時は遡ること十数分前───
我妻善逸は獪岳の指示を全うし、木に背を預け待機をしていた。
動かなければいけないという使命感はあった。
このままで良いのかという罪悪感もあった。
だが、善逸は未だに動けずにいた。
鬼との接敵、対決を怖がっていたのは事実。しかしそれ以上に、獪岳の命令を無視し無断行動を取った、その後のことが、何よりも恐ろしかった。
怒られることも、罵られることも、貶されることも、慣れてはいる。
だが、慣れているからといって、嬉々としてソレに飛び込むような馬鹿ではない。
ましてやそれが命令違反であるなら尚更。
そうだ。これは命令なのだ。
別に無理に逆らう必要性はない。
そもそも仮に自分が動いた所で、何が変わるというのか。
獪岳であれば一人で解決できるだろうに。
動く必要はない。
ただここで、二人の帰還を待てばいい。
「………………」
「…………」
「……」
……ただ、それではきっと、何かが不味い。
耳の奥からジリジリとなる耳鳴りが、善逸の第六感を刺激する。
悪い予感というやつだ。
「……ごめん、獪岳」
気付けば、善逸は歩いていた。
獪岳が走ったその方向へ、聴覚を頼りに進んでいた。
善意
草木をかき分け、暫く歩く。
そうしていると、目前が開け小さな円形の広場が見えた。
人の手があまり入っていない雑木林の中に、このような中々開けた空間というのは随分と違和感がある。
現にその違和感を助長するように、丁度広場の中央には家が一つ浮いていた。
立っている、のではない。浮いているのだ。
木々に張られた細い糸によって、その家はポツンと浮いていたのだ。
「なんだアレ…?」
ただ浮いているだけなら、まだ良かった。いや良くはないが。
一種の近代芸術や、新しい建築方法として、ギリギリ納得できたかもしれない。
しかし、その家はグワングワンと大きく揺れていた。
中からは獣の叫び声のようなものと、それに対する悲鳴のようなものがしきりに響いている。
怪しい。 あまりにも怪しい。
きっとあの家の中に、世にも恐ろしい鬼がいるのであろう。
ゴクリ、と喉仏を鳴らす。
注意深く、その家を観察していると、ふっと揺れと叫び声が収まり、その家の引き戸がズズッと開いた。
───ボトッ
引き戸から落ちてきたのは、人の頭──否、鬼の頭。
悲痛に歪んだその顔は、何か叫ぶように口を忙しなく動かしながら消滅した。
一体何が起きたんだ?
現状が理解できないまま困惑していると、これまた引き戸から何かが落ちてきた。
「ダァ…ハァ…俺様がァ……この森のォ…ヌシ、だァぁあアッ!!!」
何処となく予想はしていたが…。
引き戸から落ちてきたのは伊之助だった。
大方これまであの鬼と戦っていて、丁度今鬼の首を刎ねたのだろう。伊之助の外傷から見て中々の激闘であったことが推察できる。
「おいおい、大丈夫かよ伊之助…」
「あ?紋逸か!遅ェじゃねぇか!」
「俺の名前は善逸だ!あと、俺が遅いんじゃなくて、伊之助が勝手に突っ走ってるだけだからな!」
テクテクと伊之助の方に寄り、懐から消毒液を取り出すとそれを見える範囲の傷にぶちまける。
当然伊之助は猛烈に痛がる素振りを見せるが、善逸はそれを意に返さず、全身の怪我の具合を静かに診る。
───怪我の種類は大半が切創。それ以外だと打撲がチラホラ見える程度。致命傷になり得るような怪我を負っているようには見えない。
一先ずその様に判断した善逸は、消毒液を仕舞うと別の傷薬を取り出し、それを切創に塗る。そしてその上から包帯をぐるぐると巻き始めた。
「アイツが吐く毒はヤバそうだったからな!アレだけは当たらねぇように気をつけたぜ」
「へー」
興味が無さそうに受け流す善逸。
尚、二人の知りようのない情報だが…
本来、伊之助が倒した鬼は、人を傀儡とする毒液を持っていた。
それを使って子分を増やすことで、戦闘を優位に進める戦法を取るはずだったが…しかし、そもそもの材料である人が手に入らないという誤算があった。
普通の一般人は、こんな山奥には入ることが滅多にない。仮にあっても、それは食料として確保される。
鬼殺隊士は、いつ頃からか少人数かつ慎重に行動するようになったため、確保がし辛くなった。その上ようやく確保しても、その者らは大抵自害か、相打ち覚悟の特攻を仕掛けようとしてくる。
そんなこんなで、子分が全く増やせなかった鬼は、渋々単身で伊之助と戦うことになった。
その結果が、あの様である。
閑話休題。
「…これで一先ず、怪我は大丈夫だろ」
「よし!それじゃ次の獲物を探しに───ぐえっ!?」
ドシドシと走り去ろうとする伊之助。その首根っこをガバっと掴むと、そのまま引いて尻餅をつかせる。
「何すんだテメェ!?」
「オマエ、恋柱様から教わったこと忘れてないか?」
「あ?カイバシラ?…あぁ、あの桃色頭のつえー女のことか?」
「恋柱様だ!!二度と間違えるなよ!!」
伊之助の首を掴んだまま、ブンブンと振り回す。
脳震盪でぶっ倒れそうなほど激しく振っているが…伊之助は大して食らっていないのか、余裕綽々といった様子である。
「その人が教えてくれただろ?『適切な休息を挟みなさき』って。「一回鬼を倒すごとに、せめて息を整えるぐらいの時間を設けなさい」って」
「ン?……あ……いや、言ってたか?」
「なんだその『…あ…』は!?思い出した時の『あ』だろうが!!」
「わーったわーった。休めばいいんだろ休めばよ」
渋々、といった様子で、伊之助はその場であぐらをかくと、息を整えて休み始めた。
しかし流石に疲労が祟ったのか。その内呼吸は寝息に変わり、伊之助はそのまま寝てしまった。
「えー。寝ちゃったよ。まぁ中々激しい戦闘だったみたいだし、無理もないか」
さて、伊之助をどうするべきか。
伊之助をさっさと起こすべきか。ひとまずここで休ませるべきか。
それとも、伊之助を連れて山を下るべきか…
「…うーん」
と、善逸が悩んでいると───
ドッピシャアアッ!!!!
ゴロゴロッ…ゴロゴロッ…!!
「!?!?」
遠方より雷鳴が轟く稲妻の音が響き渡った。
それと同時に、音の方向から全身を叩く衝撃波まで伝わってくる。
───な、なんだ!?
雷?いや、しかし空には雨雲どころが曇り空すらない。
それにこんな山奥だ、山火事は起きてもあんな大爆発なんて滅多に起こりはしない。
ならば、考えられるのは……
「獪岳…!?」
獪岳が、鬼と戦っている。
今の技は恐らく陸ノ型。善逸には到底扱うことのできない大技も大技。
獪岳がそれを扱う時は決まっている。つまり、『今の獪岳は後先を考えていない』ということ。
師───桑島の言葉が脳裏に浮かぶ。
『獪岳のあの技は、儂ですら度肝を抜かれた。それ程極まった『奥義』。大抵の鬼であれば防御すら困難。速度も相まって、間合いの中であれば回避するのも一苦労じゃろう。…しかし、その一撃で仕留めきれなければ、逆に獪岳は窮地に立たされる。あの子の才能は素晴らしい。じゃがその才能が、あの子の首を絞めておる。頼む、善逸。もしも、曇り空でもないのに雷鳴が聞こえたならば────
────その方へ、急いで駆けてほしい』
善逸は、伊之助を置いて音の方へ走る。
優先すべき順番が間違っているとは思っている。
他の第三者にこの光景を見られたら、何を言われるかなんて分かりきっている。
理解している。理解はしている。
けれども。それでも。だとしても。
走らなければならないと。向かわなければならないと。
全身が、本能が、鼓膜が、そう叫んだ。
(あれは…………!!)
音の発生元に辿り着くと、鬼に追い詰められる獪岳の姿があった。
全身ボロボロ。肩で息をしながらも、荒い戦意を宿した目を鬼に向けている。
対して鬼は飄々とした表情をしながらも、限りなく濃密な殺意を宿した瞳を獪岳に向けている。
どちらが攻勢かなど一目で分かる。
だが、そんな折。
「チィッ…こうなったらやるしかね………ェぁ?」
獪岳の瞳が、善逸を捉えた。
視線ががっちりと合ったのが一目で分かった。
その瞬間────獪岳の表情は見たこともないような顔をした。
深い絶望が伝わる側面、淡い希望を少しでも抱いているような、絶妙すぎる表情。
しかし、それも束の間。
「クソが…!やってやるよ、やってやらァいいんだろ?クソッタレがッ!」
そう叫びながら、獪岳は壱ノ型の構えを取った。
その構えは、見る者全てが『完璧な構えである』と言えるほどの完成度を誇っている。
だが、唯一。鬼殺隊の一部隊士と、一人の育手のみが知っていた。
獪岳は、壱ノ型を使えない。
なのにこの状況でこの構えを取った。
得意の陸でも弐でもなく。使えないはずの壱ノ型。
何故、この構えを選んだのか。
その真意は、この場にいる善逸にのみ伝わった。
(俺に…やれって…言うのか…?)
獪岳には使えない唯一の型。
善逸には使える唯一の型。
これを選ぶ意図。そんなもの、一つしかない。
善逸が、あの鬼の首を切る。
(無理無理無理無理!!!無理だよ!!!)
獪岳ですら負けかけた鬼を相手にするなど。
ましてやそんな鬼の不意をついて首を切るなど。
そんな大役。俺に出来るわけがない。そんなことが出来るわけが───。
(……でも、出来なきゃ獪岳が死んじゃう……)
こうして悩んでいる内にも、鬼は血鬼術を使い獪岳を追い詰めている。
刻一刻と、獪岳の命の灯火は消えかかっている。
悩んでいる暇はない。
でも…。
だけど…。
それでも…。
足が竦んで…。
(───────────動け)
(動け動け動け動け動け動け─────今動かないで、いつ動くんだよ!!!)
覚悟は数秒。
決まれば刹那。
低く前傾姿勢に構え、刀を握る。
カッと開いた瞳は、射殺さん限りの眼光を持って鬼の首へと定まる。
体内に溜まった熱を放出するかの如く、深い深呼吸と共に発散。
全身の筋力を総動員し、酸素を全身に生き渡らせ、この一撃に全身全霊全てを懸けて──
『雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃』
────放った。
鬼殺隊隊士の持ち物
─基本装備
・鬼殺隊の隊服
・日輪刀
・鎹烏
・藤の花のお守り
・蝶屋敷製携帯薬箱(消毒液や包帯もこれに入っている)
・呼笛(鎹烏や隠、遠方に居る隊士を呼ぶ為のもの)
・遺書
・自決用の毒・短刀
─一部隊士が装備しているもの
・桜餅
・不死川の血が詰まった小瓶
・鬼用の毒
・桜餅
・爆竹(又は煙玉)
・冨岡義勇の写真
・桜餅
・試作型機関銃
・桜餅
・蛇
・厄除の面
・桜餅
・桜餅etc...