胡蝶しのぶが疼木緣と出会ったのは、最終選別の時だった。両親が鬼に殺され、鬼殺隊に入る為に助けてくれた悲鳴嶼行冥の屋敷に訪れた。最初こそ拒否した行冥であったが、試練を超えたら育手を紹介するという提案を受けた。
二人はその条件を受け、無事に突破した。約束通り、行冥に育手を紹介してもらったが、そこで姉妹は別々の育手に預けられた。やがてしのぶは努力の末に最終選別に訪れ、そこでカナエと再会した。その時に隣にいたのが、緣だった。
当時のしのぶは、緣の事が好きではなかった。
「胡蝶しのぶです。姉がいつもお世話になってます」
「ひ、疼木緣です……。よろしくどうぞ……」
鬼殺隊に入る者が優柔不断で、なよなよしていて、まるで覇気がない。これで鬼殺隊に入れるはずがないと思っていた。
「姉さん、この人本当に大丈夫なの?こんなんで最終選別には……」
心配するしのぶを他所に、カナエは緣の事をこう言った。
「緣はね、とっても強い子なのよ」
しのぶにはそんな風に見えなかった。何故こんな人間が鬼殺隊に入ろうとしているのか?しのぶには分からなかった。
いざ最終選別が始まり、三人で入山。鬼が現れては鬼の頸を斬っていく。だがしのぶには必要な腕力が足りず、鬼の頸を斬れない。故に自身は援護に徹し、トドメはカナエに託す。
カナエが鬼の頸を斬っていく一方、緣は怯えてばかりで苦戦している。やっとの思いで頸を斬っても精々一体二体程度で、殆どカナエが斬っていった。
どこまで頼りないんだ。しのぶは怒りを隠せなかった。
「いい加減にしなさいよ!姉さんばかりに頼って!自分で頸斬ったらどうなの?!」
「ご、ごめんなさい……」
しのぶに叱責されて萎縮してばかり。縁に対する苛立ちが募っていく。そこにカナエが割って入る。
「まあまあしのぶ。そんなに怒らないで。緣は本当に凄い子なんだから」
カナエが宥めているが、緣は謝る事しか出来なかった。それもそうだ。しのぶの言う通りで反論の余地はなかった。これでは鬼殺隊に入る意味が無い。カナエの隣にいる資格なんてない。
耐えきれなくなった緣はその場から逃げ出してしまった。
〇〇
月光に照らされた訓練所の中心で、疼木緣が木刀を手に舞っていた。静かに佇み、真っ直ぐ伸ばした木刀は切っ先すら揺らさず、静かに止まっている。かと思えば今度は強固な体幹で回り、靱やかな四肢と柔らかい関節で巧みに木刀を操る。
静と動にて織り成す緣の舞は幻想的で、鬼面の隙間より垣間見える、赤い瞳の先に映る蒼天の空に向けた想いは、まるで天へと旅立った者達に対する儚い祈りのように思える。そして緣の動きに合わせて、周囲に桜の花弁が舞っているようにも見えた。その姿は天より舞い降りし天女と言うべきか。
幻想的で儚くも美しい神楽舞。瞬きすら忘れた炭治郎は既に魅了されていた。
「姫……巫女……」
今の緣は鬼巫女ではなく、そう呼んだ方が妥当だろう。だが炭治郎が思わず口にしたのを察知したのか、緣の舞は終わりを告げた。
「誰だ?!」
曲者が現れたと言わんばかりの張り詰めた声に、炭治郎は驚きのあまり尻もちをついて両手を挙げた。
「す、すみません!俺です!竈門炭治郎です!」
姫巫女が瞬く間に本物の鬼も黙る鬼巫女に戻った。現に今、緣は炭治郎の方を睨んでいる。
「見たのか……?」
「は、はい。あ、でも、決して盗み見しようなんて気は……その、つい見惚れてしまって……」
「そうか……」
汗を拭うべく、鬼面を一度外して手拭いで拭う。この時、一瞬だけ緣は素顔を晒すが、ご丁寧に炭治郎に見られないように背を向けて外していた。
「あ、あの……今の呼吸しながら神楽を踊ってましたよね?あれって……」
「忘れろ……」
「えっ?」
そう言って唖然とする炭治郎を余所に、鬼面を着け直すと、彼の方を向く。
「知る必要がない。忘れろ」
「あっ……で、でも実は……」
「口説い」
