突然伸びていたことに喜びと困惑を覚えたので初投稿です。
評価・お気に入り登録本当にありがとうございます。
「──ぁ」
どくん、と全身が跳ね上がったのを、相澤は感じた。
崩れた肘の皮膚から、熱が逆流する。
燃えるような細胞の修復が、全身を駆け巡っていた。
血管が煌めいているような感覚が薄暗かった視界を照らし、段々と色を取り戻す。床に抑え込まれたままの身体が、正常な呼吸を思い出す。
砕けた骨が軋んで接合、筋肉が形作られ、力の入らない腕がゆっくりと持ち上げられた。──これは、治癒ではない。それが付随した、〝強化〟だ。ヒーローとしての洞察力を取り戻すほど、相澤の肉体は異常な速度で〝動ける状態〟を取り戻していく。
〝目〟を開く。脳無の拘束から抜け出した相澤は、その正体を探さぬまま距離を取った。
世界の速度が遅く感じる。巡る血液の音さえも、鮮明だった。
その中に届いたのは、震えた声。
「ごめん、なさい……判断、おくれて」
天成あまり。
お前が、やったのか?
へなへなと崩れ落ちるのを、ポールを掴むことで天成は維持していた。
「持って、十五秒」
不安を宿した声が二人の間を吹き抜け、理解より先に身体を動いていた。
血が走り、筋肉が吠え、感覚が追いつくより先に脳が命令を下す。自分が自分を超えていく、限界を踏み越えてなお肉体は生命を取り戻す。
ドライアイさえも感じないなかで、相澤は目を開いたまま。過剰な回復が、戦場をも明滅させていた。
「
数秒遅れての返事は、風を裂く捕縛布にも似ていた。
彼の動きは、無謀な突貫に近い速度でも正確性を維持していた。光とそれを反射する鏡のように跳ねて、しなる布は脳無を縛り上げている。
視界の端では、天成が未だ姿を晒しているのが見えた。
「天成! 下がれ!」
返事はなく、彼はただ、スコープを覗いていた。軽い音を伴って、脳無の身体に阻害弾が命中する。本来ならば衝撃吸収の個性で無効化できるはずのそれを、脳無は全て飲み込んだ。
体幹が崩れる。全身を回った液体がそうしているのだ、相澤が目を閉じない限り、個性を取り戻すことはできない。
しかし、そこで時間切れだ。
相澤の目は乾きを取り戻し、目を閉じざるを得なくなる──それが、青白い光が消える合図だった。
脳無が再び力を取り戻し、捕縛布が弾けた。衝撃が周囲を揺らして破片が舞い、周囲を覆う。
それでも相澤は目を逸らさない。十五秒は過ぎた、光は消え、力を取り戻しこそすれ似た結末を辿るに変わりはない。青い光を失おうと、やるべき事は一つ──生徒を守るために戦うこと。
死柄木は首元をガリガリと掻いている。相当苛立っているようだ、相澤が脳無の相手をしている間に天成を殺すつもりらしい。〝崩壊〟の個性を知っている天成は焦りを含んだ表情で走り出す。触れられれば終わり。他の生徒のところに行っても終わり。ならば、自分が狙われたままでいるしかあるまい。
相澤と脳無しかいない広場で、二人は動き続ける。体を掴まれるのが先か、
そしてその時間は、奇跡には短くとも、英雄には十分な時間だった。
「スマァアアッシュ!!」
緑谷の蹴りが死柄木の胴を直撃した。吹っ飛んだ死柄木から視線を離さぬまま、天成は彼の名を呼ぶ。
「緑谷。無事だったようだな、ありがとう」
「天成くん、大丈夫?」
「問題ない。肩が凝ったくらいだ、ばーちゃんだからな」
軽い調子で返しながら、天成は装填したものを治療弾に切り替える。飛び出してきた彼が力の調整に失敗し、足の骨を粉々に砕いているのを天成は知っている。
「少し、私の前に来てくれないか」
「ぁ、はい……」
両手で這いながら移動する緑谷には位置を調整するだけで、死柄木から目を離さぬまま、天成は彼に向かってトリガーを引く。個性を知っている彼は逃げず、弾丸の効果を受けていた。
