もしかして:天成の個性ってトゥワイス程ではないけどやばいのでは? と思ったので初投稿です。
熱を孕んでいた空気は、日没と共に薄れていく。学校から駅までのメインストリートがコンクリートを染めていて、目に痛い。
鞄を背負い直しながら、切島は息を吐いた。吹き抜ける風が、やけに冷たい。
──自分が天成の銃で眠った後、彼は倒れたのだという。天成は準決勝を棄権。体育祭が終わった後も、天成は顔を見せなかった。帰りのホームルームで相澤は「まだ保健室だ。行くなよ」と短く返して終わり、見舞いに行くか悩んで、結局足を運ばずにいた。相澤の言葉もあるが、分かっている。
自分が原因なんだから、たとえ許可が下りたとしても行くべきではない。
信号が変わるたびに、街の明かりが滲んでいた。電車の音が遠く走り抜けていて、踏切が上がっても、切島は足を踏み出せずにいた。
鞄のベルトを握る手に、力が籠る。あの時触れた布のざらつきが、天成の身体にめり込んだ拳の感触が、生々しく残っていた。
見に行くのも、見に行かないのも、どちらを選んでも正解にはならない。
踏切を超える。渡りきるまでのわずかな間に、ポケットに入れていた携帯端末の通知が鳴った。取り出すと、メッセージアプリの通知。グループへの招待だった。送信者は芦戸で、タイトルは〝今日のこと〟。参加すると、メンバーは芦戸、梅雨、尾白、八百万、耳郎、そして自分。
今日の事──その内容は、容易に想像がついた。
通知が複数、降ってきた。
芦戸:みんな、お疲れ様。
梅雨:体育祭、終わったわね。
尾白:なんか、あっという間だけど長かったよな。
梅雨:いろいろありすぎて。……天成ちゃん、大丈夫かしら。
尾白:先生も言ってただろ。大丈夫だって。
八百万:でも、相澤先生があれだけ「行くな」ということを考えますと……まだ大丈夫ではないのかもしれません。
響香:試合の前からおかしかった。説明できないけど。
少し間をおいて、芦戸が新しい話題を投げた。
芦戸:ねぇ、そういえばさ。
天成、いつものやってなかったよね。
その一文に、切島の手に力が籠った。指先がわずかに震える。
八百万:いつもの、ですか?
芦戸:うん、実技の時にいつもやってたやつ。
ライフルの弾転がしたりしてるでしょ? 私との試合の時もやってたよ。
梅雨:そうね。何か意味があるとは思っていたけど、確かに切島ちゃんとの試合では見ていないわ。
尾白:確かに、あれ見ないと始まらないって感じだったな。
八百万:試合……というより、戦闘の前の儀式、でしょうか。天成さんにとっての。
そこまで読んで、切島は一度、画面のライトを落とした。自分の顔が画面に映っていた。街灯を反射して、一瞬目を閉じる。
──知らないふりをしていた方がいい。
しかし、黙っていることさえ嘘になるようで、ロックを解除して、打ち込んでは消す。生み出された文面は、その数だけため息に変わっていった。それが止まって。
切島:それも原因の一つかもしんねー。
短い文章が、誰かの胸に重く落ちたような気がした。既読は全員分、すでについている。だが返信はすぐには来ない。
分かる訳がないのだ、あの場で話した人間にしか。
芦戸:どゆこと?
切島:いや、緊張してたっぽいし。俺が言うのもだけど。
梅雨:そうね。切島ちゃんとの試合、なんだか考え込んでいるように見えたわ。
誰も、深くは掘り下げない。彼を心配しているが、どこかで察してもいる。切島もそうだ。より近くにいたから、猶更。
切島:俺が寝た後、何あった?
送信してから、舌の根が渇く。既読が四つになって、数分、返信が止まった。
尾白:倒れた。すぐ運ばれてたけど、なんでそんな風になったかは分からない。上鳴が見に行ったけどリカバリーガールに追い返されたってさ。
芦戸:切島こそどうだったの? 先に起きたでしょ?
