」

 リーマスは静かに言う。

「自分から椅子を引いて、ここに一緒に座っていい?って言わないと」

 

「……そんなの、怖いじゃん」

「怖いね」

 彼は微笑む。

「でも、君は、そういう怖いことからいつも逃げてる」

 

 ピーターは黙り込んだ。

 反論はしない。

 図星だからだ。

 

「ヴェリティに、君の話をしたことがある」

「えっ」

「ピーターに優しくしてあげてって」

 リーマスは正直に言う。

「彼女は、君の、誰かのためと言いながら自分のために動くところが嫌いだって言ってた」

 

「知ってる……」

 ピーターは、しょんぼりと肩を落とす。

 

「でも僕は、君が誰かの役に立ちたいと思ってるところ、好きだよ」

 リーマスの声は、穏やかだった。

「だから、君が自分のために誰かを選ぶ練習も、いつかできたらいいなと思う」

 

「そんなの、できるかな」

「やってみないと分からない」

 彼は笑う。

「少なくとも、僕は君を置いて行くつもりはないよ」

 

 ピーターは、しばらく黙って暖炉を見ていた。

 やがて、小さく頷く。

 

「……ありがと」

「どういたしまして」

 

 その会話を、少し離れた机からヴェリティが聞いていた。

 

 彼女は本に視線を落としたまま、心の中で少しだけ考える。

 

(……嫌いと見捨てるは別の話)

 

 ピーター・ペティグリューを好きになるつもりは、今もない。

 けれど、リーマスが彼を「置いて行かない」と決めている以上、完全に切り捨てるのも、自分の正しさから外れる。

 

 彼女はページをめくりながら、心の中だけで呟いた。

 

(せいぜい、観察対象から外さないくらいの配慮は、してあげてもいいかもしれない)

 

 

 冬が終わり、春の気配がホグワーツの石壁を柔らかくしていく頃。

 

 リーマスとヴェリティの関係は、少しずつ着実に進んでいた。

 

 廊下を一緒に歩く頻度が増え、

 図書館で同じテーブルを使うことが増え、

 変身術準備室では、彼が「監視役」として付き添うことが当たり前になっていった。

 

 ジェームズは最初の数日こそ「おおおお!?」と大騒ぎしていたが、リリーに「静かにしろ」と何度も肘を入れられるうちに、やがて「そういうもの」として受け入れ始める。

 

 シリウスは、イヴとの会話の中で何度か「アイツらさぁ」と愚痴をこぼし、イヴは「嫉妬するならもっと分かりやすくしなさい」と冷静に笑い飛ばした。

 

(これはこれで、悪くない)

 

 リーマスは、ある日、ふとそう思った。

 

 満月前夜。

 まだ完全体になれないヴェリティは、彼を見上げる。

 

「行ってらっしゃい」

「うん」

「生きて帰ってきて」

「もちろん」

 

 その当たり前のやり取りが、特別であることを、彼はこれから何度も思い知ることになる。

 

 今はまだ、知らない。

 

 ただひとつだけ、確かに言えるのは――

 

 臆病で、弱くて、誰かを信じることが怖いと自分で言った少年が、

 狐の耳を生やす女の子に向かって「僕と付き合って」と言えたという事実。

 

 それは、ホグワーツの長い歴史の中で、きっとほんの小さな出来事にすぎない。

 けれど、彼ら四人と、その周囲の何人かにとっては、世界を少しだけ変えてしまうタイミングだった。

 

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