STEINS; GATE ~存在証明のレジスタンス~ 作:明治アル蜜柑
世界線変動率
1.383090 → 1.130205
β世界線
世界全体が、色彩ごとグラグラと揺れている。
「オカリン?」
「………⁉」
目の前にまゆりがいた。ここはラボだ。見慣れた部屋だ。沖縄の景色なんて、影も形もなくなっていた。
「ええと、そんなに見つめられたら、まゆしぃ恥ずかしいんだけど……」
気づけばじっと、まゆりのことを見つめてしまっていた。
部屋の中を見回す。PCの前には、いつものようにダルが座っていて、猫背気味の背中を俺に向けている。
ソファでは鈴羽が週刊誌を読んでいる。開いたページには『あなたも危ない⁉新型脳炎が世界を襲う!』という煽り文句が並んでいた。
いつものソファ、安物の冷蔵庫、ダルのPCデスク、開発室との間を仕切っている薄汚れたカーテン。ゴミ捨て場から拾ってきた壁掛け時計は、午後6時過ぎを指していた。
カレンダーを見ると、2010年はすでに過ぎ去り、2011年の1月になっている。
世界線が……また変わったんだ。
帰って……きた?
元の世界線に?
「………なぁ、まゆり、ここって秋葉原だよな?」
「……?」
「違う…のか?」
「秋葉原だよ」
「今日って、何日だっけ?」
「んーと、21日」
「ゴリバチョフ、知ってるか?」
「ごりばちょふ?どこかで聞いたことがあるような……」
まさか存在していないのか!?
「ペレストロイカっしょ。おそロシア。あ、でもゴリビーってソ連時代だっけ。やっぱロシアと言えばプーシンっしょ。目の前で睨まれたら、ションベンちびる自信あるね」
違う。まゆりがバカなだけだった。
「プーシンさんなら知ってるよー。ロシアの大統領さんだよね。実はワンコが好きなんだよ。秋田犬を飼ってるんだって。ニュースでやってた」
「大統領……」
その響きに半端ではない安心感を覚える。
「そう。大統領。大統領だ……!」
何度も繰り返す俺に、全員がポカンとした表情を見せる。α世界線で何度も経験した、世界線変動時の感覚。誰も変わる前のことを覚えていなくて、突拍子もないことを口走る俺を見る目。
うまくかみ合っていないことが、元の世界線に戻って来たことを実感させる。
安堵感とともに、疑問が湧いた。どうして世界線がまた変動したのか。
屋上に出て、スマホのウェブブラウザを起ち上げる。戦時下の状況とは違って、あっさりとネットワークに繋がった。回線の速さに驚く。戦時下ではネットに繋げるだけでも一苦労だったのに。
とりあえず『ゴリバチョフ』で検索してみると、すぐに結果が表示された。ペレストロイカ。ソ連の最初で最後の大統領。8月のクーデターとソ連の崩壊。俺が期待したキーワードがずらりと並んでいる。ソ連は20世紀末に解体され、すでに存在していないことを確認して、ブラウザを閉じた。
「ふぅ……」
ではなぜ世界線は再び変動したのか。
俺は鈴羽に渡された端末に触れた。その瞬間に世界線が変動した。
あの中には『Amadeus』が入っていたらしい。ポケットの中は見れなかったが。
鈴羽は『Amadeus』こそが鍵だと言っていた。俺がそれに触れたことで、世界が元に戻ったのだろうか。
「おじさん」
と、鈴羽の声が響いた。
「鈴羽……どうしたんだ?」
「それはこっちのセリフだよ。おじさんこそどうかしたの?様子が変だったから……」
さすがは鈴羽だ。リーディングシュタイナーで移動してきたのを見抜いたのか。
「鈴羽。よく聞いてくれ」
俺はこの一か月のことを説明した。
「まさか、そんなことが起こっていたなんて……」
鈴羽の顔は驚愕に包まれていた。それもそうだ。ロシアが過去改変実験をしていたなんて。
「それで確認したい。この世界線のダイバージェンスはどうなっている?俺がお前から聞いていたのは、1.130205という数値だった」
タイムマシンの中にはダイバージェンスメーターが設置されている。鈴羽がこの時代にやって来たときに教えられた数値がそれだったのだ。
「……大丈夫。数値は変わってないよ。つまりおじさんは無事に元の世界線に戻って来たっていうことになる」
それを聞いて安堵した。
ダイバージェンスメーターに表示されない範囲での変化はあるのかもしれないが、ごく微小なものだ。元の世界と言って問題ないだろう。