切島:早く帰れって俺も追い出された。なんも聞けなかった。
芦戸:なんかさ
芦戸:何かさ、考えてるって言うより、心ここに在らずっていうか……二人の試合あったじゃん? 轟と緑谷。その後からおかしかったのは皆知ってると思うけど、理由が分かんないんだよね。
芦戸が中途半端なメッセージを送ってきた。ただのミスか、それとも。
轟と緑谷の試合。その途中で、天成が身体を折って震えていたのを後ろから見ていた。最初は体調不良かと思ったが、違った。彼の中には、同じ事案に対する、両立しない二つの思想があるような──二人の人間が詰まっていることに気付いた。
片方はいつもの〝ばーちゃん〟。
もう片方は、見たことがない。
けれど切島には、その〝知らない天成〟が死にそうなほど何かを恐れているように見えたのだ。だから、口にした。「さっき泣いてた時よ。あれ、〝ばーちゃん〟じゃなくて〝天成〟だった」と。そこから「そんな顔すんなよ」「俺は、怖がってるやつを笑ったりなんかしねぇ」と、叱咤するつもりで発したのだ。
──それが、天成に対して最悪の手段であるとも知らずに。
だからこれは、自分のせいだ。
八百万:切島さん。あまり自分を責めてはいけませんわ。何か悪いことをした訳ではないのでしょう?
メッセージ見て、その後悔が深くなるのを感じた。彼女らしいフォローである。だが今は、その優しさが一番の罰だった。
切島:ありがとな。
そう、短く返して。
切島は、積もっていく通知を見ていることしか出来なかった。
窓の外は群青を黒に変えて、遠くの街灯りが星のように瞬いて見える。人の声は、ない。廊下を歩く音だけがやけに固く響き、消えていった。
相澤は保健室の前で立ち止まった。そちらは常夜灯に切り替わっていて、音をたてぬようにと再び歩き出そうとしたところで、荷物を落としたような音が室内から聞こえる。音の主が誰かなど考えるまでもない。天成だ。
相澤はマスターキーを差し込んで、保健室の扉をスライドする。閉じたままのカーテンの向こうに呼び掛けようとして、「いいですよ。先生」と声がかかった。許しに答えて、相澤は境界の向こうに踏み込む。
天成は、上体を起こしていた。手前にある通学バッグを見るに、手を滑らせたようだ。起きたのか、と問いかけた声は、息のように低かった。
返ってきたのは、ひどく遅い呼吸と、僅かな笑みだった。
「体育祭の勝敗、どうなりました? あんまり覚えてなくて。引き分け?」
「……お前の勝ちだよ。ベスト4だが、状況を鑑みて、すぐに起きていたとしても準決勝は棄権することになっただろうな」
「帰れますよ。
──何を言っている?
相澤は眉を寄せた。天成の言っている内容が理解できないわけではない。ただ、話が通じていない。彼がどこを見ているのか、分からなかった。
「待て。ついでだ。帰るにしても──」
「大丈夫です。死んだりなんてしませんよ」
天成は、いつものように微笑んでいる。しかしその声に、いろはなかった。
乾いた音が喉を通って、消えていく。
「待て。何があった。……お前は、何を見た」
おかしい。致命的に、すれ違っている。会話が噛み合わない。
彼はすぐには答えなかった。沈黙の間に、時計の針の音がやけに響いているように感じる。秒針が進むたび、部屋の空気がわずかに揺らぐ。
カーテンの隙間から、僅かに光が差している。それがいっそう、天成の頬を白く見せていた。それが常夜灯と入り混じるたびに、彼の瞳が光を失い、また宿す。彼は生きているし、目を覚ましている。しかしその息は体内でなく、外から生み出されているような錯覚を覚えた。彼の視線の先を探す。何かを捉えているのか、捉えていないのか。それすら判別がつかない。
「……あと、一人でやると。帰れなくなるらしいですね」
視線が、縫い付けられた。十センチ下、身長差はそのはずなのに、彼の姿はそれより小さく見える。
「……何の話だ」
返答はなく、天成は静かにカーテンを見つめている。風もないのに、黒い髪が頬を撫でた。外気が流れ込んでいるのか、それともただの錯覚か。
「待ってる人なんて、いませんけど」
もう一度、呟いた。声の奥にある冷めた温もりが、室内の温度を保つ。何かを言いかけて、やめた。息を呑む。音がひどく遠くなっている。掠れ、削がれ、輪郭を持たない声は、ただ空気を揺らすだけ。
「……誰も、待っていないと」
問いかけても、返答はなかった。彼は目を伏せたまま、呼吸のリズムだけを刻んでいる。
「天成」
呼びかけに応じて、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
「先生」
「どうした」
「呼んで、返して。全部終わっても。向こうが先に帰る。そういうものらしいですね」
「お前は、誰を呼んだ?」
「呼んだんじゃ、ないですよ」
──どこか別の場所で続く、会話の途中だった。
「呼んだんじゃない?」
天成は、ゆるく首を振った。その動きは機械的で、一度にいくつもの感情が削ぎ落された結果だけが、残っているようだった。
「最初は、見てただけなんです」
「お前は、何を見た」
「綺麗でした。とても」
「……綺麗?」
「はい。……でも、見てるうちに、どっちがどっちか分からなくなって。誰が救って、誰が壊してるのか」
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているって、言うでしょう?
