グリフィンドールであることが、気に食わない。 作:an-ryuka
◆
それから数日、シリウスのヴェリティへの態度は、見事なまでに「分かりやすい恋する男」に変わった。
通りすがりにリリーが授業時間変更について、声をかけた直後。
ヴェリティが「そう」と返事をする前に別の声が割り込む。
「おい、エインズワース! 次の授業時間変更だぞ!」
廊下の端からシリウス。
ローブを肩で着て、いつもの軽薄な笑みを貼り付けている。
「……リリーが先に教えてくれたから、問題ないわ」
ヴェリティは眉をひそめる。
「あなた、伝達係にでも志願してくれたの?」
「は? 誰が」
シリウスは顔を赤くしながらそっぽを向く。
「たまたま教えただけだ。勘違いすんなよ」
「そう。じゃあ、ありがとう」
礼を言われると、かえって居心地が悪そうにする。
動く階段の気まぐれで少しよろけたヴェリティを、シリウスが後ろから支えた。
「前見て歩けよ。ここで転んだら骨折じゃすまねぇからな」
優しい声。
でも、それを誰かに見られたと気づいた瞬間、彼は慌てて乱暴な口調に切り替える。
「おい、エインズワース」
ヴェリティの方を振り向きもせず言う。
「そんなとこ突っ立ってると邪魔だぞ」
ヴェリティは淡々と返す。
「……よくある行動だけれど。自分がされると驚くものね。余計にわかりやすいって言う自覚は無いのかしら?」
「……はぁ!?」
真っ赤になって反論してくるのも、もうお約束だった。
周囲の生徒たちは、そのやり取りを「また始まった」と面白がって眺めるようになった。
ジェームズはニヤニヤしながら「完全に惚れてるな」と囁き、メアリーは「いや、あれは喧嘩の一種でしょ」と笑う。
一方で、何人かの女子生徒は、冷たい視線でヴェリティを見るようになっていた。
シリウス・ブラックの親衛隊――と言って差し支えない面々だ。
「ねぇ、見た?」
「エインズワース、またシリウスと話してた」
「なんであの子が。別に綺麗でもないのに」
耳障りな囁き声は、ヴェリティの聴覚を避けて通ってくれない。
彼女は、できるだけ意味を拾わないように意識していたが、「利用可能なデータ」として脳が勝手に分類してしまう。
(……なるほど。嫉妬の種類としては、非常に教科書的ね)
そうまとめてしまえば、それ以上感情は動かない。
――そう思っていた。最初のうちは。
ある日の放課後。
彼女が廊下を歩いていると、角の向こうからシリウスと、その親衛隊の一部が固まって歩いてきた。
「シリウス、今夜のミーティングのあと、暇?」
「一緒に宿題……」
「星見に行こうよ。いい場所知ってるんだ」
シリウスは片手をポケットに突っ込み、適当に相槌を打っている。
腕に絡みつこうとする手を、さりげなくかわしながら。
ヴェリティがすれ違おうとした瞬間、親衛隊の一人と肩が軽くぶつかった。
「あっ」
「ごめんなさい」
ヴェリティが道を譲ると、相手は笑いながら首を傾げる。
「いいのいいの。……それよりさ」
唐突に、声のトーンが変わった。
「エインズワース、あんまりシリウスに近づかないでくれる?」
廊下の空気が、ぴんと張り詰める。
シリウスが「は?」と声を上げかけるが、女子は構わず続けた。
「誤解されたら困るの。シリウスって優しいから、変にそういう風に見られると迷惑でしょう?」
その「優しいから」の部分だけは、事実ではある。
だから余計に、その後に続く言葉の悪意が際立っていた。
「あなたみたいな、人の悪いところばっかり見てる子と一緒にいるの、似合わないし」
ヴェリティは、そこでようやく彼女の顔を見た。
きれいに巻いた髪。口紅。少しだけ上がった顎。
「分かる?」と同意を求める目線が、シリウスの方へ投げられる。
シリウスは、その視線にぎくりとし、そして。
「……おい」
