【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど   作:もろきゅー

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125話 嫌な予感

 ブルム家へ近づくにつれて、胸の奥にまとわりつくような嫌な感覚が強くなっていった。

 何か根拠があるわけではない。ただの胸騒ぎとでも言えばいいのだろうか。

 

 何も起きていないでくれ。

 そんなことを願いながら、俺は息を切らすことも構わず、ブルム家へ続く坂道を全速力で駆け上がる。

 この先の角を曲がれば、見慣れた正門が見えてくるはずだった。

 以前来た時にも何度か通った、分厚い門扉と高い石壁。そこを守る騎士たちがいて、その向こうには綺麗に手入れされた庭が広がっている。

 そんな光景を思い浮かべながら角を曲がり──俺は思わず足を止めかけた。

 

「……なんだよ、これ」

 

 門が、なかった。

 いや、正確には残っている。だが、正門を塞いでいたはずの分厚い門扉は大きく歪み、片側は蝶番ごと吹き飛ばされて地面へ倒れていた。もう片方も途中からひしゃげ、門としての役割を果たせる状態ではない。

 

 門柱の周囲に組まれていた石材まで砕け、大小さまざまな破片が道のあちこちへ散らばっている。

 まるで、何か巨大なものが正面から無理やり突っ込んだような有様だった。

 俺は速度を落とさず、そのまま壊れた門をくぐった。

 中へ入って、さらに息を呑む。

 

 綺麗に整えられていた庭も、俺の知っている姿ではなくなっていた。

 芝生はあちこちが抉れ、花壇は踏み荒らされている。庭を横切る石畳には大きな亀裂が走り、その一部は丸ごと陥没して、浅い穴まで開いていた。

 

 何をどうすれば、こんなことになるんだ。

 そんな疑問が頭に浮かぶ一方で、庭のあちこちではブルム家の騎士たちが慌ただしく動き回っていた。

 何人かは地面へ座り込み、仲間から手当てを受けている。鎧が割れていたり、頭に布を巻いていたりする者もいるが、見たところ今すぐ命に関わりそうな者はいない。

 

 別の騎士たちは剣を抜いたまま庭や建物の周囲を警戒し、何人かは本館へ出入りしながら、まだ敵が残っていないか確かめているようだった。

 その様子を見て、ほんの少しだけ胸を撫で下ろす。

 全滅しているわけではない。少なくとも、ここにいる人たちは生きている。

 

「アウラ様!」

 

 声を掛けられて振り向く。

 少し離れたところで騎士たちへ指示を出していた、年配の男だった。

 以前にも屋敷で見かけた覚えがある。白髪の混じった短い髪に、年季の入った顔。左の額には古い傷があり、他の騎士たちよりも装飾の多い鎧を身につけている。

 

 どうやら、この場で騎士たちを指揮しているらしい。

 男は俺のところまで来ると、僅かに安堵したような表情を浮かべた。

 

「ご無事でしたか、アウラ様」

「はい。私は大丈夫です。それより……」

 

 改めて周囲を見回す。

 

「これは、一体何があったんですか?」

 

 尋ねると、年配の騎士の顔から安堵が消えた。奥歯を噛み締めるようにして、壊れた門へ視線を向ける。

 

「賊の侵入を許しました。……ご覧の有様です」

「賊……」

「何者かは分かりませんが、奇妙な鎧を着た女です。少なくとも、ただの賊ではありませんでした。我々も応戦しましたが……」

 

 男は悔しそうに眉間へ皺を寄せる。

 

「まるで歯が立ちませんでした」

 

 その言葉に、背中へ嫌なものが走った。

 ブルム家の騎士は、街の警備兵とは違う。少なくとも俺がこれまで見てきた限り、まともに訓練を受けている人たちだ。装備だって悪くない。

 その騎士たちが何人もいて、それでも歯が立たなかった。

 

「ここで暴れていた女は、すでに屋敷から逃亡しております。我々も追跡を試みましたが、被害の確認と屋敷内の安全確保を優先しました。敷地の裏手側を警備していた騎士も数名、意識を失った状態で発見されておりますので、現在は他の侵入者が残っていないか敷地内を調べさせています」

