【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
先日購入した化粧品とウィッグが、ブルム家へ届けられた。
化粧品は、大小さまざまな小瓶や容器に加え、細い筆や刷毛、柔らかな布まで揃っている。
栗色のウィッグも、注文した通り同じ物が二つ届いた。
これで、必要な道具は一通り揃った。
あとは使い方を覚えるだけだ。
せっかく高い金を払って買ったというのに、まともに扱えなければ意味がない。
早いうちにネリィへ頼んで、メイクを教えてもらわなければならないだろう。
ネリィの家までの道順は聞いている。
ただ、何の連絡もせず突然押しかけるのはよくない。
まずは夜蜜亭へ行き、休みの日を確認して、教えてもらう約束を取りつけるのが無難だろう。
決して、夜蜜亭でジーナに会いたいわけではない。
ましてや、前回みたいなことをしてほしいなどとは考えていない。
……いや、ちょっとはしてほしい。
正直に言えば、かなりしてほしい。
あの柔らかい身体に抱き締められたり、頭を撫でてもらったり、好きなだけ甘やかしてもらえた時間を思い出すだけで、身体の奥がむずむずしてくる。
「いやいや……」
俺は一人、首を横へ振った。
化粧品とウィッグを買ったせいで、手持ちの金はかなり減っている。
今夜くらいなら遊べないこともないが、ここで使えば本当に余裕がなくなってしまう。
金も稼がなければならない。
遊ぶにしても、先立つ物が必要なのだ。
……でも、一回くらいなら。
「うー……いかんいかん」
また気持ちが揺らぎかけている。
今日はネリィへメイクを教えてもらう約束を取りつけるために行くのだ。
ジーナへ会いに行くわけではない。
そう何度も自分へ言い聞かせながら、その日の夕食を終えた。
今日は皆に、眠いから早めに休むと伝えてある。
部屋へ戻ると扉を閉め、しばらく人が訪ねてこないことを確かめてから、外へワープした。
いつものローブを羽織り、フードを深くかぶる。
購入した化粧品と栗色のウィッグは、すべてアイテムボックスへ入れてある。
そして、頭には夜蜜亭でもらった青いウィッグを被っておいた。
化粧はしていないが、ウィッグを被るだけで少なくとも普段の俺とは印象が変わる。
顔をフードで隠している間は、髪色が違うだけでも気づかれにくくなるはずだ。
俺はいつもの道を通り、娼館街へ向かった。
以前来た時ほど、通り全体が人で溢れている様子はない。
店先から客を呼ぶ女性たちの声は飛び交っているが、人の流れには多少余裕があった。
今日は少し落ち着いているのだろうか。
そう思いながら歩いていたのだが、夜蜜亭が近づくにつれて、通りを行き交う人間の数が目に見えて増えていった。
「……何だ、これ」
夜蜜亭の前だけ、異様なほど人が多い。
ほかの店の前は普段とさほど変わらない。
それなのに、夜蜜亭の周囲には男たちが集まり、入口の方を何度も窺っている。
店へ入るために並んでいる者もいれば、壁際に立ったまま誰かを待っているような者までいた。
何か催しでもあるのだろうか。
それとも、有名な娼婦でも出勤しているのか。
俺はフードをさらに深くかぶった。
顔を隠したまま、できる限り店の関係者らしい雰囲気を出して人の間を進む。
「すみません、通ります」
「あっ、悪い」
「店の子か?」
声をかけられたが、返事はせずに人垣をすり抜けた。
どうにか入口へたどり着き、夜蜜亭の中へ入る。
外だけではない。
店内もかなり混雑していた。
受付の前には何人もの男が並び、待合用の席もほとんど埋まっている。
酒を飲みながら落ち着かない様子で入口を振り返る者もいれば、受付へ何度も何かを尋ねている者もいた。
「ですから、来ておりません」
強面の男性店員が、疲れた顔で客に対応している。
「今日は来るかもしれないんだろ?」
「そんなことは申しておりません」
「昨日も同じこと言ってたじゃねえか。いつ出勤するんだよ」
「そーだ! そーだ!」
何の話をしているのだろう。
忙しそうだし、少し落ち着くまで待った方がよいかもしれない。
そう考えていた時、男性店員と目が合った。
口が、きれいな丸の形に開く。
「……お」
男の動きが、ぴたりと止まった。
次の瞬間だった。
