三徹とかイカれてると思ったので初投稿です。
「……人はね。しっかりと睡眠をとらないと効率が落ちるの」
「は、はい」
「三日も徹夜なんて、合理性に欠けるわ」
「ですよねェ所長ォ。俺もそう言ったンですけど……はは、理屈の塊が理屈捨てるとこういう惨状に」
「……うるさい。あとは、大丈夫。準備してて」
じャああとで、とバイターさんは姿を消した。本当に、消した。今まで一歩前にいたはずなのに、もういない。
彼女は俺の目の前まで歩いてきて、背伸びをする。数センチしかない距離で、視線がぶつかった。
「寝かしつけが上手な子。あなた、ね」
「え?」
「ちょうどいいから。……寝かせて頂戴。今すぐ。本気にならないなら、雄英に帰すわ」
──実力を見せろ。ミスティさんは、そう言っているのだ。
指先に、力が籠る。トリガーじゃなくて、グリップを握っている方に。安全装置を外すことも忘れ、ただ形ばかりの威嚇で腕を上げていた。狙いは、定まらない。腕だけじゃなく全身が震えていて、合ったと思った焦点が外れてを繰り返す。
彼女はただ、俺を見ていた。疲れ切った眠そうな目で、しかし眠ろうとはしていない。目の奥では常に、何かを見ている。自分の一挙手一投足を観測されているような、そんな感覚があった。
「……本気に、なれないのね」
怒りでも挑発でもない。ただ一言、確認だった。
「……何の、ことですか」
「撃たない理由を探している。撃てない自分を、正当化している。──違う?」
「知ってる。〝俺〟は、そう言っているわ」
全身が、凍った。圧力をかけられたわけでもないのに、返答するどころか息も吸えない。胸の奥に何か、鋭いものを押し込まれたようで、鈍い痛みが遅れて伝わる。
「……私は、そんな──」
「〝あなた〟が」
ミスティさんの声は、変わらず静かだった。
「撃てばまた、眠らせることになる。そうでしょう」
この人には、どこまで見えているんだ。
切島くんの姿が蘇る。確かに撃ったはずのスリープダーツで、震えながらも立ち上がった姿が。「効いてるよ」って言いながら、降参を宣言して意識を手放した、光景。
俺が傷付ける目的で使った、あの一撃が。見られたくない、ただその一心で、恐怖に負けて引き金を引いた。
「ち、違う……あれは、わたし、が」
撃った。
眠らせた
──殺した。
傷付けたんじゃない、無力化しただけ。そう言おうとしても、声にはならなかった。喉の奥が勝手に狭まって、通る空気は悲鳴みたいに消えていく。
視界の端が黒く滲み、指の先が痺れていた。何をすればいいのか、わからない。
「眠らせた、のね。──〝あなた〟が嫌いだ、って」
「あ、ぁ……っ」
「あなたが見ていたのは、彼じゃない。本当の自分自身。見られるのが怖くて、自分ごと閉じた」
俺は、撃ってない。撃ったけど、撃ってない。守るためで、違う、違うんだ、俺じゃなくて、──俺は、いらない。いちゃ、いけない。
「おれは、いらない……」
誰に向かって言ったのか、分からなかった。口の中で、鉄の味が滲んでいる。唇を噛んだ覚えはなかった。ぬるい液体が顎を伝って落ちていくのを感じて、でも確認するために視線を動かすことも出来ない。
ミスティさんは少しだけ、目を細めた。その仕草には、感情はない。ただ、そこにあるものを観察している。それだけだ。
「やめて、ください」
「何を?」
「そのいいかた、ぜんぶ……」
上手く唇が動かない。喉も焼け付いたまま、息を吸っても膨らむ感覚がなかった。
「願いから作った顔を、本当のあなたに重ねてはいけないわ」
静けさが、痛かった。否定するでも説き伏せるでもなく、ただ事実を読み上げる。心の奥に爪を立てられるような、息の詰まる冷たさがあった。でも、不思議なほど痛みを感じなかった。痛みよりももっと深い、存在の根底を掴まれるような気がした。
息をするのもやっとだった。言葉を作ろうとするたび、身体の奥で何かが崩れている。耳の奥で血流がうるさく感じた。
俺が言う。──撃て。撃たなければ、また見られる。知られる。その前に、眠らせてしまえ。
私が言う。──お前がなりたかったのは、そんな姿か。
「……俺、は」
「……俺は、いらない」
「いなくていい」
「あいつらに必要なのは、俺じゃない」
「私だ。必要だって思われてる、溶け込めてる。俺を見られたら、全部壊れる」
「壊すのは、あなた自身よ」
冷たい声じゃない。ふつうの温度で、柔らかい。余計に苦しかった。否定される方がマシだ、こうやって逃げ道を塞がれるなら。