 

 ということは、もうここにはいないのか。

 情報を共有するために、俺も大通りで起きていたことを伝えることにした。

 

「街の方も襲われています。盾の会と冒険者ギルドの近くで、魔物の死体や死んだ人たちが動き出して……男たちに操られていました」

「死者が……?」

 

 年配の騎士の表情が険しくなる。

 

「大通りでもかなり戦いになっています。でも、今はレオン様や冒険者たちが押し返し始めています。それで……ブルム家の方から空に光が上がるのを見て心配になって、様子を見に来たんです」

「ああ、あれですか……。確かに賊が空へ向けて放ったものです」

「たぶん、襲ってきた奴らの合図だったんじゃないかと思います」

 

 確証があるわけではない。けれど、あのタイミングを考えれば偶然とは思えなかった。

 俺の話を聞き終えた年配の騎士は、しばらく険しい顔のまま黙り込んだ。

 

「しかし、何故ここを襲って、そのまま逃げたのか……」

 

 小さく呟いてから、俺に向かって深々と頭を下げる。

 

「何はともあれ、貴重な情報をありがとうございます」

「えっ、い、いえ! 頭を下げなくても!」

 

 慌てて両手を振る。

 俺は別に感謝されるようなことをしたわけじゃない。ただ見たことを話しただけだ。

 騎士が顔を上げるのを待ちながら、もう一度周囲へ目を向けた。

 それにしても、ひどい。

 正面の門は見る影もなく壊され、庭にも戦いの跡が残っている。少し離れた場所にある大きな穴など、俺がすっぽり入れそうなくらいの大きさだ。

 

 剣や槍で戦っただけで、こんな状態になるとは考えにくい。

 とんでもない魔法でも使ったのだろうか。それにしても、一体どんな奴がここへ来たんだ。

 詳しく聞こうと年配の騎士へ向き直った、その時だった。

 本館の方から急に騒がしい声が聞こえてきた。

 

「道を開けろ!」

「急げ!」

 

 何人もの騎士が声を上げている。

 庭にいた者たちも一斉にそちらへ視線を向けた。

 

「ゲオルグ様です!」

 

 その名前を聞いた瞬間、胸が大きく跳ねた。

 本館の扉から、騎士たちが担架を運び出してくる。その上には男が一人、力なく横たわっていた。

 見間違えるはずがない。

 ゲオルグだ。

 

「ゲオルグ様を発見しましたが、意識がありません! これより聖療教会へお運びします!」

「ポーションは使ったのか!?」

「発見した時にはまだ息がありました! すぐに使用しましたが、傷が深く、出血を止めきれませんでした!」

 

 報告を聞くより先に、俺の足は動いていた。

 

「ゲオルグさん!」

 

 担架へ駆け寄り、近くでその姿を見た瞬間、息が詰まった。

 身体のあちこちが血で染まっている。応急処置をしたのだろう、胸元から腹にかけて何重にも布が巻かれていたが、その布まで赤黒く変色していた。

 顔にも血が付着し、目は固く閉じられたまま、俺が名前を呼んでも何の反応もない。

 

「ゲオルグさん! 聞こえますか!」

 

 返事はなかった。

 担架の横から伸びた大きな手を掴んでみるが、そこには何の力もない。

 

「アウラ様、お下がりください! まずは教会へ──」

「ちょっと待ってください!」

 

 俺は担架の横へ膝をついた。

 こんな時のための魔法だ。

 傷が深いなら、回復魔法を使えばいい。俺にはそれができる。

 

「ハイヒール!」

 

 咄嗟に魔法を発動すると、淡い光がゲオルグの身体を包み込んだ。

 周囲で騎士たちが息を呑む気配がしたが、今はそんなことを気にしている余裕はない。

 魔力が身体から抜けていく感覚があり、魔法そのものは間違いなく発動している。淡い光はゲオルグの全身を覆い、血に濡れた身体を静かに照らした。

 

 だが──。

 

