グリフィンドールであることが、気に食わない。   作:an-ryuka

4 / 16
4.

 夜の巡回を終えて塔に戻ってきたとき、ホグワーツはもうすっかり「寝息の時間」に入っていた。

 

 階段の踊り場ごとに、肖像画たちが半分まぶたを落とし、遠くのどこかで時計が短く時を告げる。

 グリフィンドールの入り口で「合言葉は?」と聞いてきた太った婦人は、いつもより一段低い声で欠伸を隠していた。

 

「蛙チョコレートは夕食の後で」

「……正解よ。さっさと入りなさい」

 

 丸い額縁をくぐると、談話室の空気は一気に変わった。

 

 ◆

 

 夜が深く沈むたびに、談話室の暖炉の音がはっきりと聞こえるようになる。

 

 ぱち、ぱち、と薪がはぜる音が、ゆっくりとした呼吸みたいに一定のリズムで続く。赤い火の粉が、ときどきふっと宙を舞って、誰にも気づかれないうちにカーペットに落ちて消えた。

 

 ヴェリティはソファの端に腰をかけ、膝の上でノートを開いていた。

 

 ランプの光の下で、細い指がさらさらとペンを走らせる。

 書いているのは課題……に見えるが、インクの列は「変身術」でも「闇の魔術に対する防衛術」でもなく、思考と感情の断片。

「古代魔術」の基礎とも呼べる思想を独自にくみ上げていた。

 最後の行を書き終えたとき、不意に背後から声が降ってきた。

 

「リーマスは?」

 

 ヴェリティは顔を上げる。振り返らなくても、声の主は分かった。

 

 シリウス・ブラック。暖炉の火に照らされた銀灰色の髪が、焔と同じ色で揺れている。瞳だけが、暗い夜の獣みたいに光っていた。

 

 この時間、まだ談話室に残っているのは珍しい。

「どこかへ寄ると言っていたわ」

 

「そうかよ」

 シリウスはソファの背に腕をひっかけ、そのまま彼女の隣にどさりと腰を下ろした。

 煙と焚き木の匂いに、彼が使っている香油だろう、シダーウッドの乾いた香りが混ざる。

 

 ヴェリティは、ほんの少しだけ眉を動かした。

 

「私とお話でもしたいのかしら?」

「自分がどう見られているか、気になる?」

 ノートを閉じながら、彼女は首を傾げる。

 

「違う。どう見られても平気だ」

 シリウスは即答した。笑顔はいつも通り軽いが、その奥に小さな棘の影が見えた。

 

「平気な人は、わざわざそう言わないわ」

 ヴェリティは、ノートを膝に伏せて彼の方へ向き直る。

「『どう見られても平気』って、誰かに言って聞かせて確認したくなる時点で、十分気にしてる証拠よ」

 

 火の音が、ぱち、と少し大きく弾けた。

 

 シリウスの眉間に、短い沈黙が走る。

 

「……どういう意味だよ、それ」

 

「あなたは強いように見えて、誰かがその『強さ』を信じてくれることでようやく形を保ってるの」

 ヴェリティは静かに言葉を置いていく。

「ジェームズが『お前は最高だ』って笑ってくれる間は平気。でも、誰も見ていないところで、何をすればいいか分からなくなる」

 

 シリウスが、ゆっくりと息を吐く。

 笑おうとした口元が、少しだけ歪んだ。

 

「ずいぶん俺のこと知ってるみたいだな」

 

「知ってるわ。あなた、分かりやすいもの」

 彼女は少しだけ肩をすくめる。

「面白いくらい」

 

「……へぇ。そりゃどうも」

 声は皮肉っぽいが、瞳の奥はほんの少し揺れていた。

 彼は視線を火の方に移し、低く笑う。

 

「で、次は何だ? また俺のスリザリン嫌いを掘り返す気か?」

 

「もう結論は出てるわ」

「そうかよ」

 

 短い沈黙。

 炎だけが、二人の間の空気を埋めている。

 

 ヴェリティは、静かに立ち上がった。

 ソファの背越しに見える、炎に照らされた彼女の横顔は、普段より少しだけ影が濃い。

 

「あなたの嫌悪って、結局は自己防衛なの」

 彼女は暖炉越しに言う。

「スリザリンの何が怖いのか、自分でも知らないから『嫌い』で誤魔化してる」

 

「俺が怖い?」

 シリウスはかすかに笑った。

「冗談きついな」

 

「怖いのよ」

 ヴェリティは一歩、暖炉に近づく。

「だって、あの寮には『あなたの中にあるもの』が映っているから」

 

 その瞬間、シリウスの瞳がぱっと彼女を捉えた。

 

 息を飲んだような、喉の筋肉のわずかな動き。

 ヴェリティは、一歩も引かない。

 

「あなたの中の闇は、あの寮の空気に似てるわ」

 彼女の声は静かだ。

「あなた自身、それを知ってる。だから、嫌いなんでしょ。――自分に似てるから」

 

 シリウスは、しばらく声を出さずに彼女を見つめた。

 焔が瞳の奥を照らし、真紅の色を映す。

 

 ゆっくり、彼が立ち上がる。

 

「……お前、ほんとに面倒くせぇ女だな」

 

「知ってるわ」

 ヴェリティはさらりと返す。

「あなたみたいに単純に生きられたら楽なのに」

 

「単純?」

 シリウスが一歩近づく。

 距離が縮まり、暖炉の熱が二人の頬をまとめて炙る。

 

