6月が過ぎ7月の末になり、中学生二度目の夏休みが始まった。中学二年生になってから少しずつ芸能のお仕事が増えてきたのと、結婚式に向けた稽古をしていたせいで時が過ぎ去るのが早く感じる。
あと、忘れちゃいけないのが部活だ。5月には14歳を迎えた私は昇段試験を受けてこれを突破、ついに柔道の有段者となり、条件達成とともに水泳部へと移籍した。顧問の先生めっちゃ渋ってたけどごめんね。いろいろやりたいんだ、私。今回で人生二回分の青春を送ってやるって決めたから。
それで水泳部に行った私だけど、当然そこでも結果を出すことを求められるわけ。でも残念ながら私に早泳ぎの才能はなかった。平均より少し速い程度。これじゃ来年新体操部に行くことができないよ。
「ならトライアスロンでもやれば良いんじゃない?」
「トライアスロン?」
そのことを師匠に相談したとき、一つの解答を教えてくれた。トライアスロンとはスイム、バイク、ランの3種からなる競技だ。つまり泳いで自転車こいで走って、最初にゴールした人の勝ちの試合。これなら私でも結果が出せるかもしれない。もとより体力には自信があるし。
で、稽古の裏で夏にある大会に向けて特訓をしていたんだけど。死ぬほどきついねこれ。プールで泳ぐのと海で泳ぐの全然違うし、自転車をこぐと足パンパンになるし、そのあと走る頃にはもうヘトヘトで。
「ぜぇ、はぁ、師匠! 私の記録は!?」
「1時間半だね」
くっ、なんとかここから1時間台前半までタイムを縮めなきゃ!
「いやスプリントを一時間とかオリンピック選手か。しかもこれ高校生とか大人向けの距離だからね。
そうなの? まぁでも秋に横浜で大会あるみたいだし、そこに向けて特訓は続けよう。
「というわけでミヤコさん、私今週末静岡までツーリング行ってくるね」
「はい? 静岡までツーリングって……自分が何言ってるか分かってるの? 片道何時間かかるか分かったものじゃないわよ」
そうだよ? だから土曜の朝出発して12時間かけて静岡行って、日曜にまた12時間かけて帰ってくるんだよ。買ったばかりの愛車使って。
競技用自転車ってすごい高いんだね。長年貯めてたお小遣いとお給料を大分使っちゃった。大事にしよう。
「というかお兄ちゃんは? また監督のところ?」
「あなたね、先週アクアが監督の映画撮影について行くって話したじゃない。自分の兄の予定くらい把握しておきなさいよ」
あ、そうだった。だからお兄ちゃん家にいないのか。
「今度はどこに行ったの?」
「沖縄よ」
うわ、ずるい。自分だけ南国の綺麗な海を観に行ったんだ。私も海で泳ぎたいよー。
「頼んだら私も連れて行ってくれないかな? 青い海、白い砂浜、片手にはパイナップルジュース!」
「現実は熱い日差しとジメジメした森の中みたいよ。ほら、これ写真」
ミヤコさんが見せてくれた携帯の中には探検家のような格好をした監督とお兄ちゃんが草木をかき分けている写真が写っていた。
「こんなところで何を撮るの……?」
「戦争映画の撮影らしいわ。ほんとは国外の南洋諸島で撮りたかったみたいだけど、監督も大変よね……あら、新しいメッセージが来てるみたい」
『ピコン』とミヤコさんのスマホが鳴った。
「ハブが出て撮影が延期になったらしいわ」
「また!?」
クマに引き続き今度はハブなんて、運が悪い。
「今度は動画が届いたわよ」
『落ち着け早熟、早く崖を登ってこい』
『ルビーじゃないんだからこの高さをすぐに登れるわけないだろ。まずい監督、近づいてきた、このままじゃ登ってる間にハブに追いつかれる。かくなる上は……!』
『おい待て待て、その三脚でどうするつもりだ! 俺の三脚は草薙の剣じゃねぇんだぞ!?』
威嚇するハブに向かって三脚を振りかぶるお兄ちゃん、そしてそれを止めようとして崖を滑り降りる監督の背中を映し動画は終わった。
「撮ってる場合じゃないよね!? 大丈夫? 二人は無事なの?」
「通りかかった地元の農家さんが車でハブを退治してくれたそうよ」
地元民つおい。でも良かった、お兄ちゃんが棺桶に入って東京に帰ってくる事態にならなくて。死因『毒』ってそんなRPGじゃないんだからさ。
ちなみに、お兄ちゃんのお土産はハブ酒だった。
い、いらない……。
毎日レッスンやら仕事やら学業やらで忙しい私にも、たまに暇な日がある。そういうときは漫画を読んだり、アニメを観たり、ゲームをしたり、あるいは友達と遊びに行くとか映画に行くとかして英気を養うのだが。