「……え?」

 

 光が消えた。

 それだけだった。

 血に濡れた身体も、裂けた傷も、何一つ変わっていない。

 俺は呆然とゲオルグを見る。

 

「なんで……?」

 

 魔法は確かに発動した。それなのに、傷は少しも治っていない。

 傷が深すぎるのか。それとも魔力が足りなかったのか。何か別の理由があるのかもしれないが、俺には分からなかった。

 

「も、もう一度──」

「聖療教会へ運べ!」

 

 俺の声を遮るように、年配の騎士が叫んだ。

 

「急げ! 一刻を争う! 手持ちのポーションも道中で使え!」

「はっ!」

 

 担架を持っていた騎士たちが返事をし、再び走り出す。

 

「あ……」

 

 立ち上がった俺は、その背中を目で追った。

 血に濡れたゲオルグが、担架に乗せられて遠ざかっていく。

 何で治らなかったんだろう。

 あんなに酷い怪我だったからなのか。もっと強い回復魔法じゃないと駄目だったのか。それとも──シエルなら何が起きたのか分かるのだろうか。

 考えても答えは出ず、分からないことばかりが頭の中をぐるぐると回った。

 

「隊長!」

 

 今度は若い騎士が本館から飛び出してきた。

 息を切らしながら、年配の騎士へ駆け寄る。

 

「報告します!」

「どうした!」

「避難室を確認しました! ラルフ様、リリア様のお姿がありません!」

「なに!?」

 

 年配の騎士だけではない。

 俺も思わず声を失った。

 若い騎士は呼吸を整える間もなく、そのまま報告を続ける。

 

「避難室前の通路に一名と、護衛についていた騎士二名が室内で倒れていました。三人とも意識はありませんが、息はあります。それと、地下脱出路へ続く扉が開いていました!」

「馬鹿な……あそこまで入り込まれたというのか……?」

 

 年配の騎士の顔色が変わる。

 俺はクラウスと別れた時のことを思い出した。

 リリアと一緒にいてくれと頼まれていたのは──。

 

「ティナとカイトは!?」

 

 思わず若い騎士へ詰め寄る。

 

「え?」

「ティナとカイトです! 私たちと一緒に来ていた二人! リリア様とラルフ様と一緒にいたはずです!」

 

 若い騎士は少し戸惑った後、首を横に振った。

 

「……避難室には、おりませんでした」

 

 血の気が引いた。

 リリアやラルフだけじゃない。

 ティナも、カイトもいない。

 

「地下脱出路には?」

「先ほど四名を向かわせました。現在、先行して捜索しています」

「四名か……」

 

 年配の騎士は険しい表情のまま考え込み、すぐに顔を上げた。

 

「足りん。ここを襲った者と同程度の力を持つ賊が入り込んでいるのなら、四名では危険だ。追加で四名向かわせろ!」

「はっ!」

「何としてもラルフ様とリリア様を見つけ出せ!」

 

 若い騎士が走り出そうとする。

 

「待って下さい!」

 

 俺は声を上げた。

 

「私も行きます!」

 

 年配の騎士が振り返る。

 

「アウラ様」

「私も探しに行きます」

「お気持ちは分かります。しかし、地下に侵入者が残っている可能性があります」

 

 男は真剣な表情で俺を見る。

 

「先ほど申し上げた通り、門を破壊した賊は我々でも歯が立たない相手でした。安全が確認できるまでは、ここでお待ちください」

「待てません!」

 

 自分でも驚くくらい、すぐに言葉が出た。

 

「自分の身は自分で守ります! それより、皆が無事かどうか確認する方が先です!」

「ですが──」

「お願いします!」

 

 引く気はなかった。

 皆がどうなっているのかも分からないのに、ここで大人しく待っているなんて無理だ。

 年配の騎士はしばらく俺を見つめたあと、小さく息を吐いた。

 

「……分かりました」

「ありがとうございます!」

「ただし、必ず騎士と共に行動してください。単独で先へ進むことだけはお控えください」

「はい!」

 