「俺のどこが単純なんだ」

 

「怒ったふりをするところ」

「ふり?」

 

「本気で怒る人は、そんな目をしないわ」

 ヴェリティは、彼の瞳をじっと見上げる。

「あなた、誰かに見透かされるのが嫌なんじゃない。誰にも本気で見てもらえなかったのが、ずっと寂しかったの」

 

 シリウスの喉が、ごくりと鳴る。

 言葉を探しても、喉の手前で全部崩れ落ちていく顔。

 

「……違う」

 やっと、それだけが漏れた。

 

「違う?」

 ヴェリティは一歩、さらに踏み込む。

 指先が、彼のローブの袖に届きそうな距離。

 

「じゃあ教えて。どこが違うの?」

 

 シリウスの唇が開いて、閉じる。

 代わりに、吐息だけがほんの少しヴェリティの頬にかかった。

 

 炎が揺れて、彼の瞳の中にヴェリティ自身の姿が小さく映る。

 

 ――ああ、この人、今の自分を、自分の言葉で説明できないんだ。

 

 胸のどこかで、冷静な観察者がそう呟いた瞬間、別の場所で何かがカチリと噛み合った。

 

 自分を分かってほしいくせに、分かる言葉を持っていない。

 分かってしまうかもしれない相手からは、反射的に身を引こうとするくせに、目だけは離せない。

 

 その矛盾に、彼女は見覚えがあった。

 

 ――これは、分類するなら。

 

 気づいた言葉が、そのまま口を突いて出た。

 

「……あなた、私に惚れてるの?」

 

 空気の方が先に止まった。

 火の音さえ、一瞬だけ消えたように感じる。

 

 シリウスの表情が、固まった。

 

「……は?」

 彼は間抜けな声を出す。

「な、何言って――」

 

「私も意外だったから、声に出たのよ」

 ヴェリティは自分でも驚くほど穏やかに言う。

「でも、今のあなたを見て、確信したわ」

 

 笑いたいのに笑えない顔。

 否定したいのに、言葉がひとつも出てこない沈黙。

 嫌悪と執着が、同じ場所で絡み合って行き場を失っている瞳。

 

「嫌悪と執着は、根が同じ。あなたは、自分を暴かれるのがいちばん嫌いなくせに、もっと話したい、もっと知ってほしいって顔をしてるもの」

 

 言いながら、彼女の方が内心で眉をしかめた。

 

 ――面倒くさい。ほんとに。

 

 シリウスの口は、何度か開いては閉じた。

 「惚れてなんかねえ」と叫べばいいだけなのに、その一言が出てこない。そこに自分で引っかかって、さらに固まっているのが手に取るように分かる。

 

 それが、「恋」の一種だと、ヴェリティは知っていた。

 

 知識としても。経験としても。

 

 同時に思う。今、私は、この人の自覚を一歩進めてしまった。

 ――こいつに惚れられて、いいこと、ひとつもないのに。

 

 苦々しく唇を噛んだ瞬間、階段の方から声が飛んできた。

 

「ヴェリティー? まだ起きてるの?」

 

 リリーの声だ。女子寮の階段の上から、赤毛がちらりと覗く。

 

 ヴェリティははっとして、シリウスとの距離をすっと取った。

 

「ええ。今、寝ようと思ってたところ」

 穏やかな声で返し、ランプを手に取る。

 

 横目でシリウスを見ると、彼はまだ「惚れてる」の一言に脳が追いついていない顔をしていた。拳だけが、ぎゅっと握られている。

 

「おやすみなさい、シリウス」

 ヴェリティは短くそう言い、明かりを彼の頬に一瞬だけ滑らせてから、階段へ向き直る。

 

 シリウスの瞳は、何かを言いたそうに揺れたまま、結局ひと言も出てこなかった。

 

 女子寮への階段を上がる途中で、ヴェリティは心の奥で小さく毒づく。

 

 ――面倒くさい。ほんとに。

 

 でも、足取りはさっきまでより僅かに軽かった。

 

 ◆

 

 シリウスは自分のベッドに腰を下ろし、毛布を乱暴に蹴り飛ばした。

 

 ジェームズのベッドからは、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 ピーターは丸くなって、夢の中で何かをもごもご呟いていた。

 ルーピンのベッドだけが空いている。図書室か、どこかの廊下か。

 

 ――あなた、私に惚れてるの?

 

 ヴェリティの声が、耳の奥で何度もリピートする。

 

 あの得意げな、けれど少しだけ苦そうな笑い。

 首を傾げる角度。睫毛の影。全部が頭に張りついて剥がれない。

 

「……ちくしょう」

 シリウスは髪をぐしゃぐしゃとかき回した。

「誰があんな女に……!」

 

 吐き捨てたはずの言葉のあとに、胸の奥から湧き上がってきたのは怒りではなく、焦燥だった。

 

 もう一度あの目で見られたい。

 もう一度、あの理屈っぽい声でこき下ろされたい。

 自分が何者か言い当てられて、反射的に反発して、でもどこかでほっとする、あの感じを。

 

 ――おい、それは普通、嫌うところだろ。

 

 頭の中の別の自分が呆れた声を出す。

 けれど、それに対してまともな反論は浮かんでこなかった。

 

 枕に顔を埋めて、誰にも聞こえない声で呟く。

 

「……俺、本当に惚れてんのか?」

 

 答えは、とっくに知っていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。