救いはないのですか?A.あるよ? 作:ヴィルヘルム星の大魔王
魔皇ヤルダバオトの討滅、そしてナザリック地下大墳墓の階層守護者デミウルゴスの死。
その衝撃は、ナザリックの全勢力を極限の緊張状態へと叩き落とした。守護者たちは同胞の仇を討つべく血眼になって動き出し、その殺気と憤怒は地下大墳墓の空気すら凍りつかせるほどだった。
――だが、ただ一人。
至高の玉座に座す絶対支配者アインズ・ウール・ゴウンの内心は、まったく異なる理由で凄まじい絶望と痛みに苛まれていた。
(嫌だあああああ! 行きたくない! 会いたくないよおおお!!)
アインズ――かつて鈴木悟と呼ばれたサラリーマンの心の中では、存在しないはずの胃が雑巾のように絞り上げられていた。
ヤルダバオトを喰らい尽くした凄惨な惨劇の現場。そこに残された「竜人」「グラント」「影喰い」というキーワード。
そして何より、彼が漏らしたとされる「ナザリックのモモンガ」という言葉。
間違いなかった。あの男は、ユグドラシル時代にアインズがギルド外で数少ない親交を結んでいたソロプレイヤー、『グラトニー』だ。
(よりによってグラトニーさんかよ!? なんでよりによってビルドがガチすぎるあの人なんだよ!?)
『グラトニー』は、リアルでは芸能関係の仕事をしていると語っていた爽やかな青年だった。しかしゲーム内での性能は狂っていた。竜人種特有の圧倒的なステータス補正に加え、敵の能力や肉体を喰らって一時的に自らの糧とする『暴食(グラトニー)』特化ビルド。デミウルゴスを文字通り「手羽先」のように喰い千切って倒したという報告も、彼なら完全に説明がついてしまう。
(守護者たちが仇討ちとか言って攻め込んだら、返り討ちにあって第二、第三の被害が出るに決まってるだろ! シャルティアやアルベドが喰われたら俺は立ち直れないぞ!? だけど守護者たちには『元フレンドだから戦いをやめろ』なんて口が裂けても言えない……! 言ったら『至高の存在であるアインズ様が人間側のプレイヤーと知己などあり得ない』ってナザリックの威信が崩壊する!!)
詰んでいた。
完璧なまでに詰んでいた。
思い悩んだ末、アインズが叩き出した唯一の解決策――それは、「漆黒の英雄モモン」として単身でグラントに接触し、正体を隠したまま示談交渉(という名の泣きつき)を行うことだった。
ローブル聖王国、壊滅した王都の郊外。
月明かりだけが照らす崩落した石造りの聖堂跡に、グラントは一人佇んでいた。
影から取り出した魔物の肉を無造作に噛みちぎりながら、夜風に身を任せている。
「――そこにいるのは誰だ」
グラントが鋭い視線を投げかけた先。空間が揺らめき、重厚な漆黒の全身鎧を纏った巨躯が現れた。大剣を背負い、溢れんばかりの威圧感を放つ男。
「……初めましてだな、竜人の冒険者グラント殿。私は冒険者モモンと申す者だ」
フルプレートの兜の奥から、低く重厚な声が響く。
完璧な『頼れる大英雄』の演技。だが、鎧の中身であるアインズの心臓(概念)は、早鐘のように打ち鳴らされていた。
(ひいっ! 目の前で見ると威圧感がエグい! 影から竜の気配が滲み出てるよ! 噛みつかれたら一発で骨(俺)ごと砕かれる!!)
グラントは肉を飲み込むと、黄金の瞳を細めてモモン――アインズをじろりと見つめた。
「ほう……。なかなか骨のある奴が来たな。その身に纏う気配、ただの冒険者ではあるまい。で、何の用だ? 我は今、非常に機嫌が悪い。悪魔の肉が不味すぎてな」
「っ……! あ、いや、単刀直入に言おう。先日の王都襲撃……並びに、魔皇ヤルダバオトを討伐した件についてだ」
アインズは必死に声を震わせないよう、喉の奥を締め付ける。
「グラント殿。貴殿の圧倒的な武勇には敬服する。……しかし、噂によれば貴殿は討伐の際、『ナザリック』や『モモンガ』という名を出していたと聞き及んでいる。差し支えなければ、その意図を伺いたい」
グラントの眉がピクリと動いた。
「……ほう。そこまで知っているとは、アンタ何者だ? まさかナザリックの手先か?」
「滅相もない!」
アインズは思わず食い気味に否定した。ボロが出ないよう、慌てて冷静を装う。
「コホン……いや、私はかの大墳墓の動向を追う者だ。ヤルダバオトのような脅威が去ったことは世界にとって好ましいが……ナザリックという組織は非常に狡猾で残虐。もし貴殿が彼らを過度に刺激すれば、さらなる大軍がこの聖王国を、ひいては世界を焼き尽くす惨劇となりかねん」
アインズの必死の説得(命乞いの遠回しな表現)に対し、グラントは鼻で笑った。
「惨劇、か。……モモンと言ったな。アンタ、あの惨状を見たか? 街は焼け、子供は両親の死体の前で食い殺され、兵士は腹を穿たれて死んだ。あの悪魔どもは、人間の絶望を楽しんでいたんだよ」
グラントの瞳に、仄暗い怒りの炎が宿る。
「俺はな、モモンガがもし『あのナザリック』の主として、この惨劇を意図的に引き起こしたっていうなら……昔の誼があろうが関係ねえ。あの骨頭をぶち砕いて、魂ごと喰らい尽くすと決めている」
(ヒエッ……!!!!)