「思ったんですよ。俺も私も、見られてるんじゃないかって」
相澤の眉間に、皺が寄った。
「誰にだ」
「……帰れなくなった人に」
背筋が、冷えた。
「一人でやると、帰れなくなった。だから、多分俺はもう、途中で道を間違えたんでしょう。戻る場所は、無くなった」
相澤は言葉を挟もうとしたが、止めた。これは〝比喩〟ではない──彼の中では本当に、何かが返ってこなかった。
「誰も、待ってない。だから帰れなくても、困る人はいないですよ。A組のみんなも……多分、〝俺〟より〝私〟の方が好きですし」
「違う」
それだけは。
「誰も、そんなことは言ってない」
「先生って、やることが多いから。大変ですよね」
微かな笑いが漏れる。それは果たして、笑いだっただろうか。
「私は、役に立つときだけ生きていられる。だから、皆の役に立てるなら、俺じゃないんです」
雄英はUSJの一件以降、天成あまりという少年の過去について、周辺について洗い直している。増えた分の資料も読んだ。
四月。
交通事故。
十月の復学。
──担任の証言。「ちょっと変わった、けれど真面目な少年」。それが、「妙に落ち着いた、以前とは違う倍近い年齢に感じる雰囲気と口調」。
──同級生の証言。「普通に友達だった。冗談言うし面白いし」。それが、「事故のあと、大人みたいになった」「静かになった。多分、すごく辛かったんだと思う」。
ここで、結びついた。〝別人のよう〟ではない。事故から立ち上がり、前に進んだ結果得た成長ではない。適応というには甘い。模倣でもない。
何かが抜け落ちた穴を、別の何かで埋めただけだ。
家族が死んだ。子供のままでいれば、感情のままでは壊れる。あの日以降、彼は子供でいることを許されなかった。アニメや漫画の登場人物に憧れて、その振る舞いや口調を真似するのではない。
摩耗だ。
家族を失った子供が最初に学んだのは、泣き続けようと誰も戻らないという非情な現実。ならば、泣かない誰かでいるしかなかった。
憧れではない。それは。──生きる為の、手段だ。
ヴィランの内通なんてかわいいものではなかった。その方がずっと常道に戻せたかもしれない。まっすぐに、子供のようでいられたかもしれない。
これが、天成あまりという少年の、壊れ方だったのだ。
理想的な大人。冷静で、非常で、決断できて。それでもユーモアと温かさを忘れない、誰か。それを、借りた。
「……お前は、誰だ」
「天成あまり。1-Aの出席番号四番」
相澤は言葉を探したが、何も出てこなかった。天成のまなざしは、ガラス玉の裏からこちらを覗くようだった。見ているのに、焦点はどこにもない。
「じゃあ、帰りますね」
「待て。送る」
「いえ。まだバスもありますし、先生の家逆でしょう」
ブレザーの袖がすっと形を作った。掛け布団を整え、バッグを肩に掛ける。天成の動作には一点の乱れもなく。
「じゃあ、帰りますね。今日は、ありがとうございました。心配させて、すみません」
再度言って、天成は軽く会釈した。室内に、靴音が一つ。ただ一つだけ、響いた。
止めるべきか、問うべきか。下手な言葉を掛ければそのまま〝切れてしまう〟気がして、何も言えない。
だから、見ていた。
「おつかれさま」
