【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
高台にあるブルム家の屋敷を出て、俺たちは街へ向かって坂を駆け下りていた。
走れば走るほど、遠くから聞こえていた音が大きくなっていく。
何かが崩れる音。怒鳴り声に泣き声。
そして──悲鳴。
「……っ」
隣を走るシエルの表情が強張った。
俺も何も言えないまま、坂を下りきって大通りへ出る。
そこには、さっきまで屋敷から見ていた光景とは比べものにならないほどの惨状が広がっていた。
「どけ! 早く逃げろ!」
「こっちだ! こっちへ来い!」
「お母さん! お母さんっ!」
大勢の人が、俺たちとは逆方向へ走っていく。
転びそうになりながら子供の手を引く母親。肩を貸し合う男たち。頭から血を流しながら、必死に歩いている老人。
俺たちは、その人波に逆らうように盾の会の本部がある方角へ走った。
道中は──酷いもんだった。
崩れた建物に、横倒しになった荷車。
折れた武器を握ったまま動かない冒険者。
道端には鎧を着た騎士や兵士だけじゃない。戦う術なんて持っていないであろう街の人たちまで倒れている。
地面に広がった血溜まりへ、誰かの手が沈んでいた。
「……酷い」
シエルが口元を押さえ、青ざめた顔で呟く。
「…………」
俺は奥歯を噛み締めた。
胸の奥がむかむかする。
誰がやったのか。
何のために、こんなことをしているのか。
今は何も分からない。
だけど──。
「急ごう」
俺は前を向いた。
「これ以上、被害を出させないためにも」
「……はい」
シエルが小さく頷き、再び走り出す。
マルルゥは何も言わない。
倒れている人たちを見ても、その表情はほとんど変わらなかった。
ただ、いつも浮かべているような軽い笑みは、どこにもない。
前だけを見て、黙ったまま俺たちと一緒に走っている。
それからも、何人もの死体を見た。
そのたびにシエルの表情は曇ったが、それでも足を止めることはなかった。
盾の会まで、あと少し。
そう思った時だった。
ドォン──! と、建物の角、その向こうから大きな音が響いた。
「……近い!」
続けて聞こえてくるのは、怒号と金属がぶつかり合う音。それに混じって、魔物らしき唸り声まで聞こえてくる。
「あの先か」
角へ向かおうとして──。
「待ってください!」
シエルの声に、俺は足を止めた。
「どうした?」
「ここ……」
シエルが見ていたのは、半壊した建物の前だった。
「……っ」
そこにも、大勢の人が倒れている。
兵士。
冒険者。
盾の会の人間らしき、盾の紋章を身につけた者もいた。
ただ、さっきまで見てきた死体とは違う。
僅かに身体が動いている。胸が上下している者もいた。
「おい! 大丈夫か!?」
近くに倒れていた男へ駆け寄り、肩を叩く。
「おい!」
「…………」
返事はない。
腹部の鎧が砕け、隙間から大量の血が流れている。呼吸も浅い。
「くそっ……」
周りを見れば、すでに息をしていない者もいる。
だが──まだ生きている者も多い。
このまま放っておいたら、たぶん。
「アウラさん」
シエルが俺の横を通り過ぎた。
「シエル?」
シエルは倒れている人たちの前で立ち止まると、空中へ手を伸ばした。
アイテムボックスだ。
中へ手を入れ、取り出したものを見て、思わず声が出る。
「……でかっ」
大きな杖だった。
シエルの身長と同じくらいあり、白を基調にした杖の先端には青い宝石のようなものまで付いている。
いかにも『凄い魔法の杖です』と主張しているような見た目だ。
「それ、何だ?」
俺が尋ねると、シエルがこちらへ近づいてきた。
そして、マルルゥには聞こえないよう、俺の耳元へ顔を寄せる。
「ただ見た目が豪華なだけの杖ですが、少しだけ回復魔法が使える魔道具、ということにします」
「へ?」
「これを使って、杖の力で治していることにします」
「なるほど……」
確かに、この杖を持っていれば何かすごいことができそうには見える。