アインズの心の叫びが絶叫となった。
(グラトニーさんマジギレしてるうううう!! 完全に俺(モモンガ)が黒幕だと思われてるううう! いや黒幕っていうか計画的にはそうなんだけど! デミウルゴスが暴走してあんな酷い殺戮ショーになっちゃっただけで俺はそんなグロい趣味ないから!! 冤罪(半分事実)で食われるの嫌だあああ!!)
「が、グラント殿! 待ってほしい!」
アインズは慌てて手をかざした。鎧の籠手がガタガタと震えそうになるのを、精神防壁の緑の光が無理やり鎮める。
「も、もし……もしだ! かの『モモンガ』なる存在が、配下の暴走を抑えきれていなかっただけだとしたらどうだ!? 実は彼も本心ではこのような凄惨な殺戮を望んでおらず、話し合いの余地があるとしたら……!」
「……は?」
グラントは心底疑わしそうな目でモモンを見つめた。
「アンタ、さっきから妙にあの骨(モモンガ)を庇うような言い方をするな。……だいたい、あのモモンガが配下の暴走を許すわけねえだろ。あいつは慎重で、仲間思いで、いつもギルド全体のことを一番に考えてた奴だぞ?」
「(ぐふっ……! グラトニーさん……そんな風に俺を評価してくれてたのか……嬉しい……けど今の状況だと逆に首が絞まるぅぅぅ!!)」
「だからこそ許せねえんだよ」
グラントの周囲の影が、ドロリと蠢き始めた。
「あいつがもし変わっちまったなら、昔の仲間として俺がケジメをつける。……モモン、あんたがナザリックと交渉させようとしてるなら無駄だ。俺は次の刺客が来たら、そいつらも全員食ってナザリックに乗り込む」
(詰んだー!! 守護者たちが全員グラトニーさんの胃袋に行っちゃうルート入ったー!!)
アインズの精神防壁が緑色に連打で発光する。もはやキャパオーバーだった。
「くっ……! で、ではグラント殿! 一つ提案がある!」
「……提案?」
「あ、ああ! 聖王国の復興には時間がかかる! 今すぐナザリックと全面的に衝突すれば、生き残ったカルカ王女や民たちも巻き添えになり、完全に滅びるぞ!……だから、ここは一旦『休戦』とし、お互いに境界線を越えないという協定を結ぶべきではないか!?」
「……あんた、なんでそんなに聖王国やナザリックの停戦に必死なんだ?」
グラントの鋭い視線がモモンの兜を射抜く。
(やばい! 追求されたらボロが出る!!)
「そ、それは……! 私は『英雄』として、これ以上の惨劇と犠牲者を増やしたくないだけだ!!」
「……ふん」
グラントは一瞬沈黙し、影を収めた。
「まあいい。確かに、カルカたちを置いて今ナザリックに乗り込めば、聖王国は崩壊するな。……わかったよ、モモン。あんたの顔に免じて、向こうから手を出してこない限りは、しばらく様子を見てやる」
「ほ、本当か……!?」
「ああ。ただし――」
グラントはモモンに背を向け、去り際に冷たく言い放った。
「モモンガに伝えておけ。『もし次、俺の視界で人間を玩具にしたら、お前を骨の髄まで噛み砕く』とな」
そう言い残し、グラントの姿は影の中に消えていった。
……誰もいなくなった聖堂跡。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
漆黒の英雄モモンは、その場にがっくりと膝をついた。
中の人は、精神的疲労でもはや一歩も動けなくなっていた。
(た、助かった……。とりあえず即死回避……。でも全然解決してないよおぉぉぉ!!)
交渉(命乞い)は成功したものの、条件は「ナザリック側が一切手を出さないこと」。
しかし今頃、ナザリック地下大墳墓ではアルベドやシャルティアたちが「デミウルゴス様の仇ィィ!」と燃え上がっているはずだ。
(どうやって守護者たちを抑え込めばいいんだ!? 『グラントと戦ってはならん!』なんて言ったら『なぜですかアインズ様!?』って絶対追及されるじゃん! 『実は昔のフレンドで俺の天敵だから』なんて言えるかよぉぉぉ!!)
夜空を見上げるアインズの脳裏に、怒り狂う守護者たちと、彼らを美味そうに喰らうグラントの姿が交互に浮かぶ。
(お家帰りたい……。リアルに戻りたいよお……。胃が……胃がキューッとするよおおお……!!)
至高のオーバーロードの悲痛な心の叫びは、虚しく聖王国の夜風に消えていくのだった。