今の炭治郎であれば、緣の足を引っ張る事はないだろう。寧ろ今後の成長に期待している。寧ろ懸念すべきは緣だろう。禰豆子を殺めることはしないだろうが、緣は無茶をする所がある。何か悪い予感がしてならない。
そう考えている内に、鎹鴉がしのぶに向かって飛んでいる事に気付いた。それは炭治郎の鴉であった。
「
嫌な予感が的中してしまい、驚嘆の声が漏れた。考えている余裕は無かった。
ここで緣まで喪うわけにはいかない。行き先を蝶屋敷から任務地へ急いで走る。しのぶの速さであれば半日も経たずに到着出来る。鬼の出没地点である廃村に辿り着くと、緣の鎹鴉である
「巫女、コノ先ノ渓流ニ落チタ!助ケテ!」
あの紅葉が歌う事を忘れてしまう程に慌てている。廃村の先に進むと紅葉の言う通り、断崖と流れが激しい渓流、そして壊れて通れなくなった吊り橋があった。
(ここから緣が……)
ここまで流れが激しいと何処まで流されたか検討もつかない。最悪の場合溺死した可能性だってある。いや、そんな事を考えてはならない。渓流の流れに沿って森を走る。山道から外れている為、足場はより悪くなっているが関係ない。
「しのぶさーん!」
そこに緣と任務を共にした炭治郎と遭遇する。彼も緣を探していたのだが、見つけられずにいる。禰豆子は日が出てしまったので箱の中に隠れている。
「竈門君!」
「すみません!俺、助けられてばかりなのに、緣さんを助けられなくて……」
「竈門君が謝る事ではありません。それよりも、まだ緣を見つけられていないようですが……」
「はい。匂いもしないんです。多分、かなり先まで流されたのかもしれないです。鬼の毒にもやられてて……」
「何ですって?!」
一瞬狼狽えたしのぶ。だがすぐに冷静になる。
「分かりました。一刻を争います」
「えっ?」
指示を出さずに走っていった。あまりの速さに炭治郎の目が点になる。
「速い……全く見えなかった……。いやいや!驚いている場合じゃない!」
呆けるのをやめて緣を探しに走った。
戦いから時間が経っていて、もしまだ毒が残っているなら非常に危険な状態だ。
(お願い緣……生きていて……!)
もう、身近な人間が死ぬなんてもう見たくない。自分の気持ちを打ち明けられないまま先立たれるなんて耐えられない。しのぶはただ、心の底から緣の無事を祈り探し続ける。
○○
り…………
ゆ…………り…………
おき………………ゆ…………!
起きて…………
「ぁ…………ぅ…………」
薄らと瞼が開いた。水が流れる音がする。風で枝葉が揺ている。
緣は目の前の光景をゆっくり認識する。自分が何故ここにいるのかも、その前に何が起きたのか覚えている。
手足の感覚が麻痺して、僅かに動かせる程度。身体中のあちこちが痛い。骨は折れていないようだ。水に濡れたせいか酷く寒い。視界もまだ定まらない。傷は水で洗い流されただろうが、まだ毒が抜けきれていない。
誰にも見つけられず、もしこのままであれば、自分は死ぬ。ゆっくりと這って川辺まで上がる。砂利がゴツゴツとしていても、そんな事は気にならない。日陰まで隠れてゆっくり仰向けになるも、木漏れ日が眩しく感じる。
鬼面を失くし、露わになった素顔に日の光を浴びる。
(溺死は免れたが……ここで野垂れ死ぬかもしれない…………か…………)
もしここで死ねば、カナエの所に行けるのだろうか?カナエが今の自分を見たら、どう思うだろうか?