だが──。
「でも、大丈夫なのか?」
「はい?」
「これだけの人を回復したら、いくら杖のせいにしても目立つぞ。それに、教会に居場所がバレるかもしれない」
「…………」
シエルが倒れている人たちを見る。
苦しそうに呻く者。自分の腹を押さえながら震えている者。小さな声で、痛い、と繰り返している者もいる。
少し離れた場所では、誰かが泣いていた。
シエルはしばらく黙っていたが、やがて俺を見る。
「……その時は、その時です」
さっきまで青ざめていた瞳に、強い光が宿っていた。
「救える命があるなら、私は救います」
「…………」
やっぱり、こいつ聖女なんだな。
そんなことを思った。
「それに、全部は治しません」
シエルが続ける。
「出血を止めて、自力で逃げられる程度までにします。それなら、この杖の力だと言っても、そこまで不自然ではないと思います」
「……分かった」
俺は頷いた。
「ここは頼む」
「はい」
「でも、無茶するなよ。危ないと思ったらすぐ俺たちのところに来い。それも無理なら、屋敷まで戻れ」
「分かりました!」
シエルが力強く頷く。
「終わったらすぐに追いかけます」
「ああ」
俺はシエルを残し、少し先で待っていたマルルゥのところへ向かった。
「行こう」
「……うん」
二人で角へ向かう。
その間にも、背後からシエルの声が聞こえた。
「大丈夫です。今、治しますから」
振り返りたい気持ちを抑えて、前を見る。
そして、建物の角を曲がった瞬間──俺の足が止まった。
「……は?」
真っ先に目へ飛び込んできたのは、巨大な影だった。
いや、あれは──。
「ドラゴン……?」
そう呼んでいいと思う。
大きな体躯に太い四肢。そして巨大な翼。
爬虫類を思わせる頭部には、人間なんて簡単に噛み砕けそうな牙が並んでいる。
ただし、生きているドラゴンとはとても思えなかった。
身体のあちこちが腐り落ち、腹部からは骨まで覗いている。片方の翼は穴だらけで、潰れた眼球の眼窩からは半透明の粘液が垂れていた。
そして何より。
「……スライム?」
その全身に、びっしりと何かが張り付いている。
肉の隙間や骨、関節、翼にまで。
まるで腐った身体を無理やり繋ぎ止めるように、無数の粘液が這い回っていた。
ドラゴンゾンビ。
そうとしか見えない。
「ガァァァァァァァァ!!」
腐敗したドラゴンが吠えた。
「ブレスが来るぞおおおお! 散れぇぇぇ!」
誰かが叫ぶ。
ドラゴンの喉の奥が赤く光り、次の瞬間、ゴォォォォォォ──! と猛烈な炎が吐き出された。
「うわああああっ!」
建物の前にいた者たちが一斉に逃げる。
炎が地面を舐め、石畳が黒く焼け焦げた。盾の会の本部らしき建物にも火の粉が降り注いでいる。
その周辺には、大勢の人が倒れていた。
血溜まりに沈んでいる者。
身体を焼かれた者。
それでも立ち上がり、武器を握っている者。
誰も逃げてはいない。
「押し返せ!」
「左から来るぞ!」
「そいつの首を落とせ!」
ドラゴンだけじゃない。
周囲には、腐敗した小型の魔物も大量にいた。
狼のような魔物。人ほどもある蜘蛛。二足歩行する蜥蜴のような魔物。
どれも身体の一部が腐り、スライムのようなものに覆われている。
盾の会の剣士が、その一体へ斬りかかった。
「おおおっ!」
剣が首を斬り落とし、頭部が地面を転がる。
「やったか!?」
「まだだ!」
別の男が叫んだ。
頭を失ったはずの魔物の身体が動く。
「なっ!?」
地面に落ちた頭から半透明の粘液が伸び、胴体から伸びたものと絡まり合った。
「くそっ! だめか!」
切断された頭が、ずるりと元の位置へ引き戻される。
「そんなのありかよ!」
別の場所では、斧を持った男が魔物の腕を切り落としていた。
だが、それも同じだった。
スライムが千切れた腕を拾い上げるように包み込み、無理やり元の場所へ戻していく。
魔法が直撃し、腹に大穴を開けられた魔物すら、穴の中へ粘液が流れ込むと徐々に塞がっていった。
