「雷の呼吸 肆ノ型 遠雷───!!」
獪岳は抜刀した刀を構える。そして、瞬き一つの間すらもなく、眼前の鬼へとその切っ先を向けた。
肆ノ型 遠雷
迅雷の速度を持って敵との間合いを詰め、その刃を振るう。壱ノ型である霹靂一閃と形や動作が少々似ているが、技の速度や派生のしやすさ、身体負荷や使い勝手等、細々と見れば差別点が多い。
総合的に見れば霹靂一閃よりも火力や速度で劣っている技ではあるのだが、しかしその臨機応変さにおいては雷の呼吸でも随一。愚直に直進し切り付けることにしか長所を見出だせない壱ノ型とは違い、その場に応じ適切な技へと瞬間的に変化させることができる。
現に今、獪岳が扱った遠雷は、通常と異なり足首と手首の回転を加えたことで、斬撃の間合いと範囲を広げた特別製。予想外の射程を誇るが故に、その速度も相まって初見で完全に防ぐことは困難。
鬼もこの技に対し、事前に回避を行っていたが、間合いを見誤ったことにより指の内数本、噴き出る新鮮な血と共に失った。
「ッチ…!」
鬼は距離をとりつつ、指を再生させながら、強い敵意を持って獪岳を睨む。
それに対して獪岳は、べーッと舌を出し小馬鹿にした態度を取る。
「…いいよ。もう、殺すから」
鬼は眼前の敵へ向けて、その細い手を振るう。
ぶっきらぼうなその動作。雑な所作とは裏腹に、その指の先端から生えた糸が、木や葉を無尽と巻き込みながら、丁寧に裂いていく。見辛い糸も相まって、それはまさしく死の風の如く。例えるならばそれは、迫る断頭台のようだった。
だがそんなものはまるで意に返さんと、獪岳は何食わぬ顔を浮かべ刀を振るう。
「伍ノ型 熱界雷!!」
下方からの切り上げ。豪快に振られたソレは、向かい来る暴風を縦に割いた。
木屑や土屑、それに混じった糸屑が空気中で霧散する。そこから更に、切り上げによって発生した上昇気流が渦を巻き、頭上に持ち上げられることで、それはそれは鮮やかさの欠片もない花吹雪となって、両者の間を仕切りの役割を担うように舞った。
「随分と弱っちぃなぁ。微風かと思ったぜ」
鬼はその時、虚ろにしていた瞳を初めて見開く。煽りに対して反応したわけではない。男の実力に驚いたのである。
あの糸は雑に生んだとはいえ、そこらの並程度の実力しか持たない隊士には切れない程の丈夫さを持っている。
しかしこの男は、それをまるでいとも容易く一撃で切断した。
───強い。この男は、並の隊士ではない。
鬼はそれまで片目を隠していた髪をかき上げる。
そして鬼は───下弦の伍である累は、目の前の男を強者であると断定し、本気を見せることを決意した。
「血鬼術 刻糸牢」
累はそう唱えると、指先が徐々に赤黒く染まっていく。それに同期するように、指先から紡いだ赤黒い糸が、周囲に張られた。
木から葉から石から地から───周囲の環境を取り込み、檻のように強固に頑丈に。
余程の腕前でも無ければ、切るのは不可能であると、自信を持って断言できる硬度。
「ハッ!蜘蛛の真似事か!?下らねぇなァ!?」
しかしそれを馬鹿にするような笑みを浮かべ、獪岳は吐き捨てる。そして、そして累の方へと駆けながら刀を振りかぶった。
力強い踏み込み、地を割るほどのそれと共に、獪岳は技を繰り出す。
「弐ノ型 稲魂!!」
移動しながらの、高速の五連斬撃。
累の意図とは予想外に、眼前の糸は容易く切り裂かれる。そして着々と累へと迫る。
対し累は後方へと飛びながら、行く手を阻むように幾重にも糸の壁を形成していく。
「同じ技ばかり…脳味噌も足りてなけりゃ能も足りないってか?クハハッ、笑えるなぁオイ!」
大きく踏み込み、累の首へ一閃放てる間合いまで近づく。
「チッ!邪魔だ!」
周囲の邪魔な糸を切り捨てながら、自身にとって最も好機である場所と構えを取る。
ここで決めてやる───狙いを定め、技を定め、そして技を放たんと───
「そう。君の言う通り」
獪岳の間合いから、突如として累の姿が消える。
まるで外部から特別な力が加わったかのように、変則的かつ予想外の動きで、視界からその姿が消えた。
───否。違う。累が移動したのではない。ましてやその逆、
「僕は蜘蛛だ。蜘蛛らしく、罠を仕掛けていたんだ」
累の逃げ回るような動作はその実、この瞬間を狙うための準備でしかなかった。
わざと糸を切らせ、その度に獪岳の身体に細い糸を仕込んでいた。
そして、その糸が周囲の木や張った糸に絡まるように、緻密に念密に、静かにその操作を行っていたのだ。
まさしく巣に引っ掛かった獲物を絡め取る蜘蛛のように。獪岳はその糸に縛られ、身動きが取れなくなっていた。
「そして君は、蜘蛛の巣に囚われた哀れな虫だ。君はこのまま、惨めに殺されるんだ」
累の手と糸が、より一層赤黒く染まる。
本気の血鬼術。自身の血を多量に使用することで、自身が作ることのできる最高硬度の糸を生成する。
「血鬼術 刻糸輪転」
木々や地面を切り裂きながら、赤黒い円が迫る。
