グリフィンドールであることが、気に食わない。   作:an-ryuka

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8.

 ◆

 

 学期末ダンスパーティーの夜。大広間は、普段の厳粛さをきれいに脱ぎ捨てて、金銀の灯りと音楽で満たされていた。

 

 天井は晴れた夜空。無数の星が揺れ、魔法の燭台が浮かび、長テーブルは壁際に寄せられて舞踏の空間が開けている。楽団の弦が、ほどよく緊張した生徒たちの背筋を撫で、笑い声は次第に緊張の笑いから楽しい笑いに移行しつつあった。

 

 ヴェリティは黒に近い濃い緑のドレスローブを選んだ。輪郭をはっきりさせて、装飾は最小限。髪は低い位置でまとめ、耳元だけ小さな銀のピアスが光っている。

 

「似合ってる」

 リリーが真面目な顔で言い、肩を並べる。

「その色、あなたの目の色が綺麗に見える」

 

「ありがとう。あなたのほうがずっと舞台に向いてるけど」

 リリーは深紅のドレスローブで、余計な飾りを必要としない強さをまとっていた。

 

「私は観客席でも楽しいタイプよ」

 リリーは笑い、ふいに言葉を足す。

「お迎えが来たみたいね」

 

 トマス・ケンドリックがやってきて、礼をして手を差し出した。

 ヴェリティは条件通りに手を置く。

 

 音楽が変わり、ダンスが始まる。

 

 トマスの足さばきは堅実だった。リードは過剰ではなく、配慮が多すぎて踊りが硬い――ヴェリティはそう判断したが、彼の誠実さも同時に評価する。会話は短く、その短さの中に無理がない。

 

(悪くない)

 

 彼女は内心で点を打つ。

 対面の向こう、グリフィンドールの面々がこちらを見ているのを、視界の端で意識しながら。

 

 ジェームズは口笛を吹きそうになってリリーに肘で止められ、ピーターは拍手のタイミングを逃して手を宙に浮かせ、シリウスは――笑っていない。笑う筋肉はいつもの位置にあるのに、火が入っていない顔でこちらを見ていた。

 

 ルーピンは、壁際で腕を組み、目だけで曲の流れを追っている。

 彼の視線が、ヴェリティの足運びと、相手の間合いと、彼女の呼吸に合わせて小さく動くのが分かった。

 

 二曲目が終わる少し前。ヴェリティはトマスのリードに従いながら、軽く頭を下げる。

 

「ありがとう。とても誠実なダンスだったわ」

「え、あ、ありがとう」

 彼は一瞬照れ、ペンを受け取るみたいにその言葉を胸にしまう。

 

「少し、友人と踊ってもいいかしら」

「もちろん」

 

 ヴェリティは一歩下がり、視線でルーピンを呼んだ。

 彼は驚いたように目を瞬かせる。次の瞬間、壁から離れた。

 

「……踊る?」

 ヴェリティは、最初の予告通りの言葉で、彼に手を差し出す。

 

 ルーピンはほんのわずかに息を呑み、微笑んだ。

 

「踊ろう」

 

 手を取った瞬間、ヴェリティは自分の手首に落ち着いた温度を感じた。強すぎず、弱すぎず、まるで紙の角に指を添える時の力加減。

 

 音が流れ始める。

 ルーピンのリードは静かで、驚くほど正確だった。言葉にすれば「邪魔をしない」だが、ダンスではそれが最も難しい。

 

「上手ね」

「教本の通りにやってるだけだよ」

 彼は謙遜する。

「教本の通りにやるのが一番難しいって、誰かが昔言ってた」

 

「誰が?」

「お母さん」

 

 ルーピンは一度瞬きし、それ以上は聞かなかった。

 曲がもう終わるタイミングで、彼女が自然に呼吸を落とす。

 ルーピンはそれに合わせて一歩引く。

 言葉はいらない。理解の速度が踊りに同期する。

 

(これで終わりか……)

 

 何かを言いかけた時、視界の端で銀灰の影が動いた。

 

「俺、踊ってくるわ」

 シリウスが唐突に呟き、友の肩をぽんと叩く。

 

 ジェームズは「は?」と目を丸くしたが、その横をシリウスはもう通り過ぎていた。ローブの裾が揺れ、銀灰が広間の灯りを掠める。

 

 曲が終わり、ヴェリティがルーピンに礼をした、その直後。

 

「……エインズワース」

 

 正面から、シリウスが立っていた。声は低く、いつもの軽さがない。

 

「踊るか」

 

 ヴェリティは、真正面からその戦闘宣言みたいな誘いを受ける。

 彼の背後で、親衛隊の視線が鋭い。ジェームズが「やれやれ」と額を押さえ、リリーはあからさまに眉を上げ、ルーピンは目線を落として角の方に退いた。

 

 ヴェリティは一瞬だけルーピンの背を見送り、シリウスに向き直る。

 

「……踊りましょう」

 