低い声を出した。
「やめろよ、そういうの」
女子たちの笑顔が止まる。
「な、何が?」
「ヴェリティは」
シリウスは、言葉を選びながら、珍しく慎重な口調になった。
「お前らが想像してるみたいな、そういう……なんていうか……」
形容詞を探すのに苦戦しているのが丸わかりで、ヴェリティは心の中で「頑張って」と皮肉混じりのエールを送る。
私が口を出せば、私のめんどうが増えるのは目に見えている。
「と、とにかく、変なこと言うな」
最終的に、微妙なまとめ方で終わった。
女子は納得いかなそうに顔をしかめる。
「でも、シリウス――」
「しつこいぞ」
彼はぴしゃりと遮る。
「行けよ。授業遅れるだろ」
彼女たちが不満げに去って行き、廊下に残ったのはヴェリティとシリウスだけ。
微妙な沈黙が落ちたあと、シリウスが先に口を開いた。
「……その、さっきの」
「別に」
ヴェリティは淡々と返す。
「あなたの優しさの被害を受けるのには慣れてるから」
「は?」
「親衛隊の子たちに、変に希望を持たせるの、やめた方がいいわよ」
彼女は抱えていた本を持ち直す。
「あなたが何も言わないから、ああいう風に私に矛先が向くの」
「俺のせいって言いてぇのか」
「ええ」
即答だった。
「あなたが私のことを好きなら、まず親衛隊の子たちをどうにかして」
シリウスの顔が真っ赤になる。
「な、なな、なんでそこでそれが出てくるんだよ!」
「事実だからよ」
ヴェリティは少し首を傾げる。
「自覚、進んできた?」
「進ませるな!」
「遅かれ早かれ進むものよ」
彼女はさらりと言う。
「あなた、あの子たちに『その気はない』って一言言える?」
シリウスはぐっと詰まる。
親衛隊の顔が頭に浮かぶ。
自分の名前を呼ぶ声。試合のたびにくれるお菓子。
「ねぇ、今度一緒にどこどこに行こうよ」という甘い誘い。
そこに、はっきりとした拒絶の言葉を投げたことは、一度もない。
「……言ったら、泣くだろ」
絞り出すように言う。
「泣かせたくない?」
「当たり前だ」
シリウスは眉をひそめる。
「泣かせるために生きてるわけじゃねぇし」
ヴェリティは、小さく肩を竦めた。
「泣かせたくない相手に、いつまでも期待を持たせ続けることを、優しさって呼ぶなら、そうなんでしょうね」
「他に言い方あんのかよ」
「あるわ」
即答。
シリウスが睨む。
「じゃあ言ってみろよ」
ヴェリティは、彼の瞳をまっすぐ見つめた。
「卑怯物」
その一言に、シリウスの肩がびくりと跳ねる。
「……っ」
「あなたはずっと、『誰かに好かれている自分』っていう安全地帯を維持してるのよ」
ヴェリティは淡々と続ける。
「親衛隊の子たちがあなたを好きでいてくれる限り、あなたは『一人じゃない』って信じていられる」
「そんなんじゃ――」
「違う?」
食い気味に問う。
「じゃあ、もし、今すぐあの子たち全員がもうシリウスなんか興味ないって言ったら、あなたは平気でいられる?」
シリウスは、言葉を失う。
頭の中でその光景を想像した瞬間、胸が妙に空虚になる感覚を覚えた。
それが何よりの答えだった。
「あなたは、自分が誰かに見られていることで、ようやく自分を信じられてるの」
ヴェリティは結論を告げる。
「だから、その『目』を手放せない。自分から切るなんて、とてもできない」
「……だったら、どうしろって言うんだよ」
シリウスはかすれた声を出す。
「全部切れって? あいつらに『二度と話しかけんな』って言えって?」
「そんな極端な話はしてないわ」
ヴェリティは小さくため息をついた。
「私は、あなたの親衛隊に何の感情もないもの。ただ――」
本を片手に持ったまま、彼女はシリウスに一歩近づく。
「あなたが私のことを好きなら」
もう一度、はっきり言う。