それはあまりにも幻想的で、蠱惑的で、そして見る者に強い恐怖を植え付ける。
見ただけで理解できる。あの円に下手に手を出せば、それが例え鋼だろうと豆腐のように切れることを。
獪岳は初めて、笑み以外の表情を浮かべる。
身動きの取れない状況。そして、その状況下で放たれる推定即死の一撃。
鬼殺隊入隊以来、初めて訪れた窮地。
一筋の冷や汗が額から伝う。
「終わりだ」
幾重にも重なった鎌が、草木を岩石を削るような轟音。
辺りを更地と変えながら、円が着実に、ジワジワと迫る。
命の灯火が消えるのはもう間近。
並の隊士であれば絶望し諦めるであろうこの瞬間。
それに対し、獪岳は、ゆっくりと、一つの溜息を吐く。
「ハァァァァ………────面倒臭ェ」
獪岳は縛られた身体を無理矢理捩ると、そのまま刀を構える。
「参ノ型 聚蚊成雷───」
刀と全身を連動させ、渦を巻くようにその場で回転。身体を縛っていた糸を根こそぎもぎ取り、その全てを千分に切断する。
ふわりと宙を舞った後、獪岳は地面へ華麗に着地。膝で衝撃を吸収しながら、しゃがんだ姿勢のまま足から腕へと力を貯める。
────フシュゥゥゥゥ……………
高まる力を抑えるように、内部に溜まった熱を放出するように、深い深い深呼吸を行う。
力を込める度、踏みしめる度、地面は割れ大気が揺れる。
人の体に閉じ込め切れない程の、爆発的な力の脈動。瞼を閉じ、精神を鎮め極限の集中へと潜って行く。
思わず、累は固唾を飲んでしまった。
完全に隔てられた糸越しの些細な出来事に。昼間に突風が吹き、窓枠を風で煽られた程度の、それほどの、些細な出来事に対し、恐怖し、緊張し、感情を揺さぶられてしまった。
最高硬度の刻糸輪転。それを超え、こちらに侵入することなど、誰にも出来る筈がないというのに。
なのに何故、自分は今ここまで鼓動を早めているのか。
死が目前となったあの男が何故あそこまで落ち着き、逆に安全な自分がここまで恐れ慄いているのか。
(出来るわけがない。出来るわけがないんだ。僕の血鬼術を打ち破ることなんて)
眼前に迫る赤黒の円を前に。しかし未だ刀を抜く動作すら無く、ただ構え続ける。
力を圧縮し、集中力を研ぎ澄まし、高まる熱を排出しながら、己の究極の一撃を打ち出す為に虎視眈々と待ち続ける。最高の、絶好の瞬間を狙う為に。
ジリジリと円は迫り続ける。しかし、待つ。
暴風と轟音が身体と鼓膜を強く叩く。しかし、待つ。
弾かれた小石が頬を掠め、一筋の血が流れる。しかし、待つ。
ほんの一寸にも満たない、ギリギリの距離まで円が迫る。
─────ここだ。
直後。
閉じていた瞼を開眼し、刀を振り上げた。
「陸ノ型 電轟雷轟───ッ!!!」
それはまさしく目の前で雷が落ちたように。
けたたましい轟音と発光が、累の目と耳を突き破った。
────何が、起きた………?
灼かれた網膜を手で押さえながら、覚束ない足取りでふらふらと歩く。
鼓膜への衝撃のせいか。平衡感覚が著しく乱れている。視界不良も相まって、マトモに歩くことが出来ない。
(今は、視界の再生が、最優先…ッ!)
意を決し、親指を右目の奥へと突き刺すと、その傷を即座に回復させる。
治したのは右目だけ。しかし視界はこれで十分確保できた。
辺りを見回してみるが、そこに見えるのはただの白い煙だけ。煙の匂いを嗅いでみるが、焦げ臭い匂いが鼻腔の奥をツンと刺すのみ。劇薬や霧の類ではなさそうだ。
男が居た場所へと目を向けてみる。
男の姿はない。だが、地面の跡を見るに、血痕や肉塊は見られない。
僕の血鬼術を防いだのか───?
いや…だが…あの時、あの雷のような、とてつもない衝撃のせいで思考が妨げられたが…、今思えば確かにあの時、手応えは無かった。
だが、ならば、それならば。
あの男はどうなった?
その思考に至った刹那。
背後から、人の気配を察知する。
振り向くまでもない。
振り向く必要もない。
だが、そう分かっているのに。
思わず、累は、反射的に、振り返ってしまった。
「よォ、クソガキ」
そこには、既に刀を振っている、獪岳の姿が───
「ッ!?血鬼────」
「遅ェェッ!!」
累の糸が獪岳を切り裂くよりも早く────
───獪岳の横薙ぎが、累の細い首を捉え、切斬を果たした。
・獪岳
雷の呼吸を扱う丙隊士。
丙という階級ながら、次期柱候補とまで噂される程の才能と実力を秘めており、他隊士や柱からも一目置かれている。言動や態度に難儀な部分があるが、柱との稽古や指南を経て徐々に改善傾向にある。尤も弟弟子である善逸には変わらず当たりが強いが。
雷の呼吸の基礎である壱の型を扱えないという欠陥も相変わらずであるが、それをもって余りある程の剣才の持ち主。中でも彼の放つ全力の陸の型は、元鳴柱の桑島でさえも唸る威力を誇る。
余談だが、柱の指南を受けてから何故か岩柱から執拗に話し掛けられることが多く、その度に毎度ビクビクしている。