三学期が終了し、私の小学四年生が終わった。春になって少しずつ気温も暖かくなってきたのを感じる。
そんな私は春休みになったので、師匠の勧めで泊まり込みの修行を行うことになった。強化合宿のようなものらしい。
そしてその初日、私の目の前には頭に大きな黒いリボンを付けた桃髪の女性がいた。
「君がルビーちゃんですね。こんにち殺法!」
「え、あ、はい。よろしくお願いします?」
「もしかして……こんにち殺法をご存じない!?」
「なんですか、それ?」
「ちっ、ちっ、ちっ。そんなんじゃスーパーアイドルにはなれませんよ。良いですか、こんにち殺法とは上流階級の子女の全員が学ぶ由緒正しい挨拶なんですよ?」
「そんなへんてこな挨拶を上流階級の人たちがしてるんですか!?」
「
「でないと?」
「死にます」
「代償が重い!?」
「アイサツは絶対の礼儀、古事記にもそう書かれてます。分かりましたか?」
「は、はい。殺法返しを忘れません」
世の中、私の知らないことばかりだ。よし、この人からもたくさん学んで、私はまた一歩アイドルに近づくぞ!
「自己紹介がまだでしたね。私は藤原千花です。よろしくお願いしますね!」
「はい、お願いします千花師匠!」
そんな感じで、千花師匠による特訓が始まった。
「私が教えるのは語学と音楽ですね。こう見えても私は現在8ヶ国語を話せるマルチリンガル。そして日本一の天才ピアニストと呼ばれた女。ルビーちゃんを完璧超人に育ててみせます!」
「8ヶ国語を話せる天才ピアニスト!? すごい! 天才!」
「えへへ、もっと褒めてぇー」
相変わらず師匠の連れて来る人って凄い人たちばかりだ。それだけ期待されてると思って頑張ろう。
「まずは語学ですね。ルビーちゃん、あなたがアイドルになるとして、あなたを好きになってくれる可能性のある人は何人くらいいると思いますか?」
「えっと……ゆ、夢を抱いて一万人とか!」
「ぶっぶー、残念。正解は約1.2億人でした!」
滅茶苦茶多い!? 過大評価ですよ!?
「これには理由があります。どうしてか分かりますか? ヒントは言語ですよ」
「理由? 私のアイドルとしての魅力がそれくらいある、とか?」
「あはは! それは自惚れすぎですよ!」
分かってたけど、そう言われるとちょっとイラッとするな。
「正解は日本語話者の数です。日本語を話す人口は約1.2億人。だからルビーちゃんが日本語で歌を歌って踊る以上、上限は1.2億しかないんです」
「あ、そっか。日本語だからなんだ」
「ですが、もしルビーちゃんが他の言語を話せたらどうなるでしょう! 例えば世界一話者の多い英語で歌えるようになれば……」
「なれば?」
「上限がどどんと15億人に跳ね上がります!」
「10倍になった!?」
「そしてさらに中国語も加えると30億にもなります!」
「さらに倍に!?」
「なのでルビーちゃんが億の人間を虜にするアイドルになる近道は、外国語を覚えることなんです!」
「お、おお──!!!」
すごい、今まで学校の英語の授業なんてお遊戯程度にしか考えてなかったけど、私の可能性を広げてくれるものだったんだ。
「つまり外国語を覚えたら、30億人ライブができるってことなんだ!」
「世界人口の三分の一が入る
それは無理なのか。残念。地平線の向こう側まで人がいっぱいなのを見ながらライブしてみたかったな。
「まぁ、そういうわけなので──ルビーちゃんには私が用意した英語、中国語、そして韓国語の教材を宿題として出します」
「韓国語もですか?」
「近年K-pop市場は急拡大していますからね。ジャパニーズアイドルとして世界に乗り込むなら、これに対抗しなければなりません。彼を知り己を知れば百戦殆からず、ですよ」
私K-popについては門外漢だったんだけど、今の世の中ってそうなんだ。確かに同級生の中で韓国のアイドルが好きって言う人いたかも。
「そしてこれが宿題です」
──ドン!
私の目の前に置かれる分厚い紙の束。
「え?」
「この程度できなきゃ、完璧なアイドルにはなれませんよ。もちろん、ルビーちゃんはできますよね?」
この人もスパルタだった!?