「まず、あの子たちに愛想を振りまくのをやめて。あなたの曖昧な態度のせいで、私はあなた経由の迷惑を被るの」
「……お前、自分で好きならって」
「事実確認よ」
さらりとかわす。
「否定しないなら、前提として扱うだけ」
シリウスは頭を抱えたくなった。
「お前なぁ……」
「それとも、『好きじゃない』って言える?」
彼女は首を傾げる。
「言えないなら、現状維持はやめなさい」
シリウスは、喉の奥で唸り声をあげた。
――言えたら、とっくに言ってる。
――好きじゃないなんて、今さら。
彼は壁を拳で軽く叩き、顔を逸らした。
「……クソッ」
それは、半分自分自身に向けられた罵声だった。
ヴェリティは、それを確認してから、踵を返す。
「授業に遅れる」
彼女は淡々と告げる。
「あなたがどうするかは、あなたが決めて」
ローブの裾が、すっと廊下の角に消えた。
シリウスはその場に立ち尽くし、しばらく動けなかった。
――卑怯。
その言葉が、頭の中で何度も反響する。
初めて言われたわけじゃない。
けれど、ヴェリティに言われるそれは、他の誰よりも深く刺さる。
「……リーマスの言う通りだな」
ぽつりと漏らす。
「俺、何も与えてねぇ」
誰かに好かれていることで自分を埋めていただけで、自分から差し出したものなど何もない。
その事実に気づいてしまったシリウス・ブラックは、その夜、珍しく女子に誘われても全部断った。
◆
そんなこんなで、グリフィンドールの空気が微妙にギクシャクし始めた頃。
ホグワーツに、季節行事のお知らせが舞い込んできた。
「学期末ダンスパーティー開催のお知らせ」
大広間の掲示板に貼られた羊皮紙に、色とりどりのインクで日付と時間と注意事項が書かれている。
「出たわね」
リリーが肩をすくめる。
「これ、毎回面倒なのよ。ドレスローブ選びとか、相手どうするとか」
「統計を取る分には面白いわよ」
ヴェリティは腕を組む。
「誰が誰を誘うかの相関関係、今年はどう変わるかしら」
「そういうこと言うから彼氏できないのよ」
「前提から間違ってるわね」
ヴェリティはあっさり返す。
「彼氏がいないのは、彼氏を欲しいと思ったことがないからよ」
「……たまに、ほんと羨ましいわ、その割り切り」
リリーは苦笑し、掲示板から視線を外した。
そこへ、背後からいつもの声。
「リリー、パーティーの日さ――」
「ジェームズ」
振り返る前に、リリーはきっぱりと遮る。
「受け入れる前提で話しかけないでくれる?」
「まだ何も言ってねぇのに!」
「顔に書いてあるのよ」
ジェームズが撃沈している横で、シリウスが「どんまい」と肩を叩いている。
ルーピンは掲示板の隅を眺めながら、目線だけでヴェリティを探した。
彼女は、パーティーのお知らせをじっと見ている。
そこに、別の声が割り込んだ。
「エインズワース」
名前を呼ばれて振り向くと、同じグリフィンドールの男子が立っていた。
一学年上。真面目そうで、授業態度も悪くない生徒だ。
「ダンスパーティー……もし予定が空いてたら、一緒にどうかなと思って」
リリーが「おっ」と目を丸くし、ジェームズがむくれる。
シリウスの目が、一瞬で鋭くなった。
ヴェリティは、誘ってきた相手の表情と、声の調子と、その背後でざわつく空気を一通り確認してから、丁寧に首を傾げた。
「どうして、私?」
問いはシンプルだ。
彼は少し戸惑い、そして正直に答えた。
「話してて、面白いから」
視線は逸らさない。
「君は、誰とでも同じように話してるようで、実はちゃんと相手を見て話してる。それが……なんか、いいなと思って」
リリーが、横で「へぇ」と感心している。
ジェームズが「ぐぬぬ」と歯ぎしりし、シリウスが壁を殴りそうな顔をしている。
ルーピンは、静かに彼女の返事を待っていた。
ヴェリティは、少しだけ考えるふりをしてから、答えた。