弾は重ねがけした所でどうなるものではない。一定の間隔を開けた治療に、その性質を分析しながら銃口を見ている。
視線の先で、死柄木が立ち上がった。
「あぁ、もう……クソゲーじゃねぇか……。こいつらも殺せねぇしオールマイトも居ねぇし、何なんだよ……!!」
「ああ、オールマイト先生を殺す気でいたようだな。残念だが、ここにはいない。お引き取り願おう」
虫を追い払うような動作をした後、懐から拳銃を取り出す。発射されるダーツは半身で避けられ、天成は鼻を鳴らす。
「思ったよりやるようだな。今からでも遅くない、寝ているといい」
「調子乗んなよ……」
煽りを含んだ声と表情に、苛立ちを露わにして首を掻き毟る死柄木。感情的な側面が大きいらしく、死柄木は脳無に天成を先に殺すよう命じる。
濁流のような砂塵を残して、脳無がこちらに向かってくるのが見えるが──間に合わない。〝バイオティック・ブースト〟を自身に投与しようとも、間に合うタイミングではないのだ。振るわれた腕を間一髪で避けるも、天成はその衝撃で突風を残し、設置されていたポールを歪めるほどの勢いで衝突した。
「が、はッ」
「天成くんっ」
肺からごっそりと空気が抜け、吸うこともできない。崩れ落ちた天成に、空が落ちてきた。
視界は判然とせず、青か緑なのか分からない。否、眼前には緑があった。深い草の色だ──違う。その先に見えたのは、ドームの天蓋で。
天成には、それだけが印象的だった。
「天成──ッ!」
相澤の叫びが広場に響くが、天成の身体はぴくりとも動かない。トドメを刺そうとする脳無の腕に布が絡みつくがそれだけ、再度引き裂かれた捕縛布は紙切れにも等しい。
駆け寄った緑谷が先か、天成を確実に仕留めるか。いずれにしろ、両方とも全滅する未来が見える。相澤は間に合わない、捕縛布を全て破壊されてしまっているためだ。そこへ。
轟音と暴風が、広場を引き裂いた。台風の中で立っていられないように、爆豪や轟ら、集まった生徒が踏みとどまる。音が遅れてやって来て、地面が唸った。
平和の象徴、オールマイト。
彼が、来た。
私が来た、という言葉はいつもと変わらぬ、確かな安心感を与えつつも──その表情は普段と違い、笑みではない。
不甲斐なさと怒りが混じったものだった。
「緑谷」
相澤が天成の状態を確かめたあと、別状はないと断言した。意識はないが、脈は整っており、リカバリーガールのもとへ送り届ければ何とかなる。──時間さえあれば、の話だが。
緑谷から見ても、分かる。歪んだ姿勢とわずかに痙攣する指先。息はか細く、頭部からの出血が天成の顔をいっそう危うく見せていた。
向こうでは、オールマイトと脳無がぶつかり合っていた。ラッシュ比べからなる突風が周囲を覆い、近付くどころか視認さえ許さない。
一分もないだろう衝突を締めたのは、空に吹き飛ぶ光の軌跡だった。脳無の姿は、視認できないほど小さくなっていく。
死柄木が数歩後退り、露骨な感情と言葉を吐いているなか、オールマイトは死柄木と黒霧を睨んでいる。
貴方と私で連携すれば、と黒霧が死柄木に助言する。そこへ飛び込んだのは緑谷で、両足を犠牲にしながら拳を振りかぶる。この場で彼だけがオールマイトの秘密を知っている──意識を失った天成を除けば。だが読まれている。ワープゲート越しに死柄木の手が伸びてきて、〝崩壊〟が迫る。
そこへ、乾いた銃声が響き渡った。天成の抑制されたものではない、ピストルのもの──個性〝ホーミング〟を持つヒーロー、スナイプだ。
そこからの光景は、誰の目にも一瞬の出来事だった。ヴィラン達は手早く無力化され、散り散りになっていた生徒たちが救出されていく。死柄木は黒霧とともに撤退していき、怒声だけが残っていた。
残ったヴィラン達は逮捕、負傷者は緑谷と──天成は、重体に近い重傷で、リカバリーガールのもとへと運ばれていった。