「ここ一か月の出来事を教えてくれ。そもそも、俺はクリスマスパーティの日、どうなったんだ?」
比屋定さんと話していたところで、突然世界が歪んだんだ。同時にフブキも倒れていた。
「クリスマスの日、おじさんとフブキって人が突然倒れたんだ。おじさんは大した事なかったみたいだけど、フブキって人は結構重たい症状だった。病院へ運ばれてそのまま入院したんだ」
「入院?」
「クリスマス以前から新型の脳炎が流行ってるってニュースになってたのは知ってる?その疑いがかかってね。今も入院してる」
あれは11月頃に話題になっていたはずだ。
「海外では程度の差はあるけど、すでに百名近くの発症者が見つかっているらしい。日本でも、現在10名ほどが検査入院しているらしい」
爆発的な広がり、という程ではないが放置は出来ないレベルだ。
「うろ覚えだが、あれは白昼夢を見る、みたいな症状じゃなかったか?」
現実と虚構の区別がつかなくなるとかデジャヴを感じるとか。
「そうだね。これはおじさんがロシア世界線にいる間に話したことなんだけど、まるでリーディングシュタイナーみたいだって」
「っ……!」
そう。そうだ。ニュースを見た時に俺はそう感じたんだ。
「俺が入院させられていないのは……」
「おじさんはこれまでに何度もリーディングシュタイナーを経験している。あの日、おじさんも病院へ運ばれたんだ。でも、おじさんはリーディングシュタイナー保持者だってバレないようにうまく誤魔化した。だからすぐに退院できたんだ」
なるほどな。目を付けられる可能性を嫌ってそうしたのだろう。
「それからは今日まで平穏な日々だったよ。おじさんは比屋定さんと何度か会ってたんだ。あたしもそれに張り付いて、レスキネン教授の監視をしてた。特に怪しいところは見つからなかったけどね」
鈴羽の表情がなんだか焦っているように思えた。
そう言えば、パーティの日に俺はダルとこうして屋上で話していた。鈴羽が焦りを感じていると。
その件についてはどうなったのだろうか。
「鈴羽」
「おじさん」
「む?先に鈴羽から話してくれ」
「そう?この件については父さんも含めて話したい。今日はまゆねえさんはかがりと一緒にルカにいさんのところに泊まるみたいだから、一度ラボに戻りたいんだ」
まゆりには聞かせたくないのだろう。
「俺もそれを言おうと思っていた。了解した。一度戻るか」
「なるほどなぁ。オカリン、なかなか壮絶な1か月を過ごしてたんな……。お疲れさんだお」
俺と鈴羽から説明を受けたダルは、心底俺を心配してくれていた。1か月という長い時間の中である程度慣れたが、やはり最初の頃は毎晩悪夢にうなされていた。人の死をあんなに目の当たりにしたのは初めてだった。
未来のことは鈴羽から聞くばかりだったが、第3次世界大戦とはあんな様相だったのだろうか。……鈴羽が絶対に未来を変えようと息巻くのも頷ける。あんな未来は絶対にあってはならない。
「父さん……」
「鈴羽。今ここで焦ってもしょうがないって。まずは落ち着いて。今ここで鈴羽が跳び出したって、事態は好転しないお」
「……分かった」
ダルも鈴羽の表情を見て、焦っているのを察したのだろう。鈴羽が何かを言い出す前に釘を刺した。
だが、鈴羽の焦りも当然だ。ロシアがついに動き出したのだ。取り返しのつかないところまで状況が進んでしまっているのかもしれない。
「オカリンはどう思う?」
「どう、だろうな……」
ロシアによる危機は回避できた。数値が同じ世界線に戻って来られたという事は、ロシアによる過去改変の影響はほとんど残っていないと考えてもいいのかもしれない。だが。
「あまり楽観視は出来ないな。一応俺は戻って来れたが、見えていないところで何かしらの影響が出ていないとも限らない」
鈴羽が旅立った2036年時点ではどうだったのだろうか。その時点では、ロシアが実験を行った事は既に把握しているはず。つまり、今の状況は未来では織り込み済みであるとも言える。その上で鈴羽に何も聞かせていないというのは……。
「気になるのはロシア以外の勢力だ」
鈴羽は具体的な敵勢力については聞かされていない。アメリカとSERN。それくらいだ。アメリカと言っても怪しい組織はいくらでもある。CIAやFBI。米軍のダーパや、民間企業だがストラトフォーなども敵対組織たり得るだろう。疑い出したらキリがない。