貴方はもう、■■を殺さないで。
昼下がりの光が、窓の縁に煌めく。
体育祭から二日後だ。平日特有の静けさが街を包んでいて、学校に行けなかった時のことを思い出す。ぬるくなった紅茶を飲み干して、ソファに身体を預けた。ラジオを付けているけど、右から左に流れていくだけだ。作業用音声みたいなもの。
レースのカーテンがヨレているのに気づいて、立ち上がった。しゅっと閉めて、均等になるように整える。
ラジオと柱時計が、二時を知らせる。もう昼過ぎたんだ、時間の感覚があんまりない。机の上には読みかけの本があって、脇に置いていたマジックハンドを手に取った。皆には見せてないことだけど、俺は結構横着だ。本を回収して、開いた。
「……うーん」
何回か読んだから覚えてるけど、文章は目を滑る。なんだかなぁ。あの日、目が覚めてから全部おかしくなった気がする。世界が、透き通っても曇ってもない。
次の段落を追う前に、チャイムが鳴った。宗教勧誘か、テレビの集金、通販で何か頼んだ覚えはない。さっき立ち上がったのにもっかい立ち上がるのだるいなぁ、と思ったけど、居留守するほどじゃない。
相澤先生かな。一昨日心配かけたし。でも、用があるなら電話でもいいはず。インターホンのパネルを叩くと、紫の髪が見えた。
「はー──……い?」
心の底から混乱した。一瞬、本当に誰かと思った。校外で会うのは、初めて。そもそも、喋ったのも体育祭が初めてだ。当たり前だけど、制服じゃなくてパーカーにジーンズ。で、髪も下ろしてる。
「……あれ、なんで?」
口をついて出た言葉は、〝私〟じゃなく、ちゃんと〝俺〟だった。
門扉の前に立っていたのは、心操だ。ラフな装い。黒いパーカーとショルダーバッグ。百七十後半の身長のはずだが、下ろした髪によってその姿は幼く見える。
彼の姿は日常であり、ある種非日常──そう、感じさせた。
「よう」
「……よう、って。なんで?」
「会いに来た」
「や、それは分かるんだけど。いや、ほんとに」
口に出したが、思考が追い付かない。住所どころか、連絡先さえ交換していないのだ。心操は体育祭の時と変わらぬ口調で続ける。
「話したいことがあった」
「話したいこと?」
「ああ」
天成は戸惑いながらも、門扉を開けるよう促した。扉の脇に寄って、玄関へと上げる。
「てきとーに靴置いて。話したいことあるんでしょ」
「いいのか」
「ベッドの下でも見に行く?」
「……行かねえよ」
「ちぇ。おすすめの論文教えようと思ったのにぃ……待って引かないで」
スニーカーを脱いで、家へと上がる。真っ直ぐと続く廊下。天成は「こっち」と手を引いて、リビングへ続く引き戸を開けた。
「紅茶とコーヒーどっちがいい? 緑茶もあるけど」
「お前が飲む方」
「じゃー紅茶。あったかいのだけどいい? あと砂糖とミルクいる?」
「大丈夫」
じゃ、座ってて。ソファを示されて、心操は彼の言葉に甘えることにした。柔らかい革張り。思ったより沈んで、心操は少しだけ足に力を入れる。
カウンターの向こう。キッチンに入っていった天成が、食器のぶつかる微かな音を立てていた。
一瞬だけ、心操の視線は室内を走った。静かなのもそうだが、あまりに生活感が薄く感じ、心操は僅かに俯いた。
