グリフィンドールであることが、気に食わない。 作:an-ryuka
◆
それからの数日は、妙に静かだった。
ジェームズとシリウスは相変わらず騒がしい。スリザリンを笑いものにする冗談も消えてはいない。
けれど、あの時のような露骨なからかいは、しばらく影を潜めた。
「自覚でも芽生えたのかしら」
ひそひそ話しながら横を通り過ぎていく後輩たちの声を聞きながら、ヴェリティは心の中でそんな分析をする。
ジェームズは、リリーの前では以前より少しだけ姿勢が伸びた。
スネイプの名前が出るとき、彼が一拍だけ間を置くのを、ヴェリティは何度か目撃した。あれは躊躇か、それとも新しい言い訳を探す時間か。
シリウスは、スリザリンに向ける言葉の選び方が荒くなった。
軽口の表面は変わらないのに、その奥で何かが焦っている。言葉を早口で積み上げて、考える前に反射で放り投げてしまおうとするみたいに。
ルーピンは、前より少しだけ話すようになった。
「やめとけよ、シリウス」とか、「それは違うと思う」とか。以前なら笑って流していた場面で、時々、ぽつりと異議を挟む。
そしてピーター・ペティグリューは――何も変わらなかった。
彼は相変わらず、ジェームズの笑いに一番大きく笑い、シリウスの冗談に一番先に飛びつき、ルーピンの言葉には一歩引いたところで頷くだけだった。
スネイプを笑うときも、スリザリンを馬鹿にするときも、彼の声は一番よく通る。
――意思は、どこにあるのかしら。
ヴェリティは、彼を見るたびにそう思った。
様々な刺激に反応しているようでいて、その実どこにも芯が見当たらない。四人組の輪郭の中で、唯一「取り替え可能」に見えるのが彼だった。
「おい、ヴェリティ!」
談話室から出ようとしたところで、背中に声が飛んできた。
振り返ると、階段の途中にジェームズがいて、その横にシリウスが肩肘をついている。
「今夜、見回りするんだったよな。リリーに聞いた!」
ジェームズが話す。
「フィルチがなんかイライラしてるっぽいから、早めに回っといた方がいいかもしれないよ」
「そう、忠告ありがとう」
ヴェリティはあっさり答える。
監督生の体調不良により、いつもは監督生がやる見回りを、暫くは指名されたメンバーで行う事になっていた。
「いっそあなたたちを捕まえて提出したら、フィルチも少しは機嫌が直るかしらね」
「やめてくれよ、マジで」
シリウスが顔をしかめる。
「俺たちは健全な夜間活動しかしないって、分かってるだろ」
「健全?」
彼女は眉をひそめた。
「人狼の時間帯にうろつくのを健全とは呼ばないわ」
ルーピンが階段の影でびくっとしたのを、ヴェリティは見ないふりをする。
彼と目が合いそうになった瞬間、わざと視線をずらした。
――今はまだ、確定では無い。
彼女は、自分の中でそうラベルを貼る。
ルーピンの秘密。彼の傷。彼の臆病さと、誠実さ。
それらはまだ、彼自身が自分の言葉で語っていない。だから、ヴェリティはそれを「分析」ではなく、ただの観察として棚に置いておくことにした。
「で、相棒は?」
ジェームズがきょろきょろと廊下を見回す。
「今日の見回り、二人一組だったろ」
「見てないの?」
ヴェリティは、逆に彼を見つめ返した。
「見回りの指名表、昨日掲示板に出てたわよ」
「悪い、字が多い板は見ない主義でね」
ジェームズは悪びれもせず笑う。
「問題児の自白を聞いても、何も新鮮味がないわね」
ヴェリティはため息をついた。
「……ピーターよ」
「えっ」
声が裏返ったのは、当のピーターだった。
彼は、暖炉の前の椅子から転げ落ちそうになりながら、こちらを見ている。
「お、おれ?」
「そうよ」
ヴェリティは淡々と告げる。
「見回りは二人一組。今日は私とあなた」
「やったな、ワームテール!」
シリウスがわざとらしく肩を叩く。
「憧れのヴェリティとロマンチックな夜の散歩じゃねぇか」
「やめて。ロマンチックという言葉の価値が地に落ちるから」
ヴェリティは即座に切り捨てる。
「私は規則を守りたいだけ。……ピーター、二十一時に談話室前で」
これ、誰が決めた規則なのかしら。
ヴェリティは、静かに笑った。
「じゃあ、後で」
言い残して階段を降りる。
背後で交わされる「緊張するな」「しっかりしろよ」なんて会話は、もう聞くまでもなかった。
◆
夜のホグワーツは、昼間よりもよく喋る。
