グリフィンドールであることが、気に食わない。 作:an-ryuka
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学期末ダンスパーティーの夜。大広間は、普段の厳粛さをきれいに脱ぎ捨てて、金銀の灯りと音楽で満たされていた。
天井は晴れた夜空。無数の星が揺れ、魔法の燭台が浮かび、長テーブルは壁際に寄せられて舞踏の空間が開けている。楽団の弦が、ほどよく緊張した生徒たちの背筋を撫で、笑い声は次第に緊張の笑いから楽しい笑いに移行しつつあった。
ヴェリティは黒に近い濃い緑のドレスローブを選んだ。輪郭をはっきりさせて、装飾は最小限。髪は低い位置でまとめ、耳元だけ小さな銀のピアスが光っている。
「似合ってる」
リリーが真面目な顔で言い、肩を並べる。
「その色、あなたの目の色が綺麗に見える」
「ありがとう。あなたのほうがずっと舞台に向いてるけど」
リリーは深紅のドレスローブで、余計な飾りを必要としない強さをまとっていた。
「私は観客席でも楽しいタイプよ」
リリーは笑い、ふいに言葉を足す。
「お迎えが来たみたいね」
トマス・ケンドリックがやってきて、礼をして手を差し出した。
ヴェリティは条件通りに手を置く。
音楽が変わり、ダンスが始まる。
トマスの足さばきは堅実だった。リードは過剰ではなく、配慮が多すぎて踊りが硬い――ヴェリティはそう判断したが、彼の誠実さも同時に評価する。会話は短く、その短さの中に無理がない。
(悪くない)
彼女は内心で点を打つ。
対面の向こう、グリフィンドールの面々がこちらを見ているのを、視界の端で意識しながら。
ジェームズは口笛を吹きそうになってリリーに肘で止められ、ピーターは拍手のタイミングを逃して手を宙に浮かせ、シリウスは――笑っていない。笑う筋肉はいつもの位置にあるのに、火が入っていない顔でこちらを見ていた。
ルーピンは、壁際で腕を組み、目だけで曲の流れを追っている。
彼の視線が、ヴェリティの足運びと、相手の間合いと、彼女の呼吸に合わせて小さく動くのが分かった。
二曲目が終わる少し前。ヴェリティはトマスのリードに従いながら、軽く頭を下げる。
「ありがとう。とても誠実なダンスだったわ」
「え、あ、ありがとう」
彼は一瞬照れ、ペンを受け取るみたいにその言葉を胸にしまう。
「少し、友人と踊ってもいいかしら」
「もちろん」
ヴェリティは一歩下がり、視線でルーピンを呼んだ。
彼は驚いたように目を瞬かせる。次の瞬間、壁から離れた。
「……踊る?」
ヴェリティは、最初の予告通りの言葉で、彼に手を差し出す。
ルーピンはほんのわずかに息を呑み、微笑んだ。
「踊ろう」
手を取った瞬間、ヴェリティは自分の手首に落ち着いた温度を感じた。強すぎず、弱すぎず、まるで紙の角に指を添える時の力加減。
音が流れ始める。
ルーピンのリードは静かで、驚くほど正確だった。言葉にすれば「邪魔をしない」だが、ダンスではそれが最も難しい。
「上手ね」
「教本の通りにやってるだけだよ」
彼は謙遜する。
「教本の通りにやるのが一番難しいって、誰かが昔言ってた」
「誰が?」
「お母さん」
ルーピンは一度瞬きし、それ以上は聞かなかった。
曲がもう終わるタイミングで、彼女が自然に呼吸を落とす。
ルーピンはそれに合わせて一歩引く。
言葉はいらない。理解の速度が踊りに同期する。
(これで終わりか……)
何かを言いかけた時、視界の端で銀灰の影が動いた。
「俺、踊ってくるわ」
シリウスが唐突に呟き、友の肩をぽんと叩く。
ジェームズは「は?」と目を丸くしたが、その横をシリウスはもう通り過ぎていた。ローブの裾が揺れ、銀灰が広間の灯りを掠める。
曲が終わり、ヴェリティがルーピンに礼をした、その直後。
「……エインズワース」
正面から、シリウスが立っていた。声は低く、いつもの軽さがない。
「踊るか」
ヴェリティは、真正面からその戦闘宣言みたいな誘いを受ける。
彼の背後で、親衛隊の視線が鋭い。ジェームズが「やれやれ」と額を押さえ、リリーはあからさまに眉を上げ、ルーピンは目線を落として角の方に退いた。
ヴェリティは一瞬だけルーピンの背を見送り、シリウスに向き直る。
「……踊りましょう」
