【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
「頼むよ……目ぇ覚ましてくれよ……!」
サラの声が大通りに響く。
けれど、フーバは振り返らなかった。
首元から胸にかけて黒ずんだ血に染まったまま、両腕を力なく垂らし、一歩、また一歩と通り沿いの建物へ向かって歩いていく。足取りは覚束ないのに、その動きに迷いはない。まるで与えられた命令だけを繰り返す人形のようだった。
「おい、もうやめろ!」
近くで死者を食い止めていた冒険者の一人が、堪りかねたように怒鳴った。
「もうそいつは死んでるんだよ! いい加減諦めろ!」
「ふ、ふざけんな!」
サラが勢いよく振り返る。
いつもの気の強そうな顔は見る影もなく、今は泣くのを堪えているのか、ぐしゃぐしゃに歪んでいた。
「こいつは……こいつはこんなんじゃ死なねえんだよ!」
ほとんど悲鳴に近い声だった。
それでも、弓を引く手は止めていない。フーバの横をすり抜けるように建物へ向かった腐った魔物へ矢を放ち、額を射抜く。魔物は大きく仰け反ったものの、それだけでは止まらず、横から飛び込んできた別の冒険者が剣を叩き込んで、ようやく地面へ転がした。
その間にも、フーバは歩き続けている。
「頼む……頼むから……!」
サラが回り込み、建物へ向かうフーバの正面に立った。
「目ぇ覚ませよ! 俺だ! 分かるだろ!?」
返事はない。
虚ろな目は確かにサラへ向けられているはずなのに、そこには驚きも戸惑いも、何の感情も浮かんでいなかった。
フーバは足を止めることなく、そのまま目の前に立つサラへ腕を伸ばす。
「……っ!」
「危ねえぞ!」
横にいた冒険者が咄嗟にサラの肩を掴み、後ろへ引いた。
直後、フーバの腕が先ほどまでサラのいた場所を薙ぐ。
狙って攻撃したというより、進む道を塞いでいるものを排除しようとしただけのような動きだった。それでも、その腕に込められた力は生前と変わらないらしく、まともに受ければ怪我では済まないかもしれない。
何より、そこにサラを知っている様子はなかった。
「くそっ……!」
サラが歯を食いしばる。
「頼むよ……目ぇ覚ましてくれよ……!」
俺は魔剣を握ったまま、その姿を見ていた。
ついさっきまで、大量の死者をどうすれば効率よく止められるかしか考えていなかった。一体ずつ斬って回るより、《大喰らい》を使えば一度に何十体も動きを止められる。
便利だし、強い。これなら街中に残った死者を片付けるのも、それほど時間はかからないかもしれない。
そんなことを考えて、新しく手に入れた力に少し浮かれていたくらいだ。
それなのに、その中へ知っている顔が一人混じっただけで、同じようには考えられなくなった。
俺は、フーバがサラを庇ったところをこの目で見ていた。サラへ迫っていた死者との間に割って入り、その首に剣を受けた。あれだけの傷を負えば、普通なら助かるはずがない。
それでも今、こうして身体だけは動いている。
だからこそ、サラも諦めきれないのかもしれない。
動いているなら、まだ生きているんじゃないか。
呼びかけ続ければ、いつか返事をしてくれるんじゃないか。
そんな考えに縋りたくなる気持ちは、分からなくもなかった。
けれど、今フーバを動かしているのは、フーバ自身じゃない。
「あの……」
俺は少し迷ったあと、二人へ近づきながら声を掛けた。
「あ?」
サラが苛立ったようにこちらを見る。
「なんだよテメェ! 邪魔すんじゃ──」
途中で言葉が止まった。
サラの視線が俺の顔から身体へ落ち、髑髏の意匠が施されたハイレグアーマーと、手にしている魔剣を順番に見ていく。
「……その変な格好、お前……」
「変な格好……」
否定はできないけど、面と向かって言われると地味に凹む。
「もしかして……アウラか?」
「あっ、いえ、その……」
「何でそんな髪して……いや、今はどうでもいい!」
誤魔化す言葉を探している間に、サラは勝手に話を終わらせてフーバへ向き直ってしまった。
助かった、と言っていいのだろうか。
「悪いけど後にしてくれ! 今こいつを──」
「待ってください」
「なんだよ!」
「今この方は、自分の意思で動いているわけじゃないと思います」
サラの表情が強張る。
「……何が言いてえ」
「私、見てました」
「何をだよ」
「この方が、あなたを庇ったところです」
サラが黙る。
「首に剣を受けたところも」
弓を握っている手が、僅かに震えた。