石の壁が、足音を返す。風が窓を叩き、肖像画が眠そうに欠伸をする。鎧がひそひそと何かを囁き合っていることだってある。
「な、なあ、ヴェリティ」
ピーター・ペティグリューの声だけが、その中で不自然なくらい浮いていた。
「ど、どっちの廊下からまわる?」
「東から」
ヴェリティは淡々と答える。
「巡回ルートは効率が大事よ。ランプの数と距離を考えたら、こっちから行った方が無駄が少ない」
「あ、ああ。そうだな」
ピーターは、彼女の横を半歩下がった位置で歩く。
手にはランプ。光はふわふわと揺れて、その揺れに合わせて彼の影もぐらぐらと伸びたり縮んだりする。
「……そんなに距離を取る必要はないわよ」
ヴェリティは、しばらく歩いてからふいに言った。
「私は噛みついたりしないもの」
「えっ、あ、いや、そういうつもりじゃ……」
ピーターは慌てて言い訳を探す。
「その、ほら、お前、こないだジェームズ達に言ったろ? ああいうの、近くで聞くのは、ちょっと、な?」
「近くで聞いていないと、意味がないのにね」
ヴェリティは小さく笑う。
「逃げ腰の人ほど、耳だけはこっそりこっちに向けてるものよ。そういう顔、見るの嫌いじゃないけど」
ピーターの喉が、ごくりと鳴る。
静かな廊下では、その音さえ響いた。
「な、なあ」
彼は頬を引きつらせながら言った。
「お前さ、ジェームズやシリウスには色々言うけど……おれには、そういうの、ないよな?」
「どうかしら」
ヴェリティは足を止める。
窓の外では、湖の水面が黒い鏡みたいに固まっている。
「少なくとも、あなたについて考えたことがないわけじゃない」
ピーターはぎょっとした顔をした。
「な、何を……?」
「四人組の役割分担について、とか」
彼女は淡々としている。
「ポッターは旗。派手で、目立って、みんながついて行きやすい。ブラックは火。燃やしすぎることもあるけど、中心がないと寒い時期もあるわね」
ルーピンの名を出す前に、一瞬だけ言葉を切る。
彼女の頭の中では、彼に貼るべきラベルがすでに決まっているが、それを言葉にする準備はまだ完全ではなかった。
「ルーピンは――地図かしら」
少し考えてから、ヴェリティはそう言った。
「周りを見て、何がどこにあるか把握してる。道を間違えそうになったら、さりげなく方向を修正する。でも、彼自身は表紙に名前が書かれるタイプじゃない」
「じゃ、じゃあ、おれは?」
ピーターの声には、期待と不安とが混じっていた。
ヴェリティは、彼をまっすぐ見る。
ランプの光が、彼女の瞳の中に小さく揺れる。
「……荷物ね」
ピーターの顔が、ぽかんと固まる。
「に、荷物?」
「誰かが持って歩くことが前提のもの」
ヴェリティは言葉を選ばない。
「あると便利な時もあるけど、重くなりすぎたら置いていかれる。自分から歩き出すことはない。置き去りにされても、文句は言わない。『仕方ない』って顔をして、そこで丸まってる」
「そ、そんなひでぇ……」
ピーターは、笑おうとして失敗した。
「おれ、そんな、役に立ってねぇって言いてぇのかよ」
「役に立ってないとは言ってないわ」
ヴェリティは首を傾げる。
「荷物だって、中身によっては大事よ。薬草とか地図とか。……でもね、あなたの場合、何が詰まってるのか、外から見てても分からないの」
「な、何もねぇってことか?」
声が一段高くなる。
「おれだって、ちゃんとやってるだろ! ジェームズ達のいたずらの時だって、見張りとか――」
「ええ」
ヴェリティは頷いた。
「『ちゃんとやってる』わね。言われた通りに、言われた場所にいる。誰かが決めたイタズラの一部を担う。みんなが笑うタイミングで一緒に笑う」
一歩、彼女は近づく。
ランプの光が二人の影を重ねる。
「でも、それって、あなたの意思で選んだこと?」
「お、俺がやってるから、おれの意思だろ……」
「違う」
彼女は即座に遮る。
「あなたは、自分が『あの三人に釣り合ってない』って分かってる。だから、無意識に、『あいつらが決めたことに乗っかってればここにいられる』って計算してるの」
ピーターの喉が、ひくりと動く。
言い返せない時の顔だ。
「そして、もう一つ」
ヴェリティは言葉を重ねる。
「あなた、自分より弱そうな人間を見つけると、安心して笑うでしょ」
「そ、そんなこと――」
「ある」
彼女は静かに断言する。