「……何だよ、あれ」
倒せない。
盾の会の連中は弱くない。
むしろ連携が取れていて、とても強いように見える。明らかに手練れが多い。
だけど──いくら傷つけても倒れない。
いくら押し返しても、また起き上がる。
これでは、ジリ貧だ……。
そんな中、一人だけ明らかに動きの違う奴がいた。
黒い全身鎧。
「サイラス……」
隣から、小さな声が聞こえた。
「え?」
マルルゥを見ると、その足が止まっていた。
顔から血の気が引いている。
視線の先には──黒い鎧の男。
「おおおおっ!」
サイラスが凄まじい速度で槍を突き出し、ドラゴンゾンビの足へ一撃を叩き込む。
すぐに横へ飛ぶと、小型の魔物の胸を貫き、そのまま槍を振り回して別の一体を吹き飛ばした。
さっきから全く休むことなく動き続けている。
周囲の連中は皆、肩で息をしているというのに、サイラスだけは戦い始めたばかりみたいな動きだ。
「すげぇな……」
だが、サイラスがどれだけ強くても、敵が死なないのは同じだった。
胸を貫かれた魔物が、槍を引き抜かれた直後にまた動き出す。
「くっ!」
サイラスは槍の柄でその魔物を思い切り殴りつけた。
ドンッ! という音と共に魔物の身体が宙を飛び──。
「うおっ!?」
こっちへ来た。
考えるより先に身体が動いた。
腰の魔剣を抜き、飛んできた魔物を横薙ぎに斬り裂く。
その瞬間だった。
魔物に張り付いていたスライムがぶくぶくと泡立ち、魔剣が触れた場所から黒く変色していった。
ジュウゥゥ……と嫌な音を立てながら縮み、煙まで上げていく。
やがて完全に萎むと、魔物の身体が地面へ崩れ落ちた。
以前見た光景だ。
オーロック門で冒険者たちを襲っていた魔物も、同じようにスライムに塗れていた。
そして、あの時も。
俺の魔剣で斬った奴だけは、起き上がらなかった。
「すげぇ!」
近くにいた盾の会の男たちが声を上げる。
「そいつ……死んだのか!?」
「さっきまで何しても起き上がってきたのに、立ち上がってこないぞ!?」
やっぱりだ。
あの時と同じ。
だとしたら──。
まさか、あの骸骨仮面の男がまたこの街に来ているのか?
「……今、そいつを倒したのか?」
低い声がした。
黒い兜が、こちらへ向いている。
サイラスだ。
「その剣……君は一体──」
そこで、サイラスの動きが止まった。
兜が、俺の隣へ向く。
「……マルルゥ?」
マルルゥの肩が、びくりと震えた。
次の瞬間、弾かれたように踵を返す。
「お、おい!」
「待ってくれ、マルルゥ!」
サイラスの声が響き、マルルゥの足が止まった。
背中を向けたまま動かない。
「……君に言わなければならないことは、たくさんある」
サイラスが槍を握ったまま、深く頭を下げる。
「だが、今は街の一大事だ」
その横から魔物が飛び掛かった。
「危な──」
俺が声を上げるより早く、サイラスが顔を上げる。
槍が閃き、魔物の腹を貫いて、そのまま横へ投げ飛ばした。
そして、もう一度マルルゥを見る。
「今だけでいい。どうか、力を貸してほしい」
マルルゥは何も答えなかった。
しばらく俯いていたが、やがてゆっくりと振り返る。
その目はサイラスを見なかった。
代わりに、まだ大量に残っている魔物の群れへ向けて片手を上げる。
「《ディスインテグレイト》」
赤い球体が、一つ、二つ、三つと生まれ、さらに数を増やしていく。
マルルゥが指先をくるくると回した。
まるで糸の見えない操り人形を動かすように、赤い球体が一斉に飛ぶ。
ジュッ! と一体の魔物の肩が消え、続けて別の魔物の胴体が削り取られる。
身体を修復しようとしていたスライムも関係ない。
赤い球体に触れた場所は、肉も骨も粘液もまとめて消滅していった。
「すげぇ……」
誰かが呟く。
その間にもマルルゥの指は動き、赤い球体が弧を描いて魔物を追い、逃げ道を塞いでいく。
次々と腐った魔物が削り取られ、地面へ倒れていった。
「……恩に着る」
サイラスが言った。
だが、マルルゥは答えない。