何も知らない人間に言われるのとは違う。俺はあの瞬間を見ていた。あれだけの傷を負ったことも、その直後から死者たちに混じって歩き出したことも知っている。
「だから……今動いているのは、この方自身じゃないと思います」
「……分かってるよ」
返ってきたのは、先ほどまでとはまるで違う、小さな声だった。
「そんなこと……俺だって分かってんだよ」
「サラ……」
近くにいた冒険者が何か言おうとしたが、サラはそれを遮るように首を横へ振った。
「分かってる。分かってるけどよぉ……」
そこで言葉が途切れた。
フーバは変わらず建物へ向かおうとしており、数人の冒険者が盾や槍の柄を使ってどうにか押し戻している。そのたびに抵抗するように腕を振り回し、近づいた者を払い除けようとする。
このままでは、いずれ誰かが傷つく。
「……あの」
「なんだよ」
「あの人を、傷つけずに止められます」
サラが顔を上げた。
「……何、本当か?」
「はい」
俺は手にしている魔剣を少し持ち上げた。
「この剣で、あの人を動かしている魔力だけを奪います。さっき他の死者でも試しました。身体には傷をつけずに止められます」
サラは魔剣を見たあと、再びフーバへ目を向けた。
すぐには返事をしなかった。
何かを堪えるように唇を強く噛み、建物へ向かおうともがいている大きな背中をじっと見つめている。
「……本当に」
ようやく聞こえてきた声は、掠れていた。
「本当に、これ以上傷つけずに済むんだな?」
「はい」
サラは目を閉じ、長く息を吐いた。
「……頼む」
今まで聞いたサラの声とは思えないほど弱い。
「これ以上……傷つけないでやってくれ」
「……分かりました」
俺は頷き、周囲へ向き直った。
「皆さん、離れてください!」
声を張り上げると、《大喰らい》のことを知っている何人かがすぐに反応した。
「今からこの辺りの死者をまとめて止めます! 範囲にいると魔力まで持っていかれるので、私の前から離れてください!」
「分かった!」
「下がれ! 全員下がれ!」
周囲の冒険者たちが互いに声を掛け合いながら、一斉に距離を取っていく。
サラだけが、その場から動かなかった。
「あなたも。巻き込まれるので、離れてください」
「……ああ」
最後までフーバから目を離さないまま、サラがゆっくり後ろへ下がる。
十分な距離ができたことを確かめる。
フーバの周囲には、まだ何体かの死者が残っていた。まとめて止めてしまった方がいいだろう。
俺は魔剣を両手で握り直した。
「大喰らい」
さっきまでのように大声で叫ぶ気にはなれなかった。
低く呟き、剣を横薙ぎに振る。
柄元にある髑髏の眼窩が赤黒く光り、刀身から溢れ出した黒い靄の中から、二本の巨大な骨の腕が伸びていく。
半透明の腕は石畳も、倒れた死体も、立っている死者も関係なくすり抜け、フーバたちを左右から包み込むほど大きく広がった。
二つの巨大な手が閉じる。
その瞬間、フーバを含めた死者たちの身体から青白い光が一斉に引きずり出された。細い糸のように伸びた光が骨の手の中へ集まり、握り込まれると、そのまま黒い靄を引きながらこちらへ戻ってくる。
光が魔剣へ吸い込まれた。
カチン、と柄元の髑髏が音を鳴らす。
直後、それまで建物へ向かおうともがいていた死者たちから、一斉に力が抜けた。糸を切られた人形のように膝から崩れ、一体、また一体と石畳へ倒れていく。
フーバも同じだった。
大きな身体から急に力が抜け、膝が折れる。
「フーバ!」
サラが駆け出した。
地面へ倒れる寸前の身体を正面から抱き止めたものの、体格差がありすぎる。勢いのままサラまで倒れそうになったところへ、近くの冒険者が慌てて駆け寄り、その背中を支えた。
「ゆっくりだ!」
「ああ……!」
二人がかりで、フーバの身体を石畳へ横たえる。
もう動かなかった。
先ほどまでのように腕を振り回すことも、立ち上がろうとすることもない。操っていた魔力だけが失われ、そこには首に致命傷を負った男の身体だけが残されていた。
サラはその場へ膝をついた。
「…………」
何も言わない。
血に汚れたフーバの頭をそっと持ち上げ、自分の膝の上へ乗せる。頬についていた乾きかけの血を指先で拭い、それから大きな身体を包むように抱き寄せた。
周りにいた冒険者たちも、誰一人として声を掛けようとはしなかった。
俺も同じだった。
こんな時、何を言えばいいのか分からない。
街では今も戦いが続いていて、少し離れれば剣を打ち合わせる音も怒鳴り声も聞こえてくる。それなのに、この場所だけはそこから取り残されたように静かだった。
「……お父さん」
聞こえてきたのは、本当に小さな声だった。