 男は近くにいた騎士を呼び、手早く指示を出した。

 すぐに四人の騎士が集められ、俺はその四人と共に本館へ入る。

 普段なら使用人たちが行き交っているはずの廊下には、ほとんど人影がなかった。避難しているのだろう。

 

 代わりに武装した騎士たちが慌ただしく行き来し、部屋の扉を一つずつ開けて中を確認したり、奥の廊下へ向かっていったりしている。

 屋敷そのものは正門や庭ほど酷く破壊されてはいないものの、いつもとはまるで違う物々しい空気に包まれていた。

 

「こちらです!」

 

 先頭を歩く騎士に案内され、本館のさらに奥へ進む。

 やがて辿り着いたのは、普段ならただの壁にしか見えない場所だった。

 騎士が壁の一部へ手を掛けて操作すると、鈍く重い音を響かせながら石壁の一部がゆっくりと開いていく。

 こんなところに扉があったのか。

 その先には、地下へ向かって続く狭い石造りの階段があった。

 

 騎士たちに続いて中へ入ると、自動で灯りが灯った。魔道具の類だろうか?

 俺たちは薄暗い階段を降りていく。

 進むにつれて地上の騒ぎは遠ざかり、代わりに俺たちの足音だけが石壁に挟まれた狭い空間へ何度も反響するようになった。

 地下へ降りきると、階段よりも少し広い通路へ出る。

 壁に取り付けられた魔道具の明かりが地下をぼんやりと照らし、その先には分厚い扉が開け放たれたままになっていた。

 

「あそこが避難室です」

 

 騎士の声に頷き、中へ入る。

 先ほど報告にあった三人の騎士はすでに一か所へ集められ、壁際に寝かされていた。

 全員鎧を外され、別の騎士たちから手当てを受けている。一人は頭に布を巻かれ、別の一人も顔に打撲の跡が残っていたが、三人とも胸はきちんと上下していた。

 報告通り、生きている。

 それを確認して少しだけ安心したところで、床に残されたものが目に入った。

 

「……これ」

 

 思わず足が止まる。

 石造りの床に、大きな血痕が残っていた。

 一度拭き取ろうとしたらしい跡はある。それでも完全には消えておらず、床の目地に入り込んだ赤黒い血が広い範囲を染めていた。

 

 人一人がこの場所で大量の血を流したのだと、一目で分かるほどの量だった。

 すぐそばには、血を吸って赤黒く染まった布も何枚か残されている。

 ここが、ゲオルグさんが倒れていた場所だろうか。

 そう考えた瞬間、背筋がぞっとした。

 さっき見た、血まみれの身体。《ハイヒール》を使っても何も起こらなかったことや、あの時に掴んだ力のない手の感触まで、急に鮮明に思い出す。

 

「アウラ様?」

「……大丈夫です」

 

 声を掛けてきた騎士に答え、無理やり視線を前へ戻した。

 今は考えている場合じゃない。

 ゲオルグさんは聖療教会へ運ばれた。俺にできることは、もうない。

 それよりも、まだ見つかっていない皆を探さないと。

 

「行きましょう」

「はい」

 

 避難室のさらに奥にも、頑丈そうな扉が設けられていた。

 開け放たれたその扉の向こうには地下脱出路が続いているらしく、屋敷の中とは違う、少し湿った冷たい空気が流れ込んでくる。

 

 通路の幅は、武装した人間が二人並んで進めるかどうかという程度だった。壁も天井も石で固められ、一定の間隔で魔道具らしきものが取り付けられている。

 俺たちが足を踏み入れると、すぐ近くの魔道具に淡い光が灯った。そこから先へ進むたびに前方の明かりが順番に灯り、反対に、通り過ぎてしばらくすると背後の光は消えていく。

 

「便利だな、これ……」

 

 どういう仕組みなのかは分からないが、どうやら人が近づいた時だけ明るくなるらしい。

 俺たちは周囲を警戒しながら、その中を足早に進んだ。

 

 地下の通路は思っていた以上に長かった。

 自分たちの足音が石壁に反響し、少し遅れて後ろから追いかけてくる。そのたびに誰かが近づいてきたような気がして、何度も暗い通路の先へ目を凝らした。

 