「することないなぁ」
夏休みのある日、私はクーラーの効いた自室の中でそう呟いた。やることがない。友達とは予定が合わなかったし、師匠からお勧めされた漫画の『今日あま』も読み終わった。今期のアニメは更新待ち。お兄ちゃんもミヤコさんも家にいない。
午前は軽く運動をして、昼は冷蔵庫にあった冷やし中華を食べてソファに寝転ぶ。スマホでネットサーフィンなんてしてたらあっという間に一時間が経っていて、これはマズイと思いスマホを閉じた。
とはいえ他にすることもないので、やっぱりまたスマホを触ってしまうのだけれど。
「ん、ころも師匠からメッセージだ」
ディスコードでダイレクトメッセージが送られてきた。師匠たちから誘われたゲームサーバー、もともとは彼女たちの通っていた高校のテーブルゲーム部から発展したサーバーらしいんだけど、今となっては多種多様な業界のゲーム好きが集う闇鍋みたいな場所になっている。
『ルビちん、暇ならマイクラしよー』
ちょうど暇だったので私はお誘いを受け、お兄ちゃん作のPCを起動した。
『やっほー、ルビちん。おひさ』
「お久しぶりですころも師匠。このワールド来るの久しぶりですけど、結構変わってますね。……って私の仮拠点が取り壊されてる!?」
ずいぶん変わってしまった地形を眺めながら歩いていると、記憶にあったはずの私の仮拠点はそこにはなく、大きな幹線道路が敷かれていた。
『あ、そうだ。たしか高速道路作るって話が出て周辺の土地が強制買収されたんだよね。だからルビちんの口座のチェストにエメラルドいっぱい入ってると思うよ』
高速道路!? 強制買収!? なんでゲームの中でそんな目に遭わないといけないの!
「基本的人権の尊重は……」
『この世界に日本国憲法は通用しないからね』
ルビーは激怒した。いつか邪智暴虐な運営を打倒して私の王国を立ち上げてやる。
「で、取り壊された家のなかにあった私の家財はこのチェストの中にあると。……こ、ころも師匠? 私の命より大切なネザライトのつるはしはどこに?」
『ミコちんが酔っ払ったときに持っていった』
おいミコ師匠、あなた弁護士になったばかりでしょ! ちゃんと法律守って!? 人のものを盗むのは犯罪だよ!
『残念ながらこの世界に法律は──』
「もう分かりましたから。それで、どこに持っていかれたんですか?」
『データの海、かな』
壊してるじゃん!!! あ、だからこの前ミコ師匠から『今度謝りたいことがある』って意味の分からないメッセージ来てたのか……。
「萎えました、引退します」
『まぁまぁ、今ミコちんは代わりのものを用意しようと必死になってるからもう少し待ってあげて。それと、ルビちんとは話したいことがあるからまだ帰らないでよ』
「話したいこと?」
『うん、実は年度末頃に私の卒業ライブをすることになってさ。見に来て欲しいなーって』
「……え?」
突然の爆弾発言に私は思考をフリーズさせ、その後はひたすら山を削って気を紛らわせることしかできなかった。
──悲報、私の推し、卒業するらしい。
ベッドに入り、SNSでころも師匠の卒業ライブについて反応を見る。タイムラインは引退を惜しむ悲しみの声で溢れかえってきた。
そのとき、一つの投稿が目に留まる。
『ころもが引退すると聞いて悲しいけれど、どこか安心してる自分もいる。不祥事とか、事件とかに巻き込まれなくてさ。元気に卒業してくれれば今後の活躍も応援できるし』
一瞬ママのことが頭に思い浮かび、リプ欄を覗いてみたが、ママについて触れている人は少なかった。『昔ストーカーに刺されて死んだアイドルがいた』と言及される程度。当時はあんなにセンセーショナルに報道されていたのにね。もう十年以上も前のことだ、みんな忘れちゃったのかもしれない。
『世代交代、次のスターは誰なのか?』
世代交代……か、ママもころも師匠も、アイドルというのは刹那に輝いたあとは、忘れられていくものなのかな。
『ころもたん卒業なのか。俺は最後のライブくらい、妖精さんが笑うところが見てぇよ』
……たとえ刹那の輝きでも、その輝きに照らされ、魅せられた者の中にはきっと永遠の記憶が残るはず。私にとってママが永遠の一番星であるように。
思い立ったが吉日、いや吉瞬だ。私はこばち師匠にメッセージを送った。
『ころも師匠の最後のライブ、何か計画しませんか?』
私も彼女の笑った顔が見たい。
アクア「三脚カリバ──ッ!」
星野ルビー整地厨概念。