「いいわよ」
「え?」
「ダンスパーティーには出るつもりだったから。私を誘った理由も私好みだった。」
彼はぱっと笑顔を浮かべた。
「ありがとう、ヴェリティ」
名前を呼ばれ、ヴェリティは少しだけ目を細めた。
そのやり取りを、少し離れた場所からシリウス・ブラックが見ていた。
拳が、ぎゅっと握られる。
ルーピンが、それを横目で見ている。
(……ああ、最悪だ)
ルーピンは心の中で呟いた。
(彼女と踊るのは、シリウスじゃなくて別の誰かなのか。先に声をかけていれば……いや。そんなことは出来なかった)
そう思うと同時に、自分の胸の中で沈んでいく何かを感じる。
口には出さず、彼はただ、ヴェリティの横顔を見つめていた。
◆
パーティーの告知から、日々は妙に落ち着かない速さで進んだ。
廊下の角ごとにドレスローブの色の話題が飛び交い、占い学の教室では「相性診断」の嘘くさいカードが回り、図書館は「ダンスの礼儀作法」関連の薄い冊子がやたらと貸し出されていく。ホグワーツは、勉強と魔術と噂話と期待が、秤の皿みたいに交互に揺れる季節に入っていた。
ヴェリティは、いつも通り課題を淡々と片づけ、いつも通り噂を情報として吸い上げ、いつも通り、必要なときだけ刃を取り出した。けれど、ひとつだけ「いつも通り」ではいられない要素があった。
シリウス・ブラック。
親衛隊への愛想をやめろ――そう言われた男は、驚くほど素直に、しかし酷く下手くそに、その矯正に取り組み始めた。
「シリウス! このリボンどっちが似合うと思う?」
「知らねぇ」
「じゃあこっちの香水――」
「嗅がせんな」
「今度週末、ホグズミードの――」
「行かねぇ」
最初の三日、被害報告は各所から上がった。シリウスの「雑な拒絶」で、涙目になった子が三人、怒って踵を鳴らして去った子が二人、呆れて笑った子が一人。それでも彼は、ヴェリティの前に進んで来ることはなかった。
「……彼なりに頑張っているのかしらね」
廊下の端でそれを見届けたヴェリティの採点は、辛口ながら、どこか満足げだった。
ルーピンは、シリウスのぎこちない“更生”を、半ば呆れ、半ば痛ましさで眺めていた。
「言えばできるんだな」
ジェームズが肩をすくめる。
「問題は、言ってくれるやつがいなかったってだけで」
「そうだね」
ルーピンは微笑む。
「そして、言ってもらったら従うってタイプでもないはずなんだけどね、本来は」
――従ってるんじゃない。ただ、与えるものを探してる。
心の中でだけ、彼は結論を添える。ヴェリティの言葉を追いかけるみたいに、シリウスが何かを模索しているのが分かったからだ。
ヴェリティはヴェリティで、招待してきた上級生――トマス・ケンドリックと話していた。トマスは真面目に彼女の話す言葉に耳を傾けた。
パーティー前日。夜の談話室で、ルーピンがヴェリティに声をかける。
「明日、楽しみ?」
「楽しみって定義にもよるけど」
ヴェリティはペンを止める。
「観察対象が多いのは、退屈よりずっといいわ」
「それは、君らしい答えだ」
ルーピンの笑みは、どこか影が差している。
「……君と踊るやつ、ラッキーだな」
「あなたがそう思うのなら、そうなのかもね」
彼女は冗談めかして答え、それから、ふと声を落とした。
「ルーピン」
「ん?」
「明日、私、あなたにも踊る?って聞くと思う」
唐突で、直線的。ヴェリティらしい予告だった。
ルーピンは一瞬だけ目を見開き、すぐに視線を沈めた。
「……そうか」
「断ってもいい。あなたの意思は、尊重したい」
彼女の声には、珍しく揺れがある。
「でも、私は多分、聞く」
ルーピンは、ゆっくりと頷いた。
「分かった。君が聞くなら、僕は答えるよ」
それが「はい」なのか「いいえ」なのかは、明日に預けられた。