話だけでもと思っていたが、緣の眼圧によって沈黙せざるをえなかった。余程見られたくないものだったのか、とにかくこれ以上聞いてはならないと悟り、違う事について質問をする。
「では、全集中の呼吸について聞きたい事があるんです!」
「何だ?」
神楽舞の時とは打って変わって、話を聞いてやる。
「あの、全集中の呼吸を四六時中やるのって、何かコツみたいなものはあるんですか?」
「常中のコツか……。それはな……」
腕を組んで考える緣。少しの間、沈黙が流れるがようやく言の葉を発する。
「そんなものはない」
「ええぇ?!」
無情な返答に唖然とする炭治郎。
「常中の会得にコツも近道も存在しない。私もあれを会得するのに、それなりに時を費やした」
「と、言う事は……」
「努力で通すしかない」
緣もこれには苦い思いをしたのか、台詞の中に重みを感じさせる。だがそれだけで終わらせては指導とは言えない。炭治郎に助け舟を出してやる。
「だが出来ないという事は……肺がそこまで受け入れられていないということだ。いきなりやった所で出来るわけがない。まずはそこから始めるといい。努力は、お前の得意としている事だろう?」
炭治郎に解決の糸口を与え、背中を押してやる。緣にしてやれるのはこれくらいだ。後は彼自身がどうするかに期待する他ない。
「分かりました!頑張ります!ありがとうございました!」
「明日に響く。さっさと戻って寝ろ」
炭治郎は元気に一礼して走り去った。
「努力……か」
自分で言った事ではあるが、自分らしくない事を言っていた自分に呆れてしまう。
〇〇
それから数日の時が過ぎた。炭治郎は蝶屋敷にあるものをすべて駆使して、全集中・常中を試した。
走り込み、縄で括った岩の引き上げ、機能回復訓練、三出来るものは何でも使う。禰豆子を人間に戻す為に、鬼舞辻無惨を倒す為に、ひたすら努力を続ける。
その様子を、緣は陰から見守っていた。炭治郎は三人の中でもアオイに何度も負け続けていたが、最後まで必死に食らいついているのは彼だけ。時々、どんな特訓があるのかを聞きに来る程度しか会話をしていないが、それでも必死に努力をする炭治郎への協力を惜しまなかった。
屋敷の屋根や塀、敷地内を「努力!努力!」と大声で走り回っていれば、本来であれば迷惑になるので止めに入る所だが、彼が成長するのであればと黙認し、自由に使わせてやる事にした。
「あっ!緣さん!」
緣に気付いた炭治郎が塀から降りて駆け寄った。
「精が出るな」
「はい!まだ全集中の呼吸は続けられないので、まずは肺を強くしようかと!」
「その意気だ。これをやる」
緣から投げ渡された物を受け取る。
「これは……瓢箪?」
「それを吹け。吹いて破裂させろ」
「吹いて破裂させるんですね!……えっ?」
炭治郎は驚きの余り、一瞬だけ白目をむいた。聞き間違いかと思い緣と瓢箪を交互に二度見する。
「二度も言わせるな。瓢箪を吹いて……」
「聞こえてますって!えっ?!これを壊すんですか?!」
音を鳴らすのかと思っていたのだが、まさか破裂させろと言うのだ。しかもこの瓢箪、叩いてみるととても硬い。
「これは特別製だ。通常のものより硬く作られている。だがカナヲはこれよりも一回り大きいものを破裂させているぞ」
そんな硬い瓢箪を、華奢なカナヲが破裂させているというのだ。度肝を抜かれるのも無理はない。まさか緣もそれ以上のものを破裂させたのかと想像してしまう。
「常中が出来ればそんな物は簡単に割れる。だが、やるかやらないかはお前の勝手だ。私は任務があるが故、訓練をする時はアオイとカナヲに言え」
それだけ言って用が済んだ緣はその場を後にしようとするが、去ろうとしたその足を一度止めた。
「それと……割る事が出来たら言え。一回り大きい、新しいのを用意する」
今度こそ伝え終え、緣は蝶屋敷を後にする。残された炭治郎は瓢箪を強く握りしめる。
「はぁい!頑張ります!」
「静かにしろ!」
「すみません!」
