グリフィンドールであることが、気に食わない。 作:an-ryuka
◆
翌朝。大広間は、いつもの朝より、どこかぎこちない空気で満ちていた。
グリフィンドール卓のいつもの場所に、ジェームズとシリウスが陣取っている。
だが笑い声はどこか少なめで、話のテンポも微妙にずれている。
ルーピンだけが、いつも通りの穏やかな声で何かを話している。
ピーターは視線を皿に落としたまま、ソーセージをフォークで突いていた。
ヴェリティが通り過ぎると、シリウスの視線がちらりとこちらに向いた。
怒りとも、興味とも、困惑ともつかない色。
「惚れてるの?」という言葉を頭の中でひっくり返しても正面から否定できずに、内側で爆発しかけている獣の目。
「おはよう。ミスター・ブラック」
ヴェリティは、あえて何事もなかったかのように、完璧に礼儀正しく挨拶した。
「……おはよう」
絞り出された返事は短く、喉の奥に砂を噛んだようなざらつきを含んでいた。
ジェームズが、空気の重さを感じ取って、いつもの調子で話題を放り投げる。
「おいシリウス、今日の天文学、あのスネイプの鼻の穴くらい退屈だろうな!」
「お前、比較対象のセンスどうにかしろよ」
シリウスが乗りかけた、その瞬間。
ヴェリティは、静かにナイフを皿に置いた。
カツン、と陶器を叩く音が、妙に大きく響く。
「ポッター」
彼女は顔を上げる。
「他人を陥れないと、会話を始められない癖でもついているの?」
「え? いや、俺は別に――」
ジェームズは、思わずフォークを握り直す。
「あなた、同じことをされることを考えたことある?」
ヴェリティは、微笑みさえ浮かべている。
「その瞬間、あなたはだれの目を見てるの? 笑ってる相手? それとも、笑われてる自分?」
「お、おい、ちょっと――」
シリウスが慌てて割って入ろうとするが、その前に、ルーピンが小さく息をついた。
「ヴェリティ」
彼は静かな声で呼びかける。
ヴェリティは静かにルーピンを見返し、先に言葉を紡ぐ。
「自分で気づかないと、治らないのよ。私はその言葉を聞いて黙っている私でいたくない。
治ったと思ったのに、咄嗟の言葉では繰り返すのね」
彼らの目が自分に向いているのを感じて、自嘲気味に笑う。
「……嫌なものは見なきゃいけないの。でも、みんな目を閉じて生きるのよ。楽だから。
私は見てと言っているだけ」
ルーピンの唇が、わずかに震えた。
彼女が「嫌なもの」と言ったとき、その中に自分自身の秘密が含まれているのではないかと、一瞬思ってしまった。
ピーターはといえば、フォークを持ったまま固まっている。
昨夜ヴェリティにえぐられた言葉が、まだ頭の中で反芻されているのだろう。
彼女はちらりと横目でそれを確認するだけで、何も言わなかった。
それは、彼女なりの最低限の配慮だった。
◆
午後の図書館は、薄い雲を通した光に満たされていた。
高い窓から差し込む光が、本棚の埃を金色の粒に変えて舞わせている。
羽根ペンの走る音と、ページをめくる音だけが、静かな湖みたいな空気に波紋を作っていた。
窓際の机に、ヴェリティが座っている。
その向かいにはリーマス・ルーピン。
二人の間には、本がいくつも積み重なっていた。
『幻の動物とその生息地』を開いたページには、銀色の狼の挿絵。
牙をむき出しにしているのに、どこか哀しそうな目をしている。
「……これ、あなたが借りてるのね」
ヴェリティは、挿絵の端を指先でなぞる。
ルーピンは、少しだけ肩をすくめた。
「珍しい生き物だから」
彼はいつもの柔らかい笑みを浮かべる。
「珍しい、ね」
ヴェリティはページから視線を上げる。
瞳は穏やかだが、その奥にあるのは純粋な好奇心ではなく、何かを組み立てようとする鋭さだ。
「珍しいって言葉の裏には、たいてい理解できないが隠れてるのよ」
彼女は淡々と言う。
「あなたは、理解したいの?」
ルーピンは、答えられなかった。
沈黙が、二人の間に薄く積もる。
遠くで時計の針が、カチ、カチ、と時間を刻む音がした。
ヴェリティが先に口を開く。
「私は、理解されたいって欲望より、理解したいって衝動の方が強いの」
彼女はページを閉じ、指先で本の背をとんとんと叩く。
「だから、あなたみたいな人は気になる。」
ルーピンの胸の奥が、痛みとも熱ともつかない何かでじわりと満たされる。
――彼女は、気づいている。
自分の内側にいる獣の存在を。
少なくとも、違和感の輪郭くらいはとうに掴んでいる。
「……君は、怖くないのか?」
ようやく絞り出した声は、思ったより掠れていた。
「人の心の奥を覗くのが」
「怖いわ」
ヴェリティはあっさりと認める。
「だからこそ、見たいのよ」
その一言に、ルーピンの呼吸が止まる。
彼女の言葉はいつもそうだ。
正しいかどうかという次元ではなく、真っ直ぐすぎて、避けようとしても刺さってくる。
そのとき、図書館の扉が勢いよく開いた。
「おい、リーマス!」
静かな空間にそぐわない大きな声。
シリウスが、乱暴に扉を閉めもせずに立っていた。
司書のマダム・ピンスが「しーっ!」と鋭く睨みつけるが、彼はお構いなしに中へ歩みを進める。
「スラグホーンが探してるぞ。例の宿題の――」
言いかけて、彼はテーブルの上の光景を見た。
開いた本。銀色の狼の挿絵。
その横で向かい合う、ヴェリティとルーピン。
ヴェリティの指先が、さっきまで挿絵の毛並みをなぞっていた。
ルーピンは、その手元をじっと見ていた。
たったそれだけの構図を、シリウスは一瞬で「理解」した。
顔に、あからさまな苛立ちが浮かぶ。
何かをぶん殴りたい時の、あの衝動を押し殺した顔。
「……悪い。邪魔したな」
彼は短く言い捨て、踵を返した。
扉を閉める音が、やけに大きく図書館に響く。
音が消えてから、ルーピンは小さく息を吐いた。
「……今の、聞こえてた?」
苦笑まじりに問うと、ヴェリティは本を閉じながら軽く頷いた。
「彼、嫉妬してるわね」
ルーピンの喉が、ごくりと鳴る。
「……そう見える?」
「分析結果よ」
ヴェリティは、さらりと言う。
「でも、今のは恋の嫉妬とは少し違うわ」
「違う?」
「理解されたいって欲の延長」
彼女は窓の外の湖に目をやる。
「彼には、あなたと私がそれを共有しているように見えたんでしょうね。自分の内側を見てもらいたいくせに、自分で覗く勇気もない人にとって、それはすごく腹立たしい光景よ」
ルーピンは、苦笑を深くした。
「……あいつは単純じゃない」
ぽつりとこぼす。
「そうね。彼、私にも嫉妬してたと思うわ」
ヴェリティは椅子を引いて立ち上がる。
「好かれてるわね」
ローブの裾が、光をさらうように静かに揺れる。
ルーピンは、その背中を見送りながら、心の奥でひとつ確信する。
――この子を好きになってはいけない。
でも、もう遅い。
遅すぎるくらい、手遅れだった。