一瞬、誰が言ったのか分からなかった。
いつもの荒っぽい口調でも、張りのある声でもない。まるで幼い子供が親を呼ぶような、弱々しい声だった。
サラはフーバの胸元へ顔を伏せている。
返事はない。
フーバが目を開けることもなかった。
俺は魔剣を握ったまま、ただ二人を見ていた。
やがて、近くにいた冒険者の一人が俺へ小さく頭を下げる。
俺も無言で頭を下げた。
今は、サラに何か声を掛けるべきではない気がした。
その時だった。
「うおおおおおおっ!」
少し離れた場所から、大きな歓声が上がった。
静まり返っていたこの場所へ、突然現実が戻ってきたようだった。
顔を上げて大通りの先を見ると、建物へ群がっていた大量の死者から、冒険者や騎士たちが一斉に距離を取り始めている。
「もっと下がれ!」
「範囲から出ろ!」
誰かの指示に従い、前線にいた者たちが次々と退いていく。
その中心に、レオンがいた。
片手には剣を持ち、もう片方には、屋敷を出る前にクラウスから渡されていた魔道具を握っている。
何をするのかと見ていると、魔道具から青白い光が溢れ、レオンの周囲に漂う冷気が一気に濃くなった。
次の瞬間、足元から白い霜が走った。
石畳の隙間を埋めるように広がった霜は、建物の前に残された死者たちへ瞬く間に到達する。そこから膨れ上がるように氷がせり上がり、脚から腰、胸へと一気に覆っていった。
「おわっ!」
離れた場所から見ていた冒険者の一人が思わず声を上げる。
何十体もの死者が、建物へ手を伸ばした姿勢のまま次々と凍りついていく。中には抜け出そうと身体を動かすものもいたが、さらに広がった氷に全身を包まれ、やがて完全に動きを止めた。
通りの一角が、巨大な氷像の群れへ変わっている。
「おおおおっ!」
「止まったぞ!」
「レオン様だ!」
再び歓声が上がった。
おそらく、クラウスから渡された魔道具の効果だろうが、凄い威力だ。
その少し向こうでも、別の意味で目立つものがあった。
「……何だ、あれ」
石畳を突き破り、何本もの巨大な植物の根が地面から伸びている。
太い根は互いに絡み合い、束ねられたような形で建物の二階を越えるほどの高さまで盛り上がっていた。
絡み合った根の頂上に、マルルゥが立っている。
高所から大通り全体を見渡し、地上で戦っている冒険者や騎士たちへ近づく死者を見つけるたび、次々と魔法を撃ち下ろしていた。
上からなら敵の位置が分かりやすいし、味方を巻き込む危険も少ない。あそこから一方的に狙い撃ちにした方が、地上を走り回るより遥かに効率がいいのだろう。
「……やってること派手だな」
俺も人のことは言えないけど。
改めて周囲を見渡してみると、さっきまで大通りを埋め尽くすほどいた死者は、目に見えて数を減らしていた。
レオンたちだけではない。
冒険者や騎士も少しずつ連携を取り戻し、建物へ向かおうとする死者を押し返している。遠くではマルルゥが高所から援護し、別の場所でも戦える者たちがそれぞれ動き始めていた。
これなら、俺が抜けてもすぐに崩れることはなさそうだ。
最後にもう一度だけ後ろを見る。
サラはまだ、フーバを抱いたままだった。
その周囲には何人かの冒険者が残っていて、フーバのように倒れた冒険者たちを確認しているようだった。
「……行こう」
小さく呟き、レオンのいる方へ走った。
「レオン様!」
氷漬けになった死者の群れを避けながら近づくと、レオンもこちらに気づいた。
「アウラさん!」
俺の姿を確認した途端、張り詰めていた表情が少しだけ緩む。
「無事だったんだね。時計塔は?」
「はい、そのことで話があります」
レオンへ近づき、周囲の騒音に負けない程度の声で事情を説明する。
「やっぱり、あそこにはこの騒ぎを起こした首謀者らしい男と、盾の会で魔物を操っていた男がいました」
「……なんだって? それで、その二人は?」
「すみません、二人とも逃げられました。ただ、その前に──」
俺は一度、ブルム家のある方角へ目を向けた。
「あっちの方で、大きな光が上がったんです」
「光?」
「はい。それを見て、二人が何かの合図だって話してました」
レオンの表情から、先ほどまで残っていた安堵が消えた。
「……屋敷の方角だったのかい?」
「正確な場所までは分かりません。でも、方向は間違いないと思います」
レオンもブルム家のある方を見るが、ここからではブルム家は見えない。
屋敷にはリリアだけではない。ラルフも、ティナとカイトも、ゲオルグも残っている。
「リリア様たちが心配です」
