「は…………?」
下弦ノ肆・
全く見えなかった。既に抜け殻のようになっていた人間の思わぬ抵抗というものだろうか?だがこんなのは鬼にとって掠り傷でしかない。すぐに再生させて今度こそ燃やす。再び炎を纏わせたその刹那だった。両腕が無くなっていた。
「何だよ……?!何だってんだよ?!」
またしても斬撃が見えなかった。気が付けば
○○
どうして……?何故抵抗したのだろう……?自分はもう消えてなくなりたい。戦う理由も、生きる目的もないというのに。楽になりたくて、態々この身を差し出したというのに。
(本当にそうか…………?)
誰かに問いかけられている。一体誰なのか分からない。だが、自分に対して何かを訴えかけているのが分かる。
(いつまで逃避しているつもりだ?お前の中にある憤怒、憎悪、怨恨、それを蓋して何になる?)
何を言っているのか分からない。何故そのような事を問いかけるのか。
(邪悪なる者を滅ぼす為ならば、その心の奥底に眠るものを解放しろ。全ての鬼を憎み、滅ぼすだけの業火を)
そんな事は出来ない。鬼を救って安らかに浄化させるというカナエとの夢も、約束を破る事になる。これ以上、カナエとの繋がりを失いたくない姫巫女に、そんな選択は出来ない。
(カナエはどうなった?夢に、理想を追った結果どうなった?お前もここで負け犬になるか?夢に殉じて溺死するつもりか?)
カナエは夢を成そうとし、志半ばで果てた。救うはずだった鬼の手によって。それを思い出した時、あの鬼の顔を思い出した時、怒りが込み上げてくる。
嫌だ。こんな所で終わりたくない。両親の仇が目の前にいるのに、その鬼に殺されたくない。目の前に訪れた死を拒絶した時、幼き日の惨劇が蘇る。
奴は両親を惨殺した。それに飽き足らず、今も尚人を焼き殺し、嬲って快楽を得ている。救えるわけがない。こんな鬼を。
(そうだ……怒れ!憎め!全てを!何もかもを焼き尽くす炎のように!)
やっと理解した。自分に問いかけている者の正体。それは、他の誰でもない。自分自身だったのだと。
(お前は私。私はお前だ。さあ、全てを受け入れ呼び覚ませ!奪われた命、魂、その怨みを背負い力と為せ!!)
鬼が不条理に人を殺すなら、その穢れた命を根絶やしにしてやる。夢など知ったことか。鬼を殺すためならば、修羅に堕ちても構わない。
この時、花の姫巫女は紅蓮の炎へと消えた。
○○
俯いていた
(なんだコイツ……さっきの抜け殻だった時とはまるで別人じゃねえか……!)
まるで人が変わったかのよう。違う。そうじゃない。鬼だからこそ分かる。今までのは作り物で、これが本当の奴なのだと。それを理解した時、手脚が震えているのを感じた。
徐に立ち上がった緣は、落ちていた日輪刀を拾い上げる。死んだ仲間のものだ。灸煙によって焼き殺された者の日輪刀だ。それを握った時、刀身が赤紫色に染まった。
「お父さんも……お母さんも……カナエも……。ここにいた人達も……鬼に殺された……」
「何を言ってやがる……?」
「自分勝手に人を殺して喰らう。そればかりか、お前は力を誇示する為にまた傷つけて殺しただけでなく、その尊厳までもを踏み荒らした……。生きて帰れると思うなぁ!!」
露わにした憤怒の形相は灸煙を怯ませた。だが圧倒的強者であるはずの鬼が、人間に怯むなどあってはならない。認めたくない灸煙が吠える。
「図に乗るなよこのアマがぁ!さっきまでビクビク怯えてた分際でぇ!!俺を倒せると思うなぁぁ!!」
左手から発せられた炎の玉を放り投げ、真っ直ぐ緣へと向かった。だがそれを日輪刀を振るいもせずひらりと避けてみせた。
「っ?!」
紙一重で避けられようが再び投擲。今度は刀身で受け流して灸煙に接近する。
(コイツ……動きまで変わりやがった!)
狼狽えるもそれは一瞬。頸を狙う刀身に対して錫杖で迎え打つ……はずだった。鮮血とともに手と錫杖が宙を舞った。さらにそこから左腕を斬り落とした。
(頸じゃなくて……腕を狙いやがっただと?!しくじったわけじゃねえ!わざと腕を斬りやがった!)