「今、家族居ないのよ。俺は予定ないしフリー」
心中を見抜いたような言葉。〝今〟という言葉に奇妙な違和感があって眉を寄せたが、それ以上は聞かなかった。天成の言葉の奥に、何か踏み込めば崩れてしまうものを感じられたから。
暫くして、お盆を持って天成は戻ってきた。ポットとカップ。入っているティーバッグはよく見るものだが、わざわざそうやってくれるあたり慣れているに違いない。
ティーコゼーを取り去ったポットには、天成の目によく似た色の液体がある。天成の動きに揺られたそれは、白い陶器を満たしていった。
「あんま上手じゃないし、つまらないものだけど」
「いや、本当なら俺のセリフだろ。……悪い、急に押しかけて」
「んーん。気にしてないよ。それより、どうしたの?」
腰を下ろした天成が、こちらを覗き込んできた。
「聞きたいことがあった」
「答えられることならなんでもー」
あの日、自分と会話した最後のときまでと変わらない。軽妙さと気遣いが滲んだ振る舞いだ。
だからこそ、「自分に見せていたこれも、〝私〟と同じなのではないか」と。尋ねることを躊躇させていた。
「……あの日。試合の後、何があったんだ」
問いを受けて、天成のカップを持つ手が離れていった。
「何が、って?」
「相澤先生にも聞いたけど、何も分からないって返されたんだ。話せるなら、聞かせて欲しい」
天成は目を伏せた。豊かな睫毛が被さって、その視線を見えなくする。
ややあって、天成は答えた。
「寝てたんだよ。ちょっと長いお昼寝」
「昼寝……?」
「うん。夢見てた気もするけど、起きたら覚えてなかった。それだけ」
嘘では、なかった。
しかし本当のことでもない。自分でもわかっていない状態なのだろうか。
心操の目にはまだ、ベッドの上にいる天成が焼き付いていた。どこも見ていない、ここにはいない、ただ生きている姿だけの天成。呼んでも、水中で喋っても会話にならないように何も聞こえない。
それが今、何事もなかったかのように振舞っている。
「そーいや、どうやって俺の家知ったの? 相澤せんせ?」
「会話した時に教えてもらった」
「あの人でもそういう事するんだ。意外」
「俺は相澤先生のこと全然知らないけど、天成に対しては結構甘いと思うけどな。あと──……」
「あと?」
「いや。何でもない」
ほんの少し視線が泳ぎ、再び定まる。
言葉を飲み込んだまま、心操の視線は湯気を追った。カップから香る紅茶の匂いは鼻腔をくすぐって、自分が同じ商品で入れるそれよりも香りがよく感じる。
「ねぇ。話、変わるけど」
「どうした?」
「心操。俺の事、呼んだ?」
小さな問いだった。
息を止めて、黙り込む。心操の目に映るのは、ただ純粋に「知りたい」といういろを宿した顔。
「……呼んだ、よ。ちゃんと、届いたかなんて分からないけど。俺はあの時、お前に戻って来て欲しかった」
天成の目は、痛みとも安堵とも取れない琥珀。
「そっか」
「それだけ?」
「うん。呼ばれたら、戻れる気したから」
──呼ばれたら戻れる。ないなら戻れない。必要とされなければ、存在できない。
だから、今はいられる?
自分がここから去れば、また居なくなる?