 全員、無事でいてくれ。

 何度そう願ったか分からない。

 しばらく進んだところで、先頭を歩いていた騎士が突然足を止めた。

 

「……誰か来ます」

 

 その一言で全員の緊張が一気に高まった。騎士たちが剣へ手を掛け、俺も腰に下げた魔剣へ手を伸ばしながら通路の奥を見る。

 その時、ずっと先の暗闇に小さな光が灯った。

 俺たちがいる場所からはかなり離れている。さっきから見ていた限り、あそこには明かりなんて点いていなかったはずだ。

 

 やがて最初の光が消え、その少し手前にある明かりが代わりに灯る。

 さらに一つ。

 また一つ。

 暗闇の中で、明かりだけがこちらへ向かって近づいてきていた。

 

「……誰だ?」

 

 近づいてくる灯りに合わせるように、暗闇の中からいくつかの人影が浮かび上がった。

 ブルム家の騎士だった。

 

「味方です!」

 

 こちらの騎士が声を上げる。

 向こうからもすぐに返事が返ってきた。

 

「ラルフ様が負傷している、道を開けてくれ!」

 

 張り詰めていた空気が少しだけ緩む。

 けれど俺は、その後ろにいる人影を見て息を呑んだ。

 一人の騎士が、誰かを背負っている。

 明かりの下まで近づいてきたことで、金色の髪と力なく垂れた腕が見えた。

 

「ラルフ様……?」

 

 間違いない。ラルフだ。

 意識がないのか、騎士の背中でまったく動いていない。顔には大きな裂傷が走り、まだ乾ききっていない血が頬を汚していた。

 その姿を見て駆け出しかけた時、さらにその後ろから見覚えのある姿が現れた。

 服も顔も土と埃で汚れている。それでも見間違えるはずがない。

 

「……ティナ!」

 

 そして、そのティナの肩に腕を回し、ほとんど身体を預けるようにして歩いているもう一人の姿にも気づいた。

 

「カイト!」

 

 カイトもいる。

 顔色は悪く、見るからにまともな状態ではなかったが、それでも自分の足で歩いている。

 

 生きてる。

 二人とも、生きてる。

 思わず胸の奥から大きく息が漏れた。

 カイトはかなり酷い状態らしく、足元はふらつき、一歩進むたびに身体が左右へ揺れていた。ほとんどの体重をティナに預けているようで、そのティナもカイトに引っ張られるたびに足元をふらつかせている。

 

 ティナ自身も疲れ切っているのは明らかだった。

 それでもカイトの身体を支える腕にはしっかりと力が入り、決して離そうとはしていない。

 

「ティナ! カイト!」

 

 俺は二人のところへ駆け寄った。

 声に気づいたティナが、ゆっくりと顔を上げる。

 

「……アウラ」

 

 返ってきた声には、いつもの元気がなかった。

 

「大丈夫か!? 何があったんだ──」

 

 そこまで言って、ようやく気づいた。

 ラルフはいる。ティナも、カイトもいる。先行した騎士たちも戻ってきている。

 なのに、一人足りない。

 俺は騎士たちの後ろへ視線を向け、そのまま通路の奥まで目を凝らした。

 

 誰も来ない。

 そこにいるはずの、小さな女の子の姿だけが見当たらなかった。

 

「……リリア様は?」

 

 その一言を口にした瞬間、ティナの表情が歪んだ。

 そこで初めて気づく。

 頬に残っているのは、汗や土埃だけじゃない。

 目の下から頬にかけて、何度も手で拭ったような跡が残っていた。

 

「ティナ……?」

 

 ティナは唇を強く噛み、俯いた。

 それでも、カイトを支えている手だけは離さない。

 しばらく何も言わなかった。

 けれど、やがて意を決したように顔を上げる。

 その目が、また僅かに潤んでいた。

 

「……ごめん」

 

 震える声だった。

 そして、絞り出すように続ける。

 

「リリア様を……守れなかった」

 

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