STEINS; GATE ~存在証明のレジスタンス~ 作:明治アル蜜柑
『何がおかしいんです、先輩?』
唐突に、女性の声がスピーカーから響いた。
「あ……!」
たまらずソファから腰を浮かしていた。
その声を……俺は知っている。
忘れるはずがない。
忘れるはずが——。
比屋定さんの手が、モニターをオンにする。
画面に俺が片時も忘れたことのない彼女の姿がフワリと浮かび上がってきた。脳科学研究所で働いていた時の姿を模しているのだろうか。彼女はその身に白衣をまとっている。
PCのカメラが自律的に俺へと向いたように見えた。
『えっと、先輩、そちらの方は?』
比屋定さんが俺のことを紹介している。
その声はもう、俺の耳には入っていなかった。ただ見入ってしまう。今にも指を伸ばしたくなる。触れてしまいたくなる。
そこに——彼女がいる。
『岡部倫太郎さん。はじめまして、牧瀬紅莉栖です。どうぞよろしく』
「…………」
俺は何も反応できなかった。モニター内の紅莉栖の動きには、確かに少し違和感がある。だが、そのうちに慣れてしまうだろうという程度のものだ。それよりも、声と話し方があまりにも本人そのままなのだ。
涙があふれそうになって、それを堪えるのに必死だった。
『あの、先輩。そちらは深夜、というわけではないですよね?』
PCに備え付けられているカメラが、俺から真帆の方へと向き直った。
「ええ、違うけれど、なぜ?」
『お二人とも、少し眠そうな様子でしたので』
俺が挨拶に対して無言だったことを言っているのだろう。
「私はさっきまで寝ていたけれど、もうシャッキリとしているわよ」
『…だらしないのは相変わらずですね』
「失礼なことを言わないで」
『では先輩。もう一つ質問しても?』
「ええ、何?」
『岡部倫太郎さんとはどういう関係ですか?』
「この前のATFセミナーに参加してくれた学生よ。なかなか研究熱心だと思ったから連れてきたの」
真帆は俺が生前の紅莉栖と知り合いだった、ということをこのタイミングで“紅莉栖”に伝えなかった。なぜだろう?それを伝えると都合が悪い?それとも自分で伝えろ、ということだろうか。
『へえ、先輩にそう言われるなんて、大したものですね』
画面の中の“紅莉栖”が俺に向けて微笑んだ。
「あ、その……」
落ち着け。俺。
『岡部さん、専攻は?やはり脳科学ですか?』
「そ、それは——」
言葉が喉の奥にからんで、詰まり続けた。
——分かっているんだ。これはただのプログラムだと。声も姿も、交わしている会話さえ、作り物に過ぎないのだと。
だが、そう理解しているのに、言葉が出ない。何をどう話していいのか、全く思いつかない。
そして、それ以上に、はじめまして、という挨拶が、思っていた以上にショックだった。……ここにいるのは、俺とあの3週間を過ごした紅莉栖じゃない。事前に真帆からも注意され、理解したつもりになっていたとはいえ、やはり本人からそれを告げられるのは、想像以上の痛みを伴った。
『どうかしましたか、岡部さん?』
“紅莉栖”の声が心配そうな響きを帯た。こんな微妙なニュアンスまで再現できるとは、たいした音声ソフトだな。
「彼の専攻は脳科学ではないわ。だけど、私たちの研究にとても興味があるんですって」
『そうなんですか』
「レスキネン教授も気に入ってるみたいだし、いずれは私の助手にでもしてやろうかと思っているところよ」
「…え?」
比屋定さんがいきなり妙なことを言い出したので、驚いて声を上げた。
「あら、お気に召さない?」
「お気に召すとか召さないとか、そういう問題じゃなくて……」
「ま、冗談だけどね。もしかして、本気にした?」
「…信じちゃいない」
「そう。でも、もっともっと勉強してくれれば、あながち冗談じゃなくなるかもしれないわよ?」
「仮にそうだとしても、レスキネン教授の助手がいい」
からかわれたことへの強がり。
「教授の助手って思ってる以上に大変よ。あの人、本当に子供だから」
そう言いながら、さりげなく俺の横まで来て、トントンと数回、腕を叩いた。
それが俺を落ち着かせるためだと分かった。
情けない。“紅莉栖”を前に、緊張している自分が。
「……すまない。ありがとう」
「なんのことかしら?」
彼女は白々しく笑った。こんな気遣いをしてくれる人だとは思っていなかった。
『あのぉ、先輩?ちょっと』
と、“紅莉栖”が突然、なんとも人間らしい動きでモニターの中から手招きした。
「ん?なぁに?」
『もうちょっとこっち。スピーカーに寄ってください』
首を傾げながら、彼女はスピーカーに耳を寄せる。なんだか妙な光景だ。そんなことを思っていると——。
「はぁっ⁉」
比屋定さんがいきなり真っ赤になり、カメラに向かって噛みつきだした。
「そんなわけないでしょうっ。何を言ってるのあなたっ!」
『そんなに照れなくても…』
「照れてるわけじゃないわ。とにかく、おかしなことを言うのはやめて」
『そうですか?』
「そうです!」
「えっと……いったい何の話を?」
比屋定さんは俺をチラリと見る。
「……………」
それからなぜか、顔をほてらせてそっぽを向いてしまった。
あ~、なるほどな。
「このスイーツ(笑)め……」