「お客様方、少々お待ちくださいぃぃ!」
「えっ?」
男性店員は素早く受付を飛び出すと、俺のところまで駆け寄ってきた。
周囲へ目を走らせ、客たちがまだ気づいていないことを確認する。
「ちょっと来い!」
「ちょ、ちょっと──」
抵抗する間もなかった。
男は俺の身体を軽々と抱え上げ、そのまま店の奥へ走り出した。
「な、何なんですか!? 下ろしてください!」
「声を出すな! 見つかる!」
「見つかるって、誰に!?」
返事はない。
店員は廊下を凄い勢いで駆け抜けると、以前使った衣装室の扉を開け、俺を中へ押し込んだ。
続いて自分も入ると、扉を素早く閉じる。
「な、何なんですか、いきなり!」
俺が抗議すると、男は扉へ耳を当て、外の様子を確認した。
誰も追ってきていないとわかったのか、ようやく大きく息を吐く。
それから、改めて俺を見た。
「……モモだな?」
「そう、ですけど」
「ふぅ……危なかった……」
男は力が抜けたように、その場で肩を落とした。
何だ、その反応は。
「一体、どうしたんですか? 今日、随分と混んでいるみたいですけど」
「……お前だよ」
「……私?」
「ああ」
男は疲れ切った顔で頷いた。
「お前、先日ここで客引きをしただろう」
「しましたけど……」
あの時はネリィとジーナに頼まれ、店の前で客を呼んだ。
だが、それだけだ。
「もう何日も前の話ですよね?」
「そうだ……もう何日も経っている」
男は重々しく答えた。
「それなのに、連日お前を求めて客が押しかけてきている」
「……え?」
「モモを出せ、モモはいつ出勤するんだ、今日は来るのか。毎日そればかりだ」
「えええええっ!?」
思わず大声が出た。
男が慌てて俺の口を手で塞ぐ。
「声を抑えろ! 外に聞こえる!」
「むぐっ……」
俺が頷くと、男は手を離した。
「ま、待ってください。外にいた人たちも、店の中にいる人たちも、私目当てなんですか?」
「全員ではない。だが、かなりの数はそうだ」
嘘だろ。
俺はたった一晩、それも少しの間、客引きをしただけだ。
「どうして、そんなことに……」
「噂が広まったんだろうな。青い髪をした、とんでもなく綺麗な新人が夜蜜亭に入った、と」
あー……。
そういえば、客引きをしていた時、指名できるかとか聞かれて、適当に「新人だからわかりません」とか答えた気がする。
もしかして、あれが原因か?
男は額を押さえた。
「だが、お前を出せないと言えば言うほど、滅多に姿を見せない特別な嬢だと勝手に話が広がってな」
「何ですか、それ……」
「おまけに、お前とネリィが二人がかりで客を相手にしたという話まで、どこからか漏れたらしい」
「いやそれは……」
レーちゃんのことだろうが、あれは踏んだだけというか……。
「大半の連中は、一度店へ入り、酒を飲んだり別の嬢を選んだりしてくれる。おかげで売上自体はかなり上がった」
「それなら、よかったんじゃないですか?」
「それだけならな」
男は深いため息をついた。
「お前がいないと知っても、閉店近くまで待ち続ける奴がいる。店へも入らず、外でずっと入口を見張っている奴まで出てきた」
「それって、もう客じゃないですよね……」
「その通りだ。入口を塞がれれば、普通の客まで入りづらくなる」
外にいた男たちの一部は、モモが現れるのを待っていたのか。
勘弁してほしい。
「そこでだ」
男性店員が、急に真剣な顔で俺を見る。
「お前、本当にここで働かないか?」
「無理です」
「返事が早いな」
「当たり前です」
俺は即座に答えた。
夜蜜亭そのものが嫌いなわけではない。
ネリィやジーナには世話になっているし、店の人間も今のところ悪い人たちではない。
だが、ここで働くということは、客を取るということだ。
「だって働くって、客引きじゃなくて、嬢としてですよね?」
「まあ、そうなるな」
「男の人と寝るのは絶対に嫌です」
「……この際、寝なくてもいい」
「……え?」
予想外の返事だった。
男性店員は腕を組み、少し考えるように顎へ手を当てる。
「普通の嬢として働かなくても、お前なら何とかなる」
「どういう意味ですか?」
「特殊な遊び専門にする」
「と、特殊な遊び……?」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中に色々な光景が浮かんだ。
