【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
──空が、青い。
わざとらしいくらい、どこまでも青かった。雲は一欠片もなく、筆で塗りつぶされたみたいな均一な青に、視線が吸い込まれそうになる。
足元を見下ろせば、視界いっぱいに広がっているのは花、花、花。
白、黄、紅、紫。名も知らぬ花々が風にたわみ、花弁が小さな魚の群れみたいに一斉に向きを変えながら、波のように揺れている。
ふわりと漂ってきた甘い香りに鼻の頭をくすぐられ、くしゃみが出そうで出ない。
──綺麗だ。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
休日の朝、洗濯機の音を聞きながらベランダへ出たときの、あの空気に少し似ている。
ただ、少し肌寒い。
パーカーが一枚足りないような、じんわりとした冷えが肌にまとわりついていた。このまま寝転んだら気持ちよく眠れそうだが、目を覚ました頃には確実に喉をやられている──そんな種類の冷たさだ。
……待てよ。
俺、寝てたよな?
晩飯のあと、缶ビールを一本空けて、もう一本いくか迷った末に、そのままベッドへ倒れ込んだ。スマホの充電は……差してない。明日のアラームは……セットした気がする。いや、してない気もする。
──というか、ここ、俺の部屋じゃないよな。
身体を起こして周囲を見回してみるが、当然ながら布団もなければ枕もない。目の前に広がっているのは、どこまでも続く花の海と青空だけだ。
夢か。
そりゃそうだ。
最近は残業続きだった。月末締めにクライアントの仕様変更、おまけに上司の気分まで加わった三重苦。
定時という言葉は紙の上にしか存在しない概念と化し、俺の背骨は常にS字というよりギザギザだった。
そんな生活を続けた末に寝落ちしたのだから、こういう夢の一本や二本を見たっておかしくはない。
試しに大きく背伸びをしてみる。
いつもならビキッと嫌な音を立てるはずの腰が、今日は何も言わなかった。それどころか肩まで妙に軽く、偏頭痛の前触れみたいなズキズキもない。
夢補正ってやつだろうか。
夢の中では元気だなんて、なんとも皮肉な話だ。
「──きみーっ!」
突然、空から声が降ってきた。
澄んだ鈴の音みたいな声に反射的に顔を上げると、青一色だった空の真ん中へ光が集まり、やがて人の輪郭を形作っていく。
誰かが、空の上から降りてきていた。
金色の髪が風を受けてひるがえり、光を跳ね返して夏の水面みたいにきらめいている。
ツインテールだ。左右に束ねられた髪が空中でふわりと広がり、その人物が地面へ降り立った瞬間、舞い上がった花びらが光る粉となって弾けた。
あまりの出来事に口を開けたまま見上げている俺の前へ、彼女はにっこりと笑いながら降り立つ。
「初めまして! わたし、女神のアウラですっ!」
女神。
字面だけなら荘厳だが、目の前にいるそれは〝神々しい〟というより、〝どこから突っ込めばいいのか迷う〟が先に来るタイプだった。
年の頃は、見た目だけなら十四、五歳くらいだろうか。肌は白磁のように白く、頬には淡い桃色が差している。こちらを見つめるエメラルド色の瞳は、思わず目を逸らしたくなるほど鮮やかだった。
──ここまではいい。
うん、ここまではいいんだ。
問題は、その服装だった。
ハイレグだった。
いや、俺の語彙が少ないわけじゃない。事実としてハイレグなのだ。
金属製のやたら光沢が強いアーマーが、布よりも面積の少ないラインで身体の曲線を際立たせている。防具という言葉の意味を、根本から問い直したくなる設計思想だ。
両肩には黒光りする髑髏を模した肩当て。空洞になった眼窩の奥では淡い光が揺れており、見る角度によってはこちらへウインクしているようにすら見える。
やめてほしい。
腰のベルトには細かな白骨片を模したチャームが鈴のように連なり、身体を動かすたびにカチャカチャと音を立てている。
胸元には大きな赤い宝珠。血のように濃い紅色をしており、その周囲には蔦を模した細かな彫金まで施されていた。
さらに背中には翼──に見える飾りまで付いている。羽根の形をした金属フレームへ透明な薄板がはめ込まれ、陽光を受けて七色に輝いていた。
どこを切り取っても、とにかく主張が強い。
祭りの山車がそのまま人型になったような、圧倒的な視界の占有力だった。