「先生」
天成のライフルとダーツガンを抱えて、梅雨が声を掛ける。何を言いたいのか、効かれなくても分かった。
「……大丈夫だ、助かる」
それが明らかなフォローであるとわかっていても、誰も何も言えない。
生徒たちの間に、重く苦しい沈黙が広がった。
──白い天井が、見えた。
アニメでよく見る表現ってあるんだな……と思う間もなく、全身が固定されていることに気付く。点滴が一つ落ちるたび、すうっと何かが染みていくのを感じた。
生きている。その事実を前向きに受け取れなかった。
俺が生きていられたのは、誰か他の人間に助けられたから。勝手に突っ込んで、勝手に怪我して。みんなの足を引っ張った、確実に。
あのタイミングでは、治療弾では間に合わない。でも、一発一発、確実に治療すれば、個性に影響が出る負傷も何とかなったかもしれない。確実に相澤先生を助ける為、それが言い訳になると思っていた。違う。あれは助けじゃない、ただ感情的に突っ込んで、見捨てることを怖がっただけだ。
十五秒──その十五秒で、確かに先生は戦えた。そんなのは結果論だ。あの十五秒の為に、どれだけのリスクを冒した?
もしかしたら、調整が合わなくて悪化したかもしれない。救える人間は救いたい、苦しんでいる人間を人間を無視できるわけがない、そう言っておきながら、取った手段は〝失敗〟だとしか思えない。
あの瞬間、俺は〝助けた〟んじゃない。自分が助けたかった、その我儘に相澤先生を付き合わせたのだ。他人を救うことで、自分の存在を肯定したかっただけ。もし次、同じことが起きたとして、今度はやらないと言い切れない。それが間違いだと分かっていても。
扉が開く音がした。視線が向けられない。顔を動かすことも、声出すことも、できなかった。
足音が止まる。カーテンの向こうに、暗い色の靴が見える。ああ最悪だ、こんな姿は同情を誘うだけで、相澤先生にも誰にも見られたくない。心配なんてもってのほかだ、自業自得で負った傷を案じられるなんて許されないのだ。
喉が干上がって、息を吸うたびに空気が突き刺さる。何かを言おうとしても、言葉が砂のみたいに崩れて散らばった。
寝過ごそうとしたのに、身体は捕縛布に縛られたみたいに動かなかった。
「起きたか」
低い声が落ちて、身体が跳ねたのを感じた。
「……ぁ」
喉の奥でまた、声が潰れた。カーテンがゆっくりと開かれ、黒い髪と瞳がのぞく。目が合った瞬間、頭の奥が熱く痛んだ気がして。相澤先生は、何も傷付いてない。いつも通り……いや、朝よりもさっぱりした顔で。全快している、治った、調子が良くなった──なんて、軽い言葉じゃ足りない。
俺が、彼の身体を弄んだのだ。
言い訳なんか思いつかなかった。余地もないから。目を逸らすことも許されない。
「……落ち着け」
相澤先生の声は、いつもより柔らかくて、はっきりとしていた。その優しさが痛い。落ち着けなんて。貴方がそこに立っていることが、俺の罪を突きつけられて……まただ。自分がやったことを見るのは当たり前、それを先生のせいみたいに言うのはお門違いじゃ足りない。
黙ったまま、何も返せなかった。浅い呼吸と点滴の音が、肺に詰め込まれたみたいに、重い。
「……大きな負傷があったのは、お前と緑谷だけだ」
俺が回復したから、自分も負傷はないと。……そうフォローしてくれたのだろう。優しさだと分かっているのに、どうしても受け取れなかった。違う。俺は助けたわけじゃない。死なせなかっただけ。配合も濃度も問題なかったから、たまたまそれが成功した。
残っているのは、救った実感でも安心でもなく、矮小な自分とその行動への後悔と恐怖だけ。自分が誰かを壊してしまった、治療する側でなく壊す側になったかもしれない、俺が憧れ、目標としている彼女とは程遠い。