ジーナに身体を縛られたり、変わった道具を使われたり、普通とは違う格好をさせられたり。
ちょっと興奮してきたな……いや、何を想像しているんだ、俺は。
少しやりたくなってしまったぞ。
一旦、落ち着こう。
「具体的には、何をするんですか?」
「客に身体を触らせない。服も脱がない。お前は命令をしたり、罵ったり、場合によっては足で踏んだりするだけだ」
「だけって言いました?」
「寝るよりは軽いだろう」
「人の顔を踏むのも、十分おかしいと思いますけど」
というか、やはりレーちゃんと同じような接客ではないか。
「この間、ネリィと一緒に客を取った時、お前はそういうのが向いていると聞いている」
「誰から聞いたんですか」
「ネリィだ」
「何を言ってくれちゃってるんですか、あの人は……」
人の顔を踏んだり、蹴ったりすることに向いていると言われても、まったく嬉しくない。
「もちろん、いきなり一人で客につけたりはしない。必ず経験のある嬢と一緒に入ってもらう」
「それでも嫌ですよ」
「報酬は弾むぞ」
「いくらですか?」
反射的に聞いてしまった。
男の口元が、わずかに上がる。
しまった。
「今、食いついたな」
「食いついてません。確認しただけです」
「そういうことにしておこう」
男は具体的な金額を告げた。
「……そんなにもらえるんですか?」
想像していたより、かなり高い。
一晩で化粧品代の相当な部分を取り戻せる。
ウィッグ代まですぐにとはいかないが、何度か働けば手持ちにも余裕が戻りそうだ。
いやいや。
だからといって、男の客を相手にしてよい理由にはならない。
「どうだ?」
「お金の問題だけじゃありませんから」
「条件は聞く。嫌なことは断って構わない」
「そう言われても……」
俺が迷っていると、衣装室の扉が開いた。
「あ……」
姿を見せたのはネリィだった。
「モ、モモちゃんだぁ……」
「ネリィさん?」
明らかに様子がおかしい。
髪は少し乱れ、目の下には薄く隈ができている。
普段なら綺麗に整えられている衣服にも、どことなく疲れがにじんでいた。
まさに疲労困憊といった姿だ。
「ど、どうしたんですか?」
「モモちゃん……」
ネリィは弱々しく俺へ近づいてくる。
「助けて……」
そう呟くと、俺の身体へ倒れ込んできた。
「ちょ、ちょっと、ネリィさん!?」
慌てて抱き留める。
身体に力が入っていない。
冗談ではなく、本当に疲れているらしい。
「私……基本的には予約のお客さんしか取ってないんだけど……」
「はい」
「モモちゃんと一緒に客を取ったのが私だって、どこからか広まっちゃって……」
ネリィは俺の肩へ額を預けたまま、か細い声を出す。
「モモちゃんがいないなら、せめて私をっていうお客さんまで増えたのよ……」
「そんなことに……」
「予約の合間まで埋められて……休憩時間もほとんどなくて……ずっと……」
ネリィが顔を上げた。
目には涙がたまり、普段より弱々しい表情をしている。
疲れた顔なのに、妙に艶っぽい。
「モモちゃん……お願い……助けて……」
そんな顔で頼まれたら、断りづらい。
ここで見捨てたら、男がすたるのではないか。
いや、今は女だけど。
「わ、わかりました。私にできることなら、お手伝いします!」
俺がそう答えた瞬間だった。
ネリィの瞳へ、急に力が戻った。
「よーし! 言質取ったわ!」
「えっ?」
「モモちゃん、一緒に働くってことでいいのね!」
「ええっ!? 今の演技だったんですか!?」
ネリィは俺の身体から離れると、満面の笑みを浮かべた。
「全部が演技じゃないわよ。本当に限界なの」
「でも、今、急に元気になりましたよね?」
「希望が見えたからよ」
そう言った直後、ネリィの身体がふらついた。
「わっ」
「危ない!」
再び抱き留める。
どうやら、疲れているのは本当らしい。
「ほらね?」
「誇らしげに言うことじゃないですよ……」
ネリィは俺へ寄りかかったまま、少し困ったように笑う。
「お願い、モモちゃん。毎日じゃなくていいの。今日一度だけでも、店にいるところをお客さんに見せてほしいのよ」
「見せる?」
「モモちゃんが本当に在籍していて、普通の接客はしないってわかれば、興味本位で待ち続ける人も減るでしょう?」