指先が触れた瞬間、温度が違う、と彼女は思う。
ルーピンは静かな熱だった。シリウスは燃える空気だ。
つないだのは手だが、押し合い、引き合うのは、視線と呼吸と、言葉にならない何か。
「リーマスと踊ってたな」
第一声から、シリウスは真っ直ぐだ。
「その前は別のやつ」
「事実報告ね」
ヴェリティはステップの合間に淡々と返す。
「認識できているのは良いことだわ」
「……皮肉かよ」
彼は一瞬眉をひそめ、続ける。
「俺の番は、今」
「番?」
「そうだ」
彼はリードを少し強めた。
ヴェリティは違和感がない範囲で、それを受ける。
「俺、お前に――」
喉まで上がった言葉は、音楽の小さな跳躍で一度つまずいた。
言葉を外部に出す技術は、彼の得意科目ではない。
「……言っとく。たぶん、いや、たぶんじゃねぇ」
「断言の練習かしら」
「うるせぇ」
シリウスは息を吸い、まっすぐに告げた。
「俺、多分じゃなく、お前のこと――」
「好き?」
ヴェリティは、彼の言葉の先をあえて刈り取る。
その刃先は冷たいが、彼の喉を傷つけない角度を選ぶ。
シリウスは唇を噛み、悔しそうに、しかし引かずに頷いた。
「……ああ」
その瞬間、曲が、なぜか滑稽なほど甘ったるい旋律に切り替わる。タイミングの悪い楽団を、ヴェリティは内心で演出過剰と評価した。
彼女はシリウスの目を見た。
あの夜、暖炉の前と同じ目。否定する言葉を持たない目。
そして、どこか「自分を誇りたい」少年の目。
「……知ってたわ」
ヴェリティは短く言う。
「言えるようになったのね」
シリウスの眉間がぴくりと動く。
「なんだよ、その言い方」
「なんというか……そうね」
彼女はほんの一瞬、目線を落とし、口角だけを上げた。
「犬がやっと“お手”をできるようになった、みたいな気持ち」
「ッ……!! ぶっ殺す!!」
踊りながら、殺害予告を噛んだ男は、多分ホグワーツ史に前例がない。
周囲で見ていた何人かが吹き出し、楽団のチェロが一度音を外した。
「無理よ」
ヴェリティは、さらりと肩をすくめる。
「私はあなたより強いもの」
「俺の方が強いだろ!」
「心理的な話だから」
やり取りは軽く見えるが、二人の足取りは一度も乱れなかった。
ヴェリティのヒールが床を「タン」と刻み、シリウスの靴先が受けて返す。
彼女は、敢えて視線を彼の肩越しに流し、天井の星を一つ数える。
(可愛い、とは思う。認める)
それは彼女にとって珍しい種類の自覚だった。
けれど、同時にもう一つの自覚があった。
(――でも、私は可愛いだけで選べない)
曲が終わり、礼。
シリウスは、何か言い足りない顔のまま、拳を握り直す。
「返事は?」
「返事?」
ヴェリティは小首を傾げる。
「告白の?」
「そうだよ! 今のは……」
「言えたこと自体は評価するわ」
彼女は軽く口元を緩める。
「ただ、もう少し周りを見てみるのをおすすめする」
「は?」
「さっきの条件と同じよ」
淡々と続ける。
「あなたが何を与えられるのか、あなた自身が見つけてから、もう一度言いに来なさい」
シリウスは、言葉に詰まった。
彼女は、曖昧な微笑みのまま、きっぱりと距離を取る。
「パーティーを楽しんで」
ローブの裾が踵に触れ、彼女は人波の中に戻っていった。
シリウスはその場に立ち尽くし、頭の中で“お手”という言葉を三回ほど踏みつけてから、深呼吸をした。
「……クソ」
「クソ、は君の語彙の七割だね」
すぐ横で、ルーピンが乾いた声で言う。
「水、いる?」
紙コップが差し出され、シリウスは受け取る。
一息で飲み、顔をしかめた。
「……俺、今、振られたのか?」
「さあ」
ルーピンは肩をすくめる。
「先に宿題をやってからもう一度来いって言われただけだと思うよ。君の宿題は、何を与えられるか」
「お前ら、ほんっと仲良しだな」
「それ、皮肉?」
「半分な」
ルーピンは笑い、視線を別の方向へ滑らせる。
広間の片隅で、ヴェリティがトマスに礼を言い、そのあと女子の友人と何か言葉を交わしている。笑っているが、目が笑いすぎないのは、たぶん生まれつきだ。
胸が、また静かに痛んだ。
(――君は、僕を見て、僕の奥を覗き込んだ)
(だったら、僕も)
ルーピンは、紙コップを指で潰し、決心を折りたたむようにスーツの内ポケットにしまった。