きっと嫌われる。無理もない。夢を叶えるという約束を破ってしまったのだから。
しのぶはなんて思うか?今の緣には、しのぶの気持ちが分からない。分かり合えない。あの日、絶縁したはずだったのに、また現れるようになった。
思えばあの笑顔は苦手だった。まるでカナエの幻影を見ているようで、見るに堪えない。本当は鬼を殺したくて堪らないのに。何故そんな空虚な笑顔を自分に向けるのか。
いや、それも自分の弱さが招いた結果かもしれない。目の前で青い羽の蝶がゆらゆらと飛んでいるのが視界に入る。だが少しずつ瞼が重くなっていく。
目を閉じたら、このまま死ぬかもしれない。だが傷ついた身体が抵抗を許さない。呼吸が少しずつ弱くなっていくのが分かる。それでも、ここで命の灯火を消したくない。
「頼む…………」
静かに呟くと、全身に力を込める。間もなくして眠りについた緣の目の前に、青色の羽が美しく羽ばたく蝶が森の中へと入っていった。
○○
時は、
緣と袂を分かった後、緣としのぶが会う機会はめっきり減った。偶然会ったとしても、二人は挨拶すら交わさず過ぎ去るだけ。それはしのぶか柱になっても同じだった。
一度だけ、話す機会はあった。柱就任して間もない頃、任務で緣と一緒になった。
「蟲柱様。この度は柱就任、おめでとうございます。今回の任務、鬼殺隊の名を汚さぬよう働きます」
まるで初対面のような口調の挨拶。丁寧な言葉遣い。小馬鹿にしている訳でもない。上司と部下、たったそれだけ。
任務が終わった後、しのぶは別れる前に一つだけ尋ねた。
「髪飾りは……どうしたんですか?」
かつてカナエから貰った蝶の髪飾り。だがあの日から着けていなかった。今は紫色の紐で結っている。
「捨てました。もう必要ありませんので」
一番聞きたくなかった答えだった。夢を捨てるだけでは飽き足らず、大切な人から貰った髪飾りまで捨てるのかと。心の底から軽蔑した。
「そうですか。では今すぐ消えてください」
「はい。失礼致しました」
背を向けて冷たく言い放った。怒りが隠しきれず、言葉が強くなってしまったが、緣はそんな事を気にする素振りはない。しのぶに軽く一礼してその場から去った。
もう余計な干渉はしない。波風も立てない。緣がカナエの理想を受け継がないのならば、自分がやるだけ。もう緣とは何の関わりのない、赤の他人として。
ある柱合会議にて、隊士増強部隊 雅の設立が決まった。鬼殺隊の隊士生存率を上げる為の特別部隊となるのだが、その人員を誰にするかが議題に上がった。そこでしのぶは衝撃的な人選を知る事になった。
「今回、雅の筆頭には……疼木 緣を推薦しようと思う」
何と緣が耀哉の推薦で筆頭に選ばれたというのだ。緣の近年の功績は高く、悲鳴嶼行冥や宇髄天元といった古参の柱からも認められていて、冨岡義勇、不死川実弥、最近柱に就任した煉獄杏寿郎も賛成した。だが緣の危うさを知るしのぶは、これに異議を申し立てた。
「畏れながら御館様。私は疼木さんの筆頭に反対します」
「どうしてかな?」
唯一反対したしのぶに他の柱が驚く。ただ一人、驚かなかった輝哉が尋ねる。
「疼木さんは、鬼を殺す為ならば手段を選ばない危険な一面を持っております。無論、鬼を滅してこその鬼殺隊ではありますが、彼女の場合はその度を超えています。下手をすれば、士気を下げかねないかと」
この場にいる者の中で誰よりも、しのぶは緣という人間を理解している。だからこそ、この人選に反対した。
「しのぶの言う通り、確かに緣は少し危険な所があるね」
だがその危うい一面は、輝哉も承知の上だった。輝哉は話を続ける。
「少し前、緣を柱にしようとしたんだ」