 指先が触れた瞬間、温度が違う、と彼女は思う。

 ルーピンは静かな熱だった。シリウスは燃える空気だ。

 つないだのは手だが、押し合い、引き合うのは、視線と呼吸と、言葉にならない何か。

 

「リーマスと踊ってたな」

 第一声から、シリウスは真っ直ぐだ。

「その前は別のやつ」

 

「事実報告ね」

 ヴェリティはステップの合間に淡々と返す。

「認識できているのは良いことだわ」

 

「……皮肉かよ」

 彼は一瞬眉をひそめ、続ける。

「俺の番は、今」

 

「番?」

「そうだ」

 彼はリードを少し強めた。

 ヴェリティは違和感がない範囲で、それを受ける。

 

「俺、お前に――」

 

 喉まで上がった言葉は、音楽の小さな跳躍で一度つまずいた。

 言葉を外部に出す技術は、彼の得意科目ではない。

 

「……言っとく。たぶん、いや、たぶんじゃねぇ」

 

「断言の練習かしら」

「うるせぇ」

 

 シリウスは息を吸い、まっすぐに告げた。

 

「俺、多分じゃなく、お前のこと――」

 

「好き?」

 ヴェリティは、彼の言葉の先をあえて刈り取る。

 その刃先は冷たいが、彼の喉を傷つけない角度を選ぶ。

 

 シリウスは唇を噛み、悔しそうに、しかし引かずに頷いた。

 

「……ああ」

 

 その瞬間、曲が、なぜか滑稽なほど甘ったるい旋律に切り替わる。タイミングの悪い楽団を、ヴェリティは内心で演出過剰と評価した。

 

 彼女はシリウスの目を見た。

 あの夜、暖炉の前と同じ目。否定する言葉を持たない目。

 そして、どこか「自分を誇りたい」少年の目。

 

「……知ってたわ」

 ヴェリティは短く言う。

「言えるようになったのね」

 

 シリウスの眉間がぴくりと動く。

 

「なんだよ、その言い方」

「なんというか……そうね」

 

 彼女はほんの一瞬、目線を落とし、口角だけを上げた。

 

「犬がやっと“お手”をできるようになった、みたいな気持ち」

 

「ッ……!! ぶっ殺す!!」

 

 踊りながら、殺害予告を噛んだ男は、多分ホグワーツ史に前例がない。

 周囲で見ていた何人かが吹き出し、楽団のチェロが一度音を外した。

 

「無理よ」

 ヴェリティは、さらりと肩をすくめる。

「私はあなたより強いもの」

 

「俺の方が強いだろ!」

「心理的な話だから」

 

 やり取りは軽く見えるが、二人の足取りは一度も乱れなかった。

 ヴェリティのヒールが床を「タン」と刻み、シリウスの靴先が受けて返す。

 彼女は、敢えて視線を彼の肩越しに流し、天井の星を一つ数える。

 

(可愛い、とは思う。認める)

 

 それは彼女にとって珍しい種類の自覚だった。

 けれど、同時にもう一つの自覚があった。

 

(――でも、私は可愛いだけで選べない)

 

 曲が終わり、礼。

 シリウスは、何か言い足りない顔のまま、拳を握り直す。

 

「返事は?」

「返事?」

 ヴェリティは小首を傾げる。

「告白の?」

 

「そうだよ! 今のは……」

「言えたこと自体は評価するわ」

 彼女は軽く口元を緩める。

「ただ、もう少し周りを見てみるのをおすすめする」

 

「は?」

「さっきの条件と同じよ」

 淡々と続ける。

「あなたが何を与えられるのか、あなた自身が見つけてから、もう一度言いに来なさい」

 

 シリウスは、言葉に詰まった。

 彼女は、曖昧な微笑みのまま、きっぱりと距離を取る。

 

「パーティーを楽しんで」

 

 ローブの裾が踵に触れ、彼女は人波の中に戻っていった。

 

 シリウスはその場に立ち尽くし、頭の中で“お手”という言葉を三回ほど踏みつけてから、深呼吸をした。

 

「……クソ」

 

「クソ、は君の語彙の七割だね」

 すぐ横で、ルーピンが乾いた声で言う。

「水、いる?」

 

 紙コップが差し出され、シリウスは受け取る。

 一息で飲み、顔をしかめた。

 

「……俺、今、振られたのか?」

「さあ」

 ルーピンは肩をすくめる。

「先に宿題をやってからもう一度来いって言われただけだと思うよ。君の宿題は、何を与えられるか」

 

「お前ら、ほんっと仲良しだな」

「それ、皮肉?」

「半分な」

 

 ルーピンは笑い、視線を別の方向へ滑らせる。

 広間の片隅で、ヴェリティがトマスに礼を言い、そのあと女子の友人と何か言葉を交わしている。笑っているが、目が笑いすぎないのは、たぶん生まれつきだ。

 

 胸が、また静かに痛んだ。

 

(――君は、僕を見て、僕の奥を覗き込んだ)

 

(だったら、僕も)

 

 ルーピンは、紙コップを指で潰し、決心を折りたたむようにスーツの内ポケットにしまった。

 

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