先生と目が合った。個性を食らった時みたいな圧力があって、全身が強張る。
「お前の個性は知っている。その上で、あれの作用は何だ」
責めるいろはなかった。淡々と、授業で当てるときみたいな。
「……特殊な弾、です。治療用と違って、回復は副次的なもので。代謝含めて、身体の能力を、……強制的に引き上げます。時間は十六秒」
「結果は分かる。砂藤の〝シュガードープ〟に似たものか」
「少しだけ、違います。これ以上の時間強化すると、細胞が持ちません。欠損するみたいに、崩れ始めるから。制限時間は余裕持たせて作ってありますけど、でも、だから、使うつもりもなかったんです。自信がなかった……本当に思った通り作用するのか」
「だが、使った」
「……はい」
「理由は」
理由なんていくらでも口にできる。でも全部嘘だ。助けたかったも守りたかったも、それらしい言葉を並べて自分を正当化しただけ。
「違うんです」
口が勝手に動いた。
「助けたかったんじゃなかったんです」
自分の声なのに、別の誰かが喋ってるみたいだった。
「ただ怖くて」
あの時、脳無に押さえつけられていた先生の姿が、フラッシュを焚かれたみたいに何度も蘇った。
「誰かが死ぬのを見たくなかっただけなんです。俺が安全策取って見捨てたみたいになるのが嫌で、だから撃ったんです。治せるって思ったんじゃなくて、死んじゃったらどうしようって。回復弾じゃ間に合わないかもって。失敗したらどうなるのかって考えられなくて」
相澤先生は何も言わない。「非合理的」とか、「除籍」だとか、言われた方が楽だった。どうせなかった存在だ、いなくたって変わらない。
「本当は怖かったんです。みんなを助けるとか守るとかじゃなくて。助けたのも守ったのも自分だけです」
「……ごめんなさい」
それしか、出なかった。何に対してか考えることも出来ない。でも吐き出さないと、自分のどこかがおかしくなってしまいそうだった。繰り返した声もみっともなく震えて耳障りで、止めたくても止まらない。
自責は楽だ。そうやって自分が悪いって立場を作れるから。
「やめろ」
さっきよりもまた、柔らかい声だ。教え諭す、〝先生〟──〝大人〟って言うのが似合う声。
「落ち着け。誰もお前を責めちゃいない」
責めてほしいのに。殴られたりひどい言葉を吐かれたり、その方が救われる。そんな自分を顧みることすら、今の俺にはできない。
先生は、しばらく何も言わなかった。永遠みたいな沈黙がいっそう怖さを増して、引き攣った呼吸が喉から漏れる。
「……個性の危険性を理解しているのなら」
先生の顔が、すぐ目の前にあった。
「お前は、前に進める」
その言葉が何よりも苦しくて、何よりも俺を包み込んだ。縛られていた鎖がなくなって、毛布を掛けられるみたいに。赦されたのか赦されなかったのかもわからない。
もう、何も言えなかった。
謝罪の代わりに、熱い涙が服の色を変える。先生はそこに座ったまま。
俺が泣いているのを、聞こえないふりをしてくれていた。
沈みつつある太陽。ベッドに横たわった天成の呼吸と点滴の音が、相澤の耳に残っていた。リカバリーガールが治療を終え、「あとは明日以降だね」と言い残して帰っていき、面会時間の終了に伴って彼も病院から出ざるを得なかった。それに、明日も授業がある。
……非合理的だ、と理解している。あの場所にいたところで、眠ってしまった天成にしてやれることなどない。
医者と彼女が言うには、背部を強打して脊髄が損傷していたのだという。負傷ですでに削れている体力に鞭打つように全快するレベルの個性を使えば、今度こそ天成は死んでしまう。故に、リカバリーガールは四日に分けた治療とした。
──あの衝撃で即死しなかったのは、奇跡だ。