「スリザリンの一年生が転んだ時。マグル生まれの子が呪文を失敗した時。『おれはあいつらよりマシだ』って顔、何回も見たわ」
ピーターの目が、みるみるうちに潤んでいく。
ランプの光が、水膜の上で揺れた。
「……やめろよ」
彼はかすれた声を出す。
「なんでそんなこと、言うんだよ」
「聞きたくない?」
ヴェリティは、首をかしげる。
「私は、あなたが何を考えてるのか知りたいだけよ。もし、私の見方が間違ってるなら、教えてほしい」
「間違ってるに決まって――」
「じゃあ、教えて」
彼女は一歩、さらに踏み込む。
「あなたは、あの三人に何を与えてるの? 彼らがあなたを『荷物』じゃなくて『仲間』だと言える理由、何か一つでも、自分で言える?」
ピーターは口を開けたまま、言葉を失う。
喉の奥で、何かがぐちゃぐちゃに詰まっているような顔。
「他の人とあなたが違うところ、誇れるところ、教えて」
ヴェリティは静かに続ける。
「あなた自身の足で立っているって言える何か。……ある?」
返事は来ない。
彼の目から、ぽた、と涙がこぼれた。
「お、れは……」
途切れ途切れの声。
「おれは、ただ、みんなと、一緒にいたくて……」
「それは分かるわ」
ヴェリティは頷く。
「一緒にいたいのは、誰だってそう。でも、『一緒にいる』って、何もしないでくっついてることじゃないと思う」
彼女の声は、冷たくも、優しくもなかった。
ただ、真っ直ぐだった。
「あなたが見ないふりをしていることはたくさんある。自分が釣り合ってないこと。置いていかれるかもしれないこと。――そして、今のままでは、本当に『何もない』ってこと」
ピーターは、肩を震わせる。
背中は小さくて、情けなくて、それでもなぜか、ヴェリティの胸のどこかをちくりと刺した。
「……考えて」
彼女は、少しだけ声を低くした。
「私の言ってることが間違いなら、ちゃんと否定して。『そんなことない』って言うだけじゃなくて、理由を」
沈黙。
廊下の向こうで、肖像画が寝返りを打つ音がした。
「言えないなら」
ヴェリティは言う。
「それは、あなたがまだ考えてないってことよ。考えるのが怖いから、『みんなと一緒』で誤魔化してるだけ」
「もう……やめてくれよ」
ピーターの声は震えていた。
「おれ、そんなに悪いこと、してないだろ……?」
「悪いかどうかを決めるのは、私じゃない」
ヴェリティは静かに首を振る。
「あなた自身よ。……だから、考えてほしいの」
その時だった。
「おい、どうしたんだ、二人とも」
曲がり角の向こうから、足音と共に声が割り込んできた。
ルーピンだった。面倒そうに髪をかきあげながらも、その目は一瞬で状況を把握している。
「リーマス……」
ピーターが、助けを求めるように彼を見上げる。
ルーピンは、その視線と、ランプの光に照らされたヴェリティの表情を交互に見た。
そして、ゆっくりと彼らに近づく。
「……夜回りは二人一組の決まりだけど。俺も、いいかな?」
冗談めかしながらも、声は慎重だった。
「規則には書いてないわね」
ヴェリティは小さく息を吐く。
「見回り中に、友人が宥めに入るのは禁止、なんて」
ルーピンは、ピーターの肩にそっと手を置いた。
「ピーター、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……」
彼は涙を袖で拭う。
「ヴェリティが、その、おれのこと、色々……」
「分析してただけよ」
ヴェリティは淡々と言う。
「彼のこと、ずっと気になってたから」
「……うん、聞いてた」
ルーピンは彼女を見る。
「廊下の角って、声がよく響くからね」
ヴェリティは一瞬だけ眉をひそめた。
彼も聞いていた。それを承知の上で近づいてきた。
「言いすぎじゃなかったか?」
ルーピンは、責めるでもなく問う。
「ピーターには、まだ飲み込めない言葉もあったと思う」
「飲み込めないなら、吐き出せばいいわ」
ヴェリティは肩をすくめる。
「それで、何が残るのか見ればいい」
「でも、それは――」
「やめろよ、リーマス……」
ピーターが弱々しく割って入る。
「おれのことはいいから。ヴェリティの言ってることが正しいのかどうか、分かんねぇし……」
ルーピンは、ピーターの肩を軽く叩いた。
「今日はもう、寮に戻れ」
穏やかな声だ。
「後は俺が一緒に回る。フィルチに見つかったら、俺が適当に言い訳するから」
「で、でも……」