心操の中でなにか、取り返しのつかない事案が渦巻いていた。何かをしないと天成が消えてしまう。こんな風に、自分を一日で変えてしまった男が、必要とされていないと。
「……俺は、お前といたいよ」
「え?」
「たった一日しか過ごしてないけど、俺は結構、お前のこと好きだと思う」
天成は驚いたように瞬きをして、再び「そっか」と口にした。拒絶でも否定でもなく、ただ柔らかに受け止める声音。
「口説いてる? そういう事言われたの、初めてかも」
「口説いてない。本気で言ってる」
「知ってるよ」
ぶつ、とラジオの電源を切る音がした。今の今まで流れていたはずなのに、そこに存在する事にさえ、心操は気付いていなかった。なのに、部屋の静けさがいっとう感じられた。
ソファの端に置いていた、大きなテディベア。それを抱きしめ、足をぷらぷらとさせながら、天成が零した。
「俺さ、好きって言葉、あんまり信じてなかったんだ」
「……何で」
「それがほんとの俺じゃないから。家族以外、知らない。でも」
少し考えて、天成はこちらを見て微笑んだ。
「今はすごく……嬉しい、かも」
紅茶の湯気が、薄れていく。琥珀色の液体が陽の光に煌めいて、その明度を上げていた。
その中で、天成はソーサーの縁をなぞる。
「ありがと、呼んでくれて。それだけで、帰って来れた気がするんだ。俺はこの名前でいいんだって。呼ばれなかったら、また行っちゃう気がしてさ」
「なら呼ぶ。俺が。何回でも」
「うん」
助けが必要になったら呼んでくれと言った自分が逆に、呼ぶと宣言する。相互関係と言っていいのかは分からないが、許されるなら──友人としてその横に、立ち続けてもいいのだろうか。
天成は相変わらずぬいぐるみを抱いたまま足をぶらつかせていて、何を考えているのかは分からない。
「そういえば、明日から学校だけど。来れるのか?」
「もう大丈夫だしねぇ。
「普通科は授業だけど。そっちは?」
「多分、名前決め。職場体験あった気がするし」
「ヒーローネームか? 職場体験って……」
「うん。確か……何日だっけな。プロヒーローのところ行くらしい」
「思ったより早い時期なんだな」
「俺もそう思う。ってか状態によっては俺、職場体験秋に回される予定だったらしいんだよね。ほら、背骨死んでたし」
体育祭出られてよかったー、と天成は「ちょっと怪我した」くらいの軽さで言った。「死にたくはないけど、そこまで怖がってない」というような自分の身体への頓着のなさには、いつかうっかり死んでしまうのでは、と考えてしまいそうになる。
そもそも、あの負傷こそが、無頓着さの結果なのではないか。口にするのは憚られて、心操は話題を少し逸らす。
「名前、もう決めてるのか?」
天成が笑った。照れるでもなく、どこか懐かしむような響きでもって。
「もう、ずっと前から、決めてた」
「ずっと?」
「うん。ばらばらに進んじゃってから」
それは進路のことではない。ただ、「ばらばらに進んだ」という言葉の意味が、いやに恐ろしく聞こえた。友人のことだろうか。天成の声は優しさと寂しさを帯び始めていて、母なる海にも似た深さがあった。
「……聞いて、くれる?」
「もちろん」
「俺の名前は──」
口にしたその名は、水のように柔らかく、透き通っている。
少しだけ目を見開いたあと、言葉の意味を噛み締めて、心操は飲み込むようにして頷いた。
「──うん。いい名前だと思う」
夕方。
心操はスニーカーの靴紐を結んで、天成はサンダルを突っ掛けていた。
「……悪いな、長居して」
「うんにゃ? むしろ助かった」
「助かった?」
「一人でいると、考えすぎるから」
短いやり取りの後、心操は引き戸に手を掛けた。西の空が赤く落ちていくのが見える。
「じゃ、また学校でな」
心操の足が、内と外の境界線を越えて。
「ねー心操」
呼び止める声は、先程までの他愛もない会話と変わらない。
「また来る?」
唐突なことに、一瞬、言葉が出なかった。しかしその瞳には同情を誘うようなものもなく、ただ淡い期待のようなものがある。
心操は小さく肩を竦めた。
「気が向いたらな」
「やった。その時は美味しいお菓子焼いとくから」
「こっちが持ってく側だろ」
じゃあ、と改めて、心操は門扉を閉じる。気温は少しずつ下がり始めていて、一枚羽織っておいてよかったと思う。パーカーの襟を引き上げて、心操は通りまで歩いていく。
帰り際、入ってすぐの部屋が見えた。中には仏壇と、複数の写真。それが何を意味するのか、分からない心操ではなかった。
──今、家族居ないのよ。
──ばらばらに進んじゃってるから。
最後に見た彼の顔は、少しだけ寂しく見えた。
この話を出すために私はここまで書いてきたのかもしれない(過労)
そういえば相澤先生の抹消使ってる時の色どっちが好き? 原作とアニメでゴリゴリに違うんですけどぉ……
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赤(アニメ)
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金(原作)