それを聞いた柱全員が驚きを隠せなかった。誰一人としてその話を知っている者がいなかったからだ。だがここに緣がいないという事は、柱になっていない。
「けれど、緣は辞退したんだ」
「柱の称号は鬼殺隊にとって最高の栄誉となるはずだ!それを断るなど、理解出来ない!」
驚愕の声が大きく出る柱達。杏寿郎も名誉が目的で柱になったわけではないが、それでも断る理由が理解出来なかった。
「緣はね、こんな事を言ってたんだよ」
私は……柱になる資格なんてありません。何も守れず、鬼を殺す為に大切なものを捨てた半端者の私に、カナエのような強い花柱になれません。だからこそ私は、鬼巫女となって鬼を皆殺すと決めたのです。
柱就任の件……真に畏れ多い事でありますが、どうかご辞退させてください。
緣の言い分と覚悟を知る輝哉から聞いた柱達。彼らもある程度の事は理解はした。但し一人だけ、しのぶだけは嫌悪感を抱いている。
「緣は前に進む為に、大切なものを手放す覚悟をしたんだ。緣にとって、カナエとの約束はとても大事だったんだよ」
「ですが……」
「近頃は花の鬼巫女と呼ばれて、他の隊士から恐れられているとか。孤独となっても、ただ鬼を滅する為に刃を振るうか……。可哀想だ……」
涙脆い行冥が数珠を鳴らして涙を流している。それでもしのぶは不服を示す。彼女が思う所があるのは輝哉も分かっている。
「もう少し詳しく知りたいなら、義勇に聞いてごらん。この柱合会議が終わったら、話をしてみたらどうかな?」
「はっ」
輝哉に呼ばれた義勇が応えた。今は大事な会議中だ。本題に戻らなければならない。一旦緣の事は頭から離し、柱合会議に戻った。
○○
雅の人員が決まって、他の議題を終えると柱合会議は終わった。輝哉が退室した後、しのぶはすぐに義勇に問い詰めた。
「冨岡さん。一体どういう事ですか?
しのぶに迫られたが、表情一つ変えずに羽織から包みを取り出した。それを少しずつ開くと中身を見せた。
「それは……?」
「女物の髪飾りか?」
「冨岡!女物の髪飾りを集める趣味があったのか?!」
「そんなものはない」
行冥や天元らは不思議がり、女物の髪飾りを持っていた事に杏寿郎がつかぬ事を義勇に尋ねている。何の話か分からない実弥は舌打ちしている。だが唯一しのぶだけは目を見開いてしまう程に驚愕して問う。
「冨岡さん……!どうしてそれを……?!」
「落ちていた。本人に渡そうとしたが……断られた」
それは
「お前から渡しておいてくれ」
しのぶに髪飾りを渡して退室しようとした時、腕を掴まれた。振り返るとしのぶの笑顔は消えている。
「勝手に帰らないでください。話は終わってませんよ」
しのぶの筋力では義勇に容易く振り払われるのだが、義勇はそれをしなかった。しのぶの表情は納得していない。これでは帰れそうにないと、義勇は諦めて座る。
「他の方は帰ってください」
笑顔に切り替えて他の柱達に退室を迫った。その笑顔からただならぬ気迫さえ感じさせた。行冥、天元、実弥、杏寿郎が部屋から退室し、ここには義勇としのぶだけになった。
「冨岡さん。全て話してください。疼木さんに一体何があったのか。何でこれをずっと持っていたのか」
「だから、断られたと……」
「そうではありません。何で断ったのかを知りたいんです」
今までならばどんな理由があろうと、カナエを否定した緣の事など知ろうともしなかった。だが輝哉から事情の一片を知った事で、不思議と知りたくなってしまった。嫌いになったはずなのに、矛盾した行動に我ながらどうかしている……と、自己嫌悪さえ抱いてしまう。
「夢を捨てた自分に、それを着ける資格はない……だそうだ」