今の斬撃は搦手。本命は三撃目だった。一撃で頸を狙っていたのが一変、再生すると分かっていてわざと腕を斬っている。だが錫杖や手で防御出来ない今、頸を斬るには絶好の機会。だが咄嗟の蹴り上げで斬撃の軌道を変えられた。この隙に灸煙は間合いから離れる。
(嗚呼……この感覚。やっぱりそうだったんだ……)
今の緣は怒りと憎しみに満ちている。灸煙の腕を斬った時の感触は、これまでとは違う。怒りを乗せた一撃は鬼に確かな苦痛を与えていたのが分かった。
(私は……ずっと鬼が憎かったんだ。カナエが殺された時……ううん、ずっと前から自分を誤魔化し続けていたんだ。鬼を救う。そんな美しい夢にしがみついて、醜い自分から目を逸らして向き合おうとしなかったんだ……。でも違う……!)
鬼を苦しまずに解放出来るように、一撃で頸を斬る。不必要に傷つけない。そんな事、カナエは望まない。だが今の自分は、その正反対の事をしている。それでも罪悪感は微塵も感じなかった。それが心の奥底に燻っていた本当の自分だったんだと。
(私は……鬼が憎い!アイツも!カナエを殺した鬼も!だけど……)
鬼を許せない。もう救いなどどうでもいい。奴を地獄に叩き落とすと決意した。だが何よりも、許せないものがあった。
(夢に縋り続けて、何も守れなかった自分が憎い!)
ここで鬼ごと、弱い自分を断ち切る。その決意を表すように再び灸煙に近づいて斬りかかる。錫杖で防がれようとも、腕で軌道を変えられようが関係ない。灸煙の攻撃を受け流して力に変える。頸から逸れようとも防ぐ腕を今度は肩を根こそぎ斬り落とす。何度再生されようとも何度も斬り刻む。その度に灸煙の顔が苦痛に歪む。
(冗談じゃねえ!こんなアマに、俺がやられるっていうのか?!)
緣を嬲るはずが、逆に自分が嬲られる側になってしまっている。もう形振り構っていられなくなった。灸煙の背後に巨大な火柱が立つ。
「クッソがあああああぁぁ!!」
怒りと共に込み上げた炎の中から、木製の巨大人形が姿を現した。編み込まれたかのような四肢から炎が漏れ出ている。中心部が檻のような作りになっている胴体となっている。
「ヒャァーーッハッハッハ!これが俺の血鬼術、
切り札を出して勝機を見出した灸煙の高笑いが止まらない。絶対的な自信を誇っているのだろうが、今の緣には動揺なんてものはない。
灸煙が人形の頭部の中に入った事で絡繰が起動したかのように動き出す。緣を捕まえようと腕を伸ばす。
だが見た目通り、動きは遅い。掴もうとした手の甲に乗り、そのまま腕を足場にして走る。だがそのまま進ませる程、優しくはない。人形の目から火矢が連射される。
「花の呼吸 弐ノ型 御影梅」
斬撃で火矢を薙ぎ、流して進み続ける。だが今度は人形の左手が迫る。開いた掌が緣を覆おうとした時、その指を複数の斬撃で全て斬り落とす。
「花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬」
肩に到達された灸煙。こうなれば最後の手段。本来であれば胴体に入れてから、全身を発火させるが他に手はない。自分諸共人形を炎上させた。
「これで終わりだぁぁぁ!!俺はまた再生するが、テメエは出来ねえだろぉぉ!!」
下卑た高笑いが空に響く。勝利を誇る灸煙。燃え盛る人形にその身を焼かれようとも勝てばいい。頸さえ斬られなければ負けではない。今頃緣は全身を焼かれている……
「花の呼吸 漆ノ型……!」
逆巻く炎の中から緣が出てきた。桜柄の羽織は裾から焦げ、隊服の一部も燃えているが、そんな痛みなど感じないかのように進んでいたのだ。そして、修羅となった緣が見出した新たな型。
「消え去れ塵芥がぁ!」
強い体幹と靱やかな四肢から生まれた強力な回転力、自身を軸に何度も斬撃が連続で繰り出された。
「
放たれた炎諸共、人形の頸を斬った。人形と一体化していた灸煙の頸も、宙を舞い地面に転げ落ちた。それにより、炎獄牢人の身体も崩れ落ちた。
緣が着地したと同時に、雨が降り始めた。至る所に火傷しているが、冷やすには丁度いい冷たさだった。灸煙の炎もすぐに鎮火するだろう。
「キィッ……ヒッヒッヒッ……」
そこに頸だけになった灸煙がこちらを見ていた。もう消滅する運命であるというのに、笑みを浮かべている。