サイラスなんて最初からそこにいなかったみたいに、魔物だけを見ている。
「お──わ、私も行きます!」
俺も魔剣を握り、魔物の群れへ飛び込んだ。
狼型の魔物が飛び掛かってくる。
身体を捻って避け、すれ違いざまに腹を斬り裂く。
刃が触れた部分からスライムが黒くなり、煙を上げながら倒れていった。
やっぱり、起き上がらない。
「あの剣ならいけるぞ!」
「おい! あの嬢ちゃんが斬った奴は起き上がらないぞ!」
「本当か!?」
「嬢ちゃんの近くまで押し返せ!」
盾の会の連中の声が飛ぶ。
「こちらへ追い込んでください!」
俺は咄嗟に声を張った。
あの骸骨仮面の男がどこにいるかも分からない。
せっかく変装もしているんだ。できるだけ別人として振る舞った方がいい。
「私が止めを刺します!」
「分かった!」
「二人、右から回れ!」
「了解!」
盾の会の連中が魔物を押し込み、俺は向かってくる奴を片っ端から斬っていった。
その間に、マルルゥの操る赤い球体が今度はドラゴンゾンビへ向かう。
「いけ」
六つの球体が一気に胴体へ殺到した。
だが、バリン! とガラスの割れるような音が鳴り、赤い球体がすべて砕け散った。
「え?」
ドラゴンの身体を覆っていたスライムが大きく波打っている。
「……弾いた?」
マルルゥが眉を寄せ、小さく舌打ちした。
「腐ってもドラゴン、だね。生半可な魔法じゃ通じないかも」
「どうすりゃいい!」
「大魔法ならいけると思うけど──」
マルルゥがドラゴンを見る。
傷を負っても、スライムが蠢きながら塞いでいく。
「……再生する暇もないくらい、徹底的に潰せばいいかな」
「潰す?」
「うん。原形がなくなるくらい」
さらっと怖いこと言うな。
「ただ、準備に少し時間が必要だから、時間を稼いでもらえる?」
「分かった!」
「あと、そいつをあんまり動かさないで」
「注文多くない!?」
「大魔法だからね」
その時、サイラスが近づいてきた。
「俺も手を貸そう。俺たちで時間を稼ぐ。その間に頼む」
マルルゥはサイラスを見ない。
「マルルゥ?」
「……分かってる」
返事をしたのは、俺の方を見ながらだった。
「全員聞け!」
サイラスが大声を張り上げる。
「今から、この魔法使いがあのデカブツへ大魔法を使う! 発動まで時間を稼ぐ! 魔物を近づけるな!」
「おおっ!」
「大魔法だってよ!」
「頼むぞ!」
疲れ切っていた連中の顔に、僅かに光が戻る。
その中で、何人かの魔法使いだけは違った。
「大魔法を使えるほどの魔法使いなのか……?」
「おい、ここは街中だぞ。もっと被害が増えるんじゃ……」
不安そうな声が聞こえる。
だが、今はそんなことを気にしている暇はない。
サイラスが槍を構えた。
「行くぞ!」
再び戦いが始まる。
「ガアアアアアアア!!」
ドラゴンゾンビが吠え、巨大な尾を横薙ぎに振るった。
「伏せろ!」
何人かが地面へ飛び込み、その頭上を巨大な尾が通過する。
直後、ドゴォン! という轟音を立てて近くの建物へ叩きつけられ、石壁が砕けて大量の瓦礫が降り注いだ。
「くそっ!」
「ブレス来るぞ!」
ドラゴンの喉が赤く光る。
「撃たせるな!」
弓兵たちが一斉に矢を放った。
顔面や口、残っている片目へ何本もの矢が突き刺さり、ドラゴンの頭が僅かに逸れる。
その瞬間、サイラスが走った。
「はぁっ!」
崩れた壁へ足を掛けて跳び、空中から槍をドラゴンの眼球へ突き立てる。
「ガァァァァァ!」
ドラゴンが激しく頭を振った。
「今だ!」
俺も足元へ潜り込む。
巨大な脚にも、大量のスライムが張り付いていた。
「ふっ!」
魔剣を振り抜く。
「……軽っ」
変な感触だった。
こんな太い脚なのに、まるで何もないところを斬ったみたいに刃が通る。
そのままドラゴンの右脚が切断され、重い音を立てて地面へ落ちた。
「なっ!?」
「嘘だろ! さっきまで何やっても切れなかったぞ!」
切断された場所からスライムが伸び、脚を元へ戻そうとする。