「何ですか……それ……」
自分から夢を捨てたくせに、何でそんな事が言えるのか。聞かなければよったと、内心後悔している。だが、義勇は構わず続けた。
「あとは……泣いていた」
「泣いていた?」
鸚鵡返しに言うしのぶ。確かに鬼巫女になる前の緣は内向的で泣き虫であった。泣いても別に不思議ではない。カナエが亡くなった後も泣いてばかりで頼りなかった。
「十二鬼月を一人で倒したあの日、お前の姉との約束とやらを破って……謝っていた」
「十二鬼月を破った……あの日……」
緣が鬼巫女になるきっかけとなったあの日。奇しくもその日は二人が袂を分かった時だ。鬼巫女に変貌する事になった理由かあるとすれば、そこで何があったはずだと考える。
「俺も全てを知っているわけではない。だが、疼木は弱い自分を斬り捨てる覚悟を決めたようだ。約束を破ってもなお、果たしたい願いがあるはずだ」
義勇には緣の生き方が、どれだけ辛いものかよく分かる。鬼巫女になった理由も、髪飾りを受け取らなかった理由も。
そして、何故自分にはそれらが理解出来なかったのか。なんでよりによって義勇が分かっていたのか。悔しくて羽織の裾を強く握るしのぶ。徐に立ち上がり一礼する。
「ありがとうございました」
そう言って顔を上げたしのぶは産屋敷邸から出て行った。帰り道、曇天より雷鳴。小さな雨粒が降ってきた。しのぶの手には傘などない。強くなっていく雨に濡れるが、そんな事を気にする様子ではない。
やっと緣の気持ちが理解出来たのだ。だがそれがあまりにも遅すぎた。もっと早くに気が付いていれば、緣は孤独の道を選ぶ事なんてしなかった。鬼巫女となって仲間からも恐れられる事はなかった。
緣を止める事が出来なかったのは、体格でも腕力で叶わないとか、そんな簡単な事ではない。緣の心の奥底に眠っていた負の感情に気が付かなかったからだ。これだけ身近にいたというのに。自分を殴りたくなってしまう。
そんな緣の心根を理解しても、納得出来ないことがあった。
(まさか一人で鬼を滅ぼすつもり?冗談じゃないわよ……!そんなの絶対許さない!後ろめたさだろうが、本心だとしても、たった一人で地獄になんかいかせないわ)
今の緣は、どんな対価を支払ってでも鬼の絶滅を望み、力を振るうだろう。だがその先は孤独という名の地獄しかない。それが本望だとしても、そんな結末なんて許さない。たとえ他の誰かを守る為でも、悲しみの連鎖を断ち切る為だとしても、緣自身が救われなければ意味が無い。
(姉さんの為にも……あなたの為にも……。緣、あなたを闇の底から引きずり出してあげるわ)
同じ過ちも後悔もしたくない。緣の剣は鬼を殺す為のものではなく、救う為にある事を思い出させると心に誓った。
○○
しのぶが
炭治郎は別方面を探しているが見つけられずにいる。
(まずいぞ……このまま見つからなかったら、緣さんは……)
たとえ自力で渓流から脱出したとしても、毒で動けないはず。もたもたしていたら手遅れになる。その焦りが余計に思考を邪魔されてしまう。
(どうすれば……!)
自分達を守って戦い、鬼を倒した緣を助けられない自分の不甲斐なさに打ちひしがれた。
「大丈夫?」
優しい声が聞こえた。顔上げるとその声の主が目の前にいた。とても朗らかでおっとりとした女性。長い髪の左右に蝶の髪飾りを着けている。そして驚く事に隊服の上に、しのぶと同じ蝶の羽織。
「あなたは……」
大正コソコソ噂話
柱の打診を理った噂は瞬く間に広まり、一般隊士から陰口を叩かれる事が多かった。だがそれは緣の真意を知ったしのぶが鎮めて見せた。ちなみに実弥も緣の悪口を言う者に対して力ずくで黙らせている。