あまりの姿に、思わず言葉が口から漏れる。
「……すげぇ格好だな」
「でしょっ!」
彼女──女神は嬉しそうに目を輝かせた。
宝石が鈴を鳴らしたら、こんな音がするのかもしれない。そんなことを思わせるような笑い声だった。
「自分で作ったの! 素材から、柄まで、ぜーんぶ!」
「素材から?」
「そう! この肩のドクロ、削り出し。三日三晩かけて磨いたの。角の曲面が難しくってね~。可愛いでしょ?」
「可愛いの定義、俺の知ってるやつと違う」
「もう、人間ってセンスが硬いのよね。これは機能美ってやつ!」
女神がその場でくるりと一回転すると、腰の骨飾りがチリチリと小さな音を立てた。
機能、ねぇ……。
いったいどの機能を指しているのか、俺には一生わからない自信がある。
「……ここは、その、どこなんです?」
「死後の世界よ!」
返ってきたのは、羽毛布団みたいに軽い答えだった。
だというのに、言葉の意味だけはやたらと重い。
「死後……?」
「うん。寝てる間にね、あなた──死んじゃったの」
心臓が、ドク、と一度だけ大きく鳴った。
だが、そのあとは自分でも拍子抜けするほど静かだった。
驚きよりも先に、ああ、そうか、と妙に納得してしまう自分がいる。
理由なら、いくつか思い当たった。過労、滅茶苦茶な生活リズム、それにストレス。
死というものに対して、俺はずっと以前から、薄紙一枚分くらい距離が近かったのかもしれない。
「原因はね──わたしの手違いで☆」
「星つけんなや」
女神はちょこんと舌を出した。
どうやら反省という概念を、軽々と蹴り飛ばしてしまったらしい。
本来なら怒るべきなんだろう。理屈ではわかっている。
けれど胸の奥のどこかで、ほんの少しだけ安堵している自分がいた。
もう会社へ行かなくていい。
終わりのないExcel地獄も、曖昧な指示を出しておきながら責任だけはこちらへ押し寄せてくる日々も、もう終わった。
そこから離れられるのだと思うと、死んだというのに、どこか肩の荷が下りたような気さえしてしまう。
──最低だな、俺。
死んでまで仕事から逃げられることに安心するのか。
「戻せないの?」
「むりー」
一秒もかからず返ってきた。
潔い。
あまりにも潔すぎる。
「だからね! お詫びとして、新しい人生をプレゼント!」
まるで通販番組のようなテンションだった。後ろで〝今だけ!〟なんて文字が光っていても違和感のない声だ。
「二つの選択肢。記憶を消して別の人間として再スタート、もしくは──」
女神は片目を閉じると、人差し指を天へ向けた。
「異世界転移☆」
「……夢だよなぁ、これ。うん」
口に出してみると、自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。
現実だったら、もっと取り乱しているはずだ。
だったら、やっぱりこれは夢なのだろう。
胸へ手を当ててみる。鼓動は穏やかで、背中も腰も驚くほど軽い。
死んだと言われた直後に腰の軽さを確認している自分もどうかと思うが。
「じゃあ、異世界で。チートがあるなら、それでのんびり。正直、もう、あんまり頑張りたくない」
自分の口から出た声は、我ながらずいぶん年季の入った疲れ方をしていた。
寝起きに見る会社のロゴ。昼休みに確認する進捗チャンネル。退勤後にまで増え続ける未読の山。
もしかすると俺は、誰かに〝もう十分やった〟と肩を叩いてほしかったのかもしれない。
「なるほどね~」
女神は軽く頷くと、顎へ人差し指を当てながら空中へ視線を泳がせた。
すると、一瞬でその目つきが変わる。
まるで何かを作ることだけに意識を集中させたような顔になり、彼女の周囲へ薄い魔法陣のような光の輪が、音もなく幾重にも浮かび上がっていった。
「楽して……快適で……かわいくて……目立って……でも守られやすくて……あ、可動域は大事……装備は──うんうんうん」
「え、今なにを」
「設定中だから話しかけないで!」
「すみません」
反射的に謝ってしまった。
社会人十五年で身体に染みついた条件反射というものは、死んだ程度では抜けないらしい。
女神はそんな俺を気にする様子もなく、小さく独り言を続けていく。
「骨意匠は外せないでしょ……柄は白骨、鍔に小髑髏……刀身はミラー仕上げ……自動迎撃は基本……呼べば飛んでくるのも当然……よしよし」
……骨?
小髑髏?