だが、魔剣が触れた場所から黒く変色して崩れていき、伸びた粘液も途中で力を失って地面へ落ちた。
「戻らないぞ!」
「やっぱり、あの剣だ!」
ドラゴンが大きく体勢を崩し、片脚を失った巨体が地面へ叩きつけられる。
頭部に槍を突き立てていたサイラスまで、その勢いに巻き込まれて吹き飛ばされた。
「サイラス!」
黒い鎧が宙を舞い、そのまま建物の壁へ激突する。
ドガァン! と凄まじい音が響き、石壁が砕けて大量の瓦礫が崩れ落ちた。
普通なら死んでもおかしくないような勢いだ。
だが、数秒後。
ガラガラと瓦礫が動き、その中から黒い鎧が立ち上がった。
「問題ない!」
「いや、頑丈すぎるだろ……」
思わず素が出た。
「まだ来るぞ!」
盾の会の男が叫ぶ。
ドラゴンの周囲にいた小型の魔物たちが、一斉にこちらへ向かってくる。
「そっちは私が!」
俺は魔剣を構え、先頭の一体を斬り伏せた。
続けて飛び掛かってきた二体目の首を落とし、横から迫ってきた三体目には身体を捻りながら刃を走らせて腹を深く斬り裂く。
魔剣に触れたスライムが次々と黒く変色し、魔物が地面へ倒れていった。
「まだ来るぞ! 右から二体!」
「分かってます!」
その間も、ドラゴンは暴れ続けていた。
「ガアアアアッ!」
残った脚で地面を蹴り、無理やり立ち上がろうとする。
「押さえろ!」
瓦礫の中から戻ってきたサイラスが再び飛び込み、ドラゴンの肩へ槍を突き立てた。
「こいつを動かすな!」
「おおおおっ!」
盾の会の戦士たちも加わる。
盾を押し付け、槍を突き立て、剣士たちは残った脚へ何度も斬りかかった。
傷そのものは、すぐにスライムによって修復されてしまう。
それでも、ほんの僅かでも動きを止められればいい。
「まだか!?」
俺が叫ぶ。
「もう少し!」
後ろからマルルゥの声が返ってくる。
ドラゴンの尾が地面を薙ぎ、盾を構えていた男が吹き飛ばされた。
すぐに別の男がその穴を埋める。
「下がるな!」
「もう少しだ! 耐えろ!」
その時だった。
周囲の空気が、僅かに変わった気がした。
「……何だ?」
身体が重くなった──わけじゃない。
俺たちがいる場所には、何も起きていない。
だが、ドラゴンの周囲だけ、景色が僅かに歪んで見える。
その足元には、いつの間にか巨大な魔法陣が浮かび上がっていた。
「……あれは」
近くにいた魔法使いが息を呑んだ。
「大魔法……?」
別の魔法使いも魔法陣を見つめ、すぐに表情を変える。
「いや、待て。範囲が……狭すぎる」
「狭い?」
「あれだけの魔力を、ドラゴンの周囲だけに収束させてる……」
「何だと?」
「少しでも制御を誤れば、周りの建物ごと潰れるぞ……」
……そうなの?
俺には相変わらずよく分からない。
だけど、魔法使いたちの顔を見る限り、またマルルゥがとんでもないことをしているらしい。
背後から、マルルゥの詠唱が聞こえてきた。
「重なれ、圧よ。
四方より──すべてを一点へ。
肉を潰し、骨を砕き、形あるものを内へ折り畳め」
「ガァァァァァァ!!」
何かを感じ取ったのか、ドラゴンがさっきまで以上に激しく暴れ始める。
「まずい!」
「動かすな!」
巨体が横へずれた。
「そっちは駄目だ!」
サイラスが真正面から槍を押し込み、盾の会の戦士たちも声を上げながら続く。
「押せぇぇぇ!」
俺も魔剣を握り直した。
「だったら!」
残っている脚へ向かって飛び込む。
ドラゴンが俺を踏み潰そうと脚を振り下ろしたが、心眼でその動きを見切り、紙一重で避けて懐へ潜り込んだ。
「これでどうだ!」
魔剣を振り抜く。
残っていた脚も切断され、ドラゴンの巨体が完全に崩れ落ちた。
「ガアアアアアアア!!」
「今!」
マルルゥの声が飛ぶ。
「全員、離れて!」
「退けえええ!」
サイラスが叫び、全員が一斉にドラゴンから距離を取った。
俺も後ろへ飛ぶ。
最後までその場に残っていたサイラスが槍を引き抜き、大きく跳んだ。
そして──マルルゥの声が響く。