「でも、在籍しているとわかったら、余計に客が増えるんじゃないですか?」
「普通に相手をしてもらえると思ってる人が多いから、こんなに押しかけてくるのよ」
ネリィは人差し指を立てた。
「モモちゃんは特殊な遊び専門。身体には触れられないし、普通の接客も一切しない。それを本人の姿を見せながら、みんなに説明するの」
「私を客の前へ出すんですか!?」
「少し顔を見せるだけよ」
「そのあと、誰かを相手にするんですよね?」
「私と一緒に、一人だけ」
「嫌ですよ!」
即座に断る。
ネリィは両手を合わせた。
「お願い! それで今後、興味本位の人はかなり減るはずなの」
「減りますかね……」
「命令されたり、罵られたり、足で踏まれたりしたい人なんて、そんなに多くないわよ」
「レーちゃんみたいな人が大量に来たら、どうするんですか」
「あの人みたいなのは、そうそういないわよ」
「本当ですか?」
「本当、本当」
ネリィは何度も頷く。
「それに、モモちゃん一人では絶対に客につけない。私がずっと一緒にいるわ」
「……絶対ですか?」
「絶対」
「男の人と寝るのはなしです」
「もちろん」
「服も脱ぎません」
「脱がなくていいわ」
「身体に触らせるのもなし」
「モモちゃんが許可しない限り、触らせない」
「嫌だと言ったことは、すぐに止めてもらいます」
「ええ」
「危ないと思ったら、途中でも終わりです」
「それも約束するわ」
「毎日働くのも無理です」
「出られる時だけでいいぞ」
こちらが条件を口にするたび、二人は迷わず頷いた。
「店としても、その条件で構わない。お前に逃げられる方が困るからな」
「逃げる前提なんですか……」
「嫌なことを無理にやらせれば、二度と来ないだろう」
「まあ、そうですけど」
条件だけを聞けば、危険はかなり少ない。
ネリィが一緒なら、何かあってもすぐ止めてくれるだろう。
それに、提示された報酬は魅力的だった。
化粧品とウィッグで減った手持ちを考えれば、正直かなり助かる。
だが……。
「ううん……」
俺が唸っていると、ネリィが俺の両手を握った。
「お願い、モモちゃん!」
「……本当に、嫌なことは断っていいんですよね?」
「もちろんよ」
「ネリィさんが必ず一緒にいるんですよね?」
「最初から最後まで、ずっと一緒」
「うー……わかりました」
口から出た言葉に、自分でも驚いた。
「一度だけ、試してみます。でも、無理だと思ったらすぐにやめますからね」
「ええ。それでいいわ!」
ネリィの顔が一気に明るくなる。
「ありがとう、モモちゃん!」
「その代わり、メイクはちゃんと教えてくださいよ。私は、そのために来たんですから」
「もちろん! 今日は私がしてあげるし、次のお休みには家でゆっくり教えてあげる」
「絶対ですよ」
念を押すと、ネリィは笑顔で頷いた。
何だか、上手く丸め込まれた気がする。
ネリィにメイクを教えてもらう約束を取りつけるために来ただけだった。
それなのに、どうして夜蜜亭で働く話になっているのだろう。
……っていうか、ここに来るたびに、変な方向に話が進んでないか?
「それで、今日は何をすればいいんですか?」
「まずはメイクを整えて、衣装を選びましょう」
「そのあと、客の前へ出るんですよね……」
「ええ。モモちゃんが本当にいるところを、みんなに見せるの」
「うぅ……」
今から気が重い。
客たちの前で、特殊な遊び専門だと紹介される自分の姿を想像するだけで、顔が熱くなる。
「とりあえず、準備しましょう」
「は、はい……」
それから俺は、ネリィによって手早く化粧を施された。
今日は客の前へ姿を見せるため、以前よりも少し華やかな仕上がりになっている。
目元は青いウィッグに合う色で彩られ、唇にも艶が加えられた。
客には身体を触らせない代わりに、見た目だけは大胆にする方針らしく、用意された衣装はかなり露出が多かった。
鏡に映った姿を見て、思わず息を呑む。
この前、客引きをした時に着ていた衣装より、さらに……うん、ヤバいぞこれ。
胸元も脚も露わになり、少し動いただけで色々見えてしまいそうだ。
いやいやいや、こんなのを着て客の前に出るなんて無理だろ!
どう見ても、変態みたいなドスケベ衣装じゃないか!