決意の強さを体現した大きな返事は明らかに蝶屋敷を超えて周囲に大きく響いている。緣に厳しく注意されてしまった。
〇〇
その日の夜、炭治郎は蝶屋敷の屋根の上で瞑想で心を穏やかに、精神を統一させている。当然常中のままで行っている。緣は任務でいないが、その時こそ試されていると認識して己を鍛え磨く。でなければ、あの緣から認めてもらえない。
鍛練の成果は出ている。その手応えは感じる。全集中の呼吸はまだ維持しきれていない。それでも少しずつ長く保てるようにはなった。
早く刀を握りたいという逸る気持ちと、刀を折ってしまった事に対する刀鍛冶への申し訳なさが混ざる中、常中を維持して精神統一を続ける。
「もしもーし」
「はいっ!」
「頑張ってますね」
突然の声にビックリしたが、しのぶの顔が目と花の先まで近づいていたことにさらに顔を赤くさせた。
「お友達二人はどこかへ行ってしまったのに。一人で寂しくないですか?」
少し離れなれて座ったしのぶは笑みを浮かべた。
「いえ、俺が出来たら二人に教えられるので!」
「君は心が綺麗ですね」
少しの間だけ沈黙が流れると、炭治郎がしのぶに疑問を投げかける。
「あの、どうして俺達をここへ連れてきてくれたんですか?」
「禰豆子さんの存在は公認となりましたし、君達は怪我も酷かったですしね。雅の皆さんの指南を受けさせる良い機会でしたし。それから……君には私達の夢を託そうと思いまして」
「夢?」
「そう、鬼と仲良くする夢です。きっと君なら出来ますから」
そう言うとしのぶは微笑んだ。炭治郎と鬼の妹、禰豆子。まだ数多くの謎に包まれているが、その未知数は鬼殺隊の希望になる。彼女はそれに賭けることを決意していた。
意外な言葉が出てきた事に驚いた炭治郎だったが、しのぶからある匂いを感知した。
「あの……怒ってますか?」
炭治郎の言葉にしのぶは目をハッと開いていた。人前に見せる笑顔が消えてしまっているその反応は図星だった。
「何だかいつも怒ってる匂いがして。いつも笑っているけど……」
返事が帰って来ないしのぶを見て、言ってはいけなかったのかと思い慌てる炭治郎だったが、しのぶが徐に口を開ける。
「そうですね……私はいつも怒っているかもしれない」
笑顔に隠されたしのぶの心の内。俯きながら静かに打ち明けた。
「鬼に最愛の姉を惨殺された時から、鬼に大切な人を奪われた人々の涙を見る度に、絶望の叫びを聞く度に、私の中には怒りが蓄積され続け、膨らんでいく。体の一番深いところに、どうしようもない嫌悪感がある。他の柱たちもきっと似たようなものです」
「そうなんですか?」
「まぁ……ですが、彼らの前で禰豆子さんが人を喰わないことを証明していますし、あの場で炭治郎さん達を見た柱達もお二人の気配を覚えた上、お館様の意向もあるので、誰も手出しをすることはないと思います」
それを聞いて炭治郎は安堵する。
「緣も、君のように優しい人だった」
「緣さんが……?」
突然しのぶの口から語られる緣の一面。思わず驚く炭治郎。今の緣からは優しいとはかけ離れている。だが僅かに混じる違う匂い、それは心中から発せられるものだった。
「緣は、私の姉の事が大好きでした。同じ育手の下で育ち、鍛えられ、共に戦い、鬼を救おうとした。鬼になった人達を哀れんでいた。だから人と鬼を、自分の剣舞で救いの架け橋にするという夢を抱いた」
今の鬼巫女からは想像出来ない、正反対な過去。だがそれを聞いて合点がいった。あの舞の動き、儚くて美しさを表現していたのは確かで、魅了されるような舞だった。
ただあの時、本人の感情が入っていたのか悲しみと怒りが混ざっているようにも思えた。
「花の姫巫女……」
姫巫女。先日村田がボヤいていた時に出た単語だったが、それをしのぶが口にして少し驚いた。