「お前の目つき……良いじゃねえか……。吹っ切れたのか?」
地を見下ろす緣の目。最早慈悲なんてものは微塵も感じられない。
「やっぱり、そこら辺の雑魚とは違う……。テメエの方がよっぽど鬼らしいぜ。もしかしたらあのお方に……」
言い終える前に緣の足が灸煙の頭を潰した。喋らせても不快なだけであれば黙らせる。肉片になった頭を何度も何度も足ですり潰す。最早形すら残らなくなった頸は完全消滅を早めた。
「地獄に落ちろ……クソ野郎……」
赤い眼からは慈悲なんてものは一切感じない。冷徹で憎悪を剥き出して罵詈雑言を浴びせた。尤も、それを聞いている者は既にいなかった。
○○
「遅かったか……」
水柱・冨岡義勇が到着した。ある一帯で十二鬼月が現れ、隊士が尽くやられたと報せを受けて駆けつけたのだが、到着した時には既に終わっていた。
下弦ノ肆・灸煙は討伐された。一人の隊士によって。その姿を見つけた時、見覚えのある顔を思い出した。
「疼木か」
蝶屋敷で何度か顔を合わした事があった。とても気弱で頼りなく映っていたのだが、その緣が十二鬼月を単独で討伐を果たした。驚くべき事であるが、どこか様子が変だという事も察した。
俯く緣の頬に伝う流血と雨。その中に涙が混じり落ちていた。同時に日輪刀を手放して膝から崩れ落ちた。
「疼木……!」
突然の事で駆け寄った義勇だったが……。
「これが……本当の私……」
ポツリと呟いた緣の言ノ葉。何を意味しているのか分からなかった義勇が差し伸べようとしていた手が止まった。泣いているはずなのに、笑っていた。
「怒りのままに鬼を殺した。殺されたくなくて、鬼が憎くて……救いとかそんなの……。こんなの……これじゃあ本物の鬼みたいじゃない!」
灸煙を殺した時の自分は、人を魅了するものとはかけ離れていた。鬼を救う事を諦め、ただ憎しみと怒りのままに鬼を惨殺した。その姿は醜く浅ましかった。そんなの、まさに鬼と同じ。自分も同類なんだと悟ってしまった。
「鬼は元々人だったなら……人の本性もまた鬼……。人は生まれながらにして鬼だったんだ……!」
狂ったように甲高い笑いをあげる緣。だがその笑いは泣いているようだった。
「私が弱かったから、カナエを助けられなかった……。弱い私には……夢を見る資格なんてない……!」
弱い鬼はすぐに殺される。鬼から大切なものを守る為には、力を手に入れ鬼をねじ伏せるしかない。だがそれは、鬼を救うというカナエの夢を否定し、約束を破ると同じ意味になる。
だがまた鬼に奪われるわけにはいかない。ほかに選択肢が無いならば、覚悟を決めるしかない。たとえ鬼殺隊から異端と呼ばれようとも、どれだけこの手が血に濡れようとも、しのぶから忌み嫌われ孤独となろうとも、戦い続ける。
「だったら私は強くなる……。その為に夢を否定する。強くなる為なら……心を鬼にする……。言うなれば私は……鬼を皆殺す、花の鬼巫女になってやる……。鬼を殺して……殺して殺して……殺して生き抜いてやる……!」
ふらふらになりながらも徐に立ち上がった。降り出した雨は緣の嘆きと決意に応えるかのように強く降り注ぐ。残された義勇も、緣の豹変に驚いていた。
「あれが……姫巫女なのか……?」
恐らくこの時に感じていた。もう花の姫巫女はもう何処にもいない。そんなものとは別のものに変わってしまった事に。出番が無かった義勇がここから去ろうとした時、足下に何が落ちていた。
「これは……」
土に汚れた髪飾りを拾い上げた、それは、緣が大事にしていた蝶の髪飾りだった。
○○
夜が明けても尚、外は豪雨が降り注ぐ。このままでは雷も落ちそうなくらいだ。緣の帰りを待つきよ、すみ、なほが不安な顔をしている。そこに鴉が急報を伝えに来た。
「疼木緣!下弦ノ肆討伐!下弦ノ肆討伐!」
報せを受けたきよがしのぶの自室に入って伝る。
「しのぶ様!緣様が十二鬼月を倒したそうです!」
「えっ?!」
驚きのあまり笑顔が崩して立ち上がった。そこに今度はなほがやって来る。
「緣様が帰って来ました!怪我しているみたいです!」
報せを受けたしのぶは急いで玄関に向かった。そこにはずぶ濡れのまま俯いている緣の姿があった。カナエから貰った髪飾りが無い事、羽織の裾が焼け焦げている点も気になっていたが、今はそれどころではない。