何やら不穏な単語が聞こえた気がするが、聞かなかったことにしよう。
彼女を囲んでいた光輪はさらに層を増していき、周囲に咲いていた花の花弁までふわりと持ち上がると、小さな渦を作り始めた。
鼻をくすぐる花の香りも、先ほどよりずっと濃くなっている。空気そのものに甘さが混じったようだった。
──ずいぶん現実味があるな。
夢にしては、五感が働きすぎている。
それでも俺は、意地でも夢だと決めることにした。
夢なら、いつか目が覚める。
そして目覚めたあとには、また始業時間がやって来る。
そう考えた途端、せっかく軽くなっていた胸の真ん中が、ほんの少しだけ重くなった。
「よし、設定完了!」
女神の弾んだ声に顔を上げる。
彼女はこちらへ向き直ると、無邪気さだけでできているような満面の笑みを浮かべた。
「いってらっしゃい!」
「ちょ、待っ──」
最後まで言い切ることはできなかった。
眩い光が視界の端から端まで一気に広がり、周囲の音が瞬く間に遠ざかっていく。
残ったのは風の感触だけだったが、それすらもすぐに消えていった。
最後に見えたのは、ゆらりと揺れる女神の金色のツインテール。
そして腰に下がった骨のチャームが、ひとつだけチリ、と鳴ったような気がした。
────
世界が戻る。
最初に感じたのは、足元の硬さだった。
「……石畳?」
足裏には確かな感触がある。
顔を上げると、目の前には木造の家々が立ち並び、二階の出窓からは洗濯物らしい布が干されていた。
近くの屋台からは焼いた肉の香ばしい匂いが流れてきて、遠くでは鐘の音が響いている。
通りを行き交う人々は粗いリネンの服を身につけ、腰には小袋や短剣を下げていた。兵士らしき男たちは槍を肩へ担いで巡回し、その横を子どもたちが駆け抜けていく。犬が吠え、どこかでは婆さんが洗濯物を叩いている。
──異世界、だ。
心臓が二度、大きく跳ねた。
「マジで……本当に来たのか」
こみ上げてくる興奮に、思わず拳を握る。
会社のロゴの代わりに、石造りの時計塔がある。
未読の山の代わりに、青い空と白い鳩がある。
そう思った瞬間、胸の奥で何かがほどけていくような気がした。
だが、そこでようやく気づく。
通行人たちが足を止め、こちらを見ていた。
一人、また一人と視線が集まり、次第にざわめきが輪のように広がっていく。
男たちはなぜか顔を赤くし、女の人たちは口元を押さえて目を丸くしていた。
小さな子どもが俺を指さしながら、
「ママ、あれなにー」
と尋ねれば、その母親は慌てて子どもの手を下ろさせる。
「見ちゃだめ」
その言葉を聞いた瞬間、ものすごく嫌な予感が背中をつついた。
ゆっくりと、恐る恐る自分の身体へ視線を落とす。
金髪のツインテール。
雪のように白い肌。
そして──ハイレグアーマー。
両肩には黒光りする髑髏の肩当てがあり、腰では白骨のチャームがチリチリと鳴っている。
さらに腰には、一本の剣まで提げられていた。
柄は白骨を束ねたような造形で、そこには小さな髑髏が埋め込まれている。
恐る恐る鞘から少しだけ引き抜いてみると、刀身は鏡のように磨き上げられており、街並みと空、そして俺自身の顔まではっきりと映し出した。
そこにあったのは、エメラルド色の瞳をした、あの女神そっくりの美少女の顔。
ただし目の下には、社会人だった頃と同じ位置に、同じ形をした薄いクマが残っていた。
頬をつねってみる。
痛い。
深呼吸をすれば、胸が大きく上下する。
しかもこんな状況だというのに、心のどこかでは〝腰が軽いのはありがたいな〟と思っている自分までいた。
それが妙に腹立たしい。
「…………ただの変態じゃねぇかああああ!!!」
俺の悲鳴が石畳の街路を一気に駆け抜け、時計塔の辺りで増幅されて空へ散っていった。
どこかで犬がびくりと身体を震わせて吠え、驚いた子どもが泣き出し、巡回中の兵士がこちらを指さす。
「なんだあいつ」
俺は──いや、女神そっくりのハイレグ美少女になった俺は、両手で顔を覆った。
神様。
お詫びって、もっとこう……心に優しい方向ってなかったんですか。
そんな俺を嘲笑うかのように、腰の骨のチャームがチリチリと小さく鳴っていた。
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