「抗う余地も、再び形を成す余地も残さず──
《グラビティ・コラプス》!!」
直後、ズンッ──!! と、腹の底まで響くような重い音がした。
「……っ!?」
ドラゴンの巨体が大きく沈み込んだ。
地面へ押し付けられた──だけじゃない。
「ガ……ァ……!?」
巨大な翼が、嫌な音を立てながら内側へ折れ曲がる。
背中が沈み、腹が押し込まれ、頭部が歪んでいく。
上から地面へ押さえつけられているんじゃない。
左右からも、前後からも。
そして、下からさえも。
ありとあらゆる方向から巨大な力が掛かり、ドラゴンの身体そのものが中心へ向かって押し潰されていた。
「何だ、これ……」
バキッ! と太い骨が砕け、続けてベキベキと巨大な翼が内側へ折り畳まれていく。
腐った肉は潰れ、その隙間から半透明のスライムが大量に溢れ出した。
だが、それすら逃げることはできない。
外へ這い出そうとした粘液が、見えない壁に押し戻されるように肉の中へ押し込まれていく。
スライムは必死に肉を繋ぎ、潰れた身体を修復しようとしていた。
それでも、間に合わない。
再生するそばから、さらに強い圧力によって押し潰されていく。
「ガ……ァ……ァ……」
ドラゴンの咆哮も、次第に弱々しくなっていった。
あれほど巨大だった身体が、全方位から押し寄せる圧力によって、見る見るうちに小さくなっていく。
折れた骨は肉の中へめり込み、鱗はひしゃげ、身体から溢れ出したスライムさえ逃げることを許されず、再び肉塊の中へと押し戻されていった。
それなのに、俺の足元にある砂埃一つ動いていない。
周囲の建物にも何も起きていなかった。
「……大魔法をこれだけ精密に制御するとは」
盾の会の魔法使いが、呆然と呟く。
「あれだけの力を、あの範囲だけに収束させてるのか……?」
やがて、骨の砕ける音が止んだ。
足元に広がっていた魔法陣もゆっくりと光を失い、消えていく。
その中心に残されていたのは、もはやドラゴンと呼べるものではなかった。
黒ずんだ肉に、砕けた骨や鱗。そしてスライムまでもが混ざり合い、無理やり押し固められた巨大な肉塊だけが残っている。
「……えっぐ」
思わず呟いた。
「これなら……」
マルルゥが小さく息を吐く。
「さすがに、もう再生できないんじゃないかな」
「やった……のか?」
誰かが呟く。
しばらく、誰も動かなかった。
肉塊も動かない。
「……やった」
「倒したぞ……!」
その声を皮切りに、盾の会の連中が一斉に息を吐いた。
武器を杖代わりに、その場へ膝をつく者もいれば、大の字になって地面へ倒れ込む者もいる。
もう立っているだけの力も残っていないらしい。
俺も大きく息を吐いた。
「……疲れた」
マルルゥがぽつりと言う。
「そりゃそうだろ……」
周りの魔法使いたちの顔を見る。
どうやら今のは、『疲れた』で済ませていいような魔法じゃなかったらしい。
そんな中、ガラガラと瓦礫を踏み越える音を立てながら、サイラスが歩いてきた。
鎧の一部がへこんでいる。
あれだけ建物に叩きつけられたんだから当然だ。
だが、歩き方はさっきまでと何も変わらない。
サイラスはマルルゥの前まで来ると、足を止めた。
「……ありがとう」
「…………」
「君のお陰で、今回も救われた」
サイラスが頭を下げる。
マルルゥは答えず、一歩だけサイラスから距離を取った。
「…………」
その様子を見たサイラスが、僅かに俯く。
「……すまなかった」
マルルゥの肩が揺れた。
「あの時は──」
「おやおや」
声がした。
「……っ!?」
聞き覚えのある声。
妙に耳に残る、不愉快な声だ。
「まさか、アレまで倒してしまうとは思っていませんでした」
ゆっくりと、建物の角から一人の男が姿を現した。
「実に──興味深いですねェ」
白い骸骨の仮面。
骨の意匠があしらわれた肩当て付きの金属鎧。
そして腰には、髑髏の柄頭を持つ剣。
「……お前」
忘れるわけがない。
以前、オーロック門で戦った──。
あの、骸骨仮面の男だった。