も、もはやアイドルの特訓じゃなくてただの勉強だ。アイドルは勉強しなくても良いと思ってたのに……。
「大丈夫、分からないところがあれば暇を見つけて私が指導してあげますよ。何しろ私は、あの白銀御行を育てた女ですから!」
「千花師匠の御行師匠の師匠なの?」
「はい。もはやママと言っても過言じゃないですね」
「複雑な家庭なんですね」
ちょっと親近感。
「では言語は宿題を熟してもらうとして、ここからは音楽の特訓をしましょうか。私がB小町の曲を演奏をするので、ルビーちゃんは歌ってください」
そう言うと千花さんはピアノに座り、伴奏の準備を始めた。
「私、歌が苦手なんですけど」
「え、そうなんですか。何かアドバイス要りますか。取り敢えず歌うときは口を開けるんですよ……?」
それは当たり前でしょ!? な、何をそんなに怯えてるんだこの人は……。
そして私は千花さんの素晴らしい演奏に合わせて一曲を歌った。うーん、多少上手くなったとは言え、相変わらず昔のB小町メンバーや有馬かなさんと比べると下手だなぁ。
「千花師匠、私の歌を聴いてどう思いました?」
「え? 天才?」
「ハードル低すぎませんか!?」
千花さんとの修行が何日が続き、次のステップに進む日が来た。なおもらった語学の宿題はまだ終わってないが、千花師匠も多忙の身らしいので仕方ない。
「それじゃあ、私はイタリアに行ってきますね。ジェラートが楽しみです!」
前言撤回。普通に旅行だったようだ。
さて、千花師匠が去ったあとも合宿は続く。その日来たのは、スラリとした体形の美しい女性だった。
「はじめまして圭師匠。よろしくお願いします」
「こんにち殺法! 千花ねぇと君の師匠から話は聞いてるよ。よろしくね、ルビーちゃん」
ほんとにこんにち殺法だ!? 千花さんの言うことは、嘘じゃなかったんだね。
「い、いけない。殺法返し! ほっ、危うくまた死んじゃうところだった……」
「ルビーちゃんは何を言ってるの?」
殺法返しをしないと死んじゃうんだよ。日本書紀にもそう書かれてる。
「死なないよ!? それ千花ねぇに嘘吹き込まれてるから!」
「騙されてた!?」
「あの人の言うことは半分しか信じちゃだめだよ? 平気でイカサマする人だし」
千花師匠への信頼が低いね、圭師匠。
「さて、それじゃあ特訓の話に移ろうか。私は学生しながらファッション誌のモデルとSNS活動をしているから、今日は立ち振舞や歩き方、衣装についての知識、それからお化粧についても教えられると思う」
そう言うと圭師匠は私の前で、簡易的なファッションショーを披露してくれた。
「歩き方一つとっても育ちが出るからね。私も始めたばかりの頃は苦労したなぁ……」
「圭師匠も誰かに教えてもらったんですか?」
「かぐや義姉さんと事務所の先輩?」
「
「あれ、聞いてない? 私は御行お兄ぃの妹だよ」
「え──!?」
御行師匠、あんなに綺麗な彼女がいるだけじゃなくて、こんな美人な妹もいるの? 恵まれすぎてない? 漫画の主人公じゃん。
「それじゃあルビーちゃんも自分を着飾ってみようか」
「はい!」
それから私を着せ替え人形としたファッションセンスの修行が始まった。
「お願いやめてぇ──!? どうしてすぐダサTを着ようとするの!? それ着て良いの家の中だけだから!」
「クソデカサングラスは要らない! ファッションセンスない人ってどうしてみんな頭に何かつけたがるの!? あんまり奇抜なのはファッションじゃなくて芸術の域だから! 人類はまだそこまで行ってないの!」
どうやら前世でドルオタかつ全くお洒落をしたことなかった私にはセンスが皆無だったようで、圭師匠のお眼鏡にかなう服装にたどり着くには何時間もかける必要があった。
「これが、私……?」
「素材は良いから、着飾れば抜群に可愛くなったね。素敵だよ、ルビーちゃん」
「本物のアイドルみたいです!」
「その衣装はプレゼントしてあげる。これからも修行頑張ってね」
形から入るタイプっているけど、私もそうみたいだ。先に外見だけでもそれっぽくなると、もっと修行が身に入るようになるんだね。うれしい副産物である。
「1、2、3、4──」
鏡を前に踊り、自分の動きを確かめる。
強化合宿が始まって約一週間、私は順調に自分が成長しているのを実感していた。
『石上、あんたから先入んなさいよ』
『相手は10歳だぞ。僕の顔を先に見たらショックで泣いちゃうかもしれないだろうが。伊井野の方が親近感湧くだろうし先に入れよ』