俺がそう言うと、レオンは僅かに眉を寄せた。
「……僕もだ」
「ここはかなり数が減ってきましたし、私が先に屋敷の様子を見てきてもいいですか?」
すぐに返事はなかった。
レオンは一度、大通りの状況を確認するように周囲を見回した。
氷漬けになった死者を避けながら、冒険者たちはすでに次の群れへ向かっている。少し離れた場所ではマルルゥの魔法が続き、騎士たちも建物の前から死者を引き離していた。
「……分かった。お願いするよ」
「はい」
「僕たちも、ここを片付け次第、一度屋敷を確認する。それまでに騎士を何人か先に向かわせよう」
「分かりました」
「もし何かあったら、無理に一人でどうにかしようとしないで、すぐ知らせてくれ」
「はい」
レオンが少し心配そうに俺を見る。
「本当に、無理はしないでくれよ」
「ええ、分かりました」
俺はレオンへ頭を下げると、ブルム家へ向かって走り出した。
ワープで飛ぶにしても人目がない所まで行かなければならないし、何よりブルム家の現状がわからないのに、ワープでいきなり戻るのも不安だ。
幸いブルム家までは、この身体で全速力で走れば、そこまで時間は掛からないはずだ。
慎重を期すためにも、ワープではなく走って向かうことにする。
大通りでは、先ほどまで溢れかえっていた死者の数がかなり減っている。その代わり、道のあちこちには負傷者や、すでに息を引き取った人たちの姿があった。
大通りから離れるにつれて、戦いの音は少しずつ遠ざかっていった。
とはいっても、街が静けさを取り戻したわけではない。遠くからはまだ誰かの怒鳴り声や武器のぶつかる音が聞こえ、ときおり魔法らしき大きな音まで響いてくる。
屋敷で何が起きたのかは分からない。
何もなければ、それでいい。
あの光だって、たまたま屋敷と同じ方向に見えただけかもしれない。
そうだったらいいのに。
そんなことを考えながら角を曲がったところで、前方からこちらへ走ってくる人影が見えた。
「……ん?」
栗色の髪。
走ってくる少女の顔を見て、思わず足が緩む。
「あっ!」
向こうも俺に気づいた。
「アウラさん!」
「よう!」
盾の会の方へ治療に向かっていたシエルだった。
手には、あのやたら豪華な白い杖を持っている。
「治療、終わったのか?」
「はい。まだ怪我をされている方はいらっしゃいますが、急いで処置が必要だった方は一通り」
「そっか」
ひとまず、向こうの治療は落ち着いたらしい。
「アウラさんは、どうしてこちらへ? お屋敷に戻るんですか?」
「ああ。ちょっと気になることがあってな」
シエルの表情が変わる。
「何かあったんですか?」
「まだ分からない。でも──」
俺は立ち止まり、時計塔で起きたことを簡単に説明した。
今回の襲撃を起こした首謀者らしき男と、盾の会で魔物を操っていた骸骨仮面の男が時計塔にいたこと。
二人が逃げる直前、ブルム家の方角で大きな光が上がったこと。
そして、それを見た二人が何かの合図だと話していたこと。
「それで、リリア様たちが心配だから、一度見に戻る」
「……そうだったんですね」
「レオン様には話してある。あっちも片付け次第、屋敷を確認するって」
「分かりました」
シエルが頷いたあと、大通りの方へ目を向けた。
「街の方はどうですか?」
「あぁ、死者はかなり減ったよ。レオン様とマルルゥもいるし、冒険者たちも立て直してきてる。多分、もう大丈夫だと思う。ただ……」
そこで言葉が止まった。
「ただ?」
「怪我人は多い」
シエルの表情が曇る。
「亡くなった人もいる。それと……フーバさんが亡くなったよ」
「……え?」
大きく目を見開いた。
「フーバさんが……?」
「ああ。さっき、サラと一緒にいた」
「そんな……」
シエルが白い杖を握り締める。
「サラがそばにいるけど……」
「……そう、ですか」
俯いたシエルは、しばらく何も言わなかった。
けれど、やがて顔を上げる。
「アウラさん」
「ん?」
「私は、大通りへ行きます」
「大丈夫か?」
「はい」
シエルは少しだけ苦しそうな表情を浮かべたものの、声ははっきりしていた。
「まだ、助けられる方がいるんですよね?」
「ああ」
「でしたら、治療に行きます」
止めても行くだろう。
「……分かった。気をつけろよ。数は減ったけど、まだ全部片付いたわけじゃない」
「アウラさんも。お屋敷で何が起きているか分かりませんから」
「ああ」
それだけ言葉を交わし、俺たちは別れた。
俺はブルム家へ。
シエルは大通りへ。
まったく同じ顔をした二人が、互いに反対の方向へ走り出した。