「どう?」
「いやいやいや! こ、こんなの着てたらおかしいでしょ!?」
「大丈夫よ、私も同じような衣装を着るし! それに、モモちゃんには絶対に触らせない代わりに、衣装はちょっと大胆にしてるって感じ!」
「い、いやぁ……そうは言ってもですね……」
いやいや、色んな物が飛び出しそうというか、ほとんど見えかけてるって……。
さ、触らせないとは言え、これはちょっと……。
躊躇している俺にネリィが楽しそうに笑った。
「それだけ可愛くてえっちな衣装なら、みんな大喜びよ」
「私は全然嬉しくないですけど……」
「さ、行くわよ!」
「え、ちょ、ちょっと! 本当にこれで!?」
納得していないまま、ネリィに手を引かれ、衣装室を出される。
店の奥から広間へ近づくにつれ、客たちの話し声が大きくなっていく。
男性店員が先に広間へ出た。
「申し訳ございません、お静かに願います!」
男性店員の声が響く。
騒がしかった店内が、少しずつ静まり返っていった。
「今夜は、皆様がお待ちかねのモモが出勤しております」
その言葉だけで、店内が再びざわめく。
「まさか……」
「モモちゃん!」
「本当に来てるのか!?」
俺は思わず足を止めた。
「ひぇっ……や、やっぱり、帰っていいですか?」
「駄目よ」
ネリィが俺の腕をしっかりつかむ。
「大丈夫。私が一緒にいるから」
「うぅ……」
仕方なく、ネリィと並んで広間へ出た。
青い髪が揺れた瞬間、客たちの視線が一斉にこちらへ集まる。
一瞬、店内から音が消えた。
次の瞬間。
「おおおおっ!」
「モモだ! やっぱすげぇかわいいな!」
「めっちゃエロい服だ!」
「本当にいたぞ!」
「モモちゃーん!」
割れんばかりの歓声が上がった。
やめてくれ。
名前を連呼するな。
恥ずかしすぎる。
自分でも顔が真っ赤になっているのがわかるくらい熱い。
俺はネリィの隣に立ちながら、できるだけ顔を伏せた。
男性店員が、客たちを手で制する。
「お静かに願います! モモについて説明があります!」
歓声が少しずつ収まっていく。
ネリィが一歩前へ出た。
「みなさん。モモちゃんは本日より、不定期ではありますが、夜蜜亭へ出勤することになりました」
再び喜びの声が上がる。
え、ちょっと待って。不定期って、これからも続けることになってない?
「ただし!」
ネリィが強い口調で続ける。
「モモちゃんは、普通の接客をする子ではありません」
「普通じゃない?」
「どういうことだ?」
客たちが顔を見合わせる。
「モモちゃんは、特別な遊びを望む方だけを相手にします。身体に触れることも、寝ることも一切なし。優しくお酒を注いだり、甘い言葉をかけたりすることもありません」
客たちの表情が少しずつ曇り始めた。
「モモちゃんから命令されたい方。冷たい言葉で罵られたい方。場合によっては、足で踏まれたり、蹴られたりしても喜べる方だけです」
店内が、しんと静まり返った。
先ほどまでの熱気が、嘘のように消えている。
「踏まれる……?」
「いや、俺は普通に酒を飲みたかっただけで……」
「触ることもできねえのか?」
「罵られるのはちょっと……」
「俺、そういう趣味はないんだけど……」
「モモちゃん、そんなにかわいいのに凶暴なの……?」
そこかしこから、困惑した声が上がった。
当然だ。
俺だって、逆の立場なら遠慮する。
というか、そんなにはっきり説明しなくてもよいのではないだろうか。
これでは、俺がめちゃくちゃバイオレンスな人みたいじゃないか。
顔から火が出そうだ。
「これで、かなり減りそうね」
ネリィが俺の耳元で小さく囁いた。
「減るのはいいですけど、私の評判はどうなるんですか……」
「特殊な遊びが好きな子?」
「最悪ですよ」
大半の客は、すっかり勢いをなくしていた。
中には興味深そうな顔をしている者もいるが、すぐに名乗り出るほどではないらしい。
よし、誰も来ない。
少し安心した。
これなら、姿を見せただけで終わるかもしれない。
「それでもモモちゃんを指名したい方はいますか?」
ネリィが客たちへ尋ねる。
誰も答えない。
店内には、気まずい沈黙だけが流れた。
そりゃ、そうだろう。
普通の男なら、わざわざ金を払って踏まれたいとは思わない。
よしよし、いいぞ……!
今日はこのまま帰って、改めてネリィとメイクの約束だけ──。
「構わねえ!」
突然、店の奥から野太い声が響いた。
椅子が大きな音を立てて後ろへ滑る。
一人の大柄な男が勢いよく立ち上がった。
「踏まれようが、罵られようが、何だって構わねえ!」
太い腕。
鍛え上げられた大きな身体。
顔だけ見れば、堅気にはとても見えないほど厳つい。
見覚えしかない。
門の前で出会った、三人組のアニキ。
ドーガンだった。
「俺はモモちゃんに会いに来たんだ! 遊びの内容なんて関係ねえ!」
ドーガンは真剣な顔で俺を見つめ、力強く胸を叩いた。
「俺がモモちゃんを指名する!」
……どうして。
よりによって。
「うそやろ……」
思わず漏れた俺の呟きは、客たちの歓声にかき消された。