「緣!大丈夫?!頭怪我してるじゃない!こっち来て!処置を……」
引っ張ろうとした手を振り解かれた。突然の事で尻もちをついてしまったしのぶ。何をするんだと言おうとしたが、様子が変であると知ってその言葉を出す事が出来なかった。
「どうしたのよ緣?」
「私は……決めた……」
緣らしからぬ冷たい声がしのぶを戦慄させた。
「私は……鬼を皆殺す」
「何ですって……?!」
轟雷とともに出た衝撃的な言葉。緣からそんな事が吐露されるとは思わずしのぶは絶句する。聞き間違いではないかとさえ疑ってしまう。
「何を言ってるの?緣、あなたは姉さんと夢を……」
「夢は捨てる……」
「えっ?」
「気が付いたんだ……本当の自分に。鬼が憎くて堪らない。殺したくて仕方がなかった。元から私の手は血で濡れていた……。けどカナエがいたから、私は夢を見る事が出来たんだって」
自分の手を見つめる。その手の感触がよく覚えている。灸煙を殺した時のを。あんな感覚を知ってしまった以上、もう戻る事は出来ない。
「誰だって鬼は憎いものよ。それは悪い事じゃない。でも、それを乗り越えて私達が姉さんの……」
「それを知った上で……私は夢を否定する。全ての鬼を皆殺し、地獄へと落とす」
夢を否定する。それはカナエの全てを否定すると同じ。それがよりによって緣が言い放った。
「じゃああなたは……あなたは、姉さんと交わした夢を捨てるっていうの?!それで姉さんを否定するっていうの?!」
「そうだ。夢を抱いて死んだ。私は夢想の中で果てたくない」
最愛の姉を否定され、怒りを露わにしたしのぶが声を荒らげる。それを聞きつけたカナヲやアオイ達が陰で様子を見ている。
「緣……あなた自分が何を言っているのか分かっているの?!誰よりも姉さんに憧れて、誰よりも姉さんを理解して、 その背中を追いかけて来たのに……ここで全部投げ出すっていうの?!そんなの間違ってる!!」
「だろうな……」
しのぶの糾弾を否定しなかった。カナエを裏切った事実は変わらないのだから。だが今の緣はそんな事で止まる事はない。
「鬼を皆殺しに出来るなら、どんな事でもする。無様に泥水を啜る事になろうとも、裏切り者と罵られようとも、鬼を殺す為ならば、夢なんて……そんななまっちょろい思想を捨て去ってやる!」
パチイィン!
遂にしのぶの怒りは臨界点に達した。緣の頬を強く叩いた音が屋敷中に響いた。
「こんなの…………こんなの緣じゃない!」
「ええ……もう花の姫巫女なんて……もう何処にもいない」
「出てって……今すぐ出てって!!ここから消えて!!」
しのぶに拒絶された。だが今更そんな事を気にする緣ではない。緣は何も告げないまましのぶから背を向けて、そのまま豪雨が降る外へと姿を消した。
緣としのぶの諍いを、誰にも止める事は出来なかった。止めようがなかった。カナエが亡くなった時、既に二人の心は離れていたのかもしれない。しのぶは懸命にカナエの理想を引き継ごうとし、緣はそれが出来なかった。それが今日、二人は決別した。
それから時が流れ、緣は一人でカナエの墓前に訪れた。線香だけあげて、花は添えなかった。しのぶが快く思わないだろう。
灸煙との戦いで失った髪飾りを見つける事は無かった。もう失ったものを探す気にもならなかった。代わりに紐で結び直し、手には般若の鬼面を持っている。
ここにはもう二度と来ない。カナエに、永遠の別れを告げる為に。
「私は決めた。私から大切なものを奪い続ける鬼を皆殺す。その為にあなたとの約束も、夢を捨てる。私はカナエのように、夢想と共に心中するつもりはない」
立ち上がった緣はカナエの墓前で般若の鬼面を着けた。赤い瞳がより鋭く映る。
「さようなら……カナエ」
最後に別れを告げて墓前から姿を消した。
それから緣の剣技はより苛烈さを増し、容赦なく鬼を殺す使者となった。仲間を鼓舞しない、寧ろ恐ろしささえ感じさせる。
そして、自身をこう呼ぶようになった。
悪鬼を殺す『花の鬼巫女』と。
大正コソコソ噂話
緣が一度蝶屋敷に訪れたのは、出ていく事を告げる為。だがしのぶから絶縁を叩きつけられた事でその必要もなくなり、緣は蝶屋敷から去った。