「それがかつての緣です。仲間を鼓舞し、己を奮い立たせて、鬼になってしまった人を救う為に戦ってきました。けれど姉は鬼によって殺され、大切な人を失った緣の心の内に燻っていた鬼への殺意だけが残ってしまった。いくら哀れんでも、鬼達は保身の為に人を騙して、殺してしまう。もう鬼とは永遠に分かり合えない。どう分かり合えと言うのか……私も同じ気持ちです。ですが、姉と同じ思いを抱いていた緣の絶望と悲しみはとても大きいものでした」
炭治郎はしのぶの姉、カナエという人物の事について何一つ知らない。確かな事は、緣にとってカナエは、自分で言う禰豆子のような存在なのだと思った。
炭治郎も家族を失った。母と弟妹達が鬼舞辻無惨によって殺され、禰豆子を鬼にされてしまった。もし禰豆子までもが死んでいたら、自身も復讐の権化となったかもしれない。
「けれど緣が一番許せないのは、きっと自分自身でしょう」
「自分自身……?」
「自分が弱かったから、大切な人を守る事が出来なかった。かつて緣の家族も鬼に殺された……今度は親友を守れなかった。そして、憎しみのまま鬼を殺す醜い自分を知ってしまった。自分も鬼と同じなんだと、言ってました。だから緣は、鬼殺隊の仇敵である鬼の名前を使った鬼巫女と名乗るようになりました。自身を鬼として……弱い自分を捨て、姉の夢を捨て、笑顔も捨て去った。私はそれを見てられなかった……。これが姉と共に夢を叶えようとしていた緣なのかって……信じたくなかった……。だから私は……」
あなたは……姉さんと交わした夢を捨てるっていうの?!
こんなの……こんなの緣じゃない!!
「私は拒絶してしまった……袂を分かってしまった……。大切な人を失い、鬼に対する憎しみは同じはずだったのに……。夢も、好きだと言った笑顔を否定した緣を許せなかった……」
本来であれば、カナエの夢を緣が継ぐはずだった。だがカナエの夢も、好きだと言った笑顔も全て捨てた。それをよりによって緣が捨てた。それが許せなかったからこそ、拒絶した。
「もう微笑みなど必要ない。ただ鬼を殺すだけ。けどそんな在り方……私は許せない。それでは緣自身が救われない。きっと姉は悲しんでしまう。姫巫女に戻れなくても、せめて姉が好きだと言った笑顔を思い出してほしい」
緣をここに呼んだのは、しのぶの個人的感情。鬼殺隊最高位である柱が、私情部下を動かすのは、本来他の隊士に対しても示しがつかなくなる行為になりかねない。そんな事は百も承知の上だった。だがしのぶにとって緣は、部下である前に大切な親友である。
「わがままと言われるかもしれませんが、私に残された、数少ない願いなんです」
人間誰にでも不安な事があれば、傷を抱えている人だっている。しのぶも緣も、柱や雅の皆も同じだ。だからこそ誰かが、共に支えてくれる仲間が必要となる。
「しのぶさんなら、きっと出来ます」
炭治郎の言葉に顔を上げ、振り返った。
「だってしのぶさんは、どんなに辛い事があっても誰かを思う事が出来る強さと優しさがあります。しのぶさんの思い、絶対に緣さんに伝わります」
まるで必ずそうなると確信しているかのようだった。根拠なんてない、願望に近いものかもしれない。だが炭治郎は禰豆子が鬼にされても、元に戻すべく前を向いて努力し続けている。絶望に負けない彼だからこそ、その言葉を信じる事が出来る。そんな彼だから、しのぶは勇気を貰えたような気がした。
「ありがとう、竈門君。私も頑張ります。だから君も頑張ってくださいね。君達が頑張ってくれると私の気持ちも楽になります」
立ち上がったしのぶに笑顔が戻り、炭治郎に微笑みかけた。
「全集中の呼吸、止まってますよ。」
「あ、はい!」
そう言ってしのぶは姿を消した。頑張らくては。禰豆子の為にも、これ以上鬼による悲劇を齎さない為にも。炭治郎は改めて瞑想を続ける。
大正コソコソ噂話
かつての緣は人に優しく、笑顔と剣技で隊員達を鼓舞していた。その事から花の姫巫女と呼ばれ、勝利を齎す者として人気だった。
だが花の鬼巫女になってからはその言動や鬼面の恐ろしさから、逆に畏怖の意味で士気を上げるようになってしまった。