『私のこと小学生みたいに低身長ってバカにしてる!?』
『女性としてだよ、バカ』
何やら稽古場の入り口の方が騒がしい。男性と女性が言い争っている声だ。今日の師匠の代理の人たちだろうか。
「「ぎゃいぎゃいぎゃいぎゃい──あ」」
「……お、おはようございます?」
ドアを開ければそこには昭和の喧嘩をしている人たちがいた。
「伊井野ミコ、秀知院大学いち……いやもう二年ね。法学部に通っているわ。よろしく」
「石上優、同じく二年で経営学部所属。よろしく」
「よろしくお願いします。ミコ師匠、優師匠! 優師匠って、私のことを風野師匠に紹介してくれたって聞いたんですけど、本当ですか?」
「ああ、うん」
「ありがとうございます!」
「いや、君の師匠から頼まれただけだから良いよ。気にすんな」
パッと見た印象では根が暗そうな人だったけれど、意外と優しそうな人だ。
「何デレデレしてんのよ。石上のロリコン」
次の瞬間、ミコ師匠の鋭い肘打ちが優師匠の脇腹を貫いた。
「がふっ。してねぇよ!?」
「もしかしてお二人も付き合ってるんですか?」
「ん、まぁ、一応ね。こんな彼氏だけど」
「こんな彼氏言うなし。告ってきたのお前からだろうが。学園祭の日に御行先輩の真似して──」
「わーわーわー!」
ミコ師匠は優師匠の胸板をポカポカと殴りつけるが、優師匠は意に介さない。むしろちょっと嬉しそうだ。喧嘩ップルってやつなのかな。
それから私は二人から色々と教わった。基本的には座学中心。
ミコ師匠は法律のプロなので、芸能人をやる上での契約についてだとか、企業倫理について、過去芸能関連で起きた訴訟やコンプライアンス指導、炎上を避ける指導までしてくれた。
そして優師匠は逆に、炎上したあとの心構えについて教えてくれた。
「悪いと思っても、それをおくびに出すな。スタンスは常に『うるせぇバーカ』だ。自分が正しいと胸を張っていれば良い。何をやったって、結局時間が解決してくれるのを待つしかないし」
「『うるせぇ、バーカ』。口に出したくなる言葉ですね」
「こら石上、ルビーちゃんに変なこと教えてるんじゃないわよ。口癖になったらどう責任取るの?」
「うるせぇ、バーカ」
「「……ぎゃいぎゃいぎゃい──!」」
「教育方針の違いで喧嘩しないでください!?」
もしや喧嘩にかこつけてイチャイチャしたいだけなんじゃないだろうか、この二人。
「てなわけで、僕らが教えられることは一通り教えたわけだけど……うん。ちょっと時間余ったな」
「石上の実家の話をしてあげれば? おもちゃ屋なんだから、アイドルとしてグッズ展開するときの役に立つかもしれないし」
「優師匠の家っておもちゃ屋さんなんですか?」
「ああ、うん。兄がそこの社長やってる」
それからは優師匠の愚痴が始まった。
「軽々しくグッズのバリエーション増やせませんかとか言ってくる顧客、死ぬほどムカつくんだよな。そんな簡単に新規デザイン増やせたら苦労せんわ。大手に比べたら製品一つ当たりの利益なんてスズメの涙しかないのに、さらに投資して生産レーン増やせるわけねぇだろ!?」
「あーあ、石上のエンジンかかっちゃった」
……私も自分のグッズ出すときがあれば、なるべく現場のことを考えたデザインにしよう。
「そういえばこの前団長がうちの実家に来てたんだけど」
「団長?」
「あー、風野先輩のこと。あの人学生のとき、体育祭の応援団団長やってたからさ、その名残で団長って呼んでるんだけど──」
へぇ、なんか素敵だな。そういうの。
「
──ギクッ!
「風野さんって高校卒業したあとダンサーになったわよね。うーん、ダンスの小道具とか?」
「ひよこの被り物してダンスするのか? いや意味分かんねぇだろ。尊敬する先輩にそんなことして欲しくねぇわ。……ルビーちゃんは何か知らない?」
「あ、し、知らないですね!」
言えない。あなたの尊敬する先輩は今、苺プロでひよこの被り物を着けて半裸で筋トレ系ユーチューバーをしていることなんて言えない。しかも滅茶苦茶伸びてるなんて言えるわけない。
後日。
「ピヨピヨピヨー! ぴえヨンチャンネルー! 今日は二人一組でやるストレッチ、なのでアシスタントを呼んでいます! ひよこ未満の『タマゴちゃん』です!」
「ドウモ、アシスタントノ『タマゴちゃん』デス!(裏声)」
ミヤえもんにお小遣い貰えると言われてホイホイついてきた私が馬鹿だったぁ……!