「あなたが、壊した。だって、見ないことを選んだのはあなた。眠りを選んだのも、あなた。貴方は「誰も望んでいない」と思って安心したかった──違う?」
「ちが……ちがう……おれは、ただ……みんなを、だから……」
「あなたの周りにいる子たちは、〝私〟だけじゃなく〝俺〟も見てる。見ようとしてくれている。けれど、貴方が閉じた。本当のあなたを、鎖で縛って奥底に詰めた。なかったことにしようとした。「見せない」って決めたのは、あなた自身ではないの?」
その一言が、どんな刃よりも深く刺さった。
「そんな、そんな、こと」
立って、いられなかった。全身ががたがたにバランスを崩していて、雄英の生徒でもヒーローでもなく、臆病者のガキらしく座り込むことしかできない。
それを分かっているから、視線を落とした。見られたくない。見るのが怖い。
「眠らせるのが、優しさだと思っていたのね。自分を含めて、全部」
「違う、俺は、そんな……」
──そんな、高尚な存在じゃない。
「でも、違わなかった。あなたの中ではそれが、救いだった」
靴音が、畳を柔らかく叩いた。彼女は何も言わずに、ふっと腰を落とす。視線の高さが揃う。香の匂いがゆっくりと鼻に満ちていく。眠気とは違う、意識を薄く撫でるような匂いだった。
「……あなたの〝眠り〟は優しいわ。けれど、それは他人の夢の中でしか生きられない優しさ。あなたの〝俺〟は、きっとそれを知ってる」
息が詰まった。胸の奥で小さく何かが鳴った気がした。泣き声でも嗚咽でもなく、もっと古い、ひび割れた記憶の音。
身体が勝手に後ずさろうとする。けれど、背中にはもう壁があった。逃げ場がない。
「見なさい。わたしを」
命令の形を成しているけれど、違う。目を逸らせなかった。
その瞬間、胸の奥に封じていた映像が、ばらばらに弾けた。切島の拳、叫び、立ち上がる影。
眩しい太陽。
引き金を引く自分の手。
音が、光になって空間に散る。
「やめてくれ……もう、やめて……お願い、だから……」
喉の奥で、子どものような声が漏れた。
言葉にならない震えの中で、ミスティはゆっくりと首を振った。
「怖がっていいの。恐れは、命の証よ。だから、恐れを閉じ込めると、命も一緒に眠ってしまう」
彼女は立ち上がると、首に巻いていた布陣を外し、それを俺の前に差し出した。淡い金糸が織り込まれたストールが、さらりとした感触を返して。
「掴んで」
「……え?」
「この布はね、張るものでも破るものでもあり、繋ぐためのものよ。あなたの声を、もう一度繋ぎなさい」
腕が震えて、指が思うように動かなかった。けれど、どうにかして布の端を掴む。触れた瞬間、掌の熱が滲み出した。呼吸が浅くなる。思考の端で、理由の分からなかった眠気が、薄れていくような気がした。
「そう。いい子ね」
ミスティさんは目を細めた。
「誰かになりたい、って思うのは祈りよ。あなたが誰かを真似ていた時間も、全部、祈りの形。だから、それ以外はいらないなんて、言わないで」
掴んだ手から熱が広がって、透き通っても曇ってもない世界が、僅かに焦点が合った、気がする。
喉の奥で何かが弾け、掠れた声が零れた。
「……俺は……」
「ええ」
「……まだ、ここに、いて……?」
「いなさい。あなたが世界の一部であるのなら」
触れているだけなのに、胸の奥のどこかがずっと波打っている。息を吸って、吐くたび、何か、膜がひとつずつ剥がれていくような気がした。ミスティさんは動かない。眠そうな目の奥には、やっぱり何かが灯っている。冷たくもなく、暖かくもなく、ただ真っ直ぐに俺を映していた。
視線の先で、彼女の声が滑る。
「ほら。呼吸を、戻して」
言われるままに息を吸う。肺の奥に冷たい空気が入って、胸がひりつく。これまでどれほど浅く息をしていたのか、ようやく思い知る。
「寝ているのに、寝ていない……」
彼女の言葉は、診断のようでもあり、祈りのようでもあった。
「あなたはずっとその状態だったの。夢の中に避難して、現実の方で眠っていた」
目を閉じると、太陽の残像が脳裏に焼き付いている。切島くんの笑顔。引き金の重み。
あれが夢だったら、どれほど楽だったろう。けれど今、夢の方が霞んでいく。痛みや恐怖を抱えたままでも、ここに立っている方が現実なのだと思えてしまう。
布の端を握り直した。わずかな抵抗のあと、指先の震えが収まっていく。血が、流れ始めたみたいだった。
「……眠って、いいん、ですかね……?」
「ええ、やっとね」
彼女はそう言って、ようやく目を細めた。まぶたの下で碧色がゆっくりと溶ける。
「今度は、普通の眠りをなさい。自分を消すためじゃなくて、明日を生きるために……」
彼の日常は、大して変わらない。
気ままに生きて、適当にやることやって、好きなことをする。猫とよく似ていると気付いたのは、自分の個性が〝いるけどいない、そこにもいる〟と認識したときだ。
どこにでも行ける。視線がないところであれば、たとえ地球の裏側でも。
だから、ここにいるのも──何らおかしくないのだ。
棚の影から出てきたバイターは、揶揄するように言葉を掛ける。
「陣ちゃん乱暴ォ。それ、一歩間違ッたら死んでましたよ。ハイレンくんのハート。若者の心は大事にしなきゃ。ほら、俺みたいにさァ」
「あなたがそう思っているところを、見たことはないわね」
「はは、そンなことないですよォ。俺はいつでも優しいですッて」
ミスティは肩を落とし、こめかみを揉んだ。天成が来るより先に使用していた個性の残り火が、目の奥でちらちらと明滅している。
「……少し、黙って。昨日まで突貫で組み直してた
「寝れば治るッて。猫と同じですよ」
「あなたは、仕事中に寝てるでしょ……」
「あッは、バレてたァ」
バイターの軽口に、返す気力はもうなかった。疲弊を通り越して、燃え尽きたような静けさ。
「……わたし、寝るわ。今日はもう、無理……」
「お、ようやく人間らしい発言。所長の体力バー、とっくに赤ゲージ振り切ってますからァ。二十時間くらい寝てきていいですよォ」
「サボリ魔だけど、意外と優秀な猫……あと、頼んだ、わよ……」
「へいへい。仔猫一匹くらい、咥えて行けますよッと」
彼女はかすかに笑って、おぼつかない足取りで廊下を曲がっていった。襖が閉じる音と布団が沈む音がする。あの調子では、朝まで起きてこない。
天成は畳の上で、静かに眠っている。貸す予定だった部屋に運んで、布団の上に下ろす。ジャケットとネクタイは取り払って、「スラックスはさすがにまずいですよねェ」と冗談めかして口にした後、布団をかけてやる。
ゆっくりと客間の襖を閉じると、彼の輪郭は消える。そして、別の部屋へ。
「あァほんと、便利なシステムだよェ。寝てても働く立派で理想のブラック企業、損しない労基違反」
眠っていても、彼女はこの世界を見ている。世界は眠らない。だから、観測者が寝ても、その監視は続いている。
台所へと移動したバイターは、冷蔵庫からパックの牛乳を取り出す。ストローを差して、行儀悪くも歩きながら喉を潤す。そこからまた、輪郭が散って元の形を取り戻す。軒下には湿気がなく、雨はすっかり止んでいることを示していた。
そのまま足をぷらぷらと弄んで、パックを干す。
外は既に七割を黒く染めつつある。暗い場所が増える。見ていない場所が、増える──それが、バイターの居場所だ。誰も〝見て〟いない。だから屋根の上にも、いるかもしれない。
曖昧さの上にしか存在できない。見られるのは、終わりの始まり。
首から下げているストラップを引っ張る。引っ張り出されたのは時代遅れになりつつあるスライド式の携帯端末だ。
短いコール音が途切れたのに、口を開く。
「はァ〜〜〜い、もしも〜し! 京都の夜からお便りです。聞こえます〜??」
『……その声量、やめてくれませんか。鼓膜が破れます』
「えェ〜? マイクくんに比べたら小さいでしょ? そんな事より、お元気そうですねェイレイザー先生。きひひ」
『そういう事じゃありません。何か進展があったんでしょう』
首の後ろを掻いて、バイターは肯く。
「元気ッちゃ元気。よォく寝てますよ。熟睡、快眠」
『やっと、か』
「所長がド派手にやらかしましてね。やっちゃいました。二日かける予定だったのに。まーでも、結果オーライって所です。例の状態は解けました。ちゃんと息してます」
『……本当なんですね』
「俺の耳、信用ないですかァ? 猫耳ですよお猫様の耳。寝息で分かりますッて。〝生きてるフリ〟と〝生きてる〟の区別くらい余裕のよっちゃん。──安心して。今はもう、見えてます。
まァでも、分かりませんよ。問題に向き合えたのと解決できるのとは違うんです。体育祭より前から……下手したら、片手じゃ済まない年月なんでしょ? そこまで根深いなら、向こう十年くらい待ってくださいねェ」
バイターの言う〝十年〟はおよそ五年ほど。時間の計算が違うため、相澤はいちいち計算する必要があるのだ。電話の向こうからは、何も返答がない。ただ、微かに息の震えがあって、十数秒。
『……陣は、今』
「陣ちゃんなら大絶賛夢の中。まー明日の朝までは出てこないでしょ。この前破壊された篭目も修復完了。何かあれば俺が対応するし、散歩してりゃなンも起きませんねェ」
『……貴方の〝散歩〟はあてになりません』
「
『適当に返さないでください……』
「褒め言葉として受け取ッとくッて意味ですよォ」
路地裏から道路の向こうへ。バイターを見る人間は、誰もいない。
「なァ、先生」
『はい』
「もし、ハイレンくんが眠りのほうを選んでたら……どうしてました?」
『起こす』
「簡単に言いますねェ……優しいのか、残酷なのか分からない答えだ」
『その目的で頼むつもりでした。先に連絡が来たので驚きましたが』
「全部読んでたのかも? 陣ちゃんそういうことあるからなァ……」
学生の頃からそうだった、と相澤が呟く。
「陣は昔から、結論を口にしない。自分が何見てるかだけ言います。だから厄介、めんどくさい、翻訳が必要」
『そうですね』
「で、見た者をそのまんま渡すだけ。そこから何を選ぶかは、相手次第ッてわけ」
『……天成がどう選ぶかも、ということですか』
「そーゆーこと」
『あいつが選べるようになったら、もう出番は終わります』
「ふーん。じゃ、〝観測者〟の卒業かァ、その時が」
『……そうです』
「まァ、教師の仕事なんてそンなものでしょ。放したら飛ぶか墜ちるか。どッちでも、結果は結果。思考実験が現実になるだけ」
バイターは笑っている。しかし、その笑い声の奥には何かノイズのような音が重なっていた。
『……バイター』
「はァい」
『……あまり、〝そっち〟に居すぎないでくださいよ』
「イレイザーまでそんなこと言うんです? 教職で愛情目覚めましたァ?」
──俺はもう、戻れないですよ。分かッてるでしょ?
相澤は、何も発せない。バイターのそれは、事実だから。
クロークヒーロー〝シャドウバイター〟──本名を、
〝観測されない場所に在る〟という力を長く使い続けた結果、彼自身が〝誰にも見られない時間〟に同化してしまっているのだ。
器は一つ、意識は二つ。誰かに見られれば片方が目を閉じ、視線が離れればもう片方が起きる。その切り替えに今や、言葉も儀式もいらない。
「ねェ。陣ちゃんが指名したの、俺がいるからだと思ってますよォ、俺は」
電話の向こうで何か言いかけたようだったが、結局、音にはならなかった。沈黙の間に、夜の色が少しずつ染みこんでいく。
「──ま、偶然でもいいんですけどね。俺ァそういうの信じられないしィ?」
『……バイター』
「はァい、どーぞォ?」
『本当の貴方は、どっちなんです』
「えェ……」
冗談めかして笑う。その端は途中で震えを失って、残ったのは唇の形だけだ。
「どッちだッていいですよ。目を開けてる方が〝俺〟で、目を閉じてる方が〝俺〟なんですから。両方とも須玲凛、シャドウバイター。どこにでもいて、どこにでもいない」
『……そうですか』
「じゃー俺、巡回なんで。また明日、翌日」
通話が切れると、夜の匂いがいっそう濃くなった。放り込んだ携帯の熱が掌にはあって、少しづつ散らばっていく。
マントの首元を整えて、踏み出した。次の瞬間には交差点の向こうにいて、また別の歩道に。どこまでが自分で、どこまでが影なのかわからない。その境界が薄れるほど、安堵と怖気が湧き上がる。
まだ眠らない街中で、バイターを見る者は誰もいない。だから居るし、居ない。視線の外に生きるというのは、そういう事だ。
けれど、観測されないと戻れなくなる。夜が自分を取り込んで、何もかもを溶かしてしまう。そうなる前に、どこかで誰かに見られなければいけない。見られることで、形を保てる。けれど、その行先を見られれば何も出来なくなる。
ネオンと街頭の光が、二色の瞳を彩る。ビルの屋上に座って、足先で空気を蹴るように揺らしながら、バイターは手元になる投刃を弄ぶ。下の通りで、誰かが笑いながら歩いていくのが見えた。
裏の〝俺〟は、いつも通り黙っている。
切り替える必要がない。もう一人の自分は、何かが起きた時にしか出たがらないし、世界はそうある方がいい。平穏がある限り、彼の出番は来ないのだ。本人も「出来るならこのままがいい」と言っていた。
「誰かが行きたいとこ見てるだけで、ただの〝ナイフを持った人間〟に成り下がるッて思うと……結構、嫌だなァ……」
バイターが移動できる先は、誰も見ていないなにかの影。観測を許されるのは、自分だけ。
そういえば相澤先生の抹消使ってる時の色どっちが好き? 原作とアニメでゴリゴリに違うんですけどぉ……
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赤(アニメ)
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金(原作)