「大丈夫」
ルーピンの目は、意外なほど強い。
「こういうのは、一晩で答えが出る話じゃない。少なくとも、今ここでこれ以上泣く必要はないよ」
ピーターは、縋るように頷くと、逃げるように廊下を駆け去った。
ランプの光が遠ざかり、足音が消える。
二人きりになった廊下の空気は、さっきまでとは別の意味で重くなった。
「……甘いわね」
ヴェリティはランプを掲げ直す。
「彼を庇ったつもり?」
「庇ったというより、逃がしたかな」
ルーピンは苦笑した。
「君の刃、今のピーターには鋭すぎるよ」
「……あなたは、逃がすことが優しさではないこと、知ってるわよね?」
ヴェリティは静かに返す。
「私は、彼に向き合えって言っただけよ」
「分かってる」
ルーピンは頷く。
「君の言葉は、たしかに必要だ。……でも、君は一つ勘違いしてる」
「勘違い?」
「うん」
彼は、ランプの光の中で真面目な顔をした。
「君は、自分の言葉が相手に届くかどうかを気にしてるけど、その途中で誰が傷を負ってるかまでは見ていない」
その指摘に、ヴェリティは瞬きを一つした。
「傷を負うのは当然よ。刃物なんだから」
「そうだね」
ルーピンは、さっきと同じ言葉をもう一度使う。
「でも俺が言いたいのは、君のせいで傷ついた誰かを、君は『それでも必要だった』って片づける傾向があるってことだ」
「……違うわ」
ヴェリティは、少しだけ声を低くした。
「私は、自分が嫌いなものを見て見ぬふりして生きていくのが嫌なの。その代償が誰かの涙なら、きっとその人には乗り越えられる強さもあると信じてる」
ルーピンは彼女の言葉を聞いて、立ち止まった。
「……俺は、見ているだけだと思ってるんだろう?」
彼は続ける。
「君の言葉を、彼らを、俺がただ『観察している』だけだと。……でも違う。君が誰かを斬るたびに、その場の空気は変わる。ジェームズも、シリウスも、ピーターも、セブルスも。……俺も。それぞれ違う形で、影響を受けてる」
ルーピンは首をヴェリティを見つめる。
「ただ――君は、自分の存在そのものが、誰かに何かを与えてるんだってことにもっと自覚的であってほしい」
ヴェリティは、ランプの火を見つめた。
炎は小さく揺れ、芯の部分だけが白く光っている。
「……あなた、私のこと、よく見てるわね」
彼女はぽつりと言った。
「気持ち悪いくらいに」
「君が気持ち悪いって言葉を使うとき、たいてい『図星』の時だ」
ルーピンは笑う。
「だから、俺はあまり傷つかない」
「生意気ね」
「君が教えたんだよ」
彼は軽く肩をすくめる。
「君が僕に与えた」
沈黙が、二人の間に落ちる。
さっきまでピーターの涙で湿っていた空気とはぜんぜん別の、乾いて、少し熱を帯びた沈黙。
「……あなたは彼らから、受け取ってるものが大きいから、これ以上は奪えないとでも思ってるの?」
ヴェリティは言葉を重ねる。
「ジェームズたちの悪いところを助長させていたのは、あなたよ」
「そうかもね……」
ルーピンは、目を伏せて笑う。
「でも、君のおかげで、俺は少しだけ変わった」
静かな声。
「何もしないことが、必ずしも優しさじゃないって、ちゃんと自分の中で言葉にできるようになった」
「それは……」
ヴェリティは、自分の胸の奥に、じわ、と温かいものが広がるのを感じた。
「それは、私があなたを変えたってこと?」
「そうだよ」
ルーピンは、あっさりと肯定する。
「君は、『答え』を与える人だ。正解とは限らないし、痛いことも多いけど……それでも、考えざるをえなくなる」
ヴェリティは、ランプの持ち手を握る指に力が入るのを感じた。
――答えを、与える人。
それは、彼女が自分に対して使いたかった言葉ではなかった。
少なくとも、今までは。
「……俺は、君を見てる。君が切った場所がどんなふうに変わるか、どこが傷口で、どこが新しい芽なのか」
ヴェリティは、その言葉を飲み込んだ。
胸の奥に溜まっていく、説明しづらい感情。
――この人は、本当に私の内側を見てる。
それは、少しだけ怖くて、少しだけ嬉しかった。
廊下の向こうで、時計が短く時刻を告げる。
夜回りの時間は、まだ少し残っていた。
「……続き、回る?」
ルーピンが尋ねる。
「……ええ」
ヴェリティは頷いた。
ルーピンはランプを持ち直し、彼女の隣に並んだ。
石の床に、二つ分の足音が響く。
ホグワーツの夜は、静かに深くなっていく。