「俺は向こうの世界線で、『Amadeus』に触れた瞬間にこっちに戻って来ることが出来た。それはつまり、ロシア以外の勢力が『Amadeus』を重要視しているということだ」
ダルが先んじて『Amadeus』を確保したおかげで俺は戻って来られた。だが、他の勢力がそれを手に入れていたらどうなっていただろうか。
「こちらでも、『Amadeus』を狙う連中が出てくるかもしれない」
何も『Amadeus』に限った話ではない。それこそ紅莉栖のノートPCがそうだ。
鈴羽はレスキネン教授に怪しいところはなかったと言っていたが、まだ尻尾を掴めていないだけかもしれない。
「ダル。紅莉栖のノートPCとHDDの解析はどうなった?」
「ごめん。まだ解析できてないお。自分で作っといてアレだけど……」
「いや、責めてるわけじゃないんだ」
それはそれで好都合かもしれない。ダルほどのハッカーでさえもこじ開けられないというのなら、万が一それが敵の手に渡ったとしてもすぐさま解析される可能性は低いということだ。
「鈴羽。歯がゆいだろうが、今はまだもう少し様子を見るべきだと思う」
「………」
鈴羽は渋い顔をした。
鈴羽の懸念は、鈴羽とまゆりのミッション……『オペレーション・アークライト』のことだ。俺、鳳凰院凶真を立ち上がらせるためにタイムトラベルすること。いつか2人はそのミッションに取り掛からなければならない。
「これから先のことだが、連中はロシアの持つ中鉢論文そのものではなく、紅莉栖の遺産の方を狙ってくることになるはずだ。その狙いが俺たちに向けばまだいいが、おそらく狙われるのは比屋定さんになるだろう。その時に鈴羽がいないと、俺とダルでは守り切れない」
そのミッションはおそらく、この世界線において必ず遂行されなければならないものだ。収束と言い換えてもいいだろう。だが、その達成で得られるのは鳳凰院凶真の復活という事象のみ。そしてこの世界線ではそれは既に達成されている。
つまり、鈴羽がここからいなくなるにもかかわらず、今以上の成果は得られないということだ。
その日が来てしまったらもうどうしようもないが、現状、鈴羽の力がなければあまりにも無防備になる。マイナスの方が大きくなってしまう。
そして、そのミッションそのものについても思うところはある。
ロシア世界線に飛ばされる前、ダルと話していたのはまさにそれだ。
まゆりと鈴羽はいつの日かタイムトラベルしなければならない。そして、もう一度ここに戻って来られる保証はない。
本当に2人を行かせてしまってもいいのか。俺はまだ心を決めかねている。……ダルもそうだ。
「分かった。あたしはおじさんと父さんに従うよ」
渋々ながらも納得してくれたようだ。
「そう言えば、フブキはまだ入院中なんだったな」
「あ、うん。彼女自身は問題ないから帰らせろってずっと言ってるみたいなんだけど……」
「新型脳炎……」
間違いなくリーディングシュタイナーだ。そしてフブキは向こうの世界線でもリーディングシュタイナー保持者として集められていた。
「今日はもう遅いが、明日、一度フブキと話してみる必要があるな」
「へ?フブキ氏と?」
「これだけニュースになっているんだ。ロシアやアメリカの勢力が新型脳炎に注目していないわけがない。もしかすると、フブキの入院する病院にも手が伸びている可能性がある」
フブキがロシア世界線のことを覚えているとすれば?
それを話してしまった場合、敵に情報を与えることになりかねない。
「おじさんは、レスキネン教授のこと……どう考えてるの?」
判断材料が足りていないのは事実だ。だが、シロだと楽観視する事も出来ない。仮に教授が敵なら、リーディングシュタイナーの情報は是が非でもほしいだろう。今回の新型脳炎の騒ぎに絡んでくる可能性もある。
「教授たちは2月頃にはアメリカに帰ると言っていた。ここまでは何もなかったが……」
ホテルの地下で襲撃された件はあった。だが、それだけだ。最後に何かを仕掛けてこないとも言えない。
「アメリカに帰るまでは気は抜くべきではないな」
結局、具体的な方針を決められないまま話は終わった。とりあえず、明日、フブキの入院する病院に見舞いにいくことになっただけだ。