かつて紅莉栖に向けてよく使った言葉をつぶやくと、気持ちがすうっと楽になった。おおかた、お似合いじゃないですか、とか、先輩にもついに春が来ましたね、とか。そんなくだらないこと言ったに違いない。
男女が一緒にいて、少しでも親しげに話していれば、なんでもかんでも付き合っていると考えてしまう。スイーツ(笑)の道をまっしぐらに突き進んでいた紅莉栖そのものだった。
全く、なんてシステムだ。そんなところまで再現してしまうとは。もしかしてこいつは、比屋定さんや教授に隠れて@ちゃんねるにアクセスしていたりするんだろうか。
『す、スイーツ(笑)?どどど、どうして急に甘いものの話が出て来るんですか?』
あ、こいつ。誤魔化したな。
「こんなくだらない話は終わりにしましょう。岡部さんだって、ここにこんな話をしに来たわけじゃないわ」
『そうやって誤魔化すところが、ますます怪しいですね』
「ウイルスをぶち込むわよ」
『嘘です。もう言いません』
“紅莉栖”が頭を下げた。おそらく、生前の紅莉栖ともこんな感じのやりとりを毎日のように繰り広げていたのだろう。レスキネン教授は見ていて飽きなかっただろうな。
「お騒がせしてごめんなさい。岡部さん。彼女と何か話してみる?」
「あ、ああ…」
促されてPCの前の椅子に座る。
正面のモニターに紅莉栖の顔。目が合うと、かすかに微笑んできた。初対面なのに、ここまで愛想のいい奴だっただろうか。だが、そもそも俺との出会いが最悪だったわけで、あれほどツンケンしている方が異常だったのかもしれないな。
『どんなことでも訊いて下さい。可能な範囲でお答えしますから』
「そう、だな——」
何から話すべきか。
「タイムマシンは、作れるだろうか?」
かつて、α世界線で初めて、紅莉栖と意見を戦わせたのがこのテーマだった。あのときは俺が、一方的に打ちのめされただけだったが。
『はい?』
「え?」
『タイムマシン…ですか?』
「何の話を始めるのかと思ったら、タイムマシン?」
いきなり過ぎたか…?
「た、ただのテストだよ。思考実験ができるのかっていう…」
それもあるが、それだけではない。
少しでも情報収集を、と考えての質問だった。
俺はこの『Amadeus』の“紅莉栖”の中に、中鉢論文があると考えてい。タイムマシンというワードを出せば、何かしらの反応があると考えたのだ。
プログラムだと言ってしまえばそれまでだが、ここまで精巧に人間を再現出来ているのだ。誤魔化そうとしたり、否定したり、そんな反応が見られれば、中鉢論文の存在を確信出来る。
「ふぅん…。で、どう?“紅莉栖”」
『そうですね。結論から言ってしまうと、タイムマシンは可能ではない——けれど、不可能とまでは言い切れない、といったところでしょうか』
「…………」
淀みのない反応。
そして、α世界線と言っていることが違う。
かつてあいつはこう言った。
『最初に結論を言ってしまうと、タイムマシンなんていうのはバカらしい代物だということです』
その言葉をはっきりと覚えている。
「……俺はタイムマシンなんて、バカらしい代物だと思うけどな」
かつての討論を思い出しながら、紅莉栖自身が言った言葉をぶつけてみる。
『ふふ。そう決めつけるのは早計ですよ』
「そうかな。確かに世界中の科学者がタイムトラベル理論を提唱している。主な理論だけで11あるが…。どれも仮説の域を出ない。しかも、理論同士が矛盾し、否定し合っているものまである」
いくつかの理論を取り上げて、否定をしてみた。だが、彼女は動じなかった。
『それは、科学者がまだ重大な何かを発見できていないからでしょうね』
「それじゃあ君は、タイムマシンをいつか作れると思っているのか?」
『不可能とまでは言い切れない。そういいましたよ?』
「………」
やはり微妙に見解が異なっている。
「なあ、比屋定さん。彼女は、自分がオリジナルの記憶から派生した存在だという事を認識しているんだよな」
「もちろん」
「じゃあ、えっと……うまい例が思いつかないんだが。一卵性双生児みたいなことはあるのか?生まれた時は見分けがつかない。だが、育つにつれて差異が出てくる……とか、そういうこと」
「それについてはまだ検証中だけれど……蓄積されていく記憶が異なれば、当然、元の人間とは違うモノになっていくと思うわ。私と教授はそう考えている」
「そうか…」
タイムマシンのこと、隠すか否定するか。そのどちらかだと思っていた。中鉢論文はあるのかないのか。これでは判断できないな……。
「それにしても、タイムマシンとはね。あなたもそういうものに興味あるの?」
「うん?いや、まぁな。タイムマシンなんて全人類のロマンだろう」
「間違いないわね……」
彼女の表情に、少しだけ陰りが見えたような気がした。
そういえば、タイムマシンという言葉に、この人はえらく反応していたな。………可能性はあるのか?
『先輩が作ってください。先輩なら作れますよ!』
「あのねぇ。私はあなたたちのことで精一杯なのよ。脳科学専攻の私がどうやって物理学の最前線なんかに……」
『もしかして、今の言葉って告白ですか?』
「“紅莉栖”?」
『先輩の気持ちは嬉しいですが、私は所詮プログラムの存在。次元を超えた恋というのも……』
「やっぱり脳内お花畑だな……お前は」