街灯に背中から叩きつけられて、当たり所が悪ければ脊髄は折れていた。その一点に、信じられないほどの力が集中していたから。病状を見た瞬間、彼女でさえも息を呑んだのが見えた。個性社会でなければ、
〝バイオティック・ブースト〟。
自分でなく、他人に投与することを前提とした弾丸。使用すれば対象の肉体を短時間強化・治癒する。それだけなら、ただの応用だ。だが問題はそのスケールだ。速攻で両立させ、重傷さえも治してしまう。そんな芸当、通常の〝回復〟や〝強化〟では不可能だ。
生体由来の薬液を合成する個性、と知らされているが、あれは神の所業にも等しい領域だ。理論上、薬剤を作るだけなら説明はつく。ライフルのセレクターで装填する弾を変更するのも知っている。だが、あれだけは一線を画していた。
──だから、使うつもりもなかったんです。
──自信がなかった……本当に思った通り作用するのか。
彼が口にした通り、それを確実に行える人間がいるとしたら、中学時代から名が知れていてもおかしくない。なのに、この少年の名前を知っている者はいない。
個性把握テストは下位。筋力も瞬発力もあるが、それは個性を使用しない場合だ。だが模擬戦では的確な援護をし、室内や近接でも戦闘をこなせていた。もちろん敗北もあるが、そのセンスには目を瞠るものがある。
彼の経歴は知っている。
お前は、誰だ。その問いが、頭から離れない。知識だけでなく、肉体の制御も先述の応用も、そして何より冷静さが、経験を積んだプロヒーローに近い。年齢にそぐわない落ち着き、あの年齢であればあるはずの不器用さがひとかけらもなかった。
普段の彼は穏やかで、田舎で暮らしている祖母のように人を包み込む。「そなた」だの「いい子」だの、年齢不相応な言葉を選ぶ。
アニメや漫画の登場人物に憧れて、その振る舞いや口調を真似する子供。年齢不相応という印象と矛盾するが、それに近い整った違和感があった。
だが、先ほどの彼は違っていた。数時間前の彼の謝罪と嗚咽は、子供そのものの生々しい感情を露わにしていた。老成した言葉遣い、柔らかくも厳しい口調は纏った鎧。それを砕かれた時に見えたのが、逃げ場のない恐怖と失った者の影だったのではと感じさせたのだ。
これが、天成あまりのもう一つの顔なのだろう。
普段の彼が纏っている老成した落ち着きも、言葉も、全て意図的に選ばれた枷だった。自らを制御するための戒め。今日の姿が、ようやくその理由を形にした気がした。
コンクリートを踏みながら、相澤はふと、他の教員からの情報共有を思い出した。お前のところの天成、
捕縛しているヴィランの状態を回収・確認したところ、ある場所にいたヴィラン達は、叩いても何をしても眠ったままの状態であると。
おそらく阻害弾によるかすり傷もあったが、そのほとんどは同じ個所に浅く穿孔痕を残していた──睡眠針は、天成が主に実技で使用する武器の一つだ。もちろん阻害弾も使用するが、制圧力という点で勝るらしい。今回使ったのは、長時間持続するよう作ったものだろう。
麻酔作用を持つ薬液を投与し、意識を奪う。致死性はなく、敵を無力化するには十分な武器だ。
彼は誰も殺していないし、負傷させていないのだ。もちろん意識を失った際の打撲などはあろうが。
ヒーローとしては、理想的。
現実では、不可能に近しい。
死柄木や脳無のような相手を前にして、眠らせるだけで済ませる理由がどこにある? そもそも、あのライフルが殺傷性も排して、回復と阻害に特化しているのはなぜか? 自衛手段として、持っておくべきだろう。
──彼は、殺すための手段を持っていない。
結論は出た。が、考えがそこで終わるわけではない。阻害弾と睡眠針による無力化に理由付けをするならば、二つある。
まず最初に、家族構成含めた経歴が無視出来ない。願書に書かれた保護者欄は空白でなかったが、提出された書類と学校側が把握した事情を付き合わせれば、両親も妹もすでに、交通事故で亡くなっていることが分かった。親戚の所在もなく、彼は事実上の天涯孤独。猶更、動機は二重に解釈できる。
一つ目は、忌避。家族を失った人間が「誰も死なせない、自分の手で同じ立場の人間を増やしたくない」と恐れている可能性。相澤に〝バイオティック・ブースト〟を必要だからと投与したにも関わらず、あれほど動揺していたのが証拠だ。直接的に命を奪わず、代わりに眠らせることで先延ばしにするという自己防衛かつ歪んだ倫理。
二つ目は、
どちらの道筋も、現実として可能性がある。しかも、この二つの推測は相反するように見えて両立する──それが最も、厄介な点だ。
ただの教師としての評価で言えば、彼は「老成に近い冷静さ」がある。戦闘向きでないため仕方のないことであるが、個性把握テストの数値は下から数えた方が早い。個性を使わないのならば一、二を争う。その結果と、実技やあの場でもたらしたものが齟齬を起こしている。戦場での行動パターンはプロのそれに近い。
命中角度や麻酔の効能。全て計算のうちだと見える。
さらに踏み込んでいくと、見落としてはならない技術的な事実が残る。天成の個性は、体内で薬効のある成分を合成しており、即興で生み出すことは難しいのだろう。だから、彼は回復弾や阻害弾をマガジンに詰め、内ポケットに収納している。だが、その性質として、他者への投与と自身へのそれが同じ速度ででないことを相澤は知らない。
今の相澤に導き出せるのは、高い治療能力を持ちながらも他者を優先する行為が、理性の範疇を超えた強迫観念だという分析だけ。まず味方に使用して確実な戦線復帰を選び、自分の回復は仲間の戦闘中に行う。それが彼の価値であり、取るべき行動を一つに縛っているのなら──彼の徹底的な不殺と援護は、ヒーローとしての美徳ではなく自傷に近い悪徳である。
天成の個性が〝自身への効きが遅い〟という性質を持っているのは、相澤の手元にはない情報である。見えているのはしていないという事実だけで、理由は憶測でしかない。
だからこそ、相澤の疑念は増す。もし彼が他人を眠らせることで戦力を温存し、ある種の取引に関与しているのだとすれば、多数の敵を無力化した理由にも説明がつく、が。
あの時、自分を救ってくれたのもまたあの少年である。誰かを助けるというのは、善行の証明ではない。利害関係の偽装もありうるし、やはり、どちらの理由も理解でき両立するのが危険と疑念を増幅している。
分からない。どこまでが本音で、どこまでが建前なのか。
誰かを手にかけることを拒んだのは、理想を超えた恐怖なのかもしれない。救いの形をした逃避で、罪の先送り。彼が選んだのは平和でも、自分の心の平和だ。外からは、何もかもを救おうとする英雄の卵に見える。
その内面に踏み込んでみれば、血を見ないことで均衡を保つ精神があった。中学の時に家族を喪い、死の非情さを叩きつけられた子供が、叩きつける側になるのに耐えられるはずがない。誰かを殺すということは、そういうことだ。故に彼は、〝殺さない 〟手段でもって自分を守っている。
自己犠牲ではなく自己防衛、理想の皮を被った恐
それでも、あの十六秒。彼の決断がなければ、自分は生きていなかった。恐怖からの行為であれど、功を奏したのは事実。
逃避と願いの狭間で立ち尽くしている子供。どれだけ己のためだとしても、人を救うのを叱責などするはずもない。一体誰の、どの口が否定できるのだろう。
──いや、相澤だけは、それを否定しなければならなかった。あの場所で、懺悔を聞いた者として。
そういえば相澤先生の抹消使ってる時の色どっちが好き? 原作とアニメでゴリゴリに違うんですけどぉ……
-
赤(アニメ)
-
金(原作)