――紅い霧が、幻想郷を覆い始めた。
山の上から眺めると、それはまるで夜明けを飲み込む血潮のようだった。
太陽は霞み、空はどこまでも赤く染まっている。
風は重く湿り、肌にまとわりつく。
博麗神社の巫女、博麗霊夢が動き出したと聞いたのは二日前。
今、青年――白玉楼の従者となった“異邦の男”もまた、ひとりでこの異変に挑もうとしていた。
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白玉楼の門前。
西行妖の花が、霧に染まって紅色を帯びていた。
「……本当に、行くのですね」
妖夢の声は、風の中で震えていた。
その手には、いつも庭を掃く竹箒ではなく、愛刀・楼観剣が握られている。
けれど彼女は戦いに行くつもりではない。
ただ、彼を見送るために立っていた。
「俺がこの屋敷の従者として認められたのなら……守るべきものがあるはずだ。
この紅い霧が、白玉楼にまで及ぶ前に止める」
妖夢は唇を噛む。
「……ひとりで、行くつもりですか」
「ああ。幽々子様もそれを望んでいる。
“自分で選んで進めるなら、それがあなたの生きる意味になる”って」
「……幽々子様らしいです」
妖夢は小さく笑う。
そして、その笑顔の奥にある不安を隠せない。
「あなたがいなくなると……この庭が、少し寂しくなりますね」
「俺も、そう思うよ」
青年は一歩、彼女に近づいた。
そしてその目を真っすぐ見つめながら、静かに言葉を紡ぐ。
「……前は誰も信じられなかった。
誰も俺なんか待っていないと思ってた。
でも、今は違う。
――俺を信じて待ってくれる人がいる。
だから、必ず帰る」
妖夢の瞳が大きく揺れた。
彼女は何かを言いかけ、けれど結局、言葉にならなかった。
ただ、静かに頷いて微笑む。
「信じています。
あなたは、もう“ここ”の人ですから」
その言葉が、青年の胸に深く刻まれた。
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紅い霧の中を進む道は、まるで夢と現の境界のようだった。
獣の感覚が研ぎ澄まされ、空気中の異質な魔力を感じ取る。
“紅魔館”――霧の中心にある洋館が、ぼんやりと見えてくる。
(あの中に、この異変の元がある……)
腰に下げた短剣の柄を握りしめる。
その瞬間、獣の力が脈動するように身体を包んだ。
――黒狼の脚が現れ、彼の足元を闇のように染める。
「行くぞ……!」
地を蹴る。
狼の脚が大地を裂き、風のような速さで霧の中を駆け抜ける。
紅の霞の中を走るその姿は、まるで闇夜の流星だった。
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霧の濃さが増すにつれ、視界がぼやける。
だが、その中に確かに“何か”の気配があった。
妖精たちの声、そして異質な魔力の渦――。
「止まれ!」
鋭い声が響いた瞬間、弾幕が空を覆った。
紅と紫の弾が交錯し、光の花が咲く。
青年は咄嗟に身体の一部を豹のしなやかな脚へと変化させ、地を蹴って跳ぶ。
視界の先に現れたのは、黒い帽子に金の瞳を持つ魔法使い。
――霧雨魔理沙。
「おいおい、いきなり突っ込んでくるとは。アンタ、どこの誰だ?」
「白玉楼の者だ。紅い霧を止めに来た」
「へぇ、幽々子んとこの? 面白ぇ奴が出てきたな!」
魔理沙が笑う。
その無鉄砲な明るさに、青年は少しだけ安心した。
「霊夢が先に突っ込んでる。紅魔館の中、かなりヤバいぜ」
「構わない。俺も行く」
「おお、頼もしいじゃねぇか。なら――ついて来い!」
二人は並んで霧の中へ駆けた。
紅い光が渦巻く中、青年の脳裏にふと妖夢の笑顔が浮かぶ。
“信じています。あなたは、もう“ここ”の人ですから”
胸の奥が熱くなる。
彼は小さく呟いた。
「……絶対に、帰る。お前のところへ」
その言葉が風に溶け、紅い霧の中に消えていった。
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紅魔館の影が、ようやく目の前に迫る。
重く閉ざされた鉄の門。
その向こうに、紅い月のように輝く洋館。
青年は深呼吸をし、獣の力を解き放った。
黒狼の脚、鷹の眼、そして虎の咆哮。
幾多の獣の魂が、彼の内で共鳴する。
「待っていろ、妖夢。
この戦いを終わらせて――必ず、帰る」
紅い霧が渦を巻く中、青年はその門を蹴り破り、紅魔館の闇へと飛び込んだ。