その鬼は、とある剣士に捕らえられた。
倒されるのではなく、捕らえられた。そして藤襲山に収容された。新米隊士の試験石に選ばれたのだ。
生前の記憶は薄れ、名と呼べるものはない。
ただ、彼の力と外見から、他の鬼は彼のことを『手鬼』と呼んでいた。
手鬼は自身を捕らえた剣士のことを強く憎んでいた。その憎しみは彼の生きる糧であり、幾度も行われる最終選別経ても、しぶとく生きていた。
手鬼の目的はただ一つ。あの剣士と同じ、厄除の面を付けた初な剣士を殺すこと。ただ執拗に狙うこと。
それだけが、手鬼の生きがいであった。
藤襲山に捕らえられてから約30年。
その日は少し、山の気配が違っていた。
最終選別を終えると、必ず鬼狩りの剣士がやってくる。そして残った鬼を掃討し、次の最終選別に備えるのだ。
これは毎度行われてきたことであり、その度に手鬼は地中に潜ることで、鬼狩りの目を背いてきた。
だが、今回ばかりは違う。
鬼狩りの数が例年の倍以上はある。
───本格的に、ここにいる鬼達を根絶やしにするつもりだ。
俺の存在を誰かが言いふらしたのか?
いや、今は関係ない。兎に角、地面を掘ってやり過ごさなければ───
地中を掘ろうと手を向ける。
その時だ。手鬼は背後に人の気配を察知した。
その気配は、どこか脳の筋を擽るような懐かしさと、古傷をなぞる様な恐怖と怒りを思い出させる。
まさかと思い振り返れば、そこに居たのは他でもないあの時の剣士であった。
天狗の面で隠れた顔は見えない。だがあの日あの時見た姿よりも、随分と小さく弱く見えた。
「桑島。手出しは無用だ」
「……あぁ。野暮はせん」
桑島と呼ばれた老人は、剣士から少し距離を取る。
一対一。この場にいるのは剣士と手鬼の二人だけ。
鮮明に…あの日を彷彿と思い出す。
───そういえば、今宵は満月か。
あの日と同じ月の形だ。
「久しぶりだなァ鱗滝。あの頃よりも随分と老いたようだが…」
「……」
返答はない。剣士は黙ったままだ。
「何年ぶりの再会だ?今は明治何年になる?なァ、教えてくれないか?」
「……」
返答はない。剣士は黙ったままだ。
怒りが募る。返事ぐらいしたらどうだと怒鳴りたくなる。
すると、その感情の揺らぎを察知したのか。ここぞとばかりに、剣士は口を開いた。
「鬼よ。お前はこれまで、私の弟子達を何人食ってきた」
コイツは、何処までも意地の悪い奴なのだ。
質問しているのは自分の方だ。まずはこちらの質問に答えるのが道理だろう。
怒りがますますこみ上げるが、これを堪えれば殺した時の喜びも増すというもの。ムスゥと鼻息を荒くしながらも、怒りを押し殺して記憶を掘り返す。
「……9人…いや、10人は喰ったか。お前が厄除の面を付けてくれるおかげで、随分と探す手間が省けたなァ」
「────」
剣士は俯く。仮面越しの感情は読み取れない。
だが、固く握られた拳はプルプルと小刻みに振るえ、荒れる心情を素直に映していた。
「どうだ!?お前のせいで可愛い弟子達が死んだ気分は!格別だろう??クフ、クフフフ…!!」
「…やはりか。やはり貴様が喰ったのだな」
その刹那───溢れんばかりの怒気と殺気が剣士の全身から発せられる。
それは確かに、小さく、細く、弱々しい姿をしていたハズだった。だが押し潰されそうな程に膨れ上がった圧迫感に、思わず息を呑んでしまう。
「儂は今、自分の不甲斐なさに怒っている。お前を捕らえたことで、儂が厄除の面を渡したことで、我が弟子達は死んでしまった。全て儂の責任だ。だからこそ───今、その責務を全うしよう」
鱗滝は腰に下げた刀に手を伸ばし、スルリと抜く。
それは、あの時と同じ輝きだった。月光を反射し、水面のように煌めく刀の切っ先は、あの時とまるで同じ輝きだった。
「積怨と遺恨。そして我が弟子達の無念を、今ここで晴らさせてもらう」
「クフ、フフフ…そうかァ…俺を殺すかァ…?クフフ───」
「やれるものならァ!!鱗滝ィィ!!やってみろォォ!!」
剣士に目掛け、身体中の手を飛ばす。
四方八方から無数に襲い掛かる剛腕。だが剣士はそれを冷静に切り捨てながら、一気に距離を詰め歩く。
手鬼の首が間合いに入るまであと数歩。
あと少しで、可愛い子供達の仇を討てる───なんて、思っているのだろう?
「水の呼吸───」
「させるかァ!!」
地中に伸ばしていた手を、剣士に目掛け放つ。
視覚外に加え意識外。
真下からの攻撃に対処できるわけがない。
───俺の勝ちだ!!
このまま両足を握り潰す。身動きが取れなくなった所を、両腕の先端からジワジワと折っていく。
そして、そのまま出血死するまで、俺が殺してきた子供達の死に様を、細々と説明してやる…!
思い馳せる。未来に嗤う。
価値を確信し、手鬼の口角がゆっくりと上がってゆく。
「───滝壺」
──が、しかし。
握り潰すつもりだった手は、激しい地響きと共に霧散する。
剣士が放った技は、刀を地に向け振り下ろす、渾身の一撃。
手鬼が手を地中に潜らせていたことを看破していなければ、放つことのできない技であった。
「っは!?」
驚き、手鬼の対応が一瞬遅れる。
その隙を、剣士は逃さなかった。
「肆ノ型 打ち潮」
手鬼が伸ばしていた腕を切り下ろす。
「参ノ型 流流舞」
手鬼の腕を全て根元から断ち、反撃の隙を潰す。
「陸ノ型 ねじれ渦」
がら空きになった手鬼の両膝を抉る。
「漆ノ型 雫波紋突き」
手鬼の首から下、足先にかけてを針山の如く突き刺す。
「や、やめろォォォッッッ!!!」
手鬼に残されたのは、首を守っている腕のみ。
これを使えば後はない。だが、今やらねば確実に死ぬ。
剣士の首元目掛け、その腕を伸ばす。
「弐ノ型 水車」
だが、剣士はそれを無慈悲にも回避する。
手鬼の自慢の腕を根本から切り捨てながら。
ただのダルマになった手鬼の、その背後に降り立つ。
その姿は正しく死神。
鬼を狩る、鬼殺の剣士の姿が、そこにはあった。
「───終わりだ」
「鱗ォォ滝ィィィィィィ!!!」
「壱ノ型 水面斬り」
鬼の絶叫を断ち切るかの如く。その一閃は首を分けた。
鬼の身体は朽ち、徐々に霧散していく。
(いやだ…死にたくない……俺はまだ…コイツを……コイツの子供達を……殺…………)
その念願が叶うこともなく。
手鬼の生涯は幕を下ろした。
「───見ていてくれたか。お前達」
揺れる藤の花を眺めながら、虚空に呟く。
「儂はきっと、地獄に落ちる。残念ながら、お前達に会うことは叶わないが。だがどうか───」
祈るように、両手を合わせる。
魂の安らぎを願って。強く祈った。
───ふと、突風が吹いた。
その風はまるで剣士の背を撫でるように、抱きしめるように柔らかく、優しい風だった。
「───どうか天国で、安らかに眠ってくれ」
・最終選別
以降の最終選別では、新米隊士達の安全を第一とするため、総則の改正が行われた。
1.期間は二日
2.監視役として十名以上の鬼殺隊隊士を配置。
3.審査官として二名の元柱を配置。
4.鬼との戦闘や臨機応変さを元に評価、点数を決める。
5.点数が規定以上であれば鬼殺隊への入隊が可能。規定以下であっても、再度挑戦の機会と(見込みがあれば)隠への入隊と許可される。
6.安全第一。何よりも、命を大事に扱う。