それからポジションの確認。俺はいつもと変わらないバックアップ。タンク──もといファットさんと彼の事務所のヒーローたちが突入、バイターが遊撃。ミスティさ……ミスティは別の位置からの支援と攻撃。
「うわ」
足元にぬちゃっとしたものが触れて、思わず顔を歪めてしまう。
「きっしょ。なんやこれ」
「分かってるでしょ」
「そうやないわ」
相変わらず軽いというか……俺の為にしてるのも分かる。重たすぎて緊張しないようにって。ありがたいけど申し訳なくもある。
「どこにポジション取るか、決めた?」
「母屋の手前にある草むらです。多少泥はありますが、汚れるだけなので問題ありません」
伏せ撃ちは頻繁にやる。見つかりにくいし、立ち撃ちより安定するし。欠点としてはバックスタブに弱いことがあるけど、自衛は体術とダーツで何とかなる。どうしようもなくなったら? ……バイターに命乞いして助けに来てもらいます。そもそも、それほどの実力があったら先にワンパンで潰されてるとは思うけど。
まず潰すのはサポート。次に他。どこだってそうする、俺でもやる。
肩から下げたスリングを掴む。バイオライフルはいつもと変わらない重みを伝えてきて、ライナスの毛布ってわけじゃないけど「誰かを救うことができる」ことへの安堵と「誰かを傷つけるかもしれない恐怖」が同居する。
マフラーの口元を上げて、ヘッドセットのマイクを下ろす。
『声、届いてる?』
「はい。問題なく」
そこから作戦行動がスタート。伏せた状態で、音を拾って待つ。草むらの湿り気が肘からじわっと染みてきて、若干の不快感がある。濡れてるって言うより蒸れてるみたいな。
倍率を落としたスコープ越しに、彼らのいる先を除いた。一見、どこにでもある二階建ての木造家屋。窓も割れてないしガムテープが張ってあったりもしない。ふつうの小屋だ。けれど。
「ストロー突っ込んで膨らますスライム思い出すな……」
現実逃避気味に、感想を漏らす。地面が静かに波打っていて、土の表面がぷくりと膨らんではへこんでいるのが見えた。泥水って言うより、それこそ粘性の弱いスライムみたいな。うっかり手を突っ込んだら引きずり込まれるんじゃないだろうか。
報告を数度繰り返しているが、ファットさんはユーモアを交えて話してくれるし、バイターはいつもと変わらないし、ミスティは彼らにさらっと毒を吐いている。喋ってないと不安が増すだろう、ってことかもしれない。だからこうやって軽くしてくれているのくらいは、分かる。有難かった。
「……ありがとうございます」
『ん、なんかしたかいな?』
「……いえ」
『そっち足場どや? 変化とかあるかいな』
「変わりありませ──」
誰かの悲鳴に、立ち上がりかける。ここで居場所を晒すのは愚策だと思って抑え、状況把握に徹した。
『うちのアホが一人突っ込んだわ、予定早めるで』
『はァいじゃあ──俺が行く』
そこから突入。複数の人の姿を捉えながら、確実性を持って阻害弾を当てる──いつも授業でやっていたことと、変わらない。それが実戦になっただけで。落ち着いて、確実に、誤射の問題がないタイミングで、確実に撃つ。ミスティの方陣はすでに効果を発揮しているようで、ごくうっすらと何かが見える気がする。
『さっさとやって。持って五分よ』
『あいあい』
その向こうに、ドブみたいな──と言ったら失礼かもしれないけど──色の大きな液体の塊が見えた、十中八九これが今回の目標だろう。大暴れしていたのが一時的に沈静している、ならば。
「──俺が撃ちます」
『ハイレン?』
「許可を頂けるのなら」
ノータイムで了承が返ってきた。責任はこちらが取るとも。トリガーを絞る。四回、四隅に。砕けた弾頭から液体がわずかに散って、するすると粘度が弱まっていく。
『誘導できるか』
『マーキングしてるわ。行ける』
ミスティがすでに探知を付けているのだろう。「ついてきて」と言われて、服についた汚れを払いつつ走る。首のマフラーを引き下げて、声を掛ける。
「俺はどうすれば」
「阻害弾か睡眠弾。難しかったら出すぎないで、自衛手段は拳銃だけでしょう」
「分かりました」
短く交わして、ファットさん、ミスティ、そのほか。バイターはどこか別のところから行くんだろう。人の目があるところだと使いにくい個性らしいけど、瞬間移動みたいなものは不意打ちに使いやすい。
靴底の泥の感触をやり過ごしながら、角を数度曲がって。
ふと、視界の端に、何かが引っ掛かった。高架の上、コンクリートの縁に人のシルエット。体形は服のせいか、分かりにくい。高低差のせいか、より足が長く見える。顔どころか性別も分からない黒い影だ。なのに──目が合ったような、気がした。逆光の中で。
す、とその影が腕を上げる。そこで、細い光が煌めいて。
「か、はッ……」
喉が、焼けた? 刃物で切られたみたいな熱と痛みが一瞬で駆け上り、空気が通らない。息を吸おうとしても、気道に蓋をされたみたいに跳ね返されて。
視界の色が、少しずつ褪せていく。
「──ハイレンくん?」
バイターの声だった。目の前にいるはずなのに、その声は遠い。心臓と肺が血と酸素を求めて暴れている。耳の奥ではごうごうと血の音がうるさかった。刺されてはいない。外傷もない。触れた首にはマフラーとヘッドセットの感触しかない。分かってる、分かってる、分かってるのに、
「俺後で追いつきますねェ所長」
壁に手をつく余裕もなかった。どうにか転ばないように姿勢を保って、ブロック塀にもたれかかる。吐いて、吸ってを繰り返す。意識的に横隔膜を動かして、酸素供給を拒む喉を、意識で強引にこじ開けた。永遠に近い数秒の後、サージングみたいにめちゃくちゃな勢いで流れ込んだ空気が肺を叩いた。吐き気がして、胃が絞られるような感覚があった。
「なんか吸った? それとも個性の?」
ゆるゆると首を振る。心当たりはない。あえて言うならさっきの人影か、と思うけれど。何をどうしたら起きる事案なのか見当もつかない。のろい動きで胸元に入っている自己投与用のナノペンを出そうとして、手から零れ落ちた。
「……っ、みませ……もう、行けま……」
「ダメだよハイレンくん。酸欠かガスか。俺は移動ぱぱっとできるから気にしないで。どんな症状?」
「きな、り……くるしく、なって、いたみが……」
「息苦しさと痛み? 何だろ。さッきの泥の影響かもしれないし……」
「すみ、ま……せ、っ俺、まだ、」
「はいダメー。今無理したら、本気で止まるよォ。分かるでしょ、あとイレイザーに怒られるからね」
分かっている。心臓の打ち方がおかしい。早いのとも違う。たまに一拍、二拍、不整脈でもない。喉の熱も、さっきより増していた。金属の棒を刺されたみたいに、内側からじわじわ焦がされている感覚が全身に波及していく。
「ミスティ、ハイレンくんちょっとまずそうだから抜ける。参加無理」
分かった、とヘッドセットから聞こえる。
「んじゃ、そゆことで。今日は終わり」
──終わり。たった三文字の言葉が、重かった。
「っ……て、ください。おれ、まだ……」
声が情けなくも裏返る。
「俺、ここに来たのに。逃げないって、」
「逃げてないよ」
フォローじゃなく、ただ事実を並べた声で、バイターは言った。
「ちゃんと来たし、自分で撃った。君言ったでしょ、「俺が撃つ」って。それだけで十分。今必要なのは死なないこと、分かった? ハイレン君いなかったら誰が撃つの」
お前が死んだら、誰が撃つ。相澤先生にもそう言われたのを思い出した。でも。どうしても、引っかかってしまった。
「それに、君一人がいなかったら回らないチームじゃないよ。気持ちは分かるけどね」
くい、と首元のマフラーを緩められる。喉に触れた指先は冷たくて、妙に現実感があった。
「この状態で前出したらまた、誰かを救うためじゃなくて、自分が怖いから引くトリガーになっちゃう。……それ、もう嫌なんでしょ?」
「──ッ」
その言葉に、心臓が一瞬止まった気がした。言えなかった。肯定の言葉も、否定の言葉も。その代わりに、喉の奥が勝手に鳴った。
「だから、今日はやめ。おやすみ。いい子だから、ね?」
バイターの腕が、そっと背中に回される。支えるというより、抱え上げるための姿勢だった。
「ほら、立てる? 歩けなくても大丈夫。俺が運ぶから」
足に力を入れようとして、うまく入らない。膝から下の感覚が、どこか他人事になっている。それでもどうにか一歩だけ踏み出したところで、視界の端が黒く滲んだ。
「はいはい、じゃあ捕まってねェ」
「……ごめん、なさい。俺……」
「なァンも。謝ることないよ」
そこからバイターの肩を借りて、戻る。その頃にはもう、コンディションは戻っていて──彼から聞いた言葉に、自分のコンディションが本当に悪かったことを知る。
「もう真っ青。迷走神経反射出た時くらい」
「……そんなにひどかったんですね」
「うん。大事とって病院行っとく?」
「いや……大丈夫です」
車に揺られながら、首を振る。体調の急変は無かったことのように回復していた。痛みとか苦しさとか、そういうのはなくて。昼までと変わらず、健康だと言えるだろう。
「何でしょうね。他のメンバーには無かったものだから……ああ、少し待っ──」
「すみません、少し待っていただいてもいいですか」
ミスティとほぼ同時に、似た言葉を吐く。彼女もスマートフォンを取り出していて、さっきの事件の報告が来たのだろう。俺は違った。他愛もない雑談だったため、そのまま画面を落とす。
──
時間は夜。恐らく、この時間帯のはずだ。作中の日数はふんわりしか分からないし、ズレる可能性だってある。
「どうしたのハイレンくん。彼女?」
画面を覗き込もうとしたバイターに慌てて首を振る。
「い、いや。俺彼女できたことないですし」
「こォんなにイケメンなのに?」
「イケメンかどうかは知りませんけど……まあ、母親が美人だったので、生き写しなら俺も綺麗なんだと思います」
「わー、現実的なナルシシスト」
マザコン丸出しかもしれない。けど事実である。俺の母さんはマジに美人だし、当時三十七歳な訳だから、二十四歳で俺の事産んだわけで。若いし綺麗で、正直ちょっと自慢だった。
生きてたら四十歳。いや若いな!? うん……。
バイターは「ガサガサ聞こえたから行ったらご飯じゃなかった猫」みたいな顔でこっちを見ている。
「えー。違ッたらごめんだけど、外国系の血入ッてる? 顔の感じなんか違うよね。彫り深いッていうか鼻高くて通ッてるし、肌の感じもそうだし」
「……ええ、まあ……母親の方にエジプト系の人がいるらしいですね。俺も気になって聞きました」
「やッぱそう? 顔合わせた時に綺麗だなッてさァ。ま、外見が正義なわけじャないけど」
峰田は「顔が良くて腹立つ」って言うし、中学時代はまあモテたし、なんかそういうものだろう。自分の顔がいいっていうより「母さんが美人なんだから、男版母さんみたいな顔してる俺も顔がいいんだろうな」っていう理論だけど。というか。
「バイターも綺麗じゃないですか……」
「そりャ猫だから。猫は神が創造した神聖な生き物だッて言うでしョ?」
「言いません……」
「猫が可愛いなら俺も可愛いの。猫だからね」
「ハイレン、そいつアラフォーよ。猫の真似してるけど」
本当に猫みたいなこと言うな、この逆シュレ猫のヒーロー……。
さらっと年齢事情もバラされている。四十!? この肌の具合と振る舞いで……?
「本当よ。二十一年前の雄英の卒アル見なさい、〝
「ねェ陣ちゃん、そうやッて個人情報流すのダメだと思うんだけど!?」
「見たらバレるんだから関係ないでしょう。あと猫に個人情報保護法は適用されないわよ」
この人三十九歳なんだ……成人したばっかみたいな外見なのに。前世足した俺と同じくらいか。ぎゃーぎゃー騒いで猫だけど人だから! とかなんとか言ってるバイターを横目にため息を吐いた。
振る舞いも猫っぽいかと思ったら子供っぽいし、ミスティに窘められている様はチュ〇ルをお預けされてる猫っぽくもなる。
「もういいもんね! ハイレンくん所長ッてこんな服着てるけど三十歳、アラサー、いい加減ヒロコスがキツ──」
「最後の一言はしまっておきなさい」
「ニ゛ャッ!?!?」
デコピンされて額を抑えている。ミスティが三十ってことは、雄英卒だったら同級生か……?
「イレイザーとは同級生。クラス違ったけど、インターンが同じ場所だったから定期的に組んでたわ。あの三馬鹿共……」
「三馬鹿」
「イレイザーの他にマイクとラウドクラウド。私のことうるさいとか言ってたけど、あの人たちも大概問題児ね」
ラウドクラウド……──ラウドクラウド? ああ、そうだ。白雲朧。ヴィジランテも途中までしか見られなかったんだよな、連載中だったから。原作だと既に亡くなっていて、その遺体をベースに脳無〝黒霧〟が生み出されたって話がある。だからその辺も掘り下げられるんだろう。グラントリノに捕らえられ、タルタロスに収監された後に確か──そこまで思い出して、胃が捻じ切れるような吐き気を覚えた。
今度は原因が分かっている。死体を弄び、別の人格を植え付け、全く新しいヴィランとして生まれ変わらせた手法への感情だ。それをやったのが誰かは知らない、けれどそのおぞましい行いには嫌悪だけでは済まない。
「……ハイレン?」
「すみません、何でもないです。よかったらお話、聞かせてくれませんか」
かなり強引な誤魔化し方だったけど、見なかったことにしてくれたらしい。相澤先生の知らない側面とかいろいろ話してくれた。白雲のことは触れなかったけど、まぁ流石に言えないよなそんなこと。
あとついでに学生時代のミスティが半分爆豪だったらしい。こっわ……。カミングアウトしたバイターははたかれていた。
二人と話しながら、頭の中で整理する。
そうか、黒霧の逮捕とマキアの発見って同時期だったな……。そこからヴィランアカデミア→クリスマス→インターンだったはず。で、黒霧の正体判明→山荘。
時系列がもしかしたらおかしいかもしれない。記憶をかき集めて文書にしてはいるけど、絶対に流出させちゃいけないから暗号使ったアナログ文書で保管してる。だから今までは何重にもした引き出しとマトリョーシカ式のケースの中に入れてたけど……この個性社会、破壊されないとは到底思えない。
どうしよう。今からでも遅くないから記憶にしまっておくべきか。燃やした方がいいかもしれない……そう考えていると、車が止まった。事務所の路地の手前だ。
「ありがとう、ファット。ここからは歩くわ」
「なんや、前まで連れてくで」
「今日は多分、ダメな日。二人はどうする?」
「俺も付いてきますよォ〜。てかどうせ夜だから個性使えるし関係ないですし」
「俺も大丈夫です、体調回復したんで。ご迷惑おかけしました。」
さっきのことを思い出させてしまったのだろう。ファットさんは不安げな視線を俺に向けたけど、首を振って否定しておいた。マジに大丈夫なんで、安心してください。
そこから事務所に帰って、バイターが「夕飯作るから自由にしといてねェ」と台所へ消える前に、
「あ、ハイレンくん。今日は手伝っちゃダメだよ」
身体の前で×を作って、それから消えていった。
ミスティにも「シャワー先に行って。大して汚れていないけど、体調のこと考えたら先に浴びた方がいいわ」と言われ、お言葉に甘える事にする。
そういえば相澤先生の抹消使ってる時の色どっちが好き? 原作とアニメでゴリゴリに違うんですけどぉ……
